ようこそ、不平等な世界へ

第2話

 ワタルで初めて見た光景は、失望に塗れた表情をする母たる女性の顔であった。


 その顔は如実にょじつに物語っていた。


―――自分がという事を。


 なぜ、その女性がそのような顔をするのか、その時のワタルには皆目見当もつかなかった。そもそもなぜ、自分がこのような状況に置かれているのかでさえ、理解が出来ていなかった。


 しかし、不思議にもその時のワタルはとるべき行動を完璧に理解していた。生物としての本能と呼ぶべきものがそうさせていたのだろう。何はともあれ、そうしなければならないと自然に体が反応したのだ。


 すなわち、産まれたての赤子の特権——産声うぶごえを上げたのである。


 その声は高らかに主張していた。と叫んでいた。本人の胸中が如何いかがであれ、それは確かにこの世界に爪痕を残そうとする一匹の獣の声であった。


 ここに来てようやく、周囲の人々が慌ただしく動き始め、そしてワタルの人生もまた新たに始まるのであった。



※※※



 ワタル――もとい、この世界でと名付けられた少年が、自らの置かれた状況を理解するのには、それなりの月日が必要であった。


 アルは前世の記憶と成熟した大人の精神を持ち合わせてはいたが、この異世界についての情報は皆無に等しい。知識面だけを見ればまさしく赤子同然である。だから一から時間をかけて学び直す必要があったのだ。


 具体的には、10の月と20の日をかけて自らの置かれた環境を把握し、1年の月日をかけて言語を習い言葉を理解し、そしてさらに2年の月日をかけてこの世界の文明と文化を理解したことでようやく、彼は自らの状況を理解することが出来た。そして同時に、に襲われる事となった。


 それは、限りなく怒りに近いいきどお。そしてそれに続いて絶望と失望……最後には孤独。まさに、前世で死ぬ間際に感じた感情に近いものである。


 アルは母の失望の正体を知った。そして同時に、彼女が何故ここまで自分を冷遇するのかの理由を知った。


 親が子をぞんざいに扱う理由などそう多くは無い。大抵の場合、子は宝であり、えがたい存在であるからだ。しかしながら同時に、たからであるがゆえに、えがたい存在であるがゆえに、親は子に幻想を抱くのである。そして勝手に失望するのである。


―――自らの子がであるという事実に対して。


 この世界においてアルの立ち位置とは、出来損ないがゆえに母からの寵愛ちょうあいを与えられない哀れな少年であった。赤子の時点でくびり殺されなかっただけマシとも言える境遇だ。


 ハッキリと言ってしまえば、前世の境遇の方が遥かにマシである。確かに親からの束縛はあったものの、それは期待の裏返しとも呼べるものであり、少なくとも冷遇するような類のものではなかった。出来の良い兄と姉が居たものの、関係は良好であり、独り立ちしてからの交流も多少はあった。


 しかし、ここはどうだ? この世界はどうだ?


 初めからお前には期待しないと言わんばかりの母の冷たい態度。そして、その母の寵愛ちょうあいを一身に受けた妹たる存在の浴びせる嘲笑ちょうしょう。そのどれもが悪い意味で新鮮であり、えも言えぬ感情を抱かせるのである。そしてここに来てアルは初めて思い知った。前世では、と。


 しかも最悪な事に、冷たいのは家族だけではない。、彼には冷たい。認められていないがゆえに。


―――すべては、

 

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