ラスト わたしがわたしだったから
「はい、春奈さん。これをあげる」
屋上までやってきた丸ちゃん先生は、わたしの手にアイスココアを握らせた。
「わあ! 良いんですか?」
「うん。あっ、ココアは好きだった?」
「大好きです」
「良かった」
早速、缶タブを開いて口をつける。
甘くて、ほんの少しだけ苦い味。渇いていた口内が潤っていく。
「余計なおせっかいだったら、ごめんね。春奈さん、ここ最近、なにか悩んでいるみたいだけど大丈夫?」
「えっと……心配をかけて、ごめんなさい」
「あー、えっとね、責めているわけじゃないの。ただ……私が、春奈さんの助けになりたいと思っただけで」
「そうなんですか?」
「うん。春奈さんは、何度も私のことを助けてくれたから」
先生のあたたかい言葉に、どん底まで落ちこんでいた気持ちが少しだけ軽くなる。
わたしにとってはただの罪滅ぼしだったけど、先生の役に立てていたならうれしい。
「……わたし、最低なんです。大切な人に、打ち明けなきゃいけないことがあるんですけど、受け入れてもらえないかもしれないことが怖くて……。なにも言えずに、ただ逃げるばかりになってしまって」
「春奈さんが悩んでいるのは、水橋くんのことかな」
「ごほっごほっ」
想像以上に直球でたずねられて、むせてしまった。
「先生なのに、プライベートな事情に首をつっこんじゃってごめんね。でもね、私は二人が付き合ったってウワサを聞いたとき、すごくうれしかったの」
「……どうしてですか?」
「水橋くんは、一年生のときから、春奈さんのことが気になっていたみたいだから」
それは、去年の冬頃の話。
廊下を歩いていた丸ちゃん先生の下に、水橋くんが駆けよってきたらしい。
『丸井先生。昨日の放課後に、先生の仕事の手伝いをしていた女の子の名前を教えてくれませんか』
『えっ? あぁ、春奈さんのことね。彼女がどうかしたの?』
『春奈さん……』
考えこむように下を向いてから、水橋くんは、そっと笑ったんだって。
『先生、ありがとう』
「あのときはビックリしちゃったな。水橋くんは、ほんとに表情が変わらないクールな子ってイメージだったから。あんなにやさしく笑うんだって、驚いたの」
少しだけ口角を持ちあげて笑う伊織くんの笑顔をハッキリと思い浮かべることができて、胸がギュッと苦しくなった。
丸ちゃん先生は、グラウンドを元気に駆けまわる陸上部員たちに視線をやった。
「誰かと付き合うとさ、色々なことがあるよね。幸せなだけじゃなくて、ケンカをすることもいっぱいある。私も、いまだに彼とくだらないことでケンカするしさ」
「そうなんですか⁉」
丸ちゃん先生は癒し系だし、人とケンカしているところなんて全く想像がつかない。
意外だなぁ。
「するよ! もうすぐ結婚するのにね。結婚してからも、ケンカは絶対にすると思う。でも、そのたびに仲直りしてきたから、きっとこれからも大丈夫って思えるんだ」
朗らかに笑う先生は、春の陽光に縁どられて、とてもきれいだ。
「なにがあったのかはわからないけど、水橋くんは、春奈さんのことがほんとに大好きだと思うよ。彼のことを、信じてみたらどうかな」
ついに、来るべき決戦のときがきた。
わたしと伊織くんは、再び青空公園にやってきていた。
これ以上引き延ばしたら、ゴールデンウィークに入ってしまうから、その前に話をつけておきたかったんだ。
伊織くんには、明日の放課後、二人きりで話したいことがあるとだけ伝えている。
学校からここに歩いてくるまでの間、会話は一切なし。手もつながなかった。
彼がいま何を考えているのかは、全くわからない。
すでに、緊張と不安で押しつぶされそうだ。
「あの、伊織くん」
ベンチの隣に座った彼が、明らかに不安そうな顔でわたしを見た。
「まず、最初に謝らせてほしいの。ここ最近、避けたりしてしまって、ほんとにごめんね。あと、手を振り払ってしまったこともごめんなさい。ずっと、謝りたかったの」
「……あの、心羽。先に聞いておいても良い?」
「なに?」
