第六話・この世界に、お姫様は二人も要らない。
幼くたって、生きていけば人の道理を理解する。
自分は顔がいいわけではなく。
他者より才能に恵まれていなく。
誰よりも幸せではないと。
生きてきて、幸せで満たされていると思っている者は、それほど多くはない。
人は常に飢えている。
誰よりも強く。
幸せでありたいと願っているのだ。
勉強や運動が苦手な人はたくさん居るし、イケメンや美人に憧れ、ああいう風になりたいと嫉妬する。
それは、人の生まれながらの業というものだ。
しかし、誰かに嫉妬するのが悪い訳ではない。
今の自分に悔しがり、他人を羨むことで、少なからず反骨心や向上心に繋がるのだから、人に備わった生きる為のシステムなのだ。
そう割り切ろう。
それがいい。
誰だって、美人な女の子と付き合いたいし、結婚したいだろう。
漫画家はもっと絵が上手くなりたいと頑張るし、小説家はもっと美しい物語を紡ぎたいと思い、世界に触れているはずだ。
人は欲望のままに生き、命を燃やしていく。
しかし、人の可能性は無限だとはいえ、才能には限界がある。
いつだって自分に与えられたもので戦わなければならない。
突き詰めれば、人生とは自分との戦いである。
それでも、他人を羨んでしまう。
努力することを放棄し、恨んでしまうのだ。
それこそが、人の本質。
美しく輝くヒロイン。
嗚呼、私もお姫様のように誰かに愛されたい。
好きな人に私の顔を見てもらい、瞳と瞳が混じり合う。
そんな永遠を感じ。
貴方を愛していたい。
人は誰しも、人生の主役でいたいと願うのだ。
この世界に、二人もお姫様は要らない。
これは、氷室未姫の物語。
月夜に煌めく微かな星々。
その輝きは小さくとも美しく。
闇に迷う貴方のことを照らすだろう。
私はいつも思っていた。
光を浴びている人を見ていると、常々思うのだ。
私もああなりたかった。
半身を分けた。
実の姉のように、人に愛される人間になりたかった。
姉妹だからこそ、対等な存在に憧れ、同じ人間として幸せでいたかった。
半分は同じ血が流れているから。
お姉ちゃんを尊敬しているから。
私は、それを諦められなかった。
お姉ちゃんは、物心がついた時から、みんなからの羨望を浴び、幸せを得ていた。
認められていた。
お姉ちゃんは、愛のかたちを知っている。
お姫様のドレスとは、愛のかたちである。
そんな輝かしい世界で私も生きられるのであれば、こんなにも惨めな思いはしなかっただろうか。
お姫様が私だったら。
愛されていたのは自分なのか。
綺麗な見た目をしていれば、彼は笑いかけてくれただろうか。
いや、違う。
好きになった人は、そんな小さなことを気にする人ではない。
美醜に囚われず、人を見た目やステイタスで判断するような人ではないから。
だから、だからこそ。
私はこんなにも、貴方を好きになったのだろう。
愛していたのだろう。
初めから決まっていたのだ。
私が純粋に劣っている。
だから、愛から選ばれなかったと。
それでも、諦めることは出来なかった。
半分同じ血が流れているから。
諦められない。
たとえ報われない恋だとしても、それでも切に願っていた。
両手を握り、神に祈るほどに愛していた。
そうだというのに、神様には届かない。
世界はこんなにも残酷なのに。
最愛の人がいる世界。
それは、なによりも美しいのだった。
俺は、放課後にコンビニに寄り、漫画雑誌と一緒にコンビニスイーツを買うことにした。
氷室さんには、お弁当と晩御飯を作ってもらっている手前、恩返ししないといけないと思ったからだ。
そのお礼がコンビニスイーツで、数百円のものというのも安いけど、何もしないよりはマシだろう。
……氷室さんは甘い物が好きだって言っていたし、選択としては悪くはないはずだ。
駄目だったらまた今度、何かプレゼントすればいい。
機会はいくらでもある。
悩んだ結果、チョコレートのカップケーキを二つ取り、レジに持っていく。
高校生くらいのレジの店員さんは、それを見て聞いてくる。
「……彼女さんにですか?」
「え? いや、別に」
「そうなんですか?!」
何で喜んでいるのか不明だが、俺がこのコンビニによく来る関係か、店員さんはよく話しかけてくれる。
どこの高校生に行っているとか、好きな音楽とか、彼氏がいないとか。
レジ打ちの些細な時間に、色々話してくれた。
仲良くなった証なのか?
