第46話 花の時代(エピローグ)

 抜けるような青空に、蝉の合唱が高く響き渡る七月最後の日。


 報道部の部室には、部長の大橋菊子と、副部長の水野椿、そして一年生の海老沢あやめが集まっていた。


「あっつ……学校来るだけで汗だくだわ。エアコンついてる?」


 手の平でぱたぱたと自身を扇ぐ水野に、部長の大橋が言った。


「さっき海老沢君が電源を入れたはずだが」

「全然効いてないわよ。夏休み中ってもしかしてエアコン使えないんだっけ?」 

「事前申請しているから、十時から一五時までは使っていいはずだ」


 大橋の返事で、水野は立ち上がって壁の操作パネルを確認する。


「って、海老沢っ。なんで三十二度に設定してんのよっ。これじゃほぼ暖房じゃんっ」

「すみませぇん。私、冷え性でぇ……」


 部室の端で漫画を読んでいる海老沢が、紙面に隠れるように首を引っ込めた。


 温度降下ボタンを連打した水野は、部長の大橋に顔を向ける。


「ったく、先輩を蒸し殺す気? で、あとの二人は?」

「花守君と榎本君は用事を済ませて来ると少し前に連絡があった」


 大橋は机に置いたスマホをちらりと見る。


「今日は花守君の取材テーマを決めないといけないな」


 言いながら、大橋はパソコンの電源を入れた。マウスでかちかちと画面をクリックした後、「おっ」と声を上げる。


 椅子に腰を下ろした水野が、スマホを片手に言った。


「どうしたの? 怪しいサイトの見過ぎでウイルスにでもやられた?」 

「お前の私に対する認識がどうなっているのか一度しっかり聴取する必要があるな。花守君だよ。昨夜メールをくれていたみたいだ」

「ふぅん、退部したいって?」

「不吉なことを言うな」


 大橋は眉間に皺を寄せた後、口元をふっと緩めて答える。


「決めたようだぞ。取材テーマ」


  +++


「つぼみ。そろそろいい?」

「……うん」


 母の声に、私はうっすら瞼を開けて頷いた。


 途端に鋭い陽差しと、つんざくような蝉の声が、私の目と耳に夏を浴びせかけてくる。


 この日、私は近所のバス停から五駅先にある寺院にいた。 


 目の前にある苔むした墓石には父の名前が刻まれている。


「それにしても、急にお父さんのお墓参りに行きたいなんて、どういう風の吹き回し」


 隣に立つ母が訝しげに私の顔を覗きこんできた。


「まあ……しばらく行ってなかったから」


 私はそう答えて、父の眠る墓を見つめる。


 台風の日の後、私は一つの決心をした。


 すみれが肉親と向き合ったように、私も父ともう一度向き合ってみようと思ったのだ。


 一階の父の部屋に入り、震える指でパソコンの電源をつけた。止まった時が動き出すような、くぐもった電子音とともに、ハードウェアが長い眠りから目を覚ます。


 画面が立ち上がるまでが随分長く感じたことを覚えている。記憶を頼りにフォルダに分け入り、日記が書かれたテキストファイルを探し出した。かつてあの記述を見た時、頭が真っ白になって、私はその先を読めていなかった。


 目を閉じ、何度も深呼吸をした後、「よしっ」と一人つぶやき、記述を視線で追った。


 姉の成長に加えて、異常な世の中についてコメントが増えてきている。


 曰く、何億人の男が死んだ。曰く、隕石に未知のウイルスがいたようだ。曰く、厳密にはウイルスとも言えない未知の病原体で対応方法が全くわからない。曰く、このままでは男の滅亡は避けられないだろう。


 停電が当たり前のように続き、生活資源の供給が滞って食料を巡る争いが表面化してきた。


 悲観した男達の犯罪が増加する一方で、自死を選ぶ者も増えている。


 そんな世の中の惨状と家族の未来を憂う記載が続き、画面スクロールは終端に達した。


 そこに残された最後の日記に、私は目を通す。


  +++


 もう男の七割以上が死滅した。社会機能は完全に麻痺している。このウイルスは発症すればあっという間に宿主を死に至らしめる。おそらく自分も長くはないだろう。


 そんな中で妻の妊娠がわかった。ウイルスが命を奪うのは男だけだが、男女問わず感染はするようだ。どうやら受精メカニズムや受精卵の着床を阻害する不妊作用があるみたいだが、幸い僕たちは感染前だったのか、子供が産まれる準備は整った。  


 そして、妊娠が成立したということは、この子は女の子だろう。


 今になって、こんな世の中に子供を誕生させるべきだったのか、ひどく葛藤している。この手に抱くこともできない我が子を果たして産み落とすべきだったのか。


 しかし、妻と咲がこの子に会うのを楽しみにしているのを知って、考えを変えた。


 この子は新しい時代の希望なのだ。


 国家中枢では次の元号の議論が為されているという。幾つかの候補があるようだが、気に入ったのは「万花」だ。


 赤い花。青い花。黄色い花。白い花。黒い花。たくさんの花が、僕達が死滅した後の世界を彩る。君が産まれる頃には既にこの世にいない僕に一体何ができるだろう。


 限られた時間で、考えて、考えて、考えて、唯一残せるものに思い至った。


 ――つぼみ。


 どんな花を咲かせるのか、僕はもう見ることができないけれど、君だけの花をいつか咲かして欲しいと願いを込めて。


 この名前を、君に贈ろう。 


 +++

 