「今日話したいことっていうのは、その……。別れ話、だったりする?」
膝の上に重ねあわせている伊織くんの手が小刻みに震えていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「違うよ! でも、わたしの話を聞いたら、伊織くんはわたしと別れたくなるかもしれない」
伊織くんが、悲しそうに瞳を伏せる。
なんて返答をしたら良いのか、わからなかったんだろう。
「ごめんね。ほんとは、付き合う前に、わたしの口から話すべきことだったの。それなのに、中途半端に他の人から聞かされて、気分悪かったよね」
「それは、デートの帰りに、心羽の従兄弟が言っていたことだよね?」
恐々と、うなずいた。
これから、真実を打ち明けるんだ。
心臓、吐き出しそう。
だけどわたしは、もう伊織くんに隠しごとをしたくない。
なによりも、同志である蓮兄に、親友のあすちゃんに、背中を押してくれた先生に、そして目の前の伊織くんに、胸を張れる自分に変わりたい。
「伊織くんに嫌われたくない。そう思って、ずっとひみつを隠してた。本当にごめんなさい。この話を聞いたら、わたしのことを受けいれられなくなっても当然だと思うから。無理だと思ったら、遠慮なくわたしのことを振ってね」
これ以上になく重たい前置きをするわたしに、伊織くんが、硬い表情になる。
「……聞くまでは、なにを思うかわからないけど。心羽が、ものすごく考えた上で黙ってたことは伝わった。追いつめてしまって、ごめんね」
「伊織くんは、なにも悪くないよ」
「でも、心羽も悪くない。それに、心羽の話を受け止める覚悟はできたよ」
ドクドクと、鼓動が嫌な風に高鳴っていく。
身体の震えがおさまらないほど怖い。
判決を待つ囚人は、こんな気持ちなのかもしれない。
渇ききってしまった舌の根を、無理やり動かす。
「実は、わたしは……触った人の心を、読めるんだ」
「えっ」
「生まれつきなの。信じられないと思うけど本当のことなんだ。今から、証明するね」
きょとんとしている伊織くんの腕を、震える手でつかむ。
「伊織くん。心の中で、好きな野菜を唱えてくれる?」
(トマト。……そんなことが現実にありえるのか? 信じられないけど、心羽がウソをつくとも思えない)
「トマト、だよね……?」
伊織くんの瞳に、明らかに、狼狽の色が走って。
「っ。なんで!」
彼が、とっさにわたしの手を振り払った瞬間、目の前が真っ暗になりかけた。
この怯えたような目には、とても見覚えがある。沙雪と全く同じ反応。
バカみたいだ。わたしは、伊織くんになにを期待していたんだろう。
蓮兄があれほど忠告してくれていたのに、また同じことを繰り返しちゃった。
心がガラスとなって、思いっきり地面に叩きつけられたように、バラバラに割れていく。数年かかって、やっと一度目に入ったヒビが修復しかけていたのに。
「ご、ごめんね。……やっぱり、こんなの気持ち悪いよね。ずっと黙っていて、ごめんなさい」
壊れたロボットみたいに何度も頭を下げて、伊織くんから顔を背ける。
一刻も早く、彼の視界から、消え去りたい。
「待って!」
ベンチから立ちあがって、走り出そうとしたその瞬間。
身体が、あたたかいなにかに包みこまれた。
気がつけば、伊織くんに、思いっきり抱きしめられていた。
「やだっ。嫌だよ! 放して、伊織くん!」
(ごめん。ごめんってば! 心羽を傷つけたこと、何度でも謝る。土下座もする。お願いだから、オレから逃げようとしないで)
「同情なんていらないよ!」
(同情なんかで抱きしめない! 良いから落ちつけ!)
「気持ち悪いって思ったから、手を振り払ったんでしょ⁉ 伊織くんは、わたしになんにも取り繕うことができないんだよ! 伊織くんに触れるたびに怖いって思われながら付き合うことなんて、絶対にできな」
(怖くない。さっきのは、少しビックリしただけだ)
「ウソ!」
(ウソじゃない! それは、今オレに触れられている心羽が、一番わかっていることじゃないの?)