まあ、高校生で同世代だし、話しやすいのかも知れない。
「これは、いつも晩御飯を作ってもらっているお礼なんで」
「……やっぱり彼女さんですか。お弁当を買って行かなくなった理由ってそれなんですね」
しゅんとしていた。
俺がいつも晩御飯を買いに来ていたのに、来なくなったから心配してくれていたのだろう。
都会とはいえ、同じコンビニに何度も来る人間は限られているからな。
店員さんだって、お得意様が減るのは悲しいはずだ。
そうでなくとも、何度も通っている人が来なくなったら、病気や事故の心配をするものだ。
「……まあ、毎週のジャンプは買いに来ますんで」
「そ、そうですね! お待ちしてますね!!」
仕事熱心な店員さんである。
週一程度では売り上げにはあまり貢献出来ないけれど、ちょくちょく通うようにしよう。
店員さんは可愛いしな。
この話を氷室さんにもした。
チョコレートケーキを食べながら。
「普通の人間は、店員さんに話しかけられないわよ。石城くんは人の心を学んだ方がいいわ」
クソ機嫌悪かった。
何故だ。
食後にスイーツ出したタイミングまでは、氷室さんは喜んでいたのに。
わあ、チョコレートケーキは大好きって言っていたぞ。
何で機嫌が悪くなったのだ。
私は何か選択を間違えてしまったようですね。
チョコレートはビター味。
怒りが収まるまで、コンビニ袋に入ったままのジャンプを出すのは我慢しよう。
とある日。
今日の天気は朝から悪かった。
淀んだ空気。
底知れぬ不安。
そんな日だった。
ずっと歯車が噛み合わないような、嫌な予感がしていた。
それこそ、両親が死んだ日のように。
俺は、こんな日が嫌だった。
全てが変わった日と同じ空気。
そんな日には、つらいことだけを何度も思い出してしまう。
大切な人がいなくなってしまうような気さえする。
俺は、ずっと嫌だった。
しかし、幸いなことに俺と関わり合いがある人はもう少なく、そんな日に誰かが傷付くということはなかった。
だが、最近は知り合いが増えた。
いけすかないお隣さん含めてな。
大切な人。
そうとは言わないが。
取り敢えず、氷室さんは大丈夫そうだった。
朝は、一緒に登校したから大丈夫だ。
放課後は、彼女が手助けしている部活は休みだったし、学校から自宅までの帰路は見通しのいい道路しかない。
俺が居なくても大丈夫だろう。
普通に考えれば、帰り道なんかで絶対に事故に会うわけがない。
……それが普通だ。
それでも、不安要素は取り除くべきである。
放課後の校門で、俺は氷室さんがやってくるのを待つ。
何人もすれ違う。
ずっと待っているのが馬鹿らしくなってきたところで、氷室さんとクラスのいつものメンバーが来た。
ピンク色の髪した人はあまり絡みたくはない相手だったが、まあ氷室さんの親友だし一緒に居るのは仕方がない。
「石城くんじゃん。誰か待っているの??」
「……馬鹿、分かり切っているでしょ」
そういい、友達に頭を小突かれる。
「馬鹿にも分かるように説明してよ! ラノベだよ!!」
作者なんだから、読者が分かりやすいようにしてよ。
意味が分からないことを言っていた。
「取り敢えず、アンタは邪魔だから喋らないで」
「酷いよ! 親友だよ!!」
「いや、うるさいから」
他の女子からも口を閉じているように言われていた。
人間、生きていると日頃の行いが重要である。
ちゃんとしていたら、親友から文句は言われないはずだ。
「やだやだ!」
ぎゃんぎゃん吠えていた。
そんな中、氷室さんは至って冷静だった。
女子達が騒ぎ立てても、のほほんとした表情をしていた。
お姫様モードだ。
微笑むだけで、無視している。
まあ、俺が勝手に命名しているだけだが、外っ面が厚い時はいつもこんな感じである。
俺がなにかやったらすぐに悪態つく人間なのに、他の人には良く見られたいといい格好しいである。
別に嫌味ではなく、元々氷室さんはそういう人だからな。
氷室さんみたく、友達に勉強を教えて、部活を手伝ったり、他人の期待に応えるのも大変だから、彼女の頑張りは否定しない。
だがまあ、友達見捨てる畜生ではある。
「石城くん、どうかしたの?」
よく思っていないのがバレた。
どうせまた、嫌味言っていたんでしょ。
いや、そんなことないのだが、目で訴えてくる。
なんなのこの人。
アイコンタクトで会話すんな。
友達と居る時は、あまり声を掛けないで。
氷室さんは、自分の気持ちを表情で伝えてくる。
一連の流れで、彼女の本心がよく分かる。
前よりもなかよしになったということだね。
話が長くなって申し訳ない。
長々と、校門で遊んでいる場合ではない。
「そうだ、すまない。氷室さんと会話がしたいんだ。少し時間をもらってもいいか?」
俺がそう言うと、ギャラリーが湧く。
なんで?
