サンタクロースが恋人
「待って待って、サンタクロースって何人もいるの?」
「うん。世界サンタクロース協会っていう組織があって、国ごとに資格を取得したサンタクロースが何百人体制でいるんだ。地域で持ち回ってプレゼントを配るんだけど、まあ郵便配達と似たようなものかな」
「色々とびっくりよ……」
「まあ一応、トップシークレットってやつだからね」
そんな三宅をじとりと睨みつけながら、京子は質問を続ける。
「三宅さんは、その話をしてどうしたいの」
別れを突きつけた京子に対し、ちょっと話さないかと誘ってきたのは三宅だった。京子も頷き、こうして近くのカフェに来たのだが、何を思ったのか話し始めたのはサンタクロース協会などという訳の分からない内容。
京子の薄い知識の中に、はるか昔に唯一日本人でサンタクロースをしている人のネット記事や、サンタに手紙を書くと返事が返ってくる国際郵便の話などを朧気に思い出したりもしたが、そのどれもとは違う、本物のサンタクロースなのだという。
仕事のことを聞いた時、フランチャイズの店長みたいな、とはぐらかされた事があったが、三宅の話を聞く限り確かに似た形態なのだろう。
「僕は、京子と別れたくない。トップシークレットだと言ったけれど、配偶者には伝えてもいい仕組みなんだ」
仕事柄どうしてもクリスマスには家に居ないのだ。配偶者の理解を得るために、この話を伝えることを許されている。
三宅は一口コーヒーを啜り、少し眉をしかめてから砂糖を一本追加した。甘党ゆえの体型だと思っていたが、サンタクロースの資格取得条件の中に「ふくよかであること」なんて項目でもあるのかもしれない。ヒョロがりのサンタクロースには大きな袋は持ち上げられないだろうし、なによりみすぼらしいサンタクロースに施されたプレゼントはなんだかなと感じる。
「私は別れようと言っているのよ。馬鹿なの?」
「うん、馬鹿なんだ、僕。京子の事が本当に好きだから、別れたくない」
「……三宅さんは、どうしてサンタクロースになったの?」
話を逸らすために質問を変えた。三宅は少し微笑んで口を開く。
「京子は、何歳までサンタクロースの存在を信じていた?」
けれども三宅は、京子の質問に別の質問で返してきた。京子はむっとして「サンタなんて、もう小学生の時には親がそうなんだって気付いていたわ」と意地悪く返す。
「そうだよね。大抵の人は、大人に近付くにつれて真実に気が付くんだ。……でも僕は、親がいなくてね」
突然の告白に、京子は目を見開いた。これまでそんな話をする機会が無かったのもあるが、初めて聞く事実に手が震える。
「赤ん坊の頃にすてられちゃって。施設で育ったんだけど、クリスマスにプレゼントと言えば、施設の子ども全員で使ってねって、お古の玩具とか、絵本とかが大量に届くんだ。僕にだけっていうプレゼントが無くて、いい子じゃ無いから親にもすてられて、プレゼントもないんだって、ちょっとひねくれたりもして」
なんでもないことのように笑いながら話す三宅に、京子は口をとざす。何も言えなかった。三宅のほがらかな笑顔の裏には、そんな過去を歩んでいたのか。
「でも、サンタクロースのことはずっと信じてた。僕がいい子になれば、きっといつか来てくれるって……大人になってもね、信じ続けてた」
三宅は少しだけ視線を下げる。
「高校を卒業して施設を出る時に、僕に手紙が届いたんだ」
「手紙?」
「サンタクロースになる条件のひとつはね、大人になってもサンタクロースを信じていることなんだ。僕のもとに届いた手紙は、受験票だった。サンタクロースになるためのね」
ファンタジー映画のあらすじでも聞かされているかのような、現実味のない話。
京子は話を続ける三宅の顔をまともに見れそうに無い。手元のコーヒーを見つめながら、続きを聞く。
資格を取ってサンタクロースになったという三宅。サンタクロースの仕事は、同じくサンタクロースを信じている子どもたちにプレゼントを届けに行くこと。……親からプレゼントを貰えなかった子どもを中心に。
「いい子だからプレゼントが貰えるんじゃない。子どもはみんな無条件にサンタクロースからプレゼントを貰っていい。そこにどんな優劣もない。……僕は、とてもやりがいを感じているよ」
