第2話 願い



 回想終了。

 さて、どうして喜んでいたか。

 もうご理解いただけたことだろう。


(思い返してみると、とても苦労いたしましたわ。……でもその分嬉しさがひとしおですわね)


 しみじみと感じてしまった。



 だって、推しの隣に自分がいていいわけがない。


 崇拝する対象は隣ではなくて頭上にいてもらわなければ困る。

 供給きょうきゅう過多かたで死んでしまうからだ。



 もちろん親同士が結んだ婚約に不満を持ったことはない。

 ただ、自分が隣に並んで歩いているところを想像できないだけで。



(ああ、切なげに目を伏せるエドモンド様も美しい……)


 私は彼の珍しい表情を心の額縁がくぶちに飾りながら、気がつかれないように観察を続ける。 


(こんなにもじっくりと間近で眺められるなんて……! あ、やばい。鼻血が出そう!!)


「うっ」

「!!」


 落ち着け、自分。

 ビークールですわ。


 興奮を抑える様に息を吐きだす。

 少しだけ落ち着いた。

 出血の心配はしなくて良さそうだ。


(危ない危ない。今倒れて貴重きちょうな場面を見逃すわけにはいきませんもの!)



「大丈夫かい、メルディア!」

「え、えぇ。大丈夫……ですわ」

「すまない……。体の弱い貴女に、こんな……」


 エドモンド様は辛そうに顔をゆがめた。


 なぜか、彼は私のことを病弱な女の子と思っているらしい。

 まったくの勘違いなのに、いつもこうして心配してくれるのだ。



 一応言っておくが、私は驚くほどの健康体だ。

 それなのに、なぜ、こんな勘違いをされているのか。


 それは彼のせいとしか言いようがない。


(本当に罪深い人……)



 エドモンド様の美しさは、人を惑わす魔性ましょうさをはらんでいる。


 ある者は、彼の笑顔にやられて昏倒こんとう

 ある者は、彼の声にやられて腰が抜け転倒。


 かつてとあるパーティで、昏倒者25人を記録したこともある。


 まあ要するに。

 エドモンド様に近づく者はただでは済まないのだ。


 すれ違っただけでもそうなるというのに、婚約者ともなればどうなるか。

 想像にかたくないだろう。


 頑張って耐性たいせいをつけたおかげで、今でこそお話していても倒れることはないけれど、昔はそれなりに苦労したものだ。


(ええ。何度も目の前で失神しっしんしたし、盛大せいだいに鼻血をまき散らしたこともあるわ)


 だからこその勘違いだろう。

 初めのころは余裕もなく、指摘することができなかったのも原因かもしれない。


(だって、今のエドモンド様は大人の色香いろかがすごいけれど、子供のころなんて、そりゃあもう可愛らしく……!!)


 今でさえ天使か? と思うこともあるのに、子供時代の彼が天使でないわけがなかった。


 あ、幼いころのエドモンド様のことを思い出したらにやけが抑えきれなくなる。

 やめよう。この話題。


「……ふぅ。落ち着きましたわ。ごめんなさいね、話の途中だったのに」

「いや、いいんだ。僕が……っ」



 彼はベンチに腰を下ろしたまま、うつむいた。

 ひざに置かれた手は力を入れ過ぎて白くなっていた。


 かなり罪悪感ざいあくかんを感じているのだろう。


 それはそうだ。


 我がグランファルド侯爵家とマルティネス公爵家は非常に仲が良い。

 幼いころから家族ぐるみの付き合いをしてきた。


 だからこそ、婚約は結ばれたのだ。

 それを一方的に破棄してほしいと願い出ているのだから……。


(罪悪感がないわけがないわよね)


 でも、そんなに落ち込むことなどない。

 なにせ私は全く傷ついていないのだから。


 むしろ、そんな風に仕向けてごめんなさいとしか言いようがない。


 理性りせいのねじがぶっ飛んでしまっていたのだ。

 誠実せいじつなエドモンド様が悩まないわけがないのに、自分の欲を優先させてしまった。


 謝るべきは、私の方だ。

 とはいえ。


(反省はしているけれど、後悔はしていないのよね)


 私はどこまでも自分本位ほんいだった。

 

(謝るのは決定事項ですけれど、それは全てがまとまった後ですわ!)


 真実を告げてややこしくするよりも、今はやるべきことが他にある。


「エドモンド様」

「っ」


 私は小さく彼を呼んだ。

 遠慮えんりょがちに上げられる顔は、予想通り、悲しいものだった。


(ああああああ!! ぬれた子犬のような幻影げんえいが見えますわ~~~~!!!)



 即座に心のシャッターを連写。

 なんだ、この可愛い生き物。

 今すぐにでも地面に転がってもだえたい。


 けれどそれをしたら話が進まない。

 どころか、持病じびょう発作ほっさ(そんな持病はない)だと思われて病院に連れていかれる。


 私はぐっと我慢がまんして口を開いた。

 

「誠実なあなたのことです。何か理由があるのですよね?」

「……ああ」


 ふうと息を吐きだした彼は、覚悟を決めた目をしていた。


「僕は……本当に愛しい存在をみつけたんだ」

「愛しい存在……」


 私は今世紀最大と言える興奮こうふんの嵐におちいった。

 顔は真顔ながら、内心では号泣している。


(きた!? 来ましたか!?)


