性悪な魔女の異世界魔法クリニック〜今宵も悪女は患者を弄ぶ〜

萎びた家猫

第1話 患者の困惑と悪女の悪戯

 とある喧騒の絶えない街に佇む魔法診療所。建物内にはいつものようにざわめく喧噪が広がっていた。しかし扉が叩かれる音が、その中に混じり合い静寂を切り裂く。


 その音を聞き欠伸をする美人な女性は、気だるげな瞳を開く。彼女は身をまるで、一夜の舞台を終えた後の疲れを表すかのように、のびのびと背を伸ばす。


「先生、次の診察があるので、早く準備をしてください!!」


 扉を叩いた張本人。助手のレイシュ・ヴァルコムは、先生と呼ばれる女性……エレナ・シルバーローズに仕事の催促をする。しかし当のエレナは、椅子に背をもたれながら愚痴をこぼすばかりで、行動に移す様子がまったく感じられない。


「ねぇレイ。なんで今日はこんなに患者が多いのかしら……既に何時間も患者を見続けて疲れたのだけれど?」


 そんな怠惰な女医を見かねた助手のレイシュは、部屋の棚にある薬品を一つ取り出すと

、エレナに向かって脅しをかけ始める。


「早く準備しないと、この貴重な薬草を全部燃やしますよ。それでも良いならご勝手に……!!」


「……別に燃やすのは構わないけれど、私の居ないところでやって頂戴ね? あなたが今持っている薬草は、急激に温度を高めると、人体に極めて有毒な煙が出るから」


「えぇ、そうなんですか!?」


「まだまだ甘いわね」


 脅したはずの張本人が、逆に脅し返されて驚きの表情を浮かべる。しかし、その光景にエレナはどこ吹く風のような感じで、指で髪をくるくるといじりながら、余裕の笑みを浮かべていた。


「……わかりました。ちゃんと勉強をサボらずしますので、先生も診察の準備をしてください!!」


「わかればよろしい。さてと……次は誰の予定だったかしら?」


 エレナは勢いをつけて椅子から跳び上がるように立つと、壁に貼られている予約者リストに指を這わせて、次の患者を確認しだした。


「あら? 次はロクスさんね。そういえばあれから、2ヶ月経っていたわね」


 そこまで言うとエレナは、2ヶ月前に診察した患者の姿を思い浮かべる。すると部屋の隅に設置されている大きな棚から、一冊の冊子がエレナの手元に飛んできた。


 エレナはその冊子を掴み中身を開くとそこには、予約者リストの名前と同様の人物の情報が書かれている資料が数枚挟まっていた。


「レイ、ロクスさんをここに通していいわよ」


 エレナに促されるとレイシュは、一度扉から部屋の外にある、待機室へ患者を呼び出しに向かった。その間にエレナは患者の病症を再確認する。


魔力汚染性関節接合病まりょくおせんせいかんせつせつごうびょうねぇ……前回より何処まで良くなってるかが問題ね。もし悪化してたら……まあ、そろそろ頃合いかしら?」


 そう言いながら机の引き出しに入っていた、一枚の紙を取り出し内容を確認しクスリッと笑う。


「さて準備は済ませときましょうか。何が有るかわからないし」


 そう言いながら幾つかの薬品を、棚のわかりやすい場所に移動させる。そこまで準備したところで、扉を叩く音が部屋に響きわたった。それに続きレイシュの声が聞こえてくる。


「先生。ロクス•アンセストさんがお見えです」


「ええ、入って頂戴」


 その声にエレナは反応を返すと、「失礼します」という声の後に、見覚えのある体格の良い男性が、片腕で杖を突きながら入ってきた。


 その姿を見たエレナは眉をひそめながら、男性を椅子に座るよう促す。それに従うように男性は椅子に座ると、近くにある台に足を乗っける。


 エレナはそれを確認すると、乗せた足の関節を触診し始めた。


「ロクスさん、いらっしゃい。症状はどうかしら?」


 エレナの質問を聞いて、ロクスと呼ばれた男性は疲れた表情をしながらため息を吐く。


「見ての通りですよ……日に日に歩くのが辛くなってきます」


 触診をしているエレナは、脚の関節の可動域を調べながら淡々と話す。


「でしょうね。この病気は現状……治すことは出来ないから、これからもそういった感じになると思うわ。前回より接合部分が酷くなってるわね……」


 エレナはまるで悪びれる様子もなく、患者の不安を煽るような事を話す。それを聞いたロクスという男性は更には落込み、体格の良い体も今ではまるで、魔物に怯える子犬のように縮こまってしまっている。


 それを見かねた助手のレイシュは、エレナに患者を不安にさせないよう咎める。


「先生。あまり患者を不安にさせるような発言は控えてください。それにこの病気だってなりたくてなったわけじゃ……」


 エレナは一度、触診を止めレイシュに視線を向けると、不機嫌な面持ちで言葉を捲し立てる。


「なら、大丈夫だと……心配はないと嘯けば良いのかしら? それでこの病は治るのかしら? 言っておくけど……この病気は放置してると全身の関節に転移する可能性があるわ」


