第5話

「―――失礼いたします」


 開いた扉の先で、アルは三名の人物を目撃する。


 一人は初老の老紳士。キッチリと礼服に身を包んだ、まさに絵にかいたような執事である。その額に瞳は無いが、代わりにその額から2対の角が生えているため、亜人種であることが分かる。名をケンドゥと言い、マリアンヌ付き添いの亜人執事である。彼女が幼いころから付き従っているため、この屋敷の中だと相当な古株に属する。


 その傍らで座っているのは、母たるマリアンヌ・オリヴィエ。2児の母親とは思えないほどの美貌を誇る貴婦人である。これもまた、額に宿る星晶の恩恵の一つであろう。その顔には表情らしい表情が無いが、少なくとも今は機嫌がいい訳ではなさそうである。


―――そして、最後の一人が客人である。


(——! こりゃ、驚いた)


「―――初めまして。カーラ、と申します」


 浅黒い褐色の肌、黒くうねる大角、女性とは思えぬほどの高身長——恐らくは2mを超えている。……そして、


―――どこからどう見ても、一人の亜人がそこにいた。


「……あー、驚きますよね、やっぱり。図体ばかり大きくなっちゃって、困っているんですよ」


 アルの心中を察したのだろう、カーラと名乗った女性は少し照れくさそうに笑う。


「い、いえ……」


 確かに驚いたのは事実ではあるが、それは彼女の見た目だけではない。亜人種であるという事実に対してもである。


 先に述べた通り、亜人種とは従属種である。階級的にはイリス人の下に該当する。要するに、。だが、カーラは客室へと通されている。そして、家主たるマリアンヌが直接対応している。……すなわち、イリス人と同格として扱われているのだ。


 それに、彼女の亜人種たる特徴も見逃せない。浅黒い肌に黒い角、そしてその巨躯きょく。頭に角が生えている亜人種は数多存在するが、このような特色を備えた種族は一つしか知られていない。


―――【黒角族】。


 非常に攻撃的かつ排他的な――。少なくとも、このような小綺麗な部屋で縮こまって座っていられるような存在では無い。


 様々な可能性を考えながらここに来たアルも、思わぬ客人にさすがに面食らってしまう。多少の変わり者が来るであろうことは予測していたが、まさかイリス人ですらなく亜人種で、それも悪名高い黒角族が来るとは想像だにしていなかったからである。例えるなら、エルフの集落にオークが愛想笑いを浮かべながら来るようなものか。


 そのような存在が、事もあろうに一客人としておもむいており、その目的は出来損ないである【亡眼】であるときた。


―――胡散臭うさんくさいにも程がある。


「―――いつまでそこに突っ立っているの?」


 混乱するアルに対し、そう冷たい言葉をかけたのは母親たるマリアンヌである。表情だけでなく言葉にも氷が宿っている。

 

「! 失礼いたしました」


 アルは老紳士に促されるがまま着席する。客室の椅子は居心地が良すぎて逆に居心地悪く、思わず背筋を伸ばし前のめりな姿勢になる。


「――では、本題に入らせてもらうとしましょうか。——我が不肖の息子に何の御用で?」


 先に口火を切ったのはまたもやマリアンヌであった。ここに来てアルはようやく気が付く。無表情に思えた彼女のその内に渦巻く感情を。


―――どうやら我が親愛なる母親は、随分とお怒りの様子であると。 


「えーっと、それはこちらをですね……」


 カーラはいそいそと懐から何かを取り出す。それは、一枚の紙であった。


「ちょっと失礼をば」


 そう言うとカーラはブツブツと何かを呟く。その瞬間、その紙が


(!?)


 まさしく大惨事——かに見えたが、どうやらその炎は見せかけのようであるらしい。机や家具に燃え移ることも無く、そのまま消えてしまった。後に残ったのは、先ほどの紙だけである。アルの記憶では白紙だったはずだが、今は何やら文字が書き写されているのが目に取れる。


「“隠蔽いんぺい”の魔法……。先ほども見せてもらったけど、随分と大袈裟おおげさな事ね」


「まぁ、我々のだと思っていただければ。


 カーラのその一言に、マリアンヌはピクリと眉を動かす。


 どうやら、先程の紙には隠蔽する魔法がかけられていたらしく、元々は白紙ではなく文字が書き写されていたらしい。そして蒼い炎を生み出す魔法が、まるで炙り出しのように文字を浮かび上がらせたのである。


(魔法だって? やっぱり只者じゃねぇな)


 アルは内心驚く。魔法の存在も知っていたし、実際に何度か見たこともあったが、やはり実際に目撃する度に摩訶不思議な気持ちになるのである。それに魔法を行使したのはどう考えても目の前の亜人、カーラである。それもまた驚嘆に値した。


 確かに不思議な事ではない。魔法はなにもイリス人だけの特権ではないからだ。イリス人は額に宿る星晶から継続的に魔力を供給されるため、確かに魔法技術においては他の種族よりもけてはいる。しかし、元々魔力とはこの世界に普遍的に存在しているものであり、誰もが扱えるものなのである。

