1章 マリーゴールド
空想ばかりに耽るのだった。それは現実からの逃避だったのかも知れない。僕は、大人になるのが怖かった。実は、その大人になる未来すら想像出来なかったのが現実だ。大人になる前に死ぬのか、それとも、家に引き篭もり、好きな音楽をただ時間を浪費して聴くのか、全く見当もつかない。そんな事を考える高校の窓から見える授業を他所に考えていた。休み時間には、僕の友だち(ただ喋る仲のクラスメイト)が話しかけてくる。彼の名前は、宮藤。僕とは全く違う考えをする奴だ。彼は、僕とは違って、真面目であった。真面目であるかは分からないが、少なくとも常識を弁えている。奴は、全く違う考えをするのだが、不思議と話が合う数少ない人間だ。僕が、喧嘩をした時には、そんな僕を咎めた。喧嘩の内容は実に下らない事だった。今となれば、全く覚えていない程の事である。だが、喧嘩をしている時はそう思う事が出来ない。そう思っていても、それを認めない。認めたら自分が惨めになるからだ。プライドが高いので先に謝ることもない。そんな喧嘩の仲裁に入ったのも奴だった。お陰で喧嘩したあいつとは、今でも仲良くしてやっている。そんな人間が僕に言った。「椎名は、なんの為に生きているの?」突然の事で、僕の体が硬直した。「生きる。」その行為に対する意味を理解出来なかったからだ。言葉としては、勿論理解できるのだが、小学生の人間が、その言葉を口にするとが、全く理解出来なかったのだ。僕は、「さぁ、少なくとも、僕は死んでいないだけで、それ以上でもそれ以下でもないよ。」とは言ったが、全く自分の言ったことに、全くの自身がなかった。何度考えてもその答えが見つからず、寝ても覚めてもその事ばかりになった。
暫くして、僕は学校に行くのを辞めた。クラスに馴染めず、勉強もさっぱり分からないので、登校する理由が分からず、億劫になっていた。部屋に引き籠もるのも、それはそれで大変で、大体は、自己嫌悪に陥っては、不安になり、堕ちていくのが分かり、不快であった。楽しいのは最初だけで、それから人からは外れ、それを周りがヒソヒソと噂をする。そうでなくとも、聞こえてしまう言葉に完全に過敏になっていた。後ろめたさを隠す様に、親の提案により田舎の祖父母の家を尋ねる事にした。祖父母は、孫である僕に凄く優しかった。朝早く電車に一人で乗る訳だが、外に普段出ない僕には、大した大冒険であった。何回か行ったことがあるのだが、いつも方向音痴のせいで迷ってしまう。なんとか電車に乗り込むことができた。徐々に見えてくる田園風景が、僕の目を潤した。イヤホンからピアノの音色が聴こえる。何時間経っただろうか。僕は、完全に寝てしまっていた。最寄りの駅に列車が向かうのにつれて、なんだか心臓の鼓動が速くなっていた。僕には、人見知りな所があり、久しぶりに会う人にめっぽう弱いのだ。そうなると、気まずくなり、一言も言葉を発する事が、出来なくなる。昔からそうで、久しぶりに会う旧友には本当に駄目だった。暫くして馴れるのだが、それまでが、生き地獄。決して耐えれるものではない。そういえば、宮藤は元気にしてるだろうか。落ち着いたら手紙を宛てよう。彼は上手くやってるだろうか?彼には人を寄せ付けないオーラを纏っていたので、それで孤独な思いをしていたら気の毒だなと思う。まぁそんな事を気にしている余裕が今の僕にはないので、今は静観しながら、様子を見る事にしよう。そんな事を考えていると、遂に祖父母の家の最寄駅についてしまった。祖父母のお迎えや歓迎を改札を潜ったらされた。なんだか、物凄く喜ぶ物だから、罪悪感を酷く覚えた。流刑の様に来たわけで、それを歓迎されたらそれはそうだろう。僕は、どこまで言っても、マイナス的思考なのだ。
駅から叔父の家は車で移動する。車内は静寂だった。ただ、車の走る音だけが響いている。叔父が口を開いた。「最近はどうだ?」正直、この手の質問が一番困るのだ。どうだ?普通以外に言葉が浮かばない。だからと言って、普通だと言うとそこで会話が終わってしまう。どうしようかと考えた結果、「学校は、結構楽しいよ。特に給食が好きだね。」咄嗟に嘘をついた。叔父は少し黙ったあとに、「お父さんから話は聞いてるからな、まぁゆっくり休みなさい。」その言葉に安心したと同時に、とても辛かった。田舎の祖父の家は、とても自然多く、窓からは山とか海がよく見える。新鮮な気持ちで綺麗だなと思いながら、椅子に座り、スケッチブックを出した。僕は、ずっと絵を書くことが好きだった。絵を書いている時は、嫌な事を考えずに済むし、自分の作品にはある程度の自信があった。絵を描いてるにつれて空が茜色に染まっていった。東京に居た頃は、そんな事はどうでも良かったが、外出した時に見るそういった光景はどこか特別感を感じる。人間って言うのは案外単純であるなと思い、その景色を写生した。風が体を突き抜ける。鳥の囀りが聴こえる。スピーカーから流れるクラシックには、耳を閉じる。どれくらいの時間が経っただろうか。黄昏れる空を見上げると同時に祖母の声が聞こえた。「ご飯出来たよ。」これで、ようやくハッとし、一階にあるリビングへ向かった。食事中には、他愛もない話をした。少しぎこちない言葉を発する。後ろめたい事でいっぱいだからである。この時間が正直苦手であった。自分と真正面から向き合い、それから逃げられない気持ちでいっぱいになるからだ。息が詰まりそうな食事を終えて、部屋に戻り溜息をついた。明日は海辺まで歩こうと思い、早めに就寝する事にした。
朝になり、始発の電車で海に向かおうと列車に乗った。紫に染まる雲を車窓から覗くと、青々とした海が見えてきた。昔から海は好きだった。人が嫌いな自分にとっては、人が少ない海は唯一心を開放できる数少ない場所であったからだ。海岸線を歩いてる。絵を書くのにいい場所を探す為である。あたりを見渡していると、僕の目には、一人の少女が映った。彼女の事が気になったのだが、話しかける度胸は全く無い。こんな事は忘れて絵を描くのに集中しよう。その為にここに来たわけだから。風が心地よく頬をなぞる。夏でも海は少し涼しい。筆箱から鉛筆を取り出し、それを滑らす。周りの音が徐々に消えていく。集中力はある方だ。気がついたら少し辺りが暗くなり始めている。絵の進捗はまずまずである。アタリを書き終えた所だ。家に帰るのが億劫な程、暮れた空が綺麗だった。駅のホームのベンチに腰掛けた。ぼうとしていると例の女性がいることに気がついた。とても虚ろな目をしている。ホームのアナウンスで電車が通過するとの事だ。別に、聞くほど事では無いアナウンスである。彼女を何となく見ている。見ている。その瞬間、僕の反対側にいるその彼女がふわりと線路に飛び出した。一瞬時間が止まった。電車の汽笛が泣き叫ぶ。彼女を引き摺った電車が停止する。「え...」と言う言葉が口から出た。彼女は死んだ。死んだのだ。死を身近に感じた事がなかった僕だ。何が何だか理解できなかった。
帰り道、ずっとこの事を考えていた。
週末の記憶違いは生きる理由に 芥坂 月歩 @akutasaka
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