ストレスチェック

橘 ミコト

ストレスチェック

 ”私”はとある会社に勤めている。


 一般的なサラリーマンではあるが、勤続して数年になり、そこそこ評価されていて数人だが部下もいる。

 ただ、私の所属している部署、というかこの会社はよく人が辞めていく。

 いわゆるブラックという程ではないのだけれど、給料が少し釣り合っていないのではと考える程には忙しいからだろう。


 今日も今日とて多忙な職務に精を出す訳だが、何故か少し嫌な予感をひしひしと感じている。

 朝の占いが最下位だったからだろうか。


「これを今日中にまとめておいて」


 デスクに座り本日の予定を確認していると、背後から声が聞こえた。一瞬、眉間にシワが寄りそうになるが浅く呼吸をして愛想笑いをすぐに貼り付ける。


 私の苦手な上司だ。

 理由は簡単で、少し短気な性格をしているためである。

 別に怒鳴られたり、殊更ことさらに態度が悪いという訳ではない。自分の想定通りに事が進まないとイライラとした雰囲気が表に出やすい人なのだ。

 そのため苦手なのだ。


 私は人の感情の機微に敏感で、相手の顔色を伺いやすい。

 他の人なら気にしないような変化でも、自分のせいで相手を不快にさせてしまったのではないかと考えてしまう事が多い。悪い癖だろう事は分かっているのだが、どうも気にしいなのである。


「えっ、今日中、ですか……?」


 やはり、伺うように恐る恐る聞いてしまう。顔はヘラヘラと笑いながらだ。

 本当はやりたくない。当たり前だが私にだって色々とやることがある。

 しかし、その上司は私の事など気にせず決定事項だとでも言うように、書類の束を押し付けてきた。


「ちょっと手が回りそうになくて、悪いけど頼んだよ」


 思わずドンとデスクの上に勝手に置かれた物へ、俯くようにして視線を落とす。

 今時、紙の書類を利用している事に辟易とする。せめてデータで処理させてくれ。


 私は書類仕事が苦手だ。

 情報が多いと頭がパンクする。決して頭が悪い方ではないのだが、どうも要領がよろしくないようで、何をどこまでやったのか何回も見返す事が多々ある。

 また、物臭な性格なためか整理整頓も苦手だ。自室はいつも様々なものが乱雑に置かれていて、よく必要な物がどこにあるか分からなくなる。


 だからだろう。

 私は頼まれた事を断るのが苦手な癖に、頼まれている事をよく忘れてしまう。


「この間、頼んでおいた仕事は終わった?」


 先程の上司とはまた別の人物から話かけられ、私は「あっ」と声にならない言葉を漏らした。

 その様子に向こうも察したのだろう。苦笑をしながらも「まだ大丈夫だけど、なるべく早くお願いね」とだけ残し早々に去っていった。


 浅くため息をつき、背もたれに軽く体重を預ける。


 マズイ。今日やろうと思っていた仕事にまで手が回るだろか。どれから手を付けるのが良いだろう。やはり今日中にと言われた上司からの贈り物だろうか。

 要領の悪い私は、物事の取捨選択も当然のように苦手である。


 そういった諸々の出来事が重なり、どうしようと焦って頭がパンクし、何かしらの失敗をよくするのだ、私は。

 逆に「今からこれをして」と決められた事をこなすのは得意なのだが。

 理路整然とした思考も出来るし、行動力もまあまあある。

 頼み事を断れない性格からか人当たりも良い方だと思うし、社交的ではあるだろう。


 ただ、私にとって嫌だったり苦手な事が多く降りかかる社会にストレスを感じてしまう。


 朝起きた時に感じる。

 何もかもを放り出してしまいたい衝動に。


 しかし、この程度のストレスなんて誰もが感じている事でもあるだろう。

 私の存在を証明するためには、他者から評価される”私”でなければならない。


 だから、私は今日も我慢して、仕事に励むのだ。






「はい、お疲れ様でした」


 ピーッという機械音と共に、見知らぬ誰かの声が聞こえた。


 唐突に引き上げられ覚醒したような感覚に戸惑う。更に倦怠感と胸のモヤモヤとした気持ちで最悪の気分だ。

 寝ぼけまなこで周囲を見渡す。私は先程まで仕事をしていたはず……。ここはどこだ?

 何故か横になり、体にはブランケットが掛かっている。まるで今まで寝ていたかのような姿。

 いや、まさしく寝ていた。

 段々とハッキリしてきた意識に従い、上半身を起こして深いシワが刻まれた眉間を軽く指先で揉んだ。


 ーーそうだ、今日は国が定期的に行う事を義務付けている、『ストレスチェック』の日だった。


 で、先程の私へ声を掛けた人物はである。

 寝台から降りると、再び呼ばれるまで待合室でお待ち下さいと伝えられた。


 ここはである。

 ただ、私は別に病気という訳では無い。


 ストレスチェック。

 被験者へ特定の夢を見せることで、同時に計測している自立神経系の活性値から観測チェックする事である。


 何とはなしに、壁に貼られているポスターを見やる。


『月に一度はストレスチェック!』

『自身が回避している事柄に繰り返し向かい合い、ストレスが現実的には恐れる程のものではないことを学習していきましょう!』


 結果が出たら医者からのフィードバックを受けるのだが、今回は夢の内容をハッキリと覚えているのだから何となく予測はつく。


 今回もストレス耐性を獲得することは出来なかったようだ。


 同僚の皆は医者からストレス耐性の認定を受けているというのに、私ときたら……。


 次のストレスチェックではどんな夢を見るのだろうか。


 私も早くストレスに慣れたいものである。

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