取り敢えず話を続ける。
「みんなは、どこかに遊びにでも行くのか?」
女子ズは、カラオケに行く予定だったらしく、自慢げに腕をぐるぐると回していた。
「腕が鳴るぜぇ」
「石城くんも行く?」
わけわからないことをしてすまない。
思いっきり脱線してしまった。
クラスの女子は、俺に気を遣ってカラオケに誘ってくれたが、今日だけは気分が乗らなかった。
駅前は行き交う車は多いし、危ない場所には行きたくない。
「いや、俺は遠慮しておくよ。すまない」
「そうなのね。また今度予定があったら誘うね」
断ったのは俺なのに、みんなは笑顔で返してくれた。
申し訳なさが残る。
氷室さんはそれを見てか、フォローを入れてくれる。
「石城くんはカラオケに行くタイプでもないから仕方ないわよ。……そういえば私に何か用事があったのでしょう? それって時間が掛かる内容かしら??」
「ん? ああ、遊びに行くのにすまない。少しだけ時間を貰えるか?」
「……みんな、ごめんね。少しだけ待ってもらってもいい?」
氷室さんはそう言い、頭を下げるのだった。
俺と氷室さんは、校門から離れた向こう側の人気がない自販機前まで移動する。
お姫様モード、オフ。
「はあ、どうしたの?」
面白い女だな。
「いや、別に大した理由じゃないんだが、嫌な予感がしてな。説明する」
軽く説明する。
両親が事故に合った日。
今日という日がそんな日に似ていて、嫌な予感がする。
この世界は美しい。
だが、淀みはある。
不幸とは、歩けば勝手に纏わり付く泥のようなものだ。
大切な人には、事故に遭ってほしくない。
直接それは伝えられないが。
氷室さんにも気を付けてくれと言われても、普通だったら馬鹿みたいな話だと一蹴するだろう。
……彼女は、溜息を吐く。
氷室さんだって、そんな運任せや直感を信じて生きているタイプでもない。
友達とのカラオケを断る理由もないだろう。
「まあ、言いたいことは分かるわ。別にカラオケは次の時に行けばいいわけだし、断っておくわ」
「いいのか?」
「不安そうに言われたら、断れないでしょ。それに、一人にしておくのは可哀想だし」
「え、なんで?」
俺が可哀想なの?
「……はあ、どうして気付かないのかしら」
溜息混じりで呆れていた。
氷室さんは、続けて話す。
「私だって優先順位くらいあるんだからね」
俺の方が高いの?
よく分からないが、怒っているようではないかな。
セーフだな。
「何がセーフなのよ。しかし、石城くんが私を気に掛けてくれるとはね」
俺の周りに不幸が訪れるとしよう。
俺はまあ、男の子だから大丈夫だが、女の子の氷室さんは危険に巻き込まれる可能性が高い。
事故といっても車だけではなく、最近は特に物騒だからな。
都内だと、テレビのニュースに上がるように、事故や犯罪に巻き込まれることも多い。
男として生まれたからには、女の子を気に掛けるのは当然の義務だ。
「俺に不幸なことがあるなら、多分それは氷室さん関係だろうからな」
一番の不幸が訪れる。
そんな可能性がもしもあるのならば、それは俺自身ではなく周りの人である。
なんでそれが氷室さんだったかは不明だが、ふとした瞬間にそう思ってしまったのだ。
う~ん。
なかよしだからか?
ともあれ、一安心である。
「貴方にとって私は何なの?」
不意に聞かれた問いかけに、一瞬だけ意識が止まる。
そうだな。
人が人と生きる上では、明確な立ち位置が重要だ。
人が人を心配するのは当然だが、男が女の子を心配するのには理由が必要である。
貴方が好きだから。
守りたいから。
側に居たいから。
そんな理由はないけれど、思いは変わらないだろう。
「出逢いからして、友達っぽくはないよな。……ごはんのお世話になっているから、家族みたいなもの? いや、付き合いは短いから、それは言い過ぎか??」
晩御飯は毎日一緒に取って、テレビを観る仲だ。
氷室さんとの関係は良好だが、悪態付く仲だから、なかよしではない。
男女とはいえ、世間一般的な恋人関係って感じでもない。
友達以上、家族未満だ。
特に何か遊んだりする予定があったり、話したりして楽しいことはないけどさ。
俺の人生において、誰よりも家族みたいな人。
それは間違いない。
だが、難しい関係ではある。
「自問自答しているのもいいけど、みんなを待たせてるんだから早く戻りましょう。長居するわけにもいかないし」
「そうだな。すまない」
「次の
「……カラオケかぁ」
「空気読めない人だと苦労するわよ?」
ヒトカラ好きそう。
嫌味かよ。
まあ、事実だけどさ。
知らない人と個室でカラオケは恥ずかしいし嫌だけど、カフェくらいなら全然付き合う。
「じゃあ、飲み物奢ってよね」
スターバックスで、カフェラテくらい奢ってあげるべきだ。
氷室さんはそう言うけど、あれって結構高いような気がした。
野郎だからあまり行ったことないけど、キャリアウーマンとかがよく行く場所だろう?
