思わぬ客人

第4話

 屋敷で働く召使たちの反応は、アルの想像とは違い落ち着いたものであった。どうやら事前に周知が済んでいたらしく、彼が現れてもなお、皆一様に平静を保ち通常業務に励んでいたのである。腐ってもイリス人であり、そして家主の息子でもある。その前で騒ぎ立てるような愚か者は皆無であったようだ。


 ちなみに、召使たちはみな。彼ら彼女らは皆、なのである。


 違う進化経路をたどりながらも、人間に近しい形と高度な知能を併せ持った存在——それらを総称して、この世界では亜人種と呼んでいる。


 アルと同じく、亜人種たちもまた瞳を持たない存在である。しかしその代わりに、種族特有のを有していた。例えばある者は立派な黒い角と頑強なる体躯たいくを、ある者はうろこごとき堅牢なる皮膚を、ある者は鋭き聴覚を有する長い耳を、ある者は水中で呼吸が出来るえらを。


 亜人種——ひとみを持たぬがゆえに人間とは認められないが、それに準ずる存在としては認めてやろう――そのようなイリス人の傲慢ごうまんさを感じさせる呼び名ではあるが、彼ら彼女たちもまた社会を構成する重要なファクターであった。イリス人が頂点に君臨し、その下に亜人種が付き従う形で社会を形成しているのだ。アルのような【亡眼】と違い、立派な役割が存在するのである。


(居心地ワリィ……)


 アルは辟易へきえきとする。周囲の好奇に満ちた視線を浴びながら。


 いくら表面上では平静ポーカーフェイスを保っていたとしても、その内面に渦巻く感情というものは滲み出てくるものである。如実に、視線に。それをアルは今、一身に浴びていた。決して居心地が良いものとは言えない感覚だ。それは先を歩いているリナリーも同じであったらしく、人を案内する者の速度とは思えぬほどの速足で目的地へと歩いていた。


 誰もが皆、アルに注目していた。あれがイリス人でありながら瞳を持たない【亡眼】であると。自分たちよりも存在価値の無い出来損ないであると。内心嘲笑し侮蔑していた。これはアルの被害妄想ではない。その場にいる誰もがそう考えていたのだ。

 

 元々、従属種たる亜人種が支配種たるイリス人に良い感情を抱くことなど少ない。ただ、大っぴらに謀反むほんの意思や遺憾の意を示さないのは、イリス人がそれだけ強大な存在だと知っているからである。逆らえばタダでは済まないと理解しているからこそ、従順に従っているのである。


 しかし、その中でもアルは違う。明らかに格下の存在である。だからこその反応なのである。


(まったく、不愉快なもんだぜ)


 内心愚痴りながらも、アルは黙々と歩を進める。この不愉快な場をとっとと出ていきたい一心で。リナリーもきっと同じ気持ちなのだろう。ただ、彼女の場合は当事者ではないため、共感性羞恥心に近い感情が働いているものと思われるが。


 身内の恥を大衆の前に晒すなんて、なんと情けないことか。おおよそはこのような事を考えているに違いない。そう思うと、アルは憤りを感じると同時に申し訳ない気持ちになっていた。少なくとも彼女の心情は理解できるからだ。


 伊達に前世から年は喰ってはいない。どうして自分を認めてくれないんだ等という甘っちょろい考えが浮かぶほど、アルは若くは無かった。確かに不愉快で憤りを感じてるのは事実ではあるが、この現状を招いたのは自身の至らなさであることは重々承知しており、その上で解決策が無いものだから途方に暮れていたのだ。 


 だからこそ、せめて従順であろうとした。離れ家に隔離される事に文句も言わず同意し、愛を与えぬ母親に反発せず生意気な妹を邪険に扱わなかった。少しでも身なりを良くするために不摂生を控え、自主的に勉学に励み鍛錬を行い心身ともに鍛え上げた。少なくとも、前世よりもさらに真っ当な生き方をしてきたつもりであった。


 それでも、家族は――世界はその報いに応えようとはしていなかった。 


 イリスもやはり、前世と同じく不平等な世界であった。むしろ不平等さで言えばこちらの方が上かもしれない。少なくとも、日本では人権があったのだから。


(泣けるぜ、まったく)


 本当に少し泣きそうになりながらも、アルは歩を進める。さすがに涙が零れぬように上を向くことは出来なかったため、ぐっと涙腺を引き締めて我慢したのだが。


「なによ、そのしかめっつらは」


 いつの間にか立ち止まってこちらを見ていたリナリーが、訝しげにそう聞いてくる。その顔にアルと同様か、それ以上のしかめっ面をしながら。


「いや、目にゴミが入って……」


 アルは何とか誤魔化す。泣くところを妹に見られるなど、それこそ末代の恥だと思いながら。


「着いたよ」


「え?」


「だから、客室に!!」


 リナリーの怒号が響く。キンキンと耳障りな音だ。


「ああ、スマン」


 どうやら、いつの間にか客室の前に付いていたようであった。確かに言われてみれば、いかにも“オモテナシします”と言わんばかりの豪華な扉がある。


「私はここまでだから」


「あれ? 付いてこないのか?」


「用があるのはお兄ぃだけだって!!」


「あ、ああ、そうか。スマン」


「フン!!」


 何だか本当に様子がおかしい。アルはリナリーの不可解な態度に疑問を持ちつつも、扉に手をかける。その瞬間、背後から声が聞こえる。声と言っても掠れてほぼ聞こえないような響きではあったが。


「――て――なのよ――か」


 恐らくはリナリーの声ではあるが、何を言ったのかまでは聞こえなかった。しかし、アルはその響きからまた悪口の類だと判断して聞こえなかったフリをする。知らぬが仏、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに。


「―――失礼いたします」


 豪勢な扉を開け、想像以上の重みを腕に感じながらも、アルは挨拶をして客室の扉を開ける。


……その背後で、リナリーが泣いていることなどつゆも知らずに。


 アルはもう少し思慮を巡らせるべきであった。


 何故なぜ、リナリーがわざわざ離れ家を訪問し案内役を買って出たのかを。頭飾りを取らずともなお、愛称たる兄と言う呼び方を使用したのかを。


―――少なくと想像以上に、

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