アカリ5
保健室登校を開始して一日目。
「私はパチンコに行くから、君たちは臨時の保健委員として患者を捌いて欲しい」
養護教諭の
常に気怠そうで、纏う空気も表情も暗い。幸の薄そうなダウナー系美人。
ヨレヨレの白衣。知的な印象を与える黒縁の眼鏡。白衣とは対照的な色合いの黒いニットの縦セーターに、紺のホットパンツ、黒いストッキングという出で立ちをしている。
養護教諭にしておくにはもったいないほどスタイルがよく、セーターを内から盛り上げる大きな双丘と、ホットパンツからすらりと伸びるストッキングに包まれた足は、多感な時期の中学生男子にとっては大変刺激的な装いだった。
身長は百八十を優に超えているが、猫背で姿勢が悪いので百七十台後半くらいに見える。
年齢は六十を過ぎているらしいが、二十台後半くらいにしか見えない。
三十年ほど前にこの学校が
彼女にセクハラを働いた教師が腕を折られたり、壁にめり込むほど吹き飛ばされたりという事件も過去に起きているようで、怒らせない方がいいのは間違いない。
永瀞は宣言通りパチンコに向かい、保健室には千春とアカリの二人だけが残された。
「適当ですね。
「先生がいない方が伸び伸び出来ていいけどな」
予め運び込まれた机と椅子に座り、二人は通常の時間割に合わせた教科の自習を始める。
静寂が漂う保健室に、時計の針の音、シャープペンシルを走らせる音だけが響く。
千冬の話を全て信じるのであれば、出席日数と内申はなんとかなる。後は中間テストと期末テストを実力でどうにかすればいい。
根本的には解決していないいじめ問題だが、アカリの学校生活は驚くほど快適になった。
自分を律してきっちり勉学に励めばいいだけなのだから。
煩わしい人間関係が消滅して気が楽だ。
「後四回の授業で、テスト範囲はどこまで広がるんでしょうか」
「あぁ、大まかなテスト範囲は姉貴から教えてもらってるから大丈夫」
そう言って、千春は教科書に書き込まれたメモをアカリに共有した。
割と細かく、丁寧にメモが余白に残されていた。メモは千冬ではなく、千春の字で書かれている。
がさつそうなのに字が綺麗なのは、宮火家の英才教育の賜物なのだろうか。
「……ありがとうございます」
「後で他の教科も教えるよ」
「お願いします」
テスト範囲を教えてもらい、アカリは勉強に集中をする。
集中しているつもりだが、時折気になって千春の方を盗み見る。
アカリは意外に思った。
集中力の欠片もなさそうな雰囲気の千春が、真面目な顔をして黙々と参考書を進めているのである。
アカリはふと気になったことを尋ねる。
「宮火くんのやっているところ、三年生の内容ですよね……?」
「そうだよ」
自分が進んでいることに胸を張るわけでもなく、千春は手を動かしながら淡々と答える。
「二年生の範囲はもう終わったということですか?」
「テスト前は流石に一度復習するけどね」
終わっているらしい。
「宮火くんは、どこに進学するんですか?」
「親がレナ高にしろってうるさいから、そこに進む予定。俺はどこでも良かったんだがね」
シャープペンシルを器用に指先で回しながら千春が答える。
千春が言ったレナ高――麗名千歳高等学校は地元どころか全国でも有名な私立の中高一貫校だ。
学校の設備がトップレベルで豪華で、校則も緩くて自由度が高いからたくさんの生徒が憧れる高校。
レナ高には遊び惚けて偏差値を下げる生徒がそれなりの割合で存在しているので、それを食い止めるために頭のいい生徒を外部生として毎年数十名受け入れている。千春はその枠で入学する気なのだろう。
全国から有力者の子供がコネクションを作りに集まって来るので、家が少し裕福なだけの一般家庭であるアカリからすると中々ハードルが高い。
宮火財閥の子供であれば、中学から入学していてもおかしくはなさそうだが、受験に失敗したのか、それとも他に理由があるのだろうか。
「アカリさんはどこにすんの?」
「どうでしょう……二年の夏までには決めた方が良いと言われていますが……正直なにも考えていませんね」
「……まぁ、いじめの件もあったしね。ゆっくり考えなよ」
優しい声でそう告げて、千春は再び参考書に視線を落とす。
アカリは記憶の端から、おぼろげな記憶を引っ張り出して千春に問うた。
「レナ高って確か……入学試験の成績上位者は特待生として授業料免除でしたっけ?」
「五人だか十人だか忘れたけど、あったね」
「では、私もレナ高を目指すことにします」
「特待生?」
「可能なら特待生ですね」
庶民が金持ちの巣窟に進学する。
いじめが起きてもおかしくない環境を目指すのはどうかしていると自分でも思うが、なんとなくそうしたかった。
否、なんとなくではない。
アカリは明確に、千春がレナ高への進学を望んでいるから自分もそうしようとしているのだと、本当は理解していた。
先日の、宮火 千冬とのたった一度のコンタクトで嫌というほど思い知らされた。