「…………そう」
京子はそっと視線をあげる。三宅は微笑みを浮かべてはいたが、寂しそうな瞳の色をしていた。
「別れたくないなぁ」
「……いいえ、別れましょう。私はサンタクロースなんて信じていないし、むしろ今の話で余計に夢が無いと感じたわ。空を飛んでいたのには驚いたけれど、何か仕掛けがあるんでしょう。あと、クリスマスの夜を一緒に過ごせないのもいや。それに、お金のことも気になるわ。お家は大きかったけれど、サンタクロースってどこから収入を得ているのよ?」
まくし立てる京子に、三宅はひとつずつ返答する。
「確かにおじいさん一人でプレゼントを配ってるイメージだもんね。空飛ぶソリもトナカイも、君と想像通り科学的な仕掛けがあるから夢はないかもしれない。クリスマス以外のイベントは一緒に過ごせるけどダメかな? それから、サンタクロースは平均年収の三倍……ってところかな」
魅力的な値段ではある。がしかし、全てのことに対して理解できない。隠されていたことに対しても許せないし、サンタクロースだなんだと夢物語を語る三宅自身にも腹が立つ。何に、とはハッキリと言えぬが、色々なことが規格外すぎて受け止めきれないのだ。
どちらかと言えば、自身はリアリストで、頭のかたい人間だと自覚している。だからこそ正反対の三宅のあたたかさに惹かれたのだが、これは少し理解の範疇を超えている。
京子は、三宅の目を見つめた。
「……別れましょう」
カフェを出て、クリスマスで色めき立つ街並みをわんわんと泣きながら足はやに過ぎていく。どこからか流れているクリスマス・ジャズソンに泣きながら悪態をつき、手を繋いで幸せそうに歩くカップルを泣きながら睨みつけ、泣きながら電車に乗った。
はたから見れば、クリスマスに泣く女はなんと惨めにみえるだろうか。振られた女に見えているだろう。だが京子は振られたのではない。振ったのだ。
京子にとって、三宅は大好きで一生を共にしたいと思える人だった。
けれども、三宅の抱える秘密の全てが、その何もかもが、京子には重すぎる。話を聞いて、さらにその不安がふくらんだ。
カフェを出る時、三宅は京子へと手を伸ばしてきたが、本気で引き止める時のそれとは違っていた。三宅自身も、きっとこうなってしまえば別れる道しかないと理解したのだろう。
家に着く頃にはすっかり目が腫れ、化粧もずぐずぐに落ちていた。
こうして、20代最後のクリスマスという日が、なんとも呆気なく終わったのだった。
「京子、クリスマスの予定ってなにかある?」
昼休憩中、同期がそんなことを聞いてきた。京子は「特に何も」と、梅昆布のふりかけをまぶした可愛さの欠けらもないおにぎりをかじる。目の前の同期が持ってきた手作りだというコンパクトなお弁当は、しっかり彩りも考えられた可愛らしいもので、京子を余計に惨めな気分にさせた。
「去年は京子に彼氏がいたから誘えなかったけどさ、今年はぱあっと飲みに行かない?」
「…………」
京子は一年前の三宅と別れたクリスマスの日を思い出し、苦い顔で黙り込んだ。
あれから一年。三宅のことを、かたときも忘れたことがない。連絡先ももう消去してしまい、三宅との思い出の写真も全て灰になった。
黙り込む京子に「まさかまだ元彼引きずってんの!?」と驚く同期。否定することなく口を噤む京子に、呆れた様子で同期は頬杖をついた。
「そんなに好きならなんで別れたのよ」
「のっぴきならない理由があるのよ」
「なにそれ」
同期は肩を竦め、お弁当箱を包みなおしながら「吹っ切れてないなら吹っ切りなさいよ」と軽く言う。そんな簡単に出来るならば、もうとっくの昔に吹っ切れている。自分から振ったくせして、結局ずるずると気持ちを引きずって一年も経ったのだ。
一年考えて、やっぱりサンタクロースってなんなんだよ、と納得がいかなかった。流石にバカバカしすぎて三宅が本物のサンタクロースだったとは誰にも話していないが、京子自身がいちばん落とし所のつかない部分でもある。
眉間に皺を寄せる京子に、同期は口の端をきゅっとすぼめて思案げに視線を揺らしたあと「もうさ」と切り出す。
「そんなに好きなら会いにいっちゃえば?」
12月23日の20時ちょうど。京子は、一年前と全く同じ時間に、全く同じ場所で両手を擦り合わせていた。
