涼佳

 11月になっても夢はまだ続いていた。

 夕方。空也と涼佳は自転車を押して通学路を歩いていた。

 日に気温は下がる一方で黒タイツの季節でもあるが、着込むかどうかの判断が難しい季節だ。

「なあ、自転車乗ってさっさと帰ろうぜ」

 服装調節をミスってしまった空也は、寒さに縮こまりながら言う。

「ダメ」

 しかし着込んで暖かそうな涼佳に即却下されてしまった。

「早く帰って勉強したいんだが」

「今日くらいちょっと遅くなったって誤差の範囲だと思わない?」

「そのちょっとで涙をのむかもしれないんだぞ?」

 いくら彼女とはいえ、空也には聞き捨てならなかった。大吾との約束がある。もし受験に失敗したら、どうなるか分かったものではない。

「でも、こうしていれば少しでも長く空也くんと一緒にいられるし。嫌?」

 付き合う前には見