たしか、安いメニューでさえ、五百円以上するはずだ。
上にホイップクリームが乗っていると追加料金が発生するらしい。
なんて怖い場所なのだ。
「待ってくれ。全員分って、めちゃくちゃ高くないか?」
「人の好意を五百円程度で払えるなら、安いものでしょ。ふふ、もしかしてだけど、石城くんの評価も少しは上がるかも知れないし」
前回、昼ごはんにキレていたことを根に持っているようだ。
氷室さんは、嫌味ったらしく笑っていた。
自分の軽はずみな発言にちゃんと反省しているってのに、何でぶり返すかね。
いや、俺の反応を見て遊んでいるだけだった。
だけど、みんなでカフェに行くのが楽しみなようでもあった。
「スタバの新作も出るし、いい機会だと思うわ。みんな喜ぶわよ」
女の子はカフェが好きだよな。
スタバとかの人気なお店だと、人が多いし騒がしいだけだと思うのだけど。
デートでカフェ巡りをする恋人もいるらしいし、そういうものなのかね。
紅茶やコーヒーを好きになったなら、もっと氷室さんと話す機会が増えるのかも知れない。
………………。
まあ、今更カフェで話すこともないわな。
恋人じゃあるまいし。
後日、スタバのトッピングを無言で増やされた男の末路である。
同日。
午後六時過ぎになると、流石に何も起きなかった。
何故か知らないが、氷室さんは俺の部屋で紅茶を飲みながら一日を過ごしていた。
「何も起きないじゃないの」
流石に二時間過ぎて、映画一本消化していたらキレるわな。
「いや、何も起きないように部屋で静かにしているわけだし?」
「部屋に居るからって、何も起きないわけでもないでしょ」
詰まんない。
え、なに。
いや、詰まんないとかこわっ。
めちゃくちゃ言ってんな、この人。
人の家で紅茶飲みながら、楽しそうにネトフリ観てた次の瞬間よ。
女の子の感性にはついて行けないわ。
……そうは言われても、外に出なければ事故に遭うこともない。
ボロアパートの二階とはいえ、耐久性は高いのだ。
車が突っ込んで来ない限りは家にいても大丈夫だろう。
「石城くんが言うと洒落にならないからやめて。本当に来そうでしょ」
「とにかくヨシ!」
「誤魔化し方が段々と適当になっているわよ」
呆れないでくれ。
仕方ないのだ。
俺だって自分の引き出しが多ければもっと面白いことが言えるはずだ。
だが、普通の人間にはコレが限界。
「別にそんなの求めていないけど。あ、ごめんなさい。電話だわ」
氷室さんは、電話に出る。
電話の主はみゆさんらしく、未姫ちゃんと口論になり家出したらしい。
親と喧嘩して家を飛び出すのは小学生にはよくあることだが、女の子が六時過ぎに外に出るのは危ない。
俺が心配そうにしていると、宥めてくれる。
「未姫だし、心配はないと思うけどね」
「まあ、そうかも知れないな」
少し考えたが、やっぱり心配である。
未姫ちゃんには世話になっているし、自分を助けてくれた大切な人を一人にするのは何か違う気がした。
俺が彼女の手助けが出来る機会は少ないしな。
「すまない。未姫ちゃんを迎えに行く。氷室さんはすまないが待っていてくれないか?」
「人の家の問題に、そこまでする必要ないじゃない。……いえ、石城くんがしたいようにするといいわ」
こちらの気持ちを察してくれた。
結局、未姫ちゃんの為ではなく、自分の為なのだ。
自分の周りの人が不幸になるのは嫌だ。
いつまでも過去を忘れられない。
子供だから。
この不安を取り除きたい。
そうやって、自分で行動して、納得出来るかたちを取りたいだけだ。
「それじゃ私も行くわ。だって石城くん、未姫の行きそうな場所分からないでしょ?」
「助かるよ」
「……私の妹のことなんだから、助かっているのは私だよ」
そう言えばそうだな。
未姫ちゃんはしっかりしているから、姉妹ということを忘れてたわ。
「私はしっかりしていないと??」
冷ややかな笑顔。
やだ、怖いわ。
神視点。
私は、夜が好きだ。
太陽に明るく照らされる光よりも、月夜の静かな輝きは、人の気持ちを落ち着かせる。
夜空に広がる無数の輝きは、とても美しい。
宝石のように綺麗だった。
子供ながらに家出するのだって、夜風に当たって空を眺め、気持ちの整理をする意味合いが強かった。
つらいことに直面した時、家に引き籠もって泣いているだけでは何にも解決しないのだ。
私は、つらくても歩みは止めない。
立ち止まってしまうと。
人は駄目になると知っていたからだ。
公園。
氷室未姫は、ずっと夜空を見上げていた。
姉が太陽ならば、彼女は月夜だ。
人は日の光を信仰するが、夜闇を忌み嫌う。
私は姉が嫌いだった。
同じ姉妹でも、人間としての根本的な性質が違うからだ。
姉を羨み、嫉妬という分かりやすいかたちが取れていれば、自尊心が傷付くことはなかったか。
そうであれば良かったのだが、姉妹としては血を分けた存在ではない。
お姉ちゃんの美しさは、今は亡き母のものだ。
