リボン
泉花凜 IZUMI KARIN
第1話 リボン
都立
配られた資料のプリントには、今までの古臭い制服から一新された、モダンな雰囲気を放つブレザー。
胸元をひときわ際立たせている、深紅のリボンタイは、まさしく赤色が好きな理都にとってこれ以上ないほど、理想的なスタイルだった。
本当に、美しい制服だ。
女子だけ。
そう、女子だけが。
理都は、一緒に印刷されている男子の制服もチラッと見る。
こちらも、別にダサくはない。むしろ、いい。体型がシュッとして見えるように巧く計算された、実に見事な出来だ。
しかし、胸元は、ネクタイ。
濃紺色の、ほぼ黒に近いネクタイだった。
理都はそこだけいつも不満である。男子はネクタイ、女子はリボン。女子はネクタイでも変に見えなくて、男子はリボンをつけられない。なぜだ。性差の違いはどこからくるのか。
「リボンつけたい」
理都は誰にも聞こえないように、ごく少量のボリュームでボソッとつぶやいた。
理都は、リボンが好きだ。
その他、ハートマークや、キラキラしたもの、小物類、雑貨類……。およそ「女の子」が好みそうな対象物を、丸ごと愛している。
音羽理都は、男子だが、可愛いものを身に着けたい。
誰にも言ったことはないけれど。
🏫
理都は自身の性別に違和があるわけではない。男に生まれた自分をそのまま受け入れている。「少女趣味」といわれることが怖いだけだ。
なぜ怖いのか。
まず、自分の周りにいる男子は、制服の良し悪しなどこれっぽっちも興味がない。やれズボンの丈がどうとか、アレンジがとか、いちいち気にしない。裸じゃなければいいという程度の認識しか。
加えて、理都が好きな「キラキラしたもの」にも、興味を示さない。可愛い文房具やシールなど、存在していること自体知らなさそうな関心の薄さである。
だから、理都がそういったものを好む趣味を知れば、否応なしに「変わり者」認定されるだろう。
高校は狭い社会だ。人間関係を円滑にするには、まずは周りに埋没することだ。十六年生きてきた人生、理都の世渡り術といえばそれぐらいである。
理都は今日も、華々しい高校生活を送るでもなく、いっそ地味に過ごしたいという日陰根性を募らせたまま、一日を過ごす。
登校すると、教室では女子たちが新制服についてさっそく寸評会を行っていた。「このリボン可愛い」「大きさもバランスもちょうどいいよね」「それ! 私も思った―」俺も思った―、なんて台詞は言わない。言った先には地獄が待っている。うわあ、会話混ざりて―、と心の中で女子の輪に羨望のまなざしを向けながら、理都本人は自分の座席に着いて窓の外をぼうっと見つめる。ままならないこの世を
「音羽―、宿題やった―?」
「ああ、うん」
「見せて」
図々しく人の課題をねだる理都の友人、
江國は理都の答案用紙をせっせと書き写しながら、器用に口を動かす。
「みんな、制服の話してるなー」
「ああ、うん」
理都は何気なさを装って江國に同意した。
「どっちがよかった? 前のやつと今の」
「えーっと……、今かな?」
江國は「ふーん」とつぶやいて、答えを丸写ししたプリントを理都に返した。
「女子はいいよなあ」
理都はぽつりとつぶやいた。何となく江國には、自分の抱えているちょっとしたモヤモヤを打ち明けてしまいたくなるような、不思議なオーラがあるのだ。
「どうしたん?」
江國はきょとんとしている。普段は傍若無人なくせに、肝心な時にとても優しく相手に寄り添う彼は、そのマイペースな性格のわりにたいそう周りから好かれる。
「いや、男はスカート履けなくて、女子はスカートもズボンも変じゃなくて、リボンもネクタイも似合うって、ファッションアイコンとして女子は有利だよなあって思っただけ」
「お前、ファッションに興味あったんだ」
「興味っていうか……」
理都はあいまいに答えを濁す。彼に自分の趣味を打ち明けていいのかどうか、まだ判断はついていない。
すると江國は一つの提案を出した。
「みんなに見られるのが嫌なら、誰もいない空間で好きな恰好すればいいじゃん」
