真巳子
@rabbit090
第1話
もう少し器用に、生きられたらってずっと思ってる。
「真巳子ちゃん?」いつも、漢字を呼んだ瞬間、ちょっと戸惑ったようにそう言う人たちの姿が、目に焼き付いている。
私だって、こんなな目じゃなかったらって、何度も思った。
「いいじゃん、俺は真巳子のこと、好きだぜ。」
と、言ってくれた男と結婚したのはそんな短絡的な理由だった。
けど、結婚してみて分かった。近くの、中堅どころといった地元の中小企業に、夫は勤めている。そして、ずっと地元から離れない彼は、周りの友人がどんどん結婚していくのを羨ましく思い、そして、欠乏感を感じ、そして、何らかファッションの一環のように結婚を決めたのだと、知った。
「ちょっとスーパー行ってくる。」
「ああ、分かった。待って、俺も行くから。」
「いいよ、一人で行けるから。じゃあ。」
「…待てよ。」
「分かった。」
私と彼は、どこか会話がかみ合わない。私にとっては、天使のような存在だった。まあ、天使っていうか、おっさんだけど。
「真巳子でいい。」
それは、私にとっては、救いのセリフだったのだ。
「真巳子ちゃん。足大丈夫?」
私は、近くの建設事務所で、事務をしている。そこでは、私は主に座ってできる仕事を担当している。なぜなら、
「大丈夫。ごめんね、こんな軽い荷物すら持てなくて。」
「平気、気にしないで。分かってるんだから。それに、真巳子ちゃん事務仕事早いし、正確だからみんな早く帰れるんだよ?」
「…ありがとう。」
ここの事務所の人は、とても優しかった。きっと、私が事務仕事という役割を果たしているからなのだろう、とも思うけれど、生まれつき足に障害がある私は、上手く歩けない。だから重い荷物を効率よく運搬することなどできなかった。
「あ、真巳子ちゃん?」
「お母さん、何?」
「いやさ、ちょっとお金欲しくて、ごめんね。すぐ返すから…。」
母は言葉を濁している。けど、
「いいよ、明日振り込むね?いくら?」
「…ありがとう、ごめんね。」
「気にしないで。」
私は、お金を無心する母を、責められない。母は、ずっと私を守ってくれていた。あの男から、だから私が成人して、手がかからなくなって、大事な人ができた母を、粗末になどできない。そもそも、ちょっと弱いところのある人だったし、とにかく、お金に関すると思考能力が鈍るらしく、こうやってすぐに金欠になってしまう。
だから、いつか母がそういう管理を一切できなくなってしまったら、私がそれをやろうと、思っている。
けど、その前にちゃんと、しておきたいことがあった。
「…よう。」
「………。」
にこやかな顔を向ける男の、その善意のような悪意を、私は見透かしているからただ黙っている。
「お父さんって、呼べや。」
「………。」
何かを言ったら負けだ、けど、ここに来ないことにはすべての決着が着かないことだけは分かっている。
「はあ、お前愛想ねえなあ。」
「………。」
それでも、黙る。何を言われても黙る。
この男は、私の足を折った張本人だ。生まれつきなどではない、母も、本当は分かっている。けど、この男の厄介な所は、私の実父であるという事だった。
実父なのに、娘の足を平気で折るような悪党、でも、母はこの男を捨てられない。けど、もう母には大事な人がいて、こいつはいらないのだと思う。
なら、
「お前さあ、いつもは来ないくせに何で来たの?」
「ちょっとね、結婚生活が嫌になって。」
「暇だったってことかよ?」
「何とでも思って。」
「ち、可愛くねえなあ。」
「ふん、で、あなたは何で?私と、母に会いに来ないで一人でいれば?」
「いけないのか?俺は、家族だろ?」
「そうだったからしら。」
なんか、人間ってむかつくしどうでもいいって思っている時、随分言葉と態度が乱暴になるのだなあ、なんて冷静に考えている。
「何だよ、それ。」
イラついたように、下を向く。随分と丸くなってしまった背中、若い時はまだ、格好良かったのに。
「でもね、私。あなたに用があって来たの。」
「何だ?」
こんなことを言うことは無いから、父は目を丸くしていた。その顔は、ちょっと嬉しそうに笑っていた。
だから、少しの罪悪感が孕んだけれど、私は手を緩めなかった。
足はうまく動かないけれど、手を使って必死に、あいつを、この世から消し去った。
ぜいぜい、と息を切らしながら、帰ってきた。
けど、この扉を開けるつもりはない。
私はもう全てが、こりごりだった。
夫も、父も、母でさえも。
何もかもが、どうでもよくなってしまったみたい。
真巳子 @rabbit090
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