私のママとは違う。
人を構成する大部分は、血である。
流れる血の色で、人の幸せは決まってしまう。
如何に正当化しようと、人は動物だ。
優れた生き物でなければ、人は人ではない。
生まれながらに、同じパンとワインを配られていないのだ。
もっと自分が綺麗だったら幸せだったのではないか、そう思う気持ちは理解出来る。
自分の顔にメスを挿れ、整形する人は、そういうものなのだ。
少しだけ、幸せになりたい。
多くは望まない。もう少しの幸せを手に入れたい。
しかし、血は変えられない。
どれだけ仮面を被ろうとも、人の本質は変化することはない。
美人になれどもなれど、醜い顔は醜いままだ。
この世で最も醜きは、人の心であり欲望だ。
人が人でいる限り、私達は自分の業からは逃れられない。
自分以外の人に憧れている。
でも、それを捨てない限り、私は幸せにはなれないし、誰にもなれない模造品のままだ。
私は、私だ。
お姉ちゃんではない。
自分を受け入れ、氷室未姫にならない限り、一生この醜さは変わらない。
でも、好きな人は純粋なお姫様が好きなのだろう。
美しきお姫様がいる世界で、醜悪な化け物を好きになる人なんていない。
人はどこまでいっても、光が指す世界に憧れるのである。
お姉ちゃん。
多分、お姉ちゃんなら、他人を羨むことはしないのだろう。
氷室未姫は、同年齢の小学生と比べて愚かではなかったが、幼い女の子が賢く生き、大人の思考に寄るには早過ぎだった。
もう少し、普通に家族を愛し、姉を慕っていられたら、こんなにも不幸ではなかったはずだ。
泣くこともなく生きてきただろう。
または、両親共に同じ血が繋がった姉妹だったなら、純粋に姉の恋愛を祝福出来ていたはずだった。
未姫は、暗がりの公園で、ブランコを漕いでいた。
ブランコはいいものだ。
大きく前に動かすと、前進した分だけ後退する。
それは人生みたいなものだ。
どれほど前に出ようとも、後ろに働く力が発生する。
家出したからには、家に帰り、ママに頭を下げて謝らなければならない。
それ自体は些細な問題だったけれど、子供っぽい自分が嫌になる。
「なんでこうなっちゃったんだろう」
空に輝く星々を観ながら、ブランコを漕ぐ。
ブランコを漕ぐ独特な音が、誰もいない月夜に木霊する。
ブランコがキコキコと音を立てていた。
無意味な行為だが、意味はある。
携帯電話を置いてきてしまったからか。
やることはなにもない。
ブランコが奏でる音は、自分が此処に居るという証明だ。
ママならば、時間がかかれど私が居る場所が分かるだろう。
そう思っての行動だったのか。
喧嘩していても、ママとは親子としての繋がりを感じられる。
しかし、私が求めている救いとは、それとはまた違う。
家族の愛と、自分という存在を認めてくれる最愛とは全くの別なのだ。
ママやパパに愛されていてお姉ちゃんがいて幸せだったとしても、家族とは無償の愛をくれるものだ。
自分の醜悪さを認め、愛してくれる他者とは違う。
こんな醜い私のことを愛してくれる人。
私は、そんな願いと共にお姫様に憧れていた。
絵本で見るような幸せな景色。
しかし、大人になるにつれて、それが御伽話だと気付く。
この世界では、待てども待てども、白馬に乗った王子様は現れない。
誰もが幸せにはなれない。
故に、愛とは尊いのだ。
愛を求めるのだ。
私はお姫様にはなれない。
未完成なお姫様。
氷室未姫。
そう呼ぶに相応しい人生だと思う。
空を見上げる。
されど、涙は出ない。
涙は、とうに枯れ果てているのだった。
ハヤトサイド。
電車に乗って、氷室さんの自宅に着くと、氷室さんのお父さんは出払っていた。
娘が家出したと聞き、ドアを蹴り飛ばして娘を探しに行ったらしい。
玄関のドアには蹴り飛ばした跡が付いていた。
まあ、どうせパパの場合、走り回った挙げ句、娘を見付けられない人だし、無駄骨だろうから気にしないでいいと言われた。
みゆさん、旦那への扱いが酷いな。
だが、今は未姫ちゃんのことに集中しよう。
俺と氷室さん、みゆさんの三人は未姫ちゃんが行きそうなところを決めてから探すことにした。
未姫ちゃんは、携帯電話と財布を置いていったらしく、連絡が取れないし、無闇矢鱈に探したところで意味はない。
「いや、俺は陸上部だったから、走り回って探すわ」
二人には家で待っていてほしい。
夜遅くに女性が出歩くのは危ないし、それで何かあったら未姫ちゃんの責任になりかねない。
動くのは野郎だけでいい。
目星が決まっているならば、自分一人で大丈夫だ。
「小学生の行動範囲を舐めてない? 幾つも行く場所があるのに、何時間走るつもりよ」
「問題ない。任せろ」
やれるかなんて関係ない。
やるしかないのだ。
「……石城くん、ありがとう。任せるわ。未姫をお願い」
俺は強く頷くのだった。
それから、複数の場所を走り回って探す。
