金の斧と銀の斧

こくまろ

金の斧と銀の斧



「うぅ、しまった……金の斧と銀の斧を落としてしまった……」


 木こりの男が泉の前で途方に暮れていた。

 全財産を注ぎ込んで特注で作らせたばかりの、自慢の二丁の斧だった。

 ピッカピカの斧だった。

 ご機嫌に振り回していたらスルリと手から抜け、落ちた先にこれまた運悪く泉があったのだった。

 なんて意地悪な池なんだ──。男は心の中で八つ当たりした。しかし流石に水中に落としてしまってはもう駄目か……。いや、やはりどうしても諦めきれない。あれはうちの家宝なのだ!

 斧はいつの間にか男の中で家宝にまで格上げされていた。服を脱ぎ捨て、いざ潜らんとしたその時、にわかに泉が薔薇色に輝き始めた──。

 男が驚き呆然と見つめるうちに、一際強く輝いたかと思うと、音もなく一人の美しい女性が水面みなもの上に現れていた。長く金色に輝く髪。白く薄い布を纏った細い身体。目は開いているのか閉じているのか曖昧で、その表情からは感情が全く読み取れない。

 そして、その頭には二つの斧が突き刺さっていた。


「──私はこの泉の女神。あなたが落としたのは、この金の斧ですか。それとも、この銀の斧ですか」


 泉の女神は、頭部の斧を指差しながら静かに問いかけた。生来頭の回転のよろしくない男だったが、どうやらかなり気まずい状況になっているということは理解した。


「あの、両方です。どちらも私の斧です」


 男は少し迷ったが、とりあえず正直に答えた。


「そうですか。あなたは正直者ですね」


 泉の女神はそう言いながら、頭に刺さった斧の柄をギシッと強く握り締め一気にズプリと引き抜いた。頭から真っ赤な血がどくどくと溢れてくる。


「あの、女神様、頭は大丈夫ですか」


「言葉の意図は分かりますが、表現に気を付けなさい」


 男は失言の天才だった。  


 "みしみし"と、どこかから音がしたが、それは女神の異常な握力で斧の柄が軋む音だった。柄の部分も金と銀でできているのに──。男は怯えた。


「私も神の末席に名を連ねる身、このくらいの傷で死ぬことはありません。痛みはしっかりとありますけどね。さて、あなたにいくつか質問します。この斧を返すかどうかは、それで決めましょう。先程のように正直に答えなさい」


「はい、女神様」


 男は姿勢を正して答えた。本当に正直な気持ちを言えば、今すぐ斧を返してもらい家に帰りたかったし、それが叶わずともせめて服を着たかったが、両手に斧を持った血まみれの女神の迫力に負けて何も言い返せなかった。交渉は常に武力を持つ側が圧倒的に有利なのだ。それに、少しでも苛立たせると怒りが握力に変換されて分かりやすく現れるのも怖かった。



「まず、なにをどうしたら斧を二本も泉に落とすことになるのですか」


「はい、女神様。金の斧と銀の斧の美しさに気を良くしてぶんぶん振り回していたら落としてしまいました」


 男は正直に答えた。


「木を切るためでもなく、いたずらに振り回していたのですか」


「はい、木を切るためでもなく、いたずらに振り回していました」


 みしみし。


 あ、まずい。

 斧が軋む。女神の手に力が込められ過ぎて青筋が浮いているのが男の目にも分かった。でも正直に答えなかったら、それはそれでもっとまずいことになりそうで男にはどうしようもなかった。


「あなたは自分の扱う道具の危険性も分かっていないのですか。この泉に住んでいるといろんな落とし物が降ってきますが、こんな殺傷率の高いものが同時に二つも落ちてきたら殺意を疑いますよ」


「面目ないです、本当に。こんなところに池の女神様が住んでるとは思わず」


「”泉”」


 みしみし。


「す、すみません。この美しい泉に女神様が住んでるとは」


 男は冷や汗を垂らしながら訂正した。


「仮に泉に落とさずともですよ。振り回す前に周りに人がいないことを確かめましたか」


「いえ、その、きちんとは確かめなかったかもしれません」


「”きちんとは”、ということは多少は確かめたのですか」


「あの、多少は、と言いますか、正直に申し上げますと全然確かめてないです」


 みしみしみし。


 あ、これはあかん。


「お前は、この泉の女神に、嘘や誤魔化しの言葉を吐いたのですか」


 斧を持った女神の両手がスゥっと持ち上がり、ガチンガチンと斧を頭上でぶつけ合い始めた。怖すぎる。


「す、すみません。女神様。二度と嘘をついたり誤魔化したりはしません」


 女神は暫く斧をかち合わせる威嚇行為を続けたが、またスゥっと腕を下ろした。ギリギリのところで男は命を拾ったようだった。しかし安心は全くできない。女神からの男の呼び方がいつの間にか『お前』に変わっているのも状況の悪さを示しているようだった。


