僕らを隔てる「76」

黒井羊太

76

 僕らを隔てる「76」という数字。この数字は僕にとって、どうしようもなく重たく、苦しい。



 道端で、久しぶりに彼女と出会う。

「やあ、久しぶり」

 なるべく何でもないように振る舞いながら僕が声を掛けると、彼女はそれで気付いたように返事をする。

「あら、久しぶり。前にあったのはいつだったかしら?」

「もう随分なるような気がするね。相変わらずだったかい?」

「えぇ。お陰様で」

 実際彼女は、以前会った時と何も変わらない。雰囲気も、見た目も、態度も。まるで昨日別れたばかりのように、会話は滞りなく進んでいく。


 彼女を最初に見た時の、あの強烈な印象は忘れようもない。

 誰とも関わらず、静かに宙に浮かんでいるような僕の生活。暗く静かで何の変化もない。ぼんやりと、何となく過ぎていく時間。このままずっと、退屈でしょうもない時間が無意味に流れていくのだと、どこかで確信していた。

 そんな僕の退屈を、一瞬にしてどこか遠くへ吹き飛ばした一筋の閃光。それが彼女だった。


 彼女の存在に気付けば目がそちらを向き、そして何とはなしに目があって、それから何とはなしに話すようになった。

 彼女は最初からこんな感じだった。淡泊というか、あっさりとしている。だからといって、突き放したりはしない。適当な距離感が当たり前に心地よく、僕は彼女との会話が楽しかった。

 そんな楽しい時間はあっさりと過ぎ、そしていつも通り彼女は僕の元を去っていく。決まり事なのだから、しょうがない。

「じゃあ、もう行くね。……そんな寂しそうな顔、しないでよ。もう慣れたでしょ?」

 彼女は淡泊だ。

「寂しいんだから、寂しそうな顔をするのは当たり前だよ。こんな時でなきゃ、寂しそうな顔なんてできないじゃないか」

 僕は素直な気持ちで話す。彼女は僕の言葉に、少しだけ笑う。

「それもそうね。でも、また会えるわ」

「次は、いつ?」

「さあ。いつか、なんて断定出来ないわよ。でも、その内よ」

「じゃあいつも通り。“さようなら”じゃなくて」

「そうね。“またね”」

 そう言って別れるのが、僕らの決まり。

 僕は決まって彼女の背中を、そしてお尻から延びてふりふりと揺れる尾を見送った。

 次はいつ会えるのか。きっと、今日の楽しかった時間を何度も心の中で反芻しながら耐えていく。前回もそうだったんだ、今回だってきっとこの孤独に耐えられる。


 それから何度も定期的に出会い、別れ、その繰り返しでずっと来た。

 彼女との僅かな時間。それは僕の生涯にとってかけがえのない時間。


 いや、知っているんだ。彼女は僕に会いに来ているんじゃないって事を。

 僕じゃない誰かに惹かれて、定期的にここを訪れ、そのついでに僕に会って話をして。

 路傍の石ころのような、それだけの関係。


 僕らを隔てる「76」。これ以上大きくはならないが、だからといって僕の力じゃ小さくする事もできない。残酷で、決まり切った数字。僕が思うよりも遙かに巨大な力で決められた数字。

 誰かが見たら、こんな関係、不毛と思うのかも知れない。僕が他人のそれを見たら、多分同じ事を思うだろう。

 だとしても、僕はこの関係を続けていたい。



「“またね”」

「“またね”」

 また今回も、いつも通りの挨拶で僕らは別れる。彼女が振る尾を眺めながら、次会える時を楽しみにしながら。



 僕の体の表面を駆け巡る電波に乗って、言葉が駆け巡る。

「さあ! 世紀の天体ショー、皆様は見る事ができましたか!? 実に76年振りに地球に最接近したハレー彗星。すごかったですねー!

 この彗星は76年周期で太陽の周りを公転しているそうで、次の地球への最接近は76年後の――」

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僕らを隔てる「76」 黒井羊太 @kurohitsuji

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