コンビニやスーパー。
子供でも暇つぶしが出来るような場所を探すといっても、たくさんの場所があるし、かなりの距離がある。
一時間が経過したか。
ずっと走り回ると、流石にきつくなってきた。
中学の頃と比べて、体力が落ちている。
こんなことなら、もっと鍛えておけばよかった。
だからといえど、立ち止まっている暇などない。
今日という日が終わる前に、未姫ちゃんを迎えに行かなければならない。
十二時が過ぎる前に見付けたい。
どれほど辛くても心臓が動く限り、俺は走り続けるだろう。
メモ帳に書かれていた最後の場所。
公園に訪れた。
真夜中の公園は、誰一人も居なくて、怖い場所だ。
しかし、静けさの中で見上げる夜空は綺麗だった。
滑り台の上では、未姫ちゃんが月夜に照らされていた。
薄く輝くその姿は、まるでお姫様のようである。
氷室さんの妹だから当然か。
そこに外見の美しさは関係ない。
そうだ。
俺が、未姫ちゃんの心の美しさを知っているからそう思ったのだ。
彼女の言葉にはたくさん助けられた。
なんでもない日。
あの時の俺は、ずっと欲しかった言葉を貰ったのだ。
幼き身体に内包された、心の底に触れていた。
夜空の美しさ。
彼女は、世界の美しさを気付かせてくれた。
大切な人だった。
月が綺麗だったからか。
彼女が綺麗だったからか分からない。
俺は、そのせいか少しだけ声を掛けるのをためらった。
「迎えに来たよ」
「ハヤちゃん……」
この場に現れた。
数時間も掛かって迎えに来たのが俺で驚いたようであった。
未姫ちゃんは、滑り台の上から、俺を覗き込む。
俺は笑いながら、彼女に冗談を言う。
「白馬に乗った王子様じゃなくてすまないな」
身を乗り出し俺を見る姿は、囚われのお姫様だ。
幼きお姫様は涙を浮かべ。
「ううん。ハヤちゃんは白馬に乗った王子様だよ」
そう言うのだった。
神視点。
私の目の前に、あの人が現れた。
彼はとても辛そうに息を切らしながら、走り回って私を探してくれたのだ。
時間さえもおしい。
私が想う以上に、彼は私を大切に思っていた。
赤の他人ではない。
少なからず彼の人生にとって大切な存在でいた。
しかし、その事実を知ると同時に、自分の身体が粉々に砕けるようだった。
嬉しさと同時に、理解してしまったのだ。
ハヤちゃんがこの場所まで来るということは、隣にはいつもお姉ちゃんが居るということだ。
彼の意志で私を探しに来たのは事実だ。
しかし、ハヤちゃんがお姉ちゃんに頼まれてやって来たのも事実なのだ。
高校生からしたら、年下の子供の異性など、歯牙にも掛けない。
私を探す理由など、それくらいしか存在しない。
「お姉ちゃんは?」
私は居ても立っても居られずに聞いてしまった。
それを聞いてしまったら、後悔するとしても、我慢できなかった。
「ああ、氷室さんは自宅で待っているよ。紅茶でも飲んでいるんじゃないかな?」
「……え? ハヤちゃんだけで来たの??」
「ああ、俺が無理言って探しに来ただけだからな。走り回るのは俺だけでいいし」
「どうして私を探しに来てくれたの??」
バツが悪そうに言い淀む。
しかし、偽ることなく断言した。
「俺の両親が死んだ日に似ていたから。……だから、俺が迎えに来たかった」
断言した。
そして気付くのだ。
多分、ハヤちゃんは私とは生きている世界が違う。
私は、軽い気持ちで家出をした。
すぐに家に帰るつもりでいた。
その程度のことでも、彼の世界では死が身近に存在しているのだ。
小さな違和感や不安は、誰かの死をイメージさせ、車が通る信号でさえ、彼は苦しむのだ。
大切な人が死ぬ辛さを知るがゆえに、いつも他人と距離を置いてしまう。
ハヤちゃんは、他人が嫌いで、ぶっきらぼうな性格なのではない。
大切な人を作れない。
彼にとって、誰かを身近に置き大切にするということは、いつかは死に直面し失うことだった。
家出如きで大袈裟だ。
誰もがそう思うけれど、彼にとってはことの重大さがそもそも違う。
平穏な生活を欲していて。
周りの人には幸せでいて欲しい。
そんな当たり前のことですら、ハヤちゃんは強く願わなければ叶えられない。
一度失った命は戻らない。
必死になって探してくれたのだって、そういうことだった。
「ごめんね、ごめんなさい。ハヤちゃんは何も悪くない。私が悪かったの……」
だから、辛そうな顔をしないで。
貴方は何も悪くない。
誰も貴方を責めはしない。
貴方の両親はいつだって貴方を愛し、祝福してくれている。
生きているだけで、人は尊いのだ。
私が好きな人は、純粋だった。
ハヤちゃんにとっては、誰が好きとか、誰を愛しているとか考える以前の問題なのだ。
私が好きな人は、癒えない傷を持つ。
必死に生きるただの男の子だった。
私の恋の悩みなど、子供ごとでしかない。
ただ、純粋に。
彼は両親からの愛を求めていた。
あの日に戻りたい。
