天樹
車などという大層な玩具は手元に有らず。人の手に余る代物だからだ。
己は海岸沿いに建つ塒から十二刻中の一刻を掛け、内陸を地下より覆う天樹の下へと参拝するのだ。
自慢と取られるは承知、己の記憶の彼方では、大天狗と評された我が肢体は伊達ではない。伊達ではないが、其の勢いは既に無く。まあ、そういう訳だ。
処で、此の土足の色褪せ具合には相も変わらず感嘆させられる。
是とは既に、卅と拾の半の歳月を過ごしている。
己が学童の時分に気の早い父殿から贈られ、我が生涯の馴染みであると断下が可能な唯一の友品である。
己は友と共に目当ての地へと足を運ぶ。其れに伴い、首筋を氷雪製の蛇が這って往く。立ち行く木々は疎らに赤みを帯びている。
気付かぬ内に
知命の紅葉は今日で見納めとなれば、鈍さも増してくるものだ。
月が己を照らす中、吾こそがそうであると、静寂が村落達を支配する。
不肖には逆らえぬ。
場は
造反でもしようというのか、がたんっ、と曲者が音を使いにし、時折辺りを切り裂く。
その度、何の是式と静寂は反逆者を捕らえ、辺りを月と共に支配する。
其の戦いの様に、不肖は震えつつも自愛を貫かせて頂いている。
そうして己は静寂様に護られつつも、
夜分であろうと見紛うことはない。舗装された路の先に聳え立つ、一際高い巨樹であるから。
幹周りは己が三人で手を繋ごうとも円を作れぬ程だ。樹高は頓と見当が付かぬ。
是とは違い、天樹は馴染みとは程遠い。何故なら、こうして顔を合わせた場数は此れ迄で五つ程だからだ。
春夏秋冬の中二つしか過ごしていない間柄を旧知とは呼ばぬだろう。
そうであったら、復路を含め、一日の六分の一を掛けようとするのは如何に。
明々白々であろう。其れだけの価値を感ずる珠玉であるという話だ。
あんよの如き緩歩で己は根元に身体を寄せる。否、心身を寄せる。赤子が母に縋るかのように。
無骨でぬるい人外の肌は、触れれば疼痛すら襲う。己を拒絶するかのように。
先の通り、己と天樹は親睦を深めているとは言い難い。其れは当然の仕打ちだ。
責めて御年だけでも教えて貰えれば、御機嫌取りの品を用意するものを。
己は植物に疎い。目下判るのは常緑樹ではないこと位である。たった今、知ったことだ。
其れでも己は、此れ迄と同じく惹き付けられた。すっかり変化した姿を見ても、本質は変化しない。
此処は傍から見れば凍えそうな空間であるのに、己はそうと感じない。
此処ならば、己は自己を曝け出せた。其れは此の刹那も同様で、普遍を思わせる。
己は此処で、語ったのだ。
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