昼の聖女は、夜に夢見る。~私を捨てたくせに、今更なぜ嘆くのかしら。
みこと。
全一話
"聖女"は、神が国に与えた"
幼い頃から王宮に引き取られ、それは大切にされている。
小さな王子様とも仲良しで、一緒に笑って成長して。
だけどナハトの聖女は、夜の間しか起きられない。
同い年の王子様は、まだまだ子どもで、夜はおねむ。
私が目覚め、オズヴァルト殿下が眠るまで。
私たちは、ほんの
実際ナハトには、夜にしかその姿を見る事が出来ないと聞く、聖女テレジアがいる。
テレジアは夜に、聖務をこなす。
女神のように美しく、国をあげて尊重されてる存在。
同じ"聖女"でも、私とはまるで違う。
私は、アタナス国の聖女サンドラ。
神殿で暮らし、毎日を
◇
「サンドラ、その恰好は何だ?!
神殿の上級神官に叱られ、謝りながら慌てて小さな自室に向かう。
今日は王城へ向かう日。
(早く着替えないと、また怒鳴られるわ……!)
さぼっていたわけではない。
掃除に洗濯、厨房手伝い。そんな下働きをしながら、聖女の日課もこなしているせいで、いつも時間が足りてないのだ。
普段着であるくたびれた作業服を脱ぎ、小さな衣装箱の中から、一張羅を取り出す。街に出た時に買った古着を、仕立て直したワンピース。
よそ行きの服は、これしか持っていない。
聖女としての品位維持費を支給されているはずなのに、私に与えられるのは、ほんの僅かな銅貨だけ。
食費を出してやっている。
寝泊りさせてやっている。
報酬だと? 聖女は無料奉仕が当然で、清貧が美徳だろう!
神官たちは口を揃えてそう唱え、品位維持費は知らないうちに消えている。
そして神官たちの衣装や食事が豪華になり、彼らの部屋では家具や宝石が増えていく。
アタナスの聖女とは、飼い殺していい奴隷のような位置づけなのだ。
それでも"聖女を王家に迎える"という国の慣例に
「聖女サンドラ! 貴様との婚約は破棄だ!!」
建国祭におけるキール殿下の発表とは、彼の新しい婚約者の紹介だった。
公爵家のご令嬢を、未来の王子妃とするらしい。
居並ぶ来賓の前で、私は殿下に、大きく非難された。
「貴様はたいそうな怠け者だそうだな! 神官たちから苦情と、部下たちから報告が上がっている!」
「怠け者、とは?」
思わず尋ね返した、私の声は震えている。
日中、身を粉にして働いて、それでもまだ足りないというのだろうか?
殿下の部下とは神殿に滞在して、日がな一日お茶を飲み、「給仕が遅い」と私を
「言葉通りの意味だ! 大体、昼は聖務の時間以外、姿を見せないと聞く。昼寝をしているからだろう」
「昼寝なんて、とんでもありません! お昼は神殿の裏で作業を……。今日は
「薪割りだと? 誰が聖女に雑務などさせるものか。国を護る聖女に無理させて、魔獣避けの結界に何か生じたらどうする! 嘘ならもっと、マシな言い訳をしろ」
聖女は、民に癒しを施すだけでなく、国全体を結界で覆い、邪悪の侵入を防いでいる。
私に課せられた仕事は、それに加え神殿の雑役なのだ。
させているのは神官たちなのに。
私がキール殿下の言葉に驚いて彼らを見ると、神官たちは素知らぬ顔で、すましている。
「殿下、私のひび割れ硬くなった手を見てください! これは日々の労役で荒れたものです」
「金の触りすぎで荒れた手に、何の説得力があると?」
「お、お
お金で手がここまで傷むだろうか?
殿下の周りには、美しい手の貴族達や上級侍従、上級侍女しかいないから、労働者の手を知らないの?
「聖女サンドラの
初めて聞く話に、がつんと殴られた気持ちになる。
トバク? 私が賭けに興じているですって?
休む暇もない私が?