「それで」


 そして、女神の質問はまだ続く。


「どうして斧をわざわざ金や銀で作る必要があったのですか」


「それはその、金や銀の方が綺麗でかっこいいので」


「金や銀は単に希少で美しいというだけではなく、魔力を帯びた物質なのです。お前がわざわざ金と銀で作ったおかげで、その斧は私の頭に突き刺さったのですよ」


「はい、とても良くお似合いでした」


 みしみしみしビシッ。

 ついに女神の握力が斧の柄の耐久を超えヒビを入れた。


「すみませんすみませんすみません、いや違うのです、私はあの斧が、世界で一番美しい自慢の斧だと思っておりまして、女神様の美貌はそれに勝るとも劣らない美しさだと言いたかっただけでありまして……」


「お前の美的感覚をどうこう言うつもりはありませんが、少なくとも私は華美に過ぎると感じますし、似合うと言われても全く嬉しくありません。そもそも、木を切るためにどうして二本も斧を持ってくる必要があるのです。一本で十分でしょう」


「それは……やはり二本持ちの方が見た目がかっこいいので……金と銀はセットなので……」


 男のセンスは絶望的にダサかった。


「見た目を気にするのであれば、斧以外にも気を配るべきでしょう。まず服くらい着たらどうなのですか。そもそも、何故さっきからずっと裸なのです」


「女神様、恐れながら、そこがずっと気になっていたのは私もなのです。斧を探すため泉に潜ろうと全裸になったところ、女神様が現れて服を着るタイミングを逸してしまったのです」


「お前は全裸で私の住まいに侵入するつもりだったのですか。水に潜るにしても、裸にまでなる必要はなかったでしょうに」


「でも、必要かどうかで言えば、女神様も一応服は着てらっしゃいますけど、薄い生地だし水で濡れて透け透けで全部見えてますから、ほとんど全裸と変わらないですよね。そのすけべな格好は何か必要なことなのでしょうか────」





 
















 ついカッとなって殺ってしまった。泉の底で女神はちょっぴり反省していた。愚かな人間に罰を与えるのは神として何ら不適切なことではないが、いささか感情的だったことは否めないかもしれない。まぁ人間を殺してしまったことはこの際置いておくとして、問題は斧の処分だった。

 人間の死体の方は冬眠前の森のくまに食料として提供して喜ばれたが、抱き合せで渡そうとした金銀の斧は断られてしまった。二丁の斧は、長時間に渡り女神が握っていた際に神力が送られてしまっていたこと、女神の血を浴びたこと、人間の命を奪ったことなどの条件が重なり、今や一種の呪物のようになってしまっていた。今は泉の底の隅に横置きにされているが、黒く禍々しいオーラを放ち続けている。

 どうしよう。こんなものずっと自宅には置いておきたくないし……かと言って泉からあまり離れたところへは自分は移動できない。森に捨てたら森のくまが怒鳴り込んで来るだろうし……。

 女神が思案に暮れていると、ドポン、と頭上から音がした。何かまた愚かな人間が落とし物でもしたかしら。そう思い目をやると、なんと落ちてきたのはまたしても斧だった。今回はどうやら金でも銀でもなく、普通の斧のようだ。

 やれやれ、今日は斧がよく降ってくる日だ。一体どうなっているのか……。それにしても、そんなに斧って手から抜け落ちるものだろうか。私の握力を少しは見習ってほしいものだ。女神はため息をついたが、その時、       ふと妙案が浮かんだのであった──。


 泉の水面が薔薇色に輝く。

 女神は、今度は頭ではなく、きちんと両手に金の斧と銀の斧を携え、水上にその姿を現した。朴訥そうな男が驚いた表情で女神を見ている。きっとこの男が普通の斧の落とし主なのだろう。

 女神はにっこりと微笑んで、先刻と同じ台詞を口にした。


「──あなたが落としたのは、この金の斧ですか。それとも、この銀の斧ですか」



 了

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金の斧と銀の斧 こくまろ @honyakukoui

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