両親が居る場所に戻りたかった。
それが唯一の幸せだと知っていた。
だけれど、過去には戻れない。
振り返ることは出来ないから過去なのだ。
全部、叶わぬ夢だ。
ハヤちゃんが救われる日が来るのだろうか。
私が彼を癒やしてあげて、包み込むことが出来るのだろうか。
愛しい人を想えば。
お姉ちゃんのようになりたい。
そんな些細な願いなど、この瞬間に全て吹き飛んだのだ。
私は、彼に何が出来るのだろうか。
それしか考えられなかった。
それほどに、彼が好きだった。
「私は、貴方が好きです」
私の人生の全てを捧げ、ハヤちゃんに愛を注ぎ込もう。
私の価値はそれでいい。
ハヤちゃんは、絶対に私を好きになってはくれない。
……しかし、それでいい。
それでいいのだ。
誰かに認めて欲しいわけではない。
私は私のすべきことを全うしよう。
せめて、好きな人には幸せになってほしい。
貴方は此処に居ていい。
幸せになる場所はいっぱいある。
私は、彼にとっての最愛の人じゃなくていい。
それでいい。
私にとっての最愛の人でいよう。
人魚姫の如く、泡になって消える瞬間まで、彼を愛していたい。
愛とは誓いだ。
自分の魂に刻み込み、不滅の想いを抱き締めていくものだ。
姉よりも劣る生き方をしてきたのだから、今更人並みの幸せを手に入れようとは思わない。
しかし、望むことならば。
この一時だけでいいから、私は私の生き方をしたかった。
彼のことが好きと言いたかった。
「ごめんなさい」
小学生の告白に、耳を傾ける人はいない。
それが、最愛の人であってもそうだろう。
私がそう言いかけそうになったとき。
「そうか。ありがとう」
ハヤちゃんは笑ってくれた。
惜しむべきは、悲しみを彼が知っていたことだ。
自分の人生に向き合い、血反吐に塗れながら生きてきた。
両親を失い、家を失い、親戚からも裏切られ、頼れるものがなくても生きてきた人間が、ずっと求めてきたもの。
それが愛情だった。
私とハヤちゃん。
私達、二人は似ていた。
光ではなく、日が陰る部分が同じなのだ。
誰かを愛していたいのに、その資格がない。
生き方なのか、境遇なのか。
違いはあれど、一人で生きてきた人間は寄り添うべき相手を探していた。
宿木であろうと。
人は誰かに持たれ掛からないとつらいのだ。
ハヤトは、滑り台の上の未姫に敬意を払っていた。
十年以上も愛した女性を扱うように、丁寧な口調で優しく言う。
「……俺は、誰かに愛されるような人間じゃない。君の期待には応えられないよ」
年上への憧れ。
そんなものの為に、人一人の人生を捨てるべきではない。
今はまだ、小学生と高校生という違いが、魅力的に輝き、憧れて見えるかも知れないが、自分はそんな人間ではない。
ハヤトは自分を卑下していた。
人を好きになるには、資格がある。
好きで居続けること。
命を捨てられること。
男として、正しき道を進む覚悟を持っていること。
人は、人から影響を受けて生きている。
男としての正しさも、愚かさも、人から学んでいくのだ。
幼い女の子の未来は、どこまでも広がっている。
自分という、壊れた器から未来が注がれることだけは避けるべきだ。
ハヤトはそう考えていた。
あげられるものがないのに、人を好きにはなれない。
貰うばかりの人生では人は堕落していす。
神様は許してくれはしない。
「ハヤちゃんは、いい人だよ。この世界で一番幸せになるべきなのはハヤちゃんだよ……」
悲しかった。
人を好きになるのに資格が必要ならば、私だって人を好きにはなれなくなる。
人が人を愛するのに資格などない。
それを認めてしまうと、そこには救いがないのだ。
だからこそ、否定する。
「ハヤちゃんは、私が守るから」
私がずっと守る。
貴方の世界が輝くまで。
私は、貴方が隣に居て幸せだった。
そう言えるような人間でいたい。
こんな私の為に、迎えに来てくれたハヤちゃんに報いるように生きよう。
それだけで何よりも幸せだった。
貴方がくれたこの恋は何よりも美しい。
私は、愛されなくても構わない。
ただ純粋に、私の心に従い生きる。
それでいい。
何故、貴方を好きになったのか分かった気がした。
ハヤトは、申し訳なさそうに視線を逸らす。
「ありがとう。だけど、俺は誰かを好きになれないと思う」
「お姉ちゃんだよね」
「いや、氷室さんは好きではないとけど……」
「それでも、お姉ちゃんが困っていたら、ハヤちゃんは絶対に助けるでしょう?」
そうなのかも知れない。
ハヤトは、そう言いたげに口籠る。
とはいえ、好かれている相手が目の前にいる手前か、口にはしない。
優しさ故だが、その性格を知っている者からしたら、言葉にしなくても分かってしまう。
ハヤトから見た未姫は、あくまで氷室さんの妹でしかない。
それを知らない未姫ではない。
だが、それに怒ることはない。
二人の出逢いがそうだったのだ。