「大体、栄えある式典に、なんだそのボロ
私の頭の中は、もうもう真っ白だった。
神官が着服した
その上キール殿下には、彼が神殿に寄った夜、私が挨拶に起きてこなかったと責められた。
多忙さから、一日が終わる夜にはクタクタ。
私は眠ると、決して起きない。
それを、"もし緊急の治療だったら、どうする。聖女としての自覚が足りない"と仮定の話で
──ここまでいい加減な女を、王子妃に
キール殿下は私に、そう通告した。
それから私は、殿下の言葉を鵜呑みにした貴族たちから白い目で見られ、
私の努力は、誰にも認めてもらえない。
私の言葉は、誰にも信じてもらえない。
(もう、どうとでもなればいいのだわ)
神殿に戻った私は部屋に閉じ籠り、一切の呼びかけや食事にも応じず、眠りの世界へと逃げ込んだ。
夢の中での私は、ナハトの聖女だから。
ナハトのためだけに、尽くしたい。
◇
「テレジア? 泣いていたの、テレジア。大丈夫?」
優しい声が、私を起こす。
(夢を見ながら、私、泣いてた?)
「オズヴァルト殿下……。ああ、いえ、陛下、失礼しました」
ナハトの幼い王子様は今はすっかり成人されて、若い国王となられていた。
なのに寝起きだと時々、敬称を間違ってしまう。
有り得ない失態だけど、陛下はいつも許してくださる。
"名前で呼んでくれればいいのに"と笑いながら。
(名前……、オズヴァルト様……)
想像するだけで頬が赤く、熱くなる。大好きなその名を口にして、許されるかしらと胸が高鳴る。
そんな私のそばに腰かけ、オズヴァルト陛下は私の涙を
「嫌な夢を見ていたのかい? 近頃は昼もきみと会える。僕は嬉しいけど、もしそれが負担になっているのなら……」
「いいえ、大丈夫ですわ、陛下。少し悲しい夢を、見ていただけなのです」
「きみがアタナスの、"昼の聖女"だという夢?」
アタナスの聖女は、昼しか起きない。
"夜の聖女"と呼ばれるナハトの私とは、真逆で。
けれども不思議なことに私はこの頃、昼にも目を覚ましていることが多くなった。
おかげで陛下と過ごせる時間が増えている。
「はい……。あちらの私はいつも
思わず涙が、ポロポロと零れる。
私の様子に陛下は少し思案されてから、こう言葉を紡がれた。
「そのアタナス国から、使者が来ているんだ。とんでもない話を持ち掛けてきたから、きみも同席をと思ったけど、辛いようならやめておく?」
「?」
とんでもない話とは? そんな疑問が顔に出たのか、陛下が答えをくれる。
「
「──!!」
◇
謁見の間でオズヴァルト陛下の隣に控え、アタナスの使者を迎え入れる。
使者の姿を見た途端、私は息を呑んだ。
「!」
(ダウム大臣? どうして? 私が見ているのは夢だったはずなのに、夢の記憶が現実と一致している?)
使者の紹介を聞く前に、私は彼を知っていた。アタナスの宮廷で見かけた、かの国の大臣。
"顔を上げよ"という陛下の言葉に、ダウム大臣の目がすばやく私に走る。
(何? どういう視線?)
何か含んだようなその目の意味を、だけどすぐに知ることになった。
ダウム大臣の要請から。
彼の話によると、アタナスの聖女サンドラはこのほど、
食事もとらず部屋に籠り、一切を放棄。
「神殿の仕事が滞るだろう!!」
堪忍袋の緒が切れた神官や兵士たちによって引きずり出され、折檻された怪我が原因で、彼女はこの世を去った。
神殿は慌てたらしい。まさか、自身の怪我くらいは癒すと思っていたから、致死寸前まで痛めつけていたのだ。
事が発覚し、王家は神殿に責任を問うた。
神官と兵士はこれまでのことが露見して厳罰に処されたが、それだけでは終わらない。
アタナスの暗黒時代が始まった。
聖女の命が
困り果てた王家が神に祈ったところ、神の言葉が天から響いた。
神の声は、怒りに満ちたものだった。
──よくも私が与えた聖女を苦しめ殺した。
アタナスとナハト、ふたつの国を守護するため、私は尊き
アタナスの聖女は昼、ナハトの聖女は夜に。
それぞれよく国を護っていたはずなのに、お前たちは感謝もなく、彼女を死に至らせた。
アタナスの聖女は、肉体を失ったのだ。
以後の彼女は、ナハトにのみ滞在する。
ナハトだけが、加護を得られるだろう。──
「つまり