宮火の力の強大さを。
権力がどれだけ強力な武器になるのかを。
つまるところ、千春の傍にいればアカリは一生安泰なのである。
結婚まで行けば、玉の輿だ。
彼が受け継ぐ資産だって少しは好きにできるだろう。
クラスの陰湿な女子グループも、教師も、誰も千春には逆らえない。
まだ世間のことを何も知らない中学生のクソガキだとしても、逆らってはいけない相手だと認識しているのだ。
レナ高にはもしかしたら宮火家と同格の家柄を持つ人間がいるかもしれないが、それでも彼に比肩し得る存在はごく少数に限られるだろう。
千春が隣にいてくれれば、安全に過ごすことができる。
初めていじめから救ってくれた時から、頭では分かっていたことだった。
兎耳をぴょこぴょこさせて、アカリは妖艶に微笑む。
アメジストの瞳が、怪しく煌めいた。
アカリは千春をボディガードにしようと画策する。
もっともシンプルなのは金銭や物資による取引だが、中学生という思春期ならではの方法があった。
それは、彼と親しい間柄になるというもの。
千春に好意を抱かせて、アカリの騎士に仕立て上げる。
人間は大なり小なり計算高く生きるものだ。
どうか恨まないで欲しい。
とはいえ、この世はギブアンドテイクで成り立っている。
彼にギブばかりさせて不満を抱かせたり、恨みを買いたくはないから、当然アカリの方も多少はテイクをするつもりだった。
千春には、数多の男子を虜にしてきたこの美貌を好きにする権利を上げよう。
男子に触られるのは嫌だが、手を繋ぐくらいだったら我慢できる。
キスは流石にダメだけど、このまま問題なく仲良くなれたらハグくらいまでなら許してもいい。
千春はアカリの目から見てもカッコいいし。
その代わり、徹底的に護ってもらう。
アカリが中学校を卒業するまで、高校を卒業するまで、大学を卒業するまで。
親がぴかぴか七色に光っているのだから、その強力なレインボーパワーで護ってもらう。
アカリは今後の活動方針を決めてから、動くまでが早かった。
「これから長い付き合いになるかもしれないので、親しみを込めて千春くんって呼んでもいいですか?」
「いいよ。じゃあ俺はアカリって呼び捨てにしていい?」
「お好きにどうぞ」
なんだこいつ。まだ大して仲良くなってもいないのに呼び捨てか?
別に良いですけど?
「千春くん♡」
媚びた声色で名前を呼ぶと、千春は笑顔で手を振った。
いや、どうせならお前も名前を呼べよと思ったが、口には出さない。
「千春くん、ここ分からないんですけど、良かったら教えていただけませんか?」
机を近づけて、千春のすぐ隣を陣取る。
自分でも吐き気がするほどあざといが、ちまちま距離を詰めていられない。
一気に、大胆に攻める。
「いいよ~、どの問題?」
「ここなんですけど……」
アカリが本格的に助言を求めると、千春も真面目な雰囲気で身を寄せてくれて、二人の肩は自然と触れ合う。
彼の熱を間近で感じて、アカリは思わずドキっとした。
頬がちょっぴり赤くなって、心臓の鼓動が早くなる。
この程度でなにを動揺しているのかと、自分で自分を叱咤する。
今までたくさんの男子に囲まれてきたのに、こんな反応をしたのは初めてだった。
アカリは目を瞑ると、一度静かに呼吸を整える。
気を取り直して、アカリは千春との会話を進めた。
「これにxとyの値を代入して――」
相変わらず愛想が良く、爽やかに微笑みながら分かりやすく教えてくれる千春。
これだけ近いと、千春の匂いが嫌でも鼻腔を掠める。
特になにか匂いをつけているわけでもない、彼の素の体臭。
別に臭いとは思わないけど、良い匂いでもないと思う。
それでもなんだか、ずっと嗅いでいたくなるような癖になる匂いだった。
すんすんと千春の匂いを嗅いでいると、アカリの兎耳がぴーんと直角に天を衝いた。
「あ、あっ……えっ……?」
お腹から陰部にかけて、温かいものが降りてくる感覚。
ショーツに広がる不快な感触。
小学校の頃、保健の授業で聞いていた前兆はまったく無かった。
痛みもなかった。
アカリは千春のすぐ隣で、何の前触れもなく突然初潮を迎えた。
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無事なんとか既定の100000文字を達成することができました。
ひとえに読者様の応援のおかげです。
ありがとうございました。
更新はまだまだ続けます。
2月7日までは読者選考期間なので、少しでも面白いと思っていただけたら、ぜひ★を送って応援していただけると大変嬉しいです:)
最後に、この作品の更新に時間を取られて別作品の更新が滞ってしまったことお詫びします。
千春くんは等分できない Zoisite @AnGell2
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