第3話

 アルは額をつるりと触る。そこには皮膚があり、その下には骨があり、さらにその下には脳味噌が詰まっている。当然、脳味噌に手が届くはずもなく、防護壁ぼうごへきたる頭皮と頭蓋骨に阻まれ、ブヨブヨとしながらも固い感触が指に返ってくる。穴でも開いていない限りは正常な反応、少なくとも前世では一般的な反応である。


 しかし、この異世界——では一般的ではない。異端で奇怪——いや、奇形と言ってしまっていいだろう。


 何故なら、イリスの人々のひたいにはひとみがあり、


 ひとみとは言っても、眼球がそのままひたいにはまっているわけでは無い。ものの例えである。星晶せいしょうと呼ばれる楕円形の結晶状の器官が、額から生えているのだ。もちろん人為的なものではなく自然的に、産まれ落ちた瞬間から。その様が【第三の瞳】のように見えるので、ひとみと総称されているのである。


 ただし、この星晶は瞳としての役割を果たしてはいない。かと言って宝石のようなただの飾りでもない。持ち主に多大なる恩恵を与える力を誇っていた。例えばそれは老いを知らぬ肉体を、目もさえる美貌びぼうを、万力たる膂力りょりょくを、そして——を。


 そう、この世界には魔力がある。それすなわち、。人という個体でありながらも、物理法則を超越した超常たる力がある。そう、ここは地球ではない。イリスという名のなのだから。


 魔力を――そして魔法を自在に操る事の出来るイリス人は、いわば地球に住む人間の上位種たる存在であると言えた。しかし、イリスにおいてはこれこそが基準であり標準であり、人間と呼ばれる存在なのである。


 この世界でうたわれる人権とは、イリスに住む正常な人々のみが対象となる。すなわち、ひたいに瞳がある人々のみが。それ以外の有象無象は全て、ヒトではないナニカに分類される。


―――すなわち、この世界でのアルは人間以下の存在なのである。


「ハァ……」


 アルは何度目かわからぬ溜息ためいきをつく。いくらつこうとも、状況など変わらないと知っているのにも関わらず、ついてしまう。これもまた、地球人としての悲しき性質サガの一つなのだろう。


 続いて鏡に映る自分の顔を見る。何度見ても見慣れない。そこには他人の顔が映っていた。異世界転生なのだから当然なのだが、アルは上重かみしげワタルとしては誕生していない。この世界に生まれ落ちる肉体に憑依ひょういした、亡霊とも呼べる存在である。だから、鏡に映る顔は見覚えの無い他人の顔である。黄色人種モンゴロイドではなく白色人種コーカソイドである自分の顔である。


 そう、イリス人の見た目は額に瞳がある以外はそう地球人と変わらない。そして、アルが生まれ変わった家系は白色人種で構成されている様子であった。……とは言っても、この世界に肌の色で人を区別する文化があるかどうかまでは知り得ていなかったが。


 本来生まれ落ちる筈だった者の魂を押し出し居座ったのか、それとも強引に上書きしたのかは知るよしもない。しかしながら、生まれ落ちなくて正解だぜと、アルは自嘲気味に笑う。存在するかどうかも分からない、本来の持ち主に対して。その笑顔もまた、見慣れなくて気味が悪いものだから救いようが無い。


「気色悪いわね、ニヤニヤ笑って」


 後ろから急に声をかけられたものだから、アルは思わず声を上げそうになる。寸での所で悲鳴を飲み込んだのは、日ごろの教養の賜物たまものか、それとも常日頃から行っている自主鍛錬じしゅたんれんのお陰か。少なくとも前世よりは、たくましい存在になったようである。 


「……いきなり声をかけないでくれ、リナリー」


 そう言って振り向いた目線の先には、がいた。


 まだ幼さが残っているが、その容貌は恐ろしい程に整っている。そのひたいには星晶の青いきらめきがあるはずだったが、今は頭飾りで隠れていた。その代わりに、小生意気と表現するのがピッタリな表情を顔に貼りつけている。


 リナリー・オリヴィエ。アルのがそこにいた。


「ついに正気を失ったんじゃないかって、心配になってね。出来損ないでも、血の繋がった家族ですもの」


 言葉とは裏腹に全く心配していない様子でリナリーは言いのける。ついこの間までは無邪気に接してきた可愛げのある妹ではあったのだが、反抗期を迎えたのかそれとも不甲斐ない兄の実情を知り幻滅したのか、立派なほどに生意気な存在へと成り果てていた。


