第4話 リボン


 季節は十月上旬。

 残暑の名残がまだ色濃く残る、暑い天気の中、青峰高校の生徒たちは額に汗を浮かべながらも明るい表情で登校していた。


 文化祭本番、初日である。

 青コレは午後一時。昼休憩が終わった頃にスタートする。


 モデルたちが歩く花道ステージは、学校のグラウンドの中心を埋めるように組み立てられている。左右の隅には出演者たちの控え室。ステージを囲むように簡易椅子が並べられ、我先にと陣取った生徒たちとお客さんが談笑をしながら開演時間を待ち遠しそうに気にしている。


「……人人人、みんなジャガイモ、ジャガイモ、ジャガイモ……」


 控え室で綺麗な服に身を包みながら奇妙な呪文を唱えている男が一人。理都である。手のひらに指文字を描き、真っ青な顔で「ジャガイモ、ジャガイモ……」とくり返す様は何とも不気味だ。


 理都の出番は二番目。かなり前の方のため、プレッシャーもひとしおである。


「背筋張らないとダメだよ、音羽」


 向田が力強くエールを送ってくれる。知らず臆病になっていた理都は、はったりでも気丈に振る舞おうと決意した。


 いよいよ時刻は迫ってくる。


 ステージの中央を見る座席には、理都のクラスメイトたちが列挙して押し寄せていた。あの音羽理都がランウェイ出演? どういう風の吹き回し? 明日は槍が降るのだろか、いやいや実はあいつはガラスの仮面の主人公ばりに演技達者で、俺たちに見せているあの地味なオーラはただのフリで、何か大きな裏があって……などと好き勝手に噂し合っている彼らが想像できる。噂を振りまいているのは江國に違いない。あのおしゃべりの妄想好きめ。


 などと邪推しているうちに、ステージは開演した。


 吹奏楽部の華やかな音色に合わせた、観客たちの手拍子。司会者の生徒の調子のよい声。今日だけは俺たち、私たちが主役だといわんばかりの、周りの弾んだ声援。すべてが賑やかで、まぶしくて、輝かしかった。


 一通りのオープニングセレモニーを終え、理都たちモデルは順番通りに一列に並ばされる。


 控え室から花道へは垂れ幕で覆われており、外からは自分たちの姿は見えない。理都は緊張と不安と微かな興奮を胸に、スタンバイした。


 吹奏楽部の演奏が終わり、場内は洒落た洋楽のBGMが流れ始めた。放送部が選曲し、流している。それぞれのモデルに合わせた楽曲を選んでいるので、一人が歩くごとに曲が変わり、場内の雰囲気もさまざまな変化を見せる。


「音羽に合うのは、これね」と、向田たちが選曲したアーティストは、理都は知らない名前だったが、彼らが誠意を込めて選んだ曲だ。信頼している。


 トップバッターのモデルが颯爽と垂れ幕から花道へ出た。自信満々に、胸をぐっと広げて、踏みしめるようにステージを歩く。観客から黄色い声が飛ぶ。モデルは余裕たっぷりに手を振ってみせた。見られることに慣れているのか、貫禄さえ感じられる堂々としたポーズだった。そのまま彼はリハーサル通りに中央ステージから戻って左側のバックステージへ行き、完璧なウォーキングで垂れ幕の向こうへ消えていった。


 続いて、理都が出る。


 スローなバラードが流れる。


 女性歌手の、艶のあるどこか悲しげなビブラートに乗せて、哀愁漂う歌が流れてくる。それでもただ悲しいだけではない、ロマンティックで甘美な声質。テンポはゆっくりでも、不思議な癒しを感じられるような曲だった。


 理都は一生懸命に毅然として歩いた。


 さっきのモデルのような自信などない。今の今まで教室の隅っこにいたような陰キャだった。急に自分を変えられなどしない。けれどやれるだけの努力はした。後はもう、運に身を任せるしかないのだ。


 なるようになれ。


 場内の雰囲気はしんとしていた。失笑はない代わりに、声援も飛ばなかった。観客は固唾をのんでステージ上の理都を見上げていた。まるで声を上げることすらためらうかのように、真剣に視線を注いでいた。