「だったら尚更早くロクスさんを、救う手立てを考えなければ……」


 レイシュの発言に対するエレナの反論を黙って聞いていたロクスは、覚悟を決めた様な雰囲気でエレナに尋ねる。


「シルバーローズ先生。俺はこの先一生このままの生活を続けなければならないのですね?」


「ええ、そうね。少なくともこの病気の特効薬が出来るまでは、あなたの病気を治すことは出来ないわ」


 それを聞いたロクスは少しだけ方を震わせた後に、両膝の上に置かれていた手を固く握りしめながら涙ぐむ。その光景を目の当たりにしたレイシュは、目の前で苦しむ男性を憐れむと同時に、内心すこしだけ安堵した。


 なぜなら彼は冒険者をやっており、無茶をすることで有名であったからだ。ギルドの注意を聞かず無茶な依頼をこなす日々。


 そしてその無茶が祟り、今回の病気を発症する原因となる魔物に出会ってしまったのである。


「これはロクスさん。あなた自身が招いた事よ。決して不慮の事故でも、不運でもなんでもない……必然の代物。これで懲りたのならば、あなたの奥さんをこれ以上心配させないように、これまでの行いを顧みることね」


「……はい」


 ロクスの返事を聞き満足したのか、エレナは椅子を立ち上がり、調合済みの魔法薬剤が収納されている棚を探る。そして幾つかの入れ物を取り出すと、その中に入っている数種類の粉を別の容器に入れ混ぜ合わせる。


 その光景を見てレイシュの頭に疑問がよぎる。今エレナがやっているのは、経口摂取用薬剤のみぐすりの調合だ。ロクスさんの病気は足の関節がくっついてしまう病気なので、経口摂取用薬剤のみぐすりの効き目はあまりないはずだが……


 レイシュがそこまで考えて疑問をエレナにぶつけようとしたが、ちょうど薬剤の調合が完了する。そしてエレナから驚愕の言葉が発せられたので


「はい。じゃあ魔力汚染性関節接合病まりょくおせんせいかんせつせつごうびょうの特効薬を作ったから、これからはちゃんと奥さんに優しくするのよ?」


「それってどういう……」


 その言葉を聞き困惑する二人を無視し、エレナは薬の入った袋と何故か既に用意されていた領収書をロクスに手渡す。


 その領収書を不思議に思ったロクスは、領収書に書かれた名前を見て、再度驚愕し涙を流す。


 そこにはロクスの奥さんの名前が書かれていた。更には領収書の日付には、自分がこの病気にかかったと、奥さんに伝えた翌日の日付が記入されている。この事からロクスが病気にかかった次の日には奥さんが、エレナに薬の調合依頼を出していたのだとロクスは気がつく。


「奥さんに感謝することね。あなたを助けるために、高額な薬にも関わらず、ちゃんとお金を用意して私に調合を依頼したのだから」


「お、おれ……あ、あれから酷い事を、したのに……なんで……」


「さあ、私はそういうのわからないから、直接聞いてあげたらどうかしら? どうせ数日で治るんだし、ちゃんと良い店にでも招待して……ね」


「はい……はい……!!」


 エレナは悪戯が成功したのが嬉しいのか、せっかくの美しい顔が台無しになるような、醜く歪んだ笑みを浮かべている。


 ロクスはそれに気が付いていないのか、エレナの手を取り涙を流しながら感謝を伝えている。その光景をため息交じりに眺めるレイシュは、一度ロクスを落ち着かせるために、待合室へと連れて行こうとする。