吐く息は真っ白だ。寒さを忘れるほどの鼓動の速さと、衝動的な自分の浅はかさ。京子は目を瞑り、それから呼吸を整えたあと、そっと静かに三宅の家の敷地を跨ぐ。
足音を殺し、窓に近づく。思った通り、サンタクロースの格好をした三宅が、白い袋にプレゼントを詰め込んでいた。
京子は三宅の姿を確認してから、素早く車庫側に回り込む。少し経つと、袋を引きずりながら三宅が姿を現した。シャッターが開き、三宅は一つ目の袋をソリに積み込む。二つ目、三つ目と積み上がっていく袋。
三宅が最後の袋を取りに後ろを振り向いたその瞬間に、京子はさっと急いでソリに飛び乗った。そして、袋と袋の間に身体をもぐらせ、三宅に見つからないように息を殺す。三宅は気付くことなく最後の袋を積むと、ふう、と一息ついてから車庫を出ていった。
三宅がトナカイを連れて戻ってくる気配がして、隙間からそっと覗き見る。リードでソリとトナカイを繋ぐと、三宅もソリに乗り込み、ぐっと手網を握った。
「じゃあ出発しようか」
トナカイに優しく話しかける三宅の声は、京子へと語りかけてくれていた時の声色そのままで、心臓が跳ねる。
そうして京子の存在に気が付かず、ソリは走り出した。がたがたと揺れたかと思えば、ふわりとした浮遊感で空を飛んだのだと気が付く。隙間をのぞけば、いつもより近い夜空と、三宅の背中。京子は、一度大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出した後に、ぐっと拳を握りしめた。京子は、体をずらし、袋の山から顔を出す。遮るものがない風が、京子の頬をつめたく突き刺した。
「三宅くん」
「っ、え、京子……!?」
驚愕の顔で振り返り、三宅はまん丸い目をして京子を見つめる。あまりの驚きように声がうわずり、動揺しているのが見て取れる。
「ど、どうしてここに」
「……あなたに会いに来たの」
「なんで」
三宅は今にも泣きそうな顔をして、震える声で問いかけた。
「メリークリスマスって伝えに来たの」
「ええ……なんだい、それ」
三宅がふ、と笑い声をもらす。それから少し横にずれて、京子へと手招きをした。京子は落ちないように気をつけながら、三宅の隣に座る。
星空が掴めそうなほど近く、光の海が散りばめられていた。
「綺麗……」
「京子も綺麗だよ」
思わず感嘆の声で呟くと、ベタな台詞がかえってくる。今度は京子が笑ってしまった。
「……これ、下からはこのソリが見えてないの?」
「迷彩効果というか、光の屈折というか、まあこれも化学でどうにでもなる部分だよね」
「適当なのね」
「僕らサンタクロースは提供された道具を使用しているだけだからね」
「プレゼントはどうやって配るの?」
三宅は目を細め、髭で隠れた口元を撫でた。
「まあ見ててよ」
三宅は手綱を少し引っぱり、ソリとトナカイが空中でぴたりと止まる。そして、三宅は袋を手に持つと、ソリの上に立ち上がった。
「メリークリスマス!!」
大声で叫んだと同時に、三宅は袋をひっくり返す。勢いよく中のプレゼントが落ちていき、京子は思わず身を乗り出して下をのぞきこんだ。こんな上空からばら撒く方式だとは思ってもおらず、流石に高度からのプレゼント直撃は死ぬのではと焦る。
しかし京子の心配もよそに、プレゼントはふわりとある一定の距離までいくと降下速度が落ち、それからまるで操られているかのようにばらばらに散っていった。三宅が得意そうに「自動でおうちまで届くシステムなんだよ。僕らサンタクロースは管轄の中心部にプレゼントを運んで、空から落とすことなんだ」と笑った。それから残りの袋の中身もすべて出し切り、空になった袋だけが残る。
「ロマンティックなのか、科学力に驚くべきなのか、ちっとも分からないわ……」
「……この景色はロマンティックだろう」
三宅が両手を広げる。空も陸も満点の星空。境界線などないような、宝石をぶちまけたような夜景。京子は眉尻をさげ「とてもロマンティックよ」と三宅の腕に抱かれた。
サンタクロースの恋人 瑛 @q8_gao
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