私は。
あっけにとられた。
アタナスで夢を見るとナハトにいて、ナハトで夢を見るとアタナスで過ごしていたのは、そういう理由だったのだ。
魂が二人分の肉体を兼任するなど激務が過ぎるが、私はそれだけ稀有で貴重な魂だったらしい。
神はふたつの国で、私が尊重されることを望んでいた。
ナハトは好意と敬意でテレジアを支え、アタナスは搾取しても足らなくて、悪意をもってサンドラに接した。
その結果が、
(あちらの
呆然とする私の横で、拳を震わせ、声をあげた
「ふざけたことを申すな! その話でいくと、アタナス国はこのテレジアを! 非道に扱った挙げ句、死に至らせたということではないか! にも関わらず、厚かましく加護を乞うと?!」
オズヴァルト陛下が、今までにないほど、お怒りになっていた。
「彼女をさんざん苦しめておいて、要求を呑んで貰えるなど、よくも思えたな?!!」
「ひ、ひぃええええっ」
「自業自得でしかないが、それほどの危機なら、まずは国をあげて聖女に謝罪し、許しを乞うところから始めるべきではないか! しかも本来王族が出向くべきような重大事。それを、使いの大臣で済ませようとするなど、どこまで愚弄する気だ!!」
オズヴァルト陛下の語気が、盛大に乱れてる。
私のために怒ってくれる陛下に、アタナスへの鬱憤が少しだけ晴れ、同時にほんのりと、気持ちが温まっていく。
そして、この方とお昼を過ごせなかったのは、"アタナスに半日を取られていたから"と気づいて、余計に悲しくなる。
私と陛下は幼馴染なのに。もっと長い時間を、一緒に過ごせたはずなのに。
すっかり震え上がったダウム大臣が、慌てて言い募る。
「も、もちろん今後はテレジア様を大切に致します。アタナスではキール王子の妃として、テレジア様をお迎えしたく……」
「「は?」」
自分でも驚くほど、低い声が漏れた。と、思ったら、陛下も同時に発声されていた。
ダウム大臣は今、何と言ったの?
公爵令嬢と婚約するからと、大勢の前で罵倒され、捨てられたのは、夢ではなく現実だったというのに?
「キール殿下は"サンドラ"に何をしたか、覚えてらっしゃらないのですか?」
私の言葉に、ダウム大臣が信じられないことを口にした。
「それは……。で、ですが、テレジア様にどれほどご記憶が残ってらっしゃるかも、定かではありませんでしたし、テレジア様の絵姿は王子もご賞賛で、"サンドラなら、この提案に間違いなく喜ぶから"と……」
(サンドラとテレジアを、馬鹿にするにもほどがある!!)
あまりに自分本位な考えに、怒りで体が爆発しそう。
口ごもるように言いながら俯くダウム大臣は、激怒する私と陛下に、気圧されたのかもしれない。
オズヴァルト陛下が、「好きに言え」と目で私を促した。
彼は私の悪夢を、今までずっと、何年も何年も聞いてくれていたのだ。
私のために、この場をくれた。
「……残念ながらダウム大臣。アタナスで受けた仕打ち。私は全て覚えております」
私は努めて静かに、事実を告げた。
であるのにダウム大臣は、それをどう受け取ったのか。
「おお、ならば
どんな前向きだ。"仕打ち"、と表現しただろう。
私はひとつ、ため息を落とす。
呆れて次の言葉が出なかったのだ。
そんな私の苛立ちを、オズヴァルト陛下が代弁してくださる。
「自国の聖女を失ったのは、自分たちのせいだろう。都合の良いことを言って来ても、こちらが受ける筈がない。アタナスでの無体な扱いに、テレジアの心は深く傷ついている」
「そんな──! 聖女様、無辜の民が苦しんでおります! お見捨てになられるのですか?」
民のことは私ではなく、王侯貴族の責務。
それにダウム大臣。今あなたに話しているのは陛下だ。
陛下を差し置いて私に訴えるなど、無礼が過ぎる。
民を救え、と、言うのならば。
「──
結界の恩恵が欲しくば、アタナスがナハトの属領になれと言うこと。
意味は伝わったようだ。
ダウム大臣は、顔を曇らせた。
「それは……!」
「私に言えるのはこれだけです。……陛下、気分が優れません。もう退席してもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ、テレジア。謁見はこれまでとしよう。どうもダウム大臣には、一国の使者として、素養に欠けるようだしな」