「レイシュちょっと待って、まだ診察は終わっていないわよ。薬の最終調整があるわ」


「最終調整ですか?」


「ええ、ロクスさん一度脚をこちらに向けて、伸ばしてくれるかしら?」


 エレナの発言を聞きロクスは、素直に脚をエレナへ向けて伸ばす。すると接合部分を再度触診し始め、そして……


バキィッ!! という身体からなってわいけない音が、部屋中に響き渡った。


「ィ゙ッ゙ッデェ゙!?」


 苦悶の表情を浮かべながら膝を抑え縮こまるロクス。その光景を見て啞然とするレイシュであったが、すぐに我に返るとエレナに怒号を浴びせる。


「何をやっているんですか先生!? 足を折るなんて正気ですか!?」


 レイシュの必死な表情の何が面白かったのか、とうとう笑いを耐えきれなくなったエレナは高笑いをしながら説明をする。


「アッハハハッハ!! なに必死になってるのよ? コレもれっきとした治療なんだからそんなに焦る必要ないでしょ?」


 その発言にレイシュは困惑する。こんなものが本当に治療なのかと。未だ負傷箇所を抱きかかえるように悶えているロクスを、エレナは荒々しく起こし椅子に座らせる。


「さて、関節の接合はこれで外れたから、後は汚染された魔力を排出する薬を飲んで今日の診察は終わりよ。それじゃあ、コレをさっそく飲んで頂戴」


 そう言いながら、先ほど調合した薬を幾つかの小さな袋に分けると、そのうちの一つに薬剤用の食用スライムを混ぜ手渡す。


「いてぇ……こ、これ本当に飲めるんですか?」


 それを手渡されたロクスは、そのおどろおどろしい見た目のスライムを見てたじろいでしまう。しかしそれも仕方のない事だとレイシュは思う。


 なぜならスライムは紫色に変色し、あまつさえなんとも言えぬ異様な匂いを発しているのだから。


「ほら、次の患者も待ってるんだから早く飲んじゃって?」


「……わかりました。オ゙ェ゙ッ゙」


「ちょっと貴重な薬草が入ってるんだから、吐かないで頂戴。もったいないわ」


 エレナにそう言われながらも、ロクスはなんとか薬を飲み干す。そしてその直後にロクスはこれから病気が治るまでの間、この吐瀉物に蜂蜜を混ぜたかのような、地獄の飲み薬を服用し続けねばならない事に絶望する。


 しかし今あるささやかな家族との幸せを守る為、そしてコレまでの自分への罰として、この地獄を甘んじて受け入れた。


「さあ、飲んだのならしばらく待機室で脚の様子を見てから帰って頂戴。代金はさっきの領収書に書いてあるとおり奥さんから頂いてるから、そのまま帰ってくれて構わないわ」


 そう言い終えるとエレナはレイシュに待合室まで連れて行くよう命令する。その命を受けたレイシュはロクスの肩に腕を回しながら、慎重に部屋から退出した。


 そしてしばらくしてレイシュが部屋へと帰って来ると、エレナへ叱責する。


「先生、あまりにも趣味が悪いです。なぜあのような嘘をついたのですか? それに治療法が荒々しいです!!」


「あら? 別に嘘なんてついていないわよ? それに治療についてはあれが、最善だったからしょうがないじゃない。ちゃんと神経を傷つけないように魔法で確かめもしたし……」


「じゃあ特効薬は発見されてないっていうのは……」


「私は特効薬が出来るまでは治らないと言ったけれど、調合法が確立して無いなんて一言も言ってないわよ?」


「もしかして……あの病気を治さなかったのは、わざとなんですか?」


「当たり前じゃない。あの人の奥さんに、少しお灸を据えてほしいと言われたから、快く承諾してあげたのよ? 私ったら優しいわね」


 そう言いながら心底愉快そうに笑うエレナに、レイシュは信じられないものを、目の当たりにしたという風な目を向ける。


「それにもし調合法が確立してなかったら、そもそも依頼は断ってたわ。だから今回は善意100%の悪戯よ」


「それにしたって悪趣味が過ぎます。一旦患者様を絶望させるどころか、治せる病を放置して、2ヶ月も不自由な体で生活させるなんてやりすぎですよ!!」


 レイシュはエレナの悪戯に憤りを感じるが……普段の彼女の行いを考え見るに、今回の悪戯はまだマシな為ここで叱責をやめる。


「さあ、まだまだ患者はいます。次の診察の準備をしてください!!」


「はいはい」


 そう言うとレイシュは次の患者を呼ぶために、忙しなく待合室へ向かって行った。


「さーて、次の患者さんは? あら、新しい患者さんね?」


 席を立ち壁に貼られた予約者リストを見ながら考え事をする。


「セスレナ•ムーンヴェールさんとアリス•スターライトさんねぇ……ここらの人ではなさそうね。旅先でたまたま流行り病にかかった感じかしら?」


 そんなことを考えていると、扉を叩く音とレイシュの声が聞こえる。先程と同じ様にエレナは返事をして中に入るように促すと、女性二人組が部屋へと入ってきた。


 だがその瞬間、エレナの脳裏に悪い予感が駆け巡る。たった今入室してきた片方の女性の目元には、赤い筋のようなものが耳元まで広がっており、もう片方は眼球まで真っ赤に染まっていた。


「どうやらお二人は3日ほど前からこの様な症状が出始めていたようで……先生どうしました?」


「……レイシュ。直ぐに部屋に物理結界を張って頂戴。私は薬を調合するからそれを使ったら、あなたは魔道具屋のミストフォージさんを呼んできて頂戴」


「え、何かしたんですか?」


 先ほどと違い真剣な面持ちのエレナは、一息すると重々しく語り始める。


「魔石症……それもヨグメ魔力住血吸虫まりょくじゅうけつきゅうちゅうが原因で引き起こす重篤な感染症ね。どうして今日みたいな忙しい日に限って、こんな厄介な患者がやってくるのかしら」


「先生、失礼ですよ!!」


「はいはい……」


 レイシュに叱責されるも、一切気にする様子なくエレナはため息を吐く。非常に態度の悪い女医を見て、とても不安そうにしている二人の患者の方にエレナは体を向ける。


 そして悪意に満ちた瞳を、二人の患者に向けながら問いかけた。


「さてお二人さん。苦しまない代わりに死亡率70%の治療と、死ぬほど苦しい代わりに100%助かる手術……どちらがお望みかしら?」


 残酷な二択を突きつけられ、絶望の表情を浮かべる二人の患者。その光景を悪女は、心底楽しそうに嘲笑いながら……二人の患者を確実に救う手立てを、その聡明な頭の中に思い巡らせていた。

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