妹として、そういう出逢い方しか出来ないのならば、仕方がない。
運命とは、人の手が及ばぬところで動いているものだ。
未姫は、滑り台から滑って降りる。
お尻の汚れを叩き、小学生らしい仕草をする。
そのギャップが、彼女がまだ子供だと知る。
人は、どこからどこまで行けば、大人になれるのだろうか。
「分かってる。私は、それでもいいよ。お姉ちゃんだって、ハヤちゃんに出逢えて良かったって思っているから」
私のライバルは、いつだってお姉ちゃんだ。
私が絶対に勝てない相手。
目の前をいつも歩き、スポットライトを浴びている。
お姉ちゃんは光輝き、私は日が陰る。
戦いたくない相手だけど、戦って死ぬのは怖くない。
だが、最愛の人には争う姿は見せたくないし、幸せになってほしい。
ハヤちゃんの隣にお姉ちゃんが居ることで、少しでも彼の心が落ち着くならば、両手で祝福しよう。
私がずっと隣に居られなくても、泣きはしない。
私の恋愛は、生まれてからそういうものだ。
「俺は、そんな大それた人間ではないよ。もしも未姫ちゃんが俺と同じ高校生だったなら、俺を好きにはなっていないし、見向きもしないだろう」
ハヤトは、外側から見たら落ち着いていて、女の子に対して冷静に対応しているように見えるが、その実は全てに興味がない。
生きることにすら執着していない。
恋愛に興味がないから、人と上手に付き合えている。
その問いに、未姫は否定した。
「そんなことないよ」
今だってそうだ。
中学生になっても、高校生になり大人になっても、人が人を好きになる理由は変わらない。
私達が出逢ったのが運命ならば、年の差も必然なのだろう。
「いつだって、私は。私を見てくれる人を好きになるよ」
人を好きになるのに、年齢など関係ない。
世界に、たくさんの男性がいるとしても、一番つらい時に私を迎えに来てくれるのはただ一人だけだ。
それが、ハヤちゃんだった。
私の為に心配してくれる人。
息を切らしながら、私の為に走り回ってくれる人。
ちっぽけな短い人生でも、これだけは分かる。
そんな人を世界で私だけが好きでいられることは、女としての幸せであると。
好きな人の顔を見上げられるのは、女の子の特権である。
特に小学生と高校生の背の高さは、憧れの大きさに似ている。
横顔を見ると、安堵していたのがよく分かる。
「取り敢えず、心配しているだろうから、家族に連絡入れとくけど構わないか?」
「うん。ありがとね」
こちらに気を利かせてか、電話ではなくラインで連絡をしてくれる。
今はまだ、ママと話す気分ではないと悟ってくれたのだろう。
気遣いが出来るところが好き。
「いや、すまない。夜にあの人達の声を耳元で聞くのはつらい」
うん、違かった。
普通にただ嫌なだけ。
辛らつな反応だった。
当然のように、ママとお姉ちゃんの評価は低い。
まあ、あの二人はうるさいし、扱いとしては妥当だが。
逆に文句を言わないで対処しているだけ、優しいとも言える。
どう考えても、氷室家に溶け込み過ぎな気もするけれど、ハヤちゃんを一人にするよりかはいいのか。
「ハヤちゃん、これから家に帰ったら深夜でしょ。未姫の家に泊まってってよ」
「……いや、明日も学校だし」
「朝早く起きて行けば、間に合うでしょ??」
面倒臭がり屋だから、グイグイいくしかない。
制服姿で走り回っていて、かなり汗もかいているし、お風呂に入ってさっぱりしてほしい。
ワイシャツも洗った方がいい。
「まあ、それはそうなんだが、俺もそこまでご厚意に甘えられないからな」
「ハヤちゃんは家族みたいなものでしょ。ううん、もう家族だよ」
少しだけの勇気。
制服の袖を引っ張り、自宅に誘導する。
少しだけ駆け足で。
私達は、歩き出すのだ。
帰るべきお家がある。
「ハヤちゃん、ほらほら。ママに怒られたくないから、今日一日付き合ってよ」
「俺だって怒られたくないんだが」
「大丈夫! 二人なら、説教もはんぶんこだよ!!」
幼くたって、悩みはするし、家出することだってある。
だけれど最後は、笑顔で我が家に帰るのだ。
それだけで幸せで。
私達は、それだけを願っていた。
パパもママも大好きで、私にはお姉ちゃんもハヤちゃんもいる。
今はただ、その幸せを噛み締めていよう。
大人になるまであと何年もある。
ゆっくりと成長していけばいい。
私の幸せを貴方にも感じていて欲しい。
握った場所が、袖口から左手に変わるまで……。
私達は同じ世界で生きていく。
第六話・この世界に、お姫様は二人も要らない。
私は、太陽になれなくていい。
たとえ人より劣ろうとも、夜を照らす微かな輝きでありたい。
ヒロインではなくたって。
月夜に煌めく幾千幾億の星々は、確かに美しいのだ。
いけすかないお隣さんが、将来のお嫁さんだった件。 こう。 @kou1016
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