第2話 リボン


 理都はひとまずワンピースを羽織ってみることにした。


 GUで購入した黒一色のワンピースは、男の自分が着てもほぼ違和感なく様になるだろうと思い、手に入れたやつだ。


 姿見の前に立ってみると、なるほど、男子が女性ものの服を着ている。けれどダークカラーのためそれほど目に毒ではなさそうな印象を受けた。下にズボンを履けば街へ出てもよさそうだ。


 家にいる間はこの格好でいよう。

 理都はそう決めた。家族は驚くだろうが、話せば受け入れてくれるだろう。


 次は制服である。

 手始めにいつもの男子の制服に着替え、ネクタイを結ぶ場面をリボンに変える。昨日、向田がくれた使用済みのリボンだ。


 ドキドキしながら装着具を外し、襟元に結ぶ。

 出来上がったのは、ブレザーにズボン、深紅のリボンをつけた自分の姿。


 なかなか、いいんじゃないか?


 理都はまんざらでもない気分になった。向田からもらったリボンがやはり存在感を大きくしている。ネクタイよりもこちらの方が、自分に似合う気がするのだ。


 これで学校行きたいなあ。


 そう思っても、自分は男子だ。校則うんぬんより先に、同性からの視線が痛いに決まっている。最悪、仲間外れかもしれない。


 向田は、何のつもりで俺にリボンを渡したんだろう。


 行きつくのは、その疑問だ。あの日以来、彼女と何かしらの進展があったかといえば、まったくない。理都と向田は相変わらず顔見知りのクラスメイト止まりである。それ以上でも以下でもない。謎は深まるばかりだ。


 ひとしきり悩んだ末、理都は普段通りの制服で登校しようと決めた。

 ポケットにリボンをそっと忍ばせて。



   🏫



 朝一番に学校に来たのにはわけがある。


 理都は誰にも見られない時間を見計らい、自分一人だけの教室でリボンをつけてみることにしたのだ。部活の早朝練習で登校してきている生徒を除けば、帰宅部でこんな朝早くに教室にいるのは理都ぐらいの者だろう。


 問題は、誰かに知られたらどうしようという件である。


 理都は慎重に、引き戸を開いて教室に入った。

 部活組はとっくに朝練に出かけたらしく、中は無人だった。心の中でガッツポーズをすると、さっそく自分の席について準備に取りかかる。


 鞄から出したのは、折り畳み式のミラーとリボン、そしてヘアピン。

 どれも色はピンクに水色など、パステルカラーの配色でまとめた。自分を高めてくれる色だ。


 ウキウキしながら鏡を組み立て、手始めに髪の手入れをする。どの角度で髪を留めたら綺麗に見えるか、念入りにチェックして位置を定める。


 理都の前髪は少し長めで、教師に注意されるかされないかギリギリのところでセーブしている。美容院に頻繁に通わないおかげでそうなっているのだが、これはヘアピンをするのにうってつけの理由だなと、理都はほくそ笑んだ。


 五分弱ほどで、髪型が決まった。右側の髪を留め、残りの毛先を軽く流す。ヘアサロンの雑誌でよく見かける髪型である。名前は何というか知らないが、理都もやってみたいと密かに憧れていたスタイルである。