 

―――正確には、魔力のもととなるという物質が普遍的に存在しており、それらから魔力さえ抽出さえできれば、極端な話ではあるが誰でも魔法を顕現させることが出来るのである。


 ただし、イリス人でない者が魔法を扱うには、それなりの優れた才覚が必要だとされている。そして、それを学ぶための高度な教育も。すなわちこの亜人、見た目に似合わず相当なエリートという訳なのである。客室に案内されたのも、なんとなく察しが付くというものだ。


「ではこれを」


 そう言ってカーラは用紙をマリアンヌに差し出す。マリアンヌはしばらくそれを眺めていたが、やがて溜息をついて用紙を机の上に置く。


「要件は把握いたしました。……もっとも、こんなモノを見ずとも予測は出来ておりましたが」


「ご理解が早いようで。では――」


「――


 にべもなくマリアンヌはピシャリとそう言い放つ。


「断る、とは?」


「お引き受けできない、と言ったのです。——これはお返ししますので、そのまま持ち帰ってくださるかしら? 目に映るのも不愉快だわ」


 そう言ってマリアンヌは用紙をカーラに向けて差し返す。 


 アルは驚いていた。その失礼とも言えるマリアンヌの態度にではない。その表情にである。


―――彼女は憤怒の表情をしていた。


 少なくともこのような彼女の姿など、一度も見たことは無かった。父親の葬儀の瞬間ですら、彼女はその氷のような表情を崩さなかったのである。しかし、今やその氷は憤怒の炎によって溶け去っていた。はっきり言って威圧感が凄まじい。鬼母子神も目ではない。 


「それは困りましたねぇ」


 しかし、対するカーラの様子は相変わらずである。困り顔をしてはいたが、そこには余裕が感じられる。その様子はまるで、初めからこうなると知っていたかのようですらある。


「ですが、申し訳ありません。見せた後でなんですが、この用紙に特に意味などありません。なにせ、初めから貴女の同意など必要ないのですから」


 あっけらかんとカーラはそう言いのける。


「……何ですって?」


「貴女もご存じのはず。—――【亡眼】はとね」


 そう言ってカーラはアルを見る。その瞬間、彼の背中に寒気が走る。


 別にカーラは侮蔑の視線を送ってきたわけでは無い。かと言って嘲笑をしていた訳でも無い。むしろ、そちらだった方が幾分かマシであったであろう。


………養豚場の豚を見るような目つきと言えば、分かり易いであろうか。これから出荷される訳だけど、まあ頑張ってねと言わんばかりの目つきを、カーラはしていたのだ。まるで値踏みするような、それでいてあわれむような、とにかく前世では味わったことの無い気色悪い感覚を感じさせる目つきであったのだ。


「―――人間でなかったとしたら、何だというのです?」


「そうですねぇ……モノでしょうか?」


 マリアンヌの問いかけに対して、本当に悪気すらも無い様子でカーラはそう言いのけた。重々承知の上ではあったが、改めて口から言われると気分が悪くなるものだ。アルは渋い表情をその顔に浮かべる。しかし、彼以上に過剰に反応したのは他でもないマリアンヌであった。


「よくもまぁ……そんな事を」


 縊り殺してやろうかと言わんばかりの形相で、マリアンヌはカーラをにらむ。


「まあ、お気持ちは分かりますよ。【亡眼】と言えども息子は息子。可愛くないはずがありませんから。しかし、世間体というものがありますし、。幼い妹がいるとなると猶更です。。とても一緒に暮らしていくなんてことは、出来ようはずがない。かと言って、無情に放逐なんてことも出来なかった。だから貴女は苦渋の決断をした。恨まれてもいいからと離れに小屋を―――」


「止めなさい!!」


 カーラの言葉を遮るようにマリアンヌは叫ぶ。まるでアルに聞かせたくないと言わんばかりに。


「これは失礼をば。……とにかく、貴女様の愛情は良く分かりました。ですが、もうご理解なさっているのでしょう? という事を。だから、貴女は彼をここに呼んだのです。——違いますか?」


「―――」


 マリアンヌは黙ってしまい、そのまま椅子に座り込む。その反応が全てを物語っていた。


「【亡眼】はモノです。ですので、人権は無い。ただし、貴女の所有物ではある。だから、今までは黙認されていたのです。——ですが、


 そう言ってカーラはある物を机に置く。それはひしゃげた金属の塊のようであった。


「これは戦友の形見です。。敵の正体は分かりません。ですが、。迅速なる兵力の増強が望まれるのです。……一上級国民である貴女は、その責務を果たさなければならない。国に私財を献上する義務があるのです」


 ここに来てようやく、アルはカーラが何を言いたいのか理解した。


 何らかの脅威が近づいているから、兵力増強のためお前の息子を差し出せ――そう言っているのだ。



―――つまりは、と言っているのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

亡眼の黒騎士~出来損ないと言われた少年の成り上がり~ arupe @arupe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