石を囓る蚯蚓

 人生百年と世では囁かれる。何の冗談か。

体は朽ち、心は歪み、それを自覚する頃に何たる暴挙か。

知も財も、散って消え去るばかりであるのに、此処が折り返し地点だと世界は告げる。馬鹿な。

人は樹林ではない。散った葉が四季と共に、また枝に生えることは叶わぬ。

お袋も親父も、永遠とわに健在であることはない。

でも、己は未だ空っぽである。


彼此と考え尽くそうとも芽が出ることはない。己は種子の儘だ。

ヤドリギとは木に寄生する植物だという。木にとっては恐ろしい存在ではあるものの生態系にも確と食い込んでいる。

己は他者を食らうだけで与える行為は起こせぬ。栄養を奪い膨らみ続けるだけの種子だ。

何だか無性に苦しくなる。破裂してしまえば土壌の生成の足しには成るだろう。

己は漸く、意味を持つ存在と化す。




己は死にたくない。そう願うと、目頭が途端に熱くなる。

目頭とは逆に、頬は凍て付くように冷たい。

己の脳裏には数多の記憶と感情が、濁流として反芻する。

全てが外に流れ出れば良いのに、そうは都合良くいかぬらしい。


此の感傷を一旦体内に仕舞いつつ、己は疾っくに次なる来訪を思い描いていた。天樹と向き合った儘で。


其の最中、己は気配を覚えた。此の時分、此の場に於て考え難い感覚だった。

己は咄嗟に振り向くが、果然得られるものは無し。

其の儘、己は帰路に就こうと一歩を差し出す。正に其の時、己は耳立った。


「こんな時間に何なんだい、大の男が泣き喚いたりして。目が覚めちまったろう」


天樹の背後からか、浮浪の風体をした老人が、C字の杖を突きながら己の傍へと歩み寄ってくる。

己に興味を持っているらしく、まさかとは思うが、先の独言を所望しているのだろうか。

名も不明な者に自らを語るなど、有り得ぬ行為だ。

だが語らねば老人は己を解放しないらしい。ぎょろりとした様が其れを物語っている。

止むを得ず、己は軽く頭を掃除した後、簡潔におのが心象を声に上げた。

其の際に彼は天樹の根元に胡座をかき、杖を地に付けていた。

ささくれ立った腕を組みつつ、俯きながら、じっと耳だけ此方に向けていた。


天樹へ吐露した時間と比べれば其れは遙かに短かったが、己は妙に緊張した。

そして己が話し終えた後、彼は何も言わず杖を支えに立ち上がり、己の腕を鷲と掴む。

己は息を呑んだが、其れも束の間に彼は説き出した。


「あんな、にぃちゃん。生きてる限り皆、若いんだよ。よくおっさんが仙人ぶって、若いうちにどんどん挑戦しろとか言うけどな、そのおっさんも所詮まだまだ、お子ちゃまなのよ。この大昔から生きてる大樹に比べてとか、そういうんじゃない。何かをしようとする気持ちそのものが若さなんだよ。誰かの背中を押して上げたり、反面教師になったり、おせっかいな行動も若さだ。生きたいって足掻くことは、若さそのものだ。だからな、にぃちゃん。胸を張れ。そうして自分は一生現役だと、死ぬその瞬間まで思い続けな。それが人生ってもんだ」


推量するに、此の老人は己の事を励ましてくれているらしい。そうとは言っても、己には無意味である。

現役であれと言われても、己は元々何者でもないのだ。彼の演説は全く心に響かなかった。

話を終えて満足げにこちらを見ている愚かな仙人に、己は軽く会釈だけして其の場を立ち去ることにした。

ほんの数歩進めた途端、先程と同様の声が自身の背後から届いた。


「彼の者に希望を。彼の者と同種族である人間達と支え合う心緒を与えよ」



己は態と眉を顰めながら振り向くと、其処には月を背に、無数の葉が舞っていた。

辺りに散らばる紅葉ではなく、新緑であるかのような葉だった。

妙な見方をしないでもらいたく、宣言しておこう。

比喩などではない。其れは真実であったと。





己は件の現象に決して心打たれた訳ではない。

洟垂れに退行し妖精を見たと言って譲らぬ訳でも、特別な人間だと選民意識に支配された訳でもない。

ただ、其の出会いは己の記憶に強く残っていた。


以降、己は日が高い内にも出掛けるようになった。

母君には動揺されたが、大袈裟であるのに相違なかろう。木を宿にする奇人の調査のためだ。

判明したのは、彼処の近間に温室の植物園があることだ。

成る程、其処では緑に溢れているだろう。緑の落葉も奇跡に非ず。そういうことだ。

疑問であるのは、己のために斯様な悪戯をするのかという点である。

甚だ不明のまやかしが明るみに出る日は来ないだろう。

己が呆けたか、熟練の手品師が居たか。



天樹の想いであったと。そう、信じたいではないか。



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天樹から 爆裂五郎 @bi-rd

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