(何か、妙に静かになっちゃったな……)


 やはり、自分はその場の空気を暗くするしかできないのか。自分が目立つのは場違いだったのか。


 気弱で臆病な心が首をもたげる。


 泣きそうになった瞬間、理都は見つけた。


 控え室の袖口から、向田たちが顔を覗かせているのを。


 彼らが自分を見ている。見守っている。


 このまま怖気づいて泣くわけにはいかない。


 彼らに恥をかかせてはいけないのだ。


(よし、がんばろう! ウジウジしてる場合じゃないよ!)


 理都は己の心に喝を入れた。


 胸を張る。顎を引く。視線をまっすぐに。背筋を正し、目線は固定して、迷いのない表情を作れ。


 理都は中央ステージへ着いた。


 堀と福永から叩き込まれたポージングを決め、再び踵を返し、元来た道を戻っていく。


 自分のウォーキングも、ポージングも、たいしたことないのかもしれない。


 けれど自分は、逃げなかった。


 一瞬でも、一日だけでも、陽キャたちの世界へ躍り出たのだ。


 向田たちが作ってくれた、今日だけの特別な衣装。堀と福永が辛抱強く付き合ってくれた時間。


 すべて無駄にすることなく、理都はやり遂げた。


 時間にして数分にも満たない世界。


 バックステージを颯爽と歩き、垂れ幕の向こうへ消えていく理都。合わせて理都のイメージソングもフェードアウトしていく。


 寂しいが、これでいい。これでいいのだ。


 理都は、自分の殻を突き破ったのだから。


 垂れ幕が下り、次の出演者へ音楽が様変わりした頃、理都は一日分の疲労が体にもたれかかってくるのを感じた。


「……つ、疲れたぁー」

「音羽、お疲れ!」


 わっと、向田たちが理都に駆け寄ってくる。


「やったね! みんな見惚れてたよ!」


 向田は輝きに満ちた笑顔で、達成感をあらわにした。


「お前のオーラすごかったぞ!」

「何か、ミステリアスだった!」


 堀と福永が盛り上がってくれる。


(みんな……)


 ふと、理都はこらえ切れず涙を流した。


 一筋流れた涙は次々と目からあふれ出て、彼らに茶化されるまで子どものように理都は泣きじゃくってしまった。


(俺は、少しでも、自分らしく堂々とできただろうか)


 答えはわからない。


 けれど、誰かの反応があれば、それでいい。


 理都の心は暖かいもので満たされていた。



   🏫



 あれから数日。


 理都はクラスの中心的な人気者になったかといえば、特になっていない。相変わらず、無口で、ぼうっとしていて、時々ドジを踏んで、先生に当てられた授業でとんちんかんな回答を言ったりする、いつも通りの音羽理都のままだった。


 しかしもう「音羽? 誰だっけ」なんて言う輩はいないし、「音羽―、ちょっとジュース買ってきてくれ」なんてパシリにするクラスメイトもいない。理都の人権とクラスでのポジションは少しばかり向上した。


 理都は今日も、向田葉菜からもらった使用済みの深紅のリボンを、放課後にこっそり着用している。さらには向田が買ってプレゼントしてくれた色つきリップクリームとヘアピン、目元を少し盛れるクレヨンタイプのアイシャドウをささっと乗せ、江國や堀たちの前で素の自分をさらけ出している。他に誰もいない多目的ホールで。理都たちの秘密基地と化した、青春のたまり場で。


 音羽理都は、女の子たちが「可愛い」と認めるような、キラキラしたものが好きだ。


 いつか、そんな恰好で街中を歩いてみたい。あの時のランウェイのように、これが俺自身を表現するアイテムなのだと、俺はこれが好きなのだと、誇らしく生きたい。


 そんな時代は、きっともうすぐ来るに違いない。


 音羽理都は、リボンが好きだ。


 そして、リボンを好む、自分が好きだ。



   了



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リボン 泉花凜 IZUMI KARIN @hana-hana5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