七夕(ローバの充日 第40話より)

@88chama

「ローバの充日」第40話 七夕

 七夕が近づくといつも思い出すことがある。


七月六日は長兄の命日なので、数年前まではいつも鶴見の総持寺にお参りに行っていた。別にそこが菩提寺と言う訳ではないが、お墓参りをするには故郷のお寺は遠いので、曹洞宗の総本山であるこのお寺で、お参りをしたことにさせてもらっていた。


 母が生前上京した折に姉と三人でお参りした時、実家のお墓は遠くてなかなかお参りも大変だと言う私に、自分が亡くなったらここへ会いに来るといい、と言った。その時は何気なく聞いていたが、母が亡くなって何年も経った頃ふとその言葉を思い出し、親兄弟が懐かしくてたまらなくなると、出かけていく場所となった。



 鶴見の駅を降りて少し歩くと、本堂へ続く参道が見えてくる。緩やかな傾斜の道を歩いて三門に着くと、まず両側に立っている巨大な仁王像を見上げてホッと一息つく。ここ最近になって知ったのだが、この仁王像は大横綱北の湖をモデルとして作られたのだそうだ。こんな豆知識でも大の相撲ファンであった父に教えてあげたら喜ぶだろうな、と思いながら眺めている。


 ここへ来たら皆に会えると言われたけれど、どうやって会えるのだろうかと思いながら、三門や本堂の大きな屋根の端から端までを、何かそれらしきものが見られるだろうかと眺めまわす。屋根の端の反った部分にカラスが止まっているのを見つけては、あれが?とか、歩く足元に纏わりつくようにヒラヒラと飛ぶ蝶にこれが?・・などと、それらの姿に変えて私を迎えてくれているのだろうか、などと勝手に思っては涙ぐんでいる。


 総持寺では七月に大本山み霊祭りがあり、私が参拝する六日には盆踊りの準備で、参道には提灯の飾りつけや出店の準備もされている。本堂では大勢のお坊さん達が法要の準備なのか、全員でお経を唱えている。御線香の煙る中でありがたい声明(僧侶が多数で経を唱える・しょうみょう)を入り口傍の椅子に座って聞いていると、その荘厳さに何かが胸にグッとこみ上げてくる。



 

 私の故郷の七夕祭りやお盆は八月にある。毎年近所では子供を連れて八月いっぱいを実家で過ごす人達で賑やかになる。お祭りには沢山の出店が並び、各町内で工夫を凝らした山車を子供たちが引いて練り歩く。各家の軒場には七夕飾りが競うように立てられて華やかだった。


 七夕が終わりお盆になると、毎年我が家には一年に一度だけ会える来客があった。二十七才で亡くなった長姉の残した二人の子供を、義兄が連れて来てくれるのだ。家じゅうで待ち焦がれて迎える嬉しいこの日。新しくお母さんになってくれた人への配慮から、殆ど疎遠になってしまっている二人にも、この時ばかりは私の両親や兄姉達は気兼ねなく接することが出来て、とても嬉しそうだった。


 義兄は母と暫し姉との思い出話をし、話題はいつも決まって、とにかく優しい人だったと懐かしそうに語ってくれる。その言葉は母には何よりの慰めであり、義兄親子との僅かな繋がりのようにも思えていたようだ。義兄が迎えの時間を決めて二人を置いて帰って行くと、皆は二人の子供の欲しいものやしたいことなどを、何でも叶えてやりたいとまるで攻めるように聞き出す。幾間か続けて開け放たれた部屋は広場のようになり、ゲームをしたり飛んだり跳ねたりして大騒ぎだった。


 しかし楽しい時間はあっという間に過ぎてしまって、名残惜しい皆はあと少し、あと少しと約束の帰りの時間を、何回も延ばすよう頼むのがいつものことだった。家族の皆にはこの伸ばしてもらった僅かな時間はとても嬉しい時間だったが、その代わり別れは何倍も辛いものになった。帰りの催促の電話のベルは悲しくて、皆の心には何年も辛い記憶として残されるものになった。


 一年にたった一度だけ。まるで七夕の織姫と彦星の逢瀬のようだと、二人が帰ると必ずそう言っては皆で涙した。そんな待ち遠しくも悲しいその日は何度かあったが、やがていつの間にかなくなってしまった。時折あまり嬉しくない噂も耳にすることもあり、会えない孫を思う母の胸は生涯痛み続けた。


 


 数年前、お世話になっていた介護施設の七夕祭で、義母が書いた短冊を見つけた。そこにはしっかりした文字で「ボケマセンヤウニ」と書かれてあった。「もう充分ぼけてるのにね」と私の娘や義妹らとで大笑いした。


 骨折した祖母を見舞った時、孫娘に義母は元気な声で「あんた、顔でかいねえ」と言った。「心配して駆けつけたのに、いきなり顔を見て出た言葉がこれ~?」と娘は苦笑いした。私の希望を押してまで自分でつけたくせにその孫娘の名前も、顔も姿も何もかもを忘れてしまった義母。でも呆けも忘却もそれらの全てはあちらの世界へ旅立つ時に、下手に未練が残らない為の術なのかも知れない。




 七夕の夜に私は思う。願わくば満天の星空であって欲しい。その日は何と言っても織姫と彦星の嬉しい逢瀬の日ではないか。彼らのようにこの年にたった一度しかない日を、心待ちにしていた遠い昔を思うと、そんなセンチメンタルな気持ちになってしまうローバだ。


 七十年近く前に転勤で越して行った宮城県から、長姉が送ってくれた仙台七夕祭りの五枚組の絵葉書がある。古びてしまった思い出のように、封筒の端々はボロボロになっているが、写真は今も華やかな七夕笹飾りが綺麗だ。



 私の故郷の七夕はもうすぐ。短冊には何て書こうか。「世界が平和でありますように!」か。それもいいが、そこはやはり義母に倣って「ボケませんように」「もう数年、寿命を延ばしてもらえますように」と書こうと思うローバなのであります。

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