「そいつはどうも。……で、まで何の用だ?」 


 溜息をつきながらアルは要件を聞く体勢になる。わざわざこんなまで来たという事は、それなりの理由があると察していたからだ。


「お母様がお呼びよ。どうやらお兄ぃに客人が来てるんですって。……物好きがいたもんよね」


「……俺に客?」


 全く心当たりがないため、アルは訝しげになる。そもそも【亡眼ぼうがん】の時点で人権すらないために、彼は半ば強制的な監禁状態にあった。要するにのように扱われており、この実家の敷地内から外に出た事すらなかったのである。このような状況下では友人など出来ようはずもないし、まともに話しかけてくれる存在すら希少であった。そしてその希少な存在ですらも、この目の前の妹のように友好的とは言いづらい。大抵は侮蔑ぶべつ嘲笑ちょうしょうをもって相対するのである。

 

 そんな存在に対して、事もあろうに外部から客人が来たというのである。誰が聞いてもいぶかしげになるに決まっていた。


「要件は?」


「私が知る訳が無いでしょ! それに、別に知りたくもないし!! さっさと支度してちょうだい!!」


 不機嫌そうにリナリーは言う。今日はいつにも増して虫の居所が悪そうである。その要因が自分にあるのかそれとも別にあるのか、アルには判別がつかなかった。


「分かったよ。準備する」


 急かされる様にアルは支度にかかる。とは言っても現在地は離れとは言え同じ敷地内、そう距離がある訳でもない。身なりを整えて、外面そとづらを作れば事足りる。 


 アルは服を着替え靴を履き、そして額に装飾の付いた布を巻く。これはイリス人が外向きの行事にうかがう際の様相である。イリス人にとって額の瞳は神聖なもの。親族もしくは気心知れた仲間の前でないと、露出をすることは滅多に無い。外部に赴く際や、今回のような客人の応対などの場合には隠すことがマナーとされていた。


 ただ、アルの場合はそもそも星晶が無いため、瞳が無い事——【亡眼ぼうがん】であるという事実そのものを隠すためのカモフラージュであったのだが。


「ふん、こうやって見ると一丁前のイリス人ね。……いや、それにしては貧相か。気品の無さが滲み出ているわ」


 正装に着替えたアルを見て、リリーナが嫌味ったらしく言ってくる。どうしてこんなにも捻くれてしまったのかと嘆く気持ちがある一方で、そりゃそうだよなと納得する気持ちがアルの中に湧き上がってくる。


 それほどまでに星晶の恩恵は凄まじい。持ち主に天上の美を約束するほどに。リナリーがアルと毛ほども似ていない理由の大半は、この星晶の有無によるものが大きかった。そこに血の繋がりなど一切関係ないのである。


 いくら額に瞳が無い事を布で隠そうとも、リナリーの言う通りその容貌ようぼうでもう既に答えが出ているようなものであった。だが、それでも隠すことを止めるわけにはいかない。いくら惨めであろうが滑稽であろうが、そうでもしないと本当の出来損ないであると周知されてしまうのだから。


(一体何処のどいつだ?)


 朝から嫌な気分になりつつも、アルの中には純粋な好奇心が芽生えつつあった。客人の正体など皆目見当もつかない。だからこそなおさら気になり、そして同時に不安にもなる。それでも、どういった輩なのかと知りたい気持ちは抑えられそうにも無かった。この世界において、はじめて自分に会いに来る客人であるのだから。


———たとえその客人が、何処ぞから噂を聞きつけて来た慇懃無礼いんぎんぶれいやからだったとしても。


「じゃあ、行こうか。リナリー、案内してくれ」


 準備が整ったため、アルはリナリーに声を掛ける。本当は一人で行きたい気分であったが、生憎あいにく本殿ほんでんには久々の入場である。日本と違い、イリス人の家宅は一般家庭でも豪邸ごうていと呼べるものである。多くの召使たちをはべらせて管理させているのが普通である。だから、久方ぶりに足を踏み入れる者にとっては迷宮に等しい存在となる。地図、もしくは案内役がいないと恐らくは迷うであろう。

 

 それにそもそも、離れ家にいるはずの【亡眼ぼうがん】たる不肖ふしょうの息子が独りでにうろうろしていたら、召し使い達にいらぬ動揺を与えてしまう可能性が高かった。リナリーの付き添いが無いと、恐らくは自由に身動きがとれないであろう。


「命令しないで、不愉快よ!」


 しかし、リナリーの返答はそんな兄の気遣いなど知らんと言わんばかりのものであった。あからさまに不愉快と言わんばかりの表情をする。


 しかし、しばらく経つとどうやらアルと同じ結論に至ったようで、その顔が今度は渋い表情に切り替わる。まさに、一緒に歩きたくないと言わんばかりに。どうやらしばらく接しないうちに、想像以上に嫌われてしまったらしい。ただ、目の前でお察しではあったのだが。  


「もう、最悪!!」


 プンスカと言わんばかりに肩を怒らせ、リナリーはズカズカと部屋から出ていく。勝手について来いという事なのだろう。アルは呆れながらも、それに続くのであった。


―――もう二度と、この離れ家に戻る事は無いと知るよしも無いままに。

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