 ふんふんと上機嫌に鼻歌を歌い、ついでに色つきのリップクリームを唇に乗せた。今までの自分より数段華やかな雰囲気をまとった顔が、そこにある。


 最後に、ネクタイを外して、リボンをつけた。

 鏡に映るのは、普段よりいくらかイケてる自分だ。


 これだ。これをやってみたかったんだよ、俺は。


 理都の気分はすっかり上々で、せっかくだしスマホで自撮りでもしようと鞄をあさった。


 教室の引き戸が開かれる音。


 びくりと飛び上がった先に、見えたのは向田葉奈の姿。


 きょとんとした彼女は、理都の今の格好を見ても特に表情を変えず、


「おう」

 と、男らしい挨拶をした。


「お、おう」


 ドギマギしながら、理都は冷や汗を浮かべる。


「リボン、さっそくつけてるんだ」

「お、おお」

「髪型ちょっと変えた?」

「ヘ、ヘアピンを、少し」

「そうなんだ。うん、似合ってるよ」


 向田はしれっとした表情で褒め言葉をかけてくれた。普段は女子とうるさいくらい騒ぐのに、このクールぶりはいったい何だろう。


「あの、あんまり言わないでね。特に男子には」

「別に言いふらしたりしないよ。音羽はこっちの方が音羽っぽいし」


 俺っぽいとは? と疑問が頭に浮かぶが、とりあえずうなずいておく。


「自撮りしておいたら? あ、何なら撮ってあげようか?」

「む、向田が?」

「他に誰もいないよ」

「そうっすね」


 緊張しながら彼女にスマホを手渡す。向田はまるで自分の持ち物のように慣れた手つきでカメラを起動し、こちらにレンズを向けた。


「ちゃんとロックかけた方がいいよ」

「はい」


 とにかく微笑んでいれば良い写真が撮れるだろうと、理都はニコッと笑ってみるが、


「証明写真みたいになると嫌だから、角度変えるね。ちょっと斜めを向いてくれる?」


 向田にあえなく却下された。


 ヘアピンを目立たせる形で顔の角度を決め、「あまり笑い過ぎないで。ちょっと口角を上げる程度」と向田から厳しい指摘をもらいつつ、理都の写真は出来上がった。


「おお……。すごい」

「少し加工するね」


 向田は機敏な動作で画像の鮮度を上げ、後ろの背景をぼかした。


「完成」

「すごい……。ありがとうございます」


 スマホを返され、液晶画面に見るのはいつもの自分ではなく、バージョンアップされたお洒落な男子生徒。


 こういう表情、できるんだな、俺。

 理都は何だか、こそばゆい気持ちになった。


 向田葉奈は、人を撮影するのがとても上手だ。

 全員が彼女みたいに撮れるわけではないだろう。向田は、カメラの才能があるのかもしれない。


「向田、写真撮るの、すごくうまいな。センスあるよ」


 かっこつけて言い、振り返った時には、向田葉奈の姿はとうになく、教室を出て行った後だった。



   🏫



 それ以来、理都と向田の関係はどうなったかというと、まずまずの進展を見せた。


 理都のイメチェン姿が晒されるような事態もなく、毎日は単調に過ぎていった。いっそ肩透かしなくらいだ。


 あれから理都は教室で服装を変えることはせず、人のいない多目的ホールに内緒で入って、一人だけのファッションショーを楽しんでいた。そこはほぼ空き教室になっており、授業の目的で使われる機会もめったになかった。理都は秘密の隠し部屋を見つけたような気分になっていた。


 しかし、自分一人の楽園は、あっけなく終わりを迎える。


「音羽、いい話があるの」


 神出鬼没の向田は、またもや理都の秘密基地を探し当て、天地がひっくり返るような話を持ちかけたのだ。


「文化祭のランウェイ、出てみない?」


 理都は文字通り、ぽかんとした顔になった。およそ自分とは程遠い世界の話が降ってきて、何なら軽く昇天しかけた。


「ラ、ランウェイ……? 文化祭……? 選ばれた人間しか出られない、パリピしか歩くのを許されてない、あのランウェイ……?」

「いや、そんな大げさなものじゃないし」


 向田が否定しても、理都にとっては文化祭の出し物の大目玉、生徒たちが作成した花道ステージに、生徒たちが自主制作したファッションを身にまとって登場するという企画自体、住む世界の違う住人たちにしか入れない話題である。


 理都はとたんに目の前が真っ暗になっていく感覚を覚えた。


「いや、俺は、文化祭はサボる予定でして」

「青春してないなあ」


 向田はあきれたように息を吐いた。


「音羽がメイクした写真、生徒会に見せたんだけどね」

「え、見せた? 嘘つき! バラさないって言ったのに!」

「まあまあ。不特定多数にバラしたわけじゃないから。それで、生徒会長が、けっこういい線いってるから文化祭の目玉企画、これで行こうって」

「はい?」

「音羽、出なよ。ランウェイ」


 有無を言わせない向田の圧力。まるでこちらが断る選択肢など最初からないと言わんばかりに断定された台詞。彼女が女子の集団をまとめるリーダー格なのもうなずける。


 どうしよう。絶対いじめられるじゃん、俺。


 小さい頃から培われた被害妄想力とネガティブ思考をふんだんに使い、理都は絶句した。



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