 人生を差し出してもいい“推し”に愛しい存在がいる。

 そんなの興奮するに決まっているじゃないか!


(ああ、はやく私のもう一人の“推し”の名前を早く出してくださいませ!!)


 心の中ではたくさんの私がカーニバルを踊り狂っている。

 彼の口が開くのを今か今かと待ちわびていた。


「僕は……アリストラを……」


 おおおおおおお!!!!!!

 盛り上がってまいりました!!!!!


 推しの口が推しの名前を呼んだ。


 若干じゃっかん前のめりになりながらも外見は変わらず平静をよそおう。


(ああ、誰か私に金メダルをかけてくださいませ!)


 表情筋ひょうじょうきんコンテスト優勝ものだと勝手なコンテストを開くありさまである。



 目はこれでもかという程大きく見開かれ(興奮で)、体も小刻みに震えている(興奮で)。

 どこからどう見ても必死に涙を堪えている状態(尊みで)だ。


 顔を上げたエドモンド様は、その表情に心を痛めたように悲痛ひつうな面持ちとなった。



(えっ!? やだ!! そんな泣きそうな顔をしないでくださいませ!!! 尊すぎて死んでしまいますぅ!!! はっ!! 心のシャッターチャンス逃がしてはならないわよ私ぃ!!!!)


 心のカーニバルが収まらないうちに追い打ちをかけられた気分だ。

 心の中でそっとダンサーが追加された瞬間だった。



 パシャパシャとシャッターを切っていると(心の中で)、一度エドモンド様はきゅっと口を引き結び決意したような目つきになる。


「僕は、アリストラのことを……愛している」


(きゃあああああー!!!!!)


 興奮で死にそうな私をどう受け取ったのかは分からない。

 けれど、真っ直ぐに私の目を見てくるエドモンド様と目を合わせていられない。


 思わず目を伏せ下を向く。


(うわああああああ!!!! キュンキュンしますわああああ!!!!)


 自分でもフルフルと震えているのが分かる。


 顔を上げていたらとてつもない緩んだ表情をしていただろう。

 とっさに下を向けただけ褒めてほしい。


 貴族令嬢がとんでもない顔をさらすという悲劇だけは回避されたのだから。



「……っ!! すまないっ」


 上から掛けられる声の震えた謝罪に、今彼がどのような顔をしているのかを知りたい衝動しょうどうに駆られる。


 きっとひどくつらそうなお顔をしているに違いない。

 顔を上げれば、そのシャッターチャンスを捉えることができるだろう。


 だが、それは許されない。

 私にもプライドというものがある。


 こんな引き締まらない顔を推しに見せる訳にはいかないのだ。

 推したちには常に自分の完璧かんぺきな部分だけを見てほしい。


 それが自分の矜持きょうじなのだ。



 こら、そこ。

 つまらない矜持だとか言わないでください。



 私は矜持を思い出し、軽く息を整えて顔を上げた。


「……お話は分かりましたわ。っざ、残念ではありますが……そういうこと、なら仕方がありませんわね」


 途中尊みがこみ上げてきてつっかえてしまったが、何とか了承の意を口にする。


「私は、いつでもあなた方の幸せを祈っております」


 ――綺麗な笑みを作れているだろうか。


 私は努めていつも通りの笑顔を作ったつもりだった。


 目の前の彼はそれでもひどくつらそうな顔をしている。

 別にそんな顔をさせたいわけじゃない。推しにはいつも健やかな笑顔でいてほしいのだ。


 いったいどうすれば笑顔にさせられるのだろうか。


「……一つお願いがございます」

「何だい?」



 ああ、推しに対してお願いができるという幸せ……。


 私はきゅっと胸の前で手を結び、瞳を潤ませながら(嬉しさで)、彼の瞳をじっと見つめる。


 あら、いけない。

 油断すると涙が出てきてしまいます。


 私は慌てて目に力を入れた。


「差し出がましいようですが、……お二人の結婚式にはぜひ呼んでいただきたく……」

「え?」

「あ……もちろん無理にとは言いません。……ですが婚約者でなくとも私にとってエドモンド様は家族も同然のお付き合いです。そんなあなたが好いた女性と結ばれるということは、私にとっても喜ばしいいことですの」


 推しと推しの結婚式などみたいに決まっている。


 むしろそれを見るために穏便おんびんに事を進めてきたのだから、それが達成されないなどあっていいわけがない。


 私は強く懇願こんがんする。


「……ダメ……でしょうか」


 ダメと言われたらどうしよう。

 あ、考えたら涙が出てきてしまいそうです。


 私は思わず口を引き結んで涙を堪えた。



「お願いします!!!」



 こうして彼女の願いは現実のものとなり、とても幸せな表情で推したちの話をするメルディアが目撃されたのは言うまでもない。


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メルディアは目論む~推しと推しをくっつけるために自分との婚約を破棄させる簡単なミッション~ 香散見 羽弥 @724kazami

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