サンタクロースの恋人

恋人がサンタクロース

 街中にはクリスマス・ジャズソングがそこかしこで流れていた。駅前には派手に装飾された木々が並び、店頭には赤と緑のコントラストがこれでもかと主張する。気が狂いそうだ。

 ハロウィンが終わる前にクリスマスグッズが売られていたかと思えば、先日立ち寄った百均にはお正月グッズも隣に陳列していた。イベントの先取りが過ぎる。この国は、とち狂っている。

 京子きょうこには、聞こえてくるクリスマス・ジャズソングが腹立たしくてしょうがない。わんわんと泣きながらクリスマスの街並みを早足で通る京子の姿は、恋人に振られた哀れな女に写っていることだろう。だが実際は、振られたのではない。京子からお別れを告げたのだ。


 ケチな人より、懐の広い人が好きだ。細身の人より、恰幅がいいくらいの方が好きだ。歳下より、歳上が好きだ。

 三十路も直前、職場の同僚や上司からの「いい人はいないのか」攻撃に対してこう対応していれば、紹介されたのが三宅みやけ圭吾けいごという、4つ歳上の男性だった。

 三宅みやけは確かに少しふくよかな体型で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。少しくせっ毛のある黒髪を軽く流した程度だが、それが優しそうな雰囲気によく似合っていた。穏健で誠実そうで、京子は三宅のことをすぐに気に入った。顔合わせをしてすぐに京子から交際を申し込むほどには。

 三宅からは「まずはお友達から」と断られてしまったが、諦めずにアプローチを繰り返し、3ヶ月ほどで見事陥落させてみせた。最後の決め手は「もうあなたを好きな気持ちが抑えきれないの」という京子のひと言だった。三宅は頷き、京子を優しく抱きしめてくれた。真夏のことだったので、少し汗ばんで濃くなった三宅の体臭が、京子の母性をよりくすぐった。匂いまで完璧だった。


 三宅とは色々なところへ出掛けた。一人暮らしの京子の家にも呼んだ。けれども、絶対に三宅の家に遊びに行くことは無かった。

 どれだけ三宅の家に行きたいとせがんでも、三宅は頑なにそれを許さなかった。さらに、クリスマスの予定を聞けば、その日は一緒にいられないと断られてしまったのだ。

 京子はまず、三宅が実は既婚者なのではないかと疑いを持った。三宅を紹介してくれた上司をそれとなく探ってみたが、既婚者の線は薄そうであった。

 直球的に三宅に「仕事か」と聞いたりもしたが「そんなとこだ」と曖昧に返されるばかりだった。

 「仕事と私、どっちが大事なの」なんてチープな言葉で詰め寄ったものの、三宅は困ったように眉尻をさげ「京子が大事だよ。でも、クリスマスだけは、どうしてもダメなんだ」と、はっきり断られてしまった。

 京子が大事だと口先ではいくらでも誤魔化せるが、ではなぜクリスマスという恋人たちの一大イベントに、恋人である京子を優先してくれないのか。

 もしかして、やはり既婚者だったりするのではないのか。だとしたら職場にもバレず誰彼構わず隠し通せるとは、おっとりとした風貌とは裏腹にとんでもない大嘘つきだ。

 疑問に思ったことは解決するまでとことん探りをいれてしまうたちの京子は、その後は物分りのいい女を演じ、クリスマスに三宅の後を付けることにした。

 そうなると、まずは三宅の自宅を突き止めるところからだ。


 クリスマスの五日前。

 三宅との普通のデートを終え、駅の改札で別れる。三宅は名残惜しそうに何度も京子に手を振るが、やがてその背中が見えなくなった。京子は、この日のためにチャージしたカードを使って改札に入った。

 三宅が降りたホームに、京子も気配を消して降りる。デート中は計画がバレるのではと気が気で無かったが、三宅の方も今日はすこし上の空気味で、京子の異変には気付きもしなかった。

 そんな三宅は、やはり京子に気が付くことなく電車に乗り込む。京子も隣の車両に乗り、見失わないように三宅を見つめた。

 三宅は随分と遠いところから京子のもとへ会いに来てくれていたようで、かなり多めにチャージしていてよかった、とほっとしながら改札にタッチする。

 決して栄えているとは言い難い駅を降り、三宅は迷うことなく歩いていく。騒がしい駅前、商店街、住宅地へとずんずん進む。そういえば家に行くのを断るときに「駅近物件ではないから」と言い訳のようにこぼしていたなと思い出す。住宅地をさらに抜け、そこから更に歩く。そうしてたどり着いた先は、坂を登りきった先にあるぽつんと一軒家だった。

 京子は言葉を失った。豪邸だ。田舎町に馴染む外壁ではあるが、広さが桁違いに大きい。

 三宅が一人で住むにしては大きすぎる家。やはり三宅は既婚者か、もしくは実家か。

 シャッター付きの車庫は固く閉じられているが、中には車が3台ほど停められそうな大きさだ。車の数である程度判断しようと考えていたが、中が見えないので実際には何台の車が停まっているのか分からない。

 鍵を開けて家の中へ入っていく三宅。閉じられた玄関ドアにそっと近づいて、どうにかして中の様子が見えるような窓はないかと、足音を殺して一周回る。

 見つけた。カーテンが薄く開いた小ぶりの窓。影などでバレないよう、そっと下から覗き込む。

 どうやら物置のような部屋らしい。ダンボールが積み重なり、こまごまとしたものが床に散らばっている。ぬいぐるみ、絵本、ブロック、ドールハウス、レゴ、視界に入るもの全て、玩具しかない。

