お父さんのクリスマスカード
南雲 皋
Merry Christmas
お父さんがこの世を去ったのは、小学四年の夏だった。
病気ではなく、事故で、あまりにも突然に。
今朝までそこにいたお父さんが、もうどこにもいないのだと理解できるまでには時間がかかった。
それはお母さんも同じだった。
三人で暮らしたマンションから狭いアパートに引っ越したのは、生活費の問題というよりは思い出から逃げるためだったように思う。
何もかもからお父さんの姿を思い出し、楽しかったはずの毎日が悲しみに塗りつぶされてしまいそうになったから。
一年の色々なイベント事に、積極的なのはお父さんの方だった。
年越しからの初日の出、お花見、花火大会、落ち葉で焚き火にハロウィン、そしてクリスマス。
不意に涙することがなくなってきた頃には、世の中は既に赤と緑。
キラキラと輝くイルミネーションで溢れていた。
歩いていれば耳に届くお決まりの曲たち。
美味しそうなチキンとケーキの予約があちこちで行われている。
今年からはもう、
いつだって私のリクエストをお父さんが手紙に書いて送ってくれていたから。
そしてサンタクロースから来た返事を、お父さんが翻訳してメッセージカードに書き、プレゼントに添えてくれるのだ。
お母さんからは何も聞かれなかったし、手紙を出した様子もなかった。
そもそも仕事が忙しく、クリスマスケーキを一緒に食べられるかどうかも怪しかった。
首から提げた鍵で、冷たいドアを開ける。
静まり返った薄暗い家の中、ツリーも大きな靴下もない。
去年までは丸いケーキを三人で切り分けていた。
欲張って大きくカットされたケーキを食べきることができず、明日の朝に食べると言って冷蔵庫にしまうのがお決まりで。
今年は、既にカットされたケーキが二つ冷蔵庫に入っていた。
いつもだったら、酸っぱいイチゴをお父さんにあげるのに。
ちょっとかじって甘いのを確認したイチゴを、お父さんがくれるのに。
食べきれないと残すことも、もう、ない。
空になったお皿、甘い生クリーム、酸っぱいイチゴ、そこに混じるしょっぱさは、未だに乗り越えられない喪失の証だった。
ボロボロと溢れ出る涙は止められるはずもなく、結局ケーキの味はよく分からなかった。
きっとお母さんも泣くだろう。
だから私はいつもより早く布団に入った。
私の前では務めて笑顔でいるお母さんのために。
朝、目を覚ますと目の前にお母さんの寝顔があった。
閉じられた瞳は少し腫れていて、私にはすぐに冷やせと言うくせにと思った。
寝息を立てるお母さんを起こさないように布団から抜け出し、トイレに向かう。
その途中、あるはずのない物が私の足を冷たいフローリングに釘付けにした。
だって、それは。
私はよろめきながらリビングのテーブルへ手を伸ばす。
しっとりとした肌触りのクリスマスカード、少し丸みを帯びた文字は間違いなくお父さんのものだった。
《メリークリスマス 泣かないで 大好きだよ》
泣くな、なんて。無理に決まってる。
大声を上げて泣く私を、慌てて飛んできたお母さんが抱きしめた。
「お父さんが来た、サンタさんの代わりに」
メッセージカードを見せると、お母さんの顔もくしゃくしゃになった。
何で、どうして、と。
そして二人でまた抱き合って、気の済むまで泣いた。
「お父さん、ソリに乗ったかな」
「そうかもね」
「ケーキ、買っておいてあげたらよかったね」
「そうね」
それから毎年、お父さんの分までケーキを用意した。
ホールケーキを買うことはなかったけれど、三つ並んだケーキに私は満足した。
お父さんの分のケーキに、てっぺんのイチゴはない。
てっぺんの甘いイチゴは私が食べて、酸っぱかったかじりかけのイチゴが添えられている。
《メリークリスマス お父さんも甘いイチゴが食べたいよ》
他のイベントの時には何もないのに、クリスマスだけはカードが現れた。
文言は短いけれど、いつも違っていた。
そのカードは私が成人するまで続いた。
《メリークリスマス すっかり大人になったね これで最後だ 愛してるよ》
成人式の前撮り写真。
振袖姿で笑う私の写真の上に、お父さんの最後のカードが置かれていた。
私とお母さんは少しだけ泣いて、それから笑って空に手を振った。
雪のちらつく、寒い朝だった。
[END]
お父さんのクリスマスカード 南雲 皋 @nagumo-satsuki
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