「どうしたの、つぼみ?」

「ううん、何でもない」


 母に呼ばれて我に返る。


 最後の日記を読んだ後、私はしばらく画面の前から動けなかった。


 自然と零れる涙をそのままに、一人ただ静かに泣き続けた。


 私は墓前から離れて、母に尋ねる。


「ねえ、お母さん。私の名前ってお父さんがつけたの?」

「え? 昔そう言ったじゃない。忘れたの?」

「そうだったっけ。忘れてた」


 母は呆れた様子で肩をすくめ、ふと優しげな表情を浮かべた。


「でも、良かったわ。今までなんとなくお父さんを避けてるような気もしてたから」

「うん……まあ、避けてたかな」

「そう……。ですって。良かったわね、あなた」


 母は立ち止まって、父の墓石に笑いかけた。


「どうして?」

「だって、年頃の娘に避けられるのは父親の宿命だから。この人も父親らしい経験ができて、きっと喜んでるわ」

「……」


 私は嬉しそうな母の横顔を眺める。はにかむような笑みはまるで少女のようで、姉にも私にも見せたことのない表情だった。


 しばらく名残惜しそうに父の墓の前に立っていた母は、ふと思い出したように私の斜め後ろにいる親友に声をかける。


「そうだ。ここまで付き合ってくれてありがとうね、葵ちゃん」

「いいえ、私もつぼみのお父さんには一度ちゃんと挨拶したかったので」


 今日は部活に一緒に行く約束をしていたのだが、私が急遽父の墓参りに行くことを伝えたらそのままついて来てくれたのだ。


 葵と私は並んで歩き出した。


「つぼみ、お父さんと話せた?」

「うん、一応……」

「そっか。私も言っといたよ。娘さんのことは私に任せて下さいって」

「うわ、頼もしい」


 いつものやり取りの後、葵はそういえば、と顔をこちらに向けた。


「浅川さん、夏休み明けから戻ってくるんだよね?」

「うん、そう言ってた」


 最後の稼ぎ時とばかりに、夏休みはバイトに明け暮れるそうだ。


 おかげでバイクの修理代もなんとか目途がついたらしい。


「そっかー、仲良くなれるかなー」

「なれると思うよ。葵とは結構合いそうな気がする」

「はー……、この女は」


 葵は恨みがましい目で、私を睨んだ。


「な、なに?」

「いいや……もう、のんびりやるよ。立葵(たちあおい)の花言葉は、豊かな実りなんだってさ。いずれ豊かに実ればいいってことで」

「そ、そうだね……?」 


 首を傾げると、葵はふぅと息を吐いて話題を変える。


「で、部活の件だけど、つぼみはそろそろテーマ決めなきゃいけないんだよね。今日部長に聞かれるんじゃない?」

「それなんだけど、昨日の夜にメールで送ってて」

「あ、そうなんだ。何にしたの?」


 興味津々な葵に、私は少し照れながら答えた。


「ああ、大したことじゃないんだけど――」


  +++


「で、花守のテーマは何だって?」


 その頃、報道部の部室では副部長の水野が、部長である大橋のノートパソコンを覗きこんでいた。さっきまで部屋の端にいた海老沢あやめも一緒に身を乗り出している。


「ま、読んでみるといい。なかなかいいぞ」


 大橋は口の端を持ち上げて、ディスプレイを部員に向けた。


  +++


 大橋部長

 

 花守です。遅くなってすいません。


 明日の部活に先立って、私の希望する取材テーマをお送りします。


 取材テーマを考える時、私はこれまでずっと、皆が驚くような新しい視点で人類の未来に貢献する、これこそが自分の核だと胸を張って言える何かを探していました。


 そして、それがない空っぽの自分を恥じていました。


 でも、空っぽだからこそ、知らないことが山ほどあって、その一つ一つが、時に陽の光となり、時に水となり、時に養分となり、時には毒となり、私という人間を形作っていくのだと思うのです。


 世界の行く末を勝手に悟った気になって、道の果てばかりを息を殺して眺めていたけれど、その途中にも風は吹いて、蝉は鳴いて、花は咲いています。


 無数の人の想いが、その道程に編み込まれています。足を止めて道端の花の名前を知るだけでも、人は豊かな気分になれるのだと、私は知りました。


【今を咲く】


 三十年後をただ憂えるのではなく、五十年後をただ悲観するのではなく、七十年後にただ絶望するのではなく、今この道の片隅で、懸命に咲こうとしている人達にスポットライトを当てる。これを私のテーマにしたいと考えています。


 きっとその過程で、私というつぼみもいつか花開くのではないかと思うのです。


 世界の先が行き止まりなら、道中をありったけの花で飾ってやりましょう。


 最後は散って、ただ消えていくだけだとしても、せめて今をせいいっぱい咲き誇ってやろうと思うのです。



 この、花の時代に。

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花の時代 ~異性が絶滅したけど私達は元気です~ 菱川さかく @hisakku

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