寝耳に水だった。理都は、何かの悟りを開いたかのように呆然と目を見開く。
「……そ、そうか。その手があったか……」
「いや、誰でも思いつくかと……」
江國は若干あきれつつ、「好きな自分でいればいいと思うよ」と理都に答えを示した。
チャイムが鳴り、担任教師が登壇する。生徒たちが席に着く中、理都はいまだ悟りを得たかのような顔つきでぼーっと友のそばに居座り、担任から注意を食らってあわてて着席した。
🏫
放課後、理都は人がまばらになった教室に残った。
本当は売店に行って、こっそり女子制服のリボンを購入しようと目論んでいたのだが、なかなかこちらの思惑通りに人の数は減ってくれず、売り場には生徒たちが途切れ途切れに来店している。
仕方なく教室に戻った理都は、さてどうしようと頭をひねる。江國からの助言で行動を起こそうという気にはなったが、いざ人の目があると委縮してしまうのが人情だ。自分に強いハートはない。
クラスメイトは各々の部活動に行ったらしく、教室には理都が一人残された。ぽつんとなった空間はいつもより広く感じられた。三十ほどある席がずらりと並ぶ景色は、ちょっとした異空間を演出させる。
「リボンつけたい」
理都ははっきりと口に出した。しんとした教室に自分の声が響き、不思議な解放感が身を包む。気をよくした理都は再び声を大きくして、言った。
「あー! リボンつけて学校行きたいー!」
ガラッと、引き戸が開かれる音。
顔を出したのは、クラスメイトの女子生徒だった。
硬直している理都と、真正面から目が合う。
「……音羽?」
名前を呼ばれた理都は、蒼白な顔で女子生徒と対峙した。
「……む、
別名、女子のボス猿。向田ボス。
――やばい、聞かれた。思いっきり。
理都は普段使わない脳みそを必死にフル回転させて、窮地を脱出する方法を考え抜いた。
(今のは俺の言葉じゃなくて、演劇の台詞の練習で。いや、誰も信じないだろこんなの。もっとうまい嘘を……!)
「リボン好きなの、あんた?」
向田は単刀直入に聞いてくる。変に構えないところは彼女の美点だが、今それをやられると反応に困ることこの上ない。
「いや、え、えっと」
理都はきょろきょろと逃げ場所を探して目をうろつかせる。穴があったら入りたい気分だ。
だめだ。まったく気の利いた嘘が思いつかない。自分のポンコツな頭は緊急事態の時でもポンコツなままらしい。
「む、向田。これには深いわけがある。俺は決して変態じゃない」
「別に変態なんて思ってないよ」
向田はしれっと返答し、理都に近づく。身を固くした理都の脇をあっけなくすり抜け、自分の席をあさり始めた。
「忘れ物しただけだから」
机の中から新品のビニール袋に入れられた、深紅のリボンが出てきた。やっぱり綺麗な色だなと理都は心の中で彼女を羨ましがる。当たり前のように可愛いものを身に着けて、誰からも違和感を持たれない向田の性別が、まぶしい。
理都がぼうっと自分を見ていたのに気づいたのか、ふっと向田は振り向いた。再びかっちりと目が合った二人は一瞬、無言のまま互いを見つめる。
「音羽」
口を開いた向田は、しどろもどろになる理都の返事を待たずに、胸元のリボンをピッと外した。
「使用済みのやつだったら、あげるよ。リボン」
「……え?」
ぽかんとする理都を尻目に、向田はポイっとぞんざいな手つきでリボンを放る。あわてふためいてキャッチした理都に「ナイス」と言い放つと、そのまま教室を出ていった。
「……えーっと」
リボンが、ある。
自分の手の中に。
向田が使っていた例のものは汚れも糸のほつれも見当たらず、まるで新品のように綺麗な形のまま、美しい赤を見せていた。
心臓がドキドキと脈打つ。突然ふってわいた幸運に、まだ頭が追いつかない。理都は挙動不審になりながらも、一人きりの教室で小さくガッツポーズをした。
ただ一つ、向田葉菜に自分の趣味を暴露してしまった、想定外の不安だけが気がかりだった。
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