授業の合間に設けられた僅かな休みの時間にクラスメイトは、気晴らしになるからと、丸めた紙を球に見立てて、天候不順の為に持参していた傘をバット代わりにする。太陽を目に浴びることを嫌って、打者は窓ガラスを背負えば、結末は火を見るより明らかだった。だが、投手から投げ込まれようとしている白球を追うその目には、ダイヤモンドを優雅に回る自身の姿しか映っていない。


 勢いよく振り抜かれる傘は、白球の真下を通って空振りの体裁を得れば、見事に窓ガラスの虚を突いた。硬質な先端が窓ガラスに蜘蛛の巣を作り、教室は刹那に凝然と固まった後、静かに唾を飲み込む。地面を穿つような怒気のイカズチが頭の上に降り落ちることは想像に難くなく、僅かな休息の時間に教師の怒声を聞く煩わしさに嘆息した。そんな白眼視を受ける当事者の心模様を、影から臭い立つ臭気から独り、感じ取っていた。


 これは恐らく、俺が今感じている違和感を取り除くのに些か物足りない。ならば、肌寒い季節の折に体育館で校長の長物的な話を聞く億劫さに全生徒が微睡む中、セクハラを働いた教師への告発を虎視眈々と狙う女子生徒の顔色を窺っていた。ん? 池に投げ込んだ小石が泥濘を巻き上げたかのように、ほんの僅かな手応えを感じた。これを確実なものにするには、更なる掘り起こしが必要となる。だが、先刻とは打って変わって、性別や状況、俺がその瞬間に抱いた感情など、今にも点と点が符合しそうな距離感にあると踏んだ。


 あたかも宿便を捻り出すかのように、俺はそぞろに唸り声を上げて、埋没している記憶の根っこに手を伸ばす。すると、芋づる式に様々な記憶が蘇っていき、とあるひとつの記憶に辿り着く。それは、幼馴染みから物見高い話題の一つとして注進された事件であり、胸がすくような気持ちにさせられることはない。むしろ、耳を汚されたと感じて然るべき事件、「強制わいせつ罪」である。その性質上、きわめてタチの悪い事件だと言っても過言ではない。ましてや、被害者がまだ未熟な女児となれば、唾棄も生ぬるい。そして、犯人の職業が園児を預かる立場にある園長だということに、世間を大騒ぎさせたらしい。当時、事件の存在をまるで感知していなかったのは、親の教育も多分にあるだろう。


 被害者の親は、その凶悪性から徹底的に争う姿勢であった。しかし、事件の起こりから結末まで事実を追求するという裁判の性質上、「セカンドレイプ」と揶揄される言葉が作られるほど、被害者側に重荷を背負わせる。ひいては、遍くプライバシーを等価値に置くという、報道の自由を履き違えた木端によるアクセス数稼ぎに利用される。きわめて理不尽なこの世の構造には、辟易することが多々あるものの、このような特殊な状況下に花開く瞬間があるのもまた事実だ。


「江西智美」


 俺は目の覚めるような感覚を覚え、口元に手をやり思案らしい所作をとる。間もなく、“臭い”を足元から嗅ぎ取り、下げていた目線をやおら持ち上げた。


「お待たせ」


 あいも変わらず、屈託のない笑顔がそこにはあった。

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自殺したガール 駄犬 @karuki

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