 京子は自分の胸の内がすっと冷えていくのを感じた。

 三宅は子持ちの既婚者の可能性が高い。京子の中の結論はそれだった。体の芯から凍っていく感覚。

 寒いのは、気温のせいだけじゃない。三宅は人のいい笑みの裏でぺろりと嘘を吐いていたのだ。ふらふらとその場を離れ、京子は元来た道を思い出しながら戻る。何とか駅にたどり着き、来た電車に飛び乗った。外はちらちらと雪が降り始めていた。

 どうやって帰ったのか覚えていないが、気が付けば家の前にいた。

 部屋に入り、化粧も落とさずベッドに倒れるようにして寝転がる。三宅から「次に会うのは年明けに」と連絡が入っていたが、京子は返事をせずに目を瞑った。



 12月23日の20時丁度。京子は、三宅の家の前にいた。なぜクリスマスイブの前日かといえば、子どもへのプレゼントは23日の夜に枕元に置き、24日の朝に起きてきた子どもの手に渡るのが一般的だと聞いたからだ。三宅もきっと、今日の夜、プレゼントを子ども部屋に置くのだろう。もしかしたら京子が覗き見たあの玩具だらけの部屋から、プレゼントを選ぶのかもしれない。だから、あの部屋の前に京子はじっと潜んでた。

 結局、三宅に返事をする気が起きず、不審に思った三宅から電話が何度か掛かってきたが、京子は一度も出ることなく今日を迎えた。「大丈夫?」なんてチープなメッセージが並ぶ三宅のとトーク画面。ここに、「今あなたの家の前にいるの」と送ってしまえばどんな返事が返ってくるだろうか。

 京子はスマホをコートのポケットに突っ込み、来る前にコンビニで買ったホットココアで両手をあたためる。

 それにしても。京子は耳をすませ、聞こえてくる音を選びとる。風の音、動物の鳴き声、遠くで響く車の音。その中に、この豪邸から聞こえる生活音はない。

 玩具の種類を見るに、小さな子どもがいることは想像できる。いくら防音がしっかりしていようとも、足音のひとつも聞こえないとはどういう事だろうか。

 その時、扉の音が聞こえた。そっと覗けば、京子の覗く部屋にサンタクロースに扮した三宅が入ってきていた。ご丁寧に白ひげまで付けている。三宅は手に持つ白い袋に、次々と玩具を放り込んでいた。ひとつ目の袋がいっぱいになると、ふたつ目の袋に手を伸ばし、また玩具でいっぱいになるとみっつ目の袋に。何をしているのだと京子は訝しんだが、三宅はとうとう部屋の中の玩具を全て袋にしまい込むと、重たそうに引きずりながら部屋から出て行った。あれだけあった玩具の山はすっかり無くなっている。

 それから玄関の方で音が聞こえたので、京子は足音を忍ばせてそちらへ向かう。どうやら車庫を開けているようだ。自動でシャッターが開いていき、三宅が中に入る。何度も往復しながら袋を車庫に入れて行き、やがて最後の袋を入れてしまうと、今度は裏へと回る。この間は気が付かなかったが、どうやら畜舎があったようだ。三宅が連れ出した動物には、首輪に鈴がついている。トナカイだろうか。三宅はリードに繋がったトナカイを車庫まで連れてくると、中に連れて入った。しばらくすると、トナカイに引きずられて白い袋の乗ったソリが出てくる。そこにどこまでも本格的な三宅のサンタクロースが乗り込み、京子は戸惑いを感じていた。

 もしやこのまま空を飛ぶのでは、と思っていれば、目の前で浮かび始めたソリとトナカイ。京子は声を出して驚きそうになったが、慌てて口を抑える。三宅はそのまま空を飛んで行き、やがて姿が見えなくなる。

 夢でも見ていたのだろうか。京子は茫然と立ちすくみ、今見た光景を思い返す。

 まるで、本物のサンタクロースだった。

 京子はその場で三宅に電話をかける。しかし三宅が出ることはない。すっかり日付を追い越し、24日の1時過ぎ。身体は冷え切り、京子は茫然としたまま駅に向かい、そのまま家に帰った。

 家に着いて、コートを脱いで、ポケットから冷めたココアを机に置いた時、京子はようやく現実だったのだと納得できた。

 どういうことか理解は出来ずとも、確かに三宅はソリに乗って空を飛んだ。トナカイを引き連れ、プレゼントを乗せて空飛ぶ姿は、サンタクロースそのものだ。

 三宅は、サンタクロースだったのだ。


 12月24日の15時、三宅から電話が入る。着信履歴を見てかけ直して来たのだろう。京子が出るやいなや、「ごめん、電話に気が付かなくって!」と三宅の焦った声が聞こえた。

「電話、なんの用だった?」

 京子は少し間をためて「三宅さん、サンタクロースだったのね」と小さくつぶやく。

「えっ」

「見たの。あなたが空を飛ぶところ」

「………………そっか」

 三宅は寂しそうにそう言うと、今から会えないかと提案してきた。

「いつもの駅前に集合で。待ってるから」

 電話が切れる。京子はコートをひっつかみ、家を飛び出した。


 三宅はサンタクロースの格好ではなく、いつも通りの服装で待っていた。京子の姿を見つけると、片手をあげて「京子」と優しく呼ぶ。

「……三宅さん」

「…………なにかな」

「別れましょう」

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