ゆっくりと語りかけてくる彼の声に、乱れてパニックになっていた心が、少しずつ落ちつきを取り戻す。
触れあっている腕から、恐怖のような感情はたしかに伝わってこない。
ただただ、あたたかくて愛おしむような気持ちに包みこまれて、逆に困惑してくる。
「どうして……? なんで、怖くないの?」
生まれたときからこの能力と付き合っているわたしでさえ、ちゃんと受けいれられないのに。
抵抗するのをやめたわたしを、伊織くんは、さらに強く抱きしめた。
(すごく驚いたけど、同時に、納得がいったからだよ。心羽が、どうしてそんなに他人想いなのか。察しが良すぎるときがあるのか。自分のことを嫌いだなんて悲しいことを言うのか。やっと、本当の意味で心羽を理解できて、うれしかった。勇気を出して打ち明けてくれて、ありがとう)
「……そんなにやさしいこと、言わないでよ」
(言うよ。っていうか、この場合は思うかな? 慣れてくると、この意思疎通の仕方もクセになりそうだ。気に入ったかも)
流石にギョッとした。伊織くんの適応力、半端なさすぎるんだけど!
「ねえ。それ、本気で思ってるの?」
(本気だよ。オレは口下手だけど、心の中では、言いたいことがたくさんあるから。って、心羽には全部バレバレだろうけど……。あー、全部聞かれてたと思うと、軽く死ねるわ)
「死んじゃダメだからね!」
(もちろん。こんなに最高な彼女がいるのに、死ぬわけないでしょ)
「っていうか、そろそろ言葉で喋ってほしいんだけど!」
(もう、オレから逃げない?)
「逃げない! 逃げないから!」
身をよじると、伊織くんは渋々とわたしのことを解放してくれた。
「気持ちは、落ちついた?」
「うん」
伊織くんは、ホッとしたように息をついた。
そして、触れる代わりに、真正面からわたしを見つめてきた。
「もう一度、口でもちゃんと謝る。さっきは手を振り払ったりしてごめん」
そのまま膝を地面につきはじめて……って、ええ! 本気で土下座しようとしてるんだけど!
「もう、ゆるすから! 頭を上げて!」
「そんな簡単にゆるさないでよ。ほんとに後悔してるんだから」
「じゃあ、一生をかけて責任をとってくれる?」
彼があまりにも悲愴感を漂わせるから、冗談でも言って和ませようとしただけだったんだけど。
「うん、そうする。それって、オレと結婚してくれるって意味だよね?」
「……えっ。ええええええっっ⁉」
「冗談じゃないよ。そのぐらい、オレは心羽に本気ってこと」
伊織くんは、ふわりと笑った。
「ねえ、心羽。オレの心を読んでくれて、ありがとう」
瞳から、涙があふれた。
辛くて、悲しかったからじゃない。あまりにも幸せで、こぼれ落ちてきたんだ。
伊織くんが、わたしの目元を、長い指でそっとぬぐった。
(心羽は、人とは違うことでたくさん悩んできたんだと思う。これからも、その不思議な力のことで悩むのかもしれない。だけど、オレはそんな心羽だから好きになったんだよ。心羽。口下手なオレの心に、触れてくれてありがとう)
ずっと、人の心を読んでしまう自分を許せていなかった。
身体中に染みついた呪いが、あたたかい想いで浄化されていく。
「わたしの方こそ、ありがとう。伊織くん。大好きだよ」
再び伊織くんに抱きしめられながら、人生で初めて、特別な女の子として生まれてきたことを誇らしく思うことができた。
わたしは、春奈心羽。触れた人の心を読める、普通じゃない女の子。
ずっと普通になりたいと思っていたけど、今は、わたしがわたしで良かったと心の底から思えている。
だって、笑わない王子の本音が甘すぎることを知ることができたのは、わたしがわたしだったからだ。【完】
笑わない王子の本音が甘すぎる! 久里いちご @mikanmomo1123
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