こうして私はオズヴァルト陛下に手を取られ、広間を後にした。
あとに残ったダウム大臣が青ざめていることなど、知ったことではなかったから。
後日、アタナス国では反乱が起こり、王家は国民によって追われたという
「我らもナハトの民として、貴国に組み込んでいただきたい」
市民たちの代表がオズヴァルト陛下に謁見を求め、旧アタナスの国土は、現ナハト国領土となった。
私がダウム大臣に伝えた言葉は、どこからか民に漏れたらしい。
そして国民は正しくその意味を、理解した。
災害や魔獣の直撃を受けていたのは、王家ではなく、民たちだったから。
ナハトに併呑されたアタナスは、王族貴族含めて人事が一新された。
国名は消え去り、広がったナハト全土に、私の結界が行き届く。
"サンドラ"を貶めたキール王子たちがどうなったのか。オズヴァルト陛下は私に話してくれない。
侍女からは「
……凄惨な結末だったらしい。
そして今。王宮の庭で、私は陛下と散策を楽しんでいた。
「ずっとこの池のスイレンを見てみたかったのです。昼咲くスイレンは、夜には花を閉じてしまいますから」
陽光に輝く水面に、凛と開く白い花が美しい。
「僕も、昼にこうしてきみと歩けることを、長く願ってた」
テレジアは、夜だけの聖女だったから。
「ひとつ、願いが叶った」
嬉しそうに笑う陛下に、キュンと胸が締め付けられる。
陛下、私も……。
「もうひとつ、絶対に叶えたい願いがあるんだ。……きみにしか、叶えられない」
「私にしか?」
「テレジア。どうかきみに求婚することを許して欲しい。僕の一番の願いは、きみを妻に迎えることなんだ」
「え……?」
「アタナスで他の王子と婚約関係だったと聞いて、僕は自分を悔いた。今まで何をしていたのかと。きみの記憶に、一番にプロポーズした相手として刻まれたかったのに」
「あ、あれは! サンドラの話ですし、それに無理やりというか、勝手に周りが話をまとめただけで、キール王子から求婚されたりとか、特別なことは一切なく!」
むしろ嫌悪され、
慌ててそのことを伝えると、オズヴァルト陛下は衝撃を受けたような表情をした。
「女性にとって輝くべき思い出となるべきことを、そんな……。あいつ、切り刻んで鰐の池に投げ込んでやれば良かった。そうすれば卑しい肉魚にでも生まれ変わるだろうに──」
闇を
ひとしきり呟くと、陛下もさくっと切り替えた。
「子どもの頃からきみが好きだった。わずかな時間だけでも、きみと過ごせたら満足だった。だけど本当は、こうしてきみと一日を共にしたかった。これからは毎日。朝、昼、夜、離れずにきみのそばにいたい」
「──離れずは、無理ですわ。お互いお仕事が、ありますもの」
照れ隠しでそう言いながら、陛下のおっしゃる意味がすごくわかる。
だって私も、一分一秒
私の言葉に、ハッとしたように陛下が言う。
「っつ! 聖女の仕事に加えて、王妃の公務までとなると、きみに無理をお願いすることになるけど、でも出来る限り目を配って、負担をかけないようするから──」
そういう意味ではないのに。
でも私を気遣ってくださる陛下が、すごく嬉しい。
オタオタと焦るオズヴァルト陛下は、子どもの頃からとても可愛くてらして、大好きだった。
「お受けします」
「え」
「どうぞ、私に求婚してくださいませ。一日中陛下と過ごせることを、私も幼い頃からどんなに望んだことか。私も陛下のことが、大好きですから……」
頬がいっきに染まったのを感じる。耳まで、きっと真っ赤。
でも陛下もお揃い。
私たちは見つめ合った。
「テレジア……!」
「はい」
やがてスイレンの池は、跪く陛下と私の姿を
彼の手を取って頷いた私を、歓喜のままに抱き寄せた陛下までしっかりと見守って。
祝うようにスイレンの花を揺らしてくれた。
こうして私は、ひとつの身体で唯一無二の愛する人と結ばれ、その後末永く、幸せに生きたのだった。
昼の聖女は、夜に夢見る。~私を捨てたくせに、今更なぜ嘆くのかしら。 みこと。 @miraca
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