エピローグ

 燦々と降り注ぐ太陽が肌を焼いて、青色が目もあやな季節がやってきた。

 どこまでも青い空に、青い海。夏の代名詞のような描写だ。そして見慣れた青色もまた、どこまでも澄んで爛々と光を放つ存在へと相成っている。

 真夏日。絶好の海水浴日和だろう。


「兄ちゃん、早く」

「ちょっと待てって! コケるだろうが」


 腕を引かれて、ビーチサンダルが砂に足を取られる。どうにか立て直して追いついた。

 ぷるんぷるんと揺れ動く二つの山が、腕に密接してしまっている。そんなつもり露ほどもないだろうし、軽はずみであるのだろう。しかしやられる側としては、勘弁してほしいものだ。

 周囲から向けられる色目に牙を剥き出しにしながら、ひかりに連れられて浜辺を歩く。


「ひかりちゃん、待ってよ」

「元気だなぁ、まったく」


 海水浴に行きたいと叫んだのはひかりだ。

 汐田さんがやって来るのはまま理解の範疇だが、要らぬ虫であるところの新田がメンバーに組み込まれたことは解せない。

 お前らはもう少し、思うところがあって然るべきだろうに。

 思っていたよりもずっと、友好的な関係で安定しているらしかった。険悪ムードとなれば、それはそれで悩みの種になっていたかもしれないので仲が良いことに越したことはない。

 ないが、そっちはそっちで不服さも立ち上る。

 汐田さんたちが追いついてくると、俺はお役御免とばかりに追放された。代わりに汐田さんと二人仲良くじゃれながら砂浜を進んでいく。

 見目麗しい情景だ。


「はしゃいじゃって可愛いねぇ」

「……やかましい」


 こういうとき躊躇なく感想を口にするのは、新田の良い点か悪い点か容易に判断は下せない。俺の心が狭いことは、この審判に作用していないはずだ。


「いやいや、いいおっぱいだ」

「おい」

「きゃー、お兄ちゃんこわーい」

「気持ち悪いテンション止めろ」


 ぞわっと立ち上がった鳥肌を、腕を擦って鎮まらせる。

 ロケーションにテンションが上がっているのは新田に限った話ではないけれど、こいつのハイテンションは七面倒くさい。


「んで、お兄ちゃんとひかりちゃんは前より仲良さげだけど、一体何があったの?」


 こんな風に油断ならないところが、この上なく億劫なのだ。


「別になんもねぇよ」

「釣れないなぁ」

「釣りたきゃ魚でも釣ってこいよ」

「俺海釣りってしたことないな」

「俺は川釣りもない」

「ザリガニ釣りは?」

「やった、やった。ひかりが噛まれて泣いた」


 追憶に緩む頬に、新田は歯を見せて笑った。


「前よりべったべたなのに、そういうところが前より兄妹に見えるようになった」

「なんだそりゃ」


 声を立てて笑うと、新田は目を細める。

 何も分かっていないだろうに、何かを察しているように見えるのは専売特許なのだろう。察しの良い男風。これが女性に人気なことは、既に学習済みだ。


「口割らないなぁ」

「割るならスイカがいいかもな」


 適当にはぐらかしながら、談笑に興じる。新田も糾弾するつもりなどないようで、俺たちはビーチの賑やかさの一端に埋もれた。

 周囲では実にカラフルなパラソルが立ち並び、原色の眩しさで溢れている。開放的な空間だと誰もが本能に刻み込まれているかのように、派手な色を身に着けている人間が多い。

 ぽーんと高く飛び交っているビーチボールは、一つ二つ。別の場所で別の客が遊んでいるようだ。


「ひかり!」


 ぐいっと腕を引き上げると、振り向くまん丸に見開かれた瞳とかち合った。そのまま無遠慮に誘導して、抱きとめる。


「すみませーん!」


 叫びから間髪入れず、とんとんとバウンドとも呼べない弾みでビーチボールは砂浜に転がった。大丈夫ですよ、と対応したのは新田だ。相手の女性が目当てではあるまいな、と苦々しく思いながらも、その場を任せる。


「平気か?」

「ああ、うん」

「……何?」


 呆け顔に眉を寄せる。


「見すぎ。触りすぎ。かっこつけすぎ」

「悪かったな、かっこいい兄ちゃんで」


 ぷくっと頬を膨らませて、ひかりが不機嫌さを滲ませる。お礼こそ言われて然るべきであり、難癖をつけられる筋合いはないはずだ。

 新田は俺たちの距離が近付いたというけれど、俺は相も変わらずひかりの内心を慮ることができていない。


「惚れちゃうよ」


 ふざけた調子なくせに、声は潜められて周囲を窺っているのが分かる。

 自責の念が許すギリギリの戯れ。瞬間的に可愛さが急上昇して、きゅうと心臓が縮む。やっぱり好きだなという気持ちは混在していて、こういったときはひとしきり悶々とするのだ。


「馬鹿が。ほら、飯食い行くぞ」


 ぽすんと頭に手のひらを置くように叩いて、先んじる。

 食事という日常行為が、俺たちの拠り所だった。


「チャーハン、チャーハン」

「焼きそばだろ!」

「チャーハンだよ」

「海の家だぞ? そもそもあんのか?」

「いいじゃん! お米! さっき確認したもん」

「私はかき氷食べたいです。たこ焼きとか」

「いいねぇ。俺はラーメンかなぁ」

「えー、みんなお米じゃなくてお腹空かないの?」

「お前じゃないからな」


 ぎゃんぎゃんと吠えられて、笑いが弾ける。

 俺たちはごく自然な喧騒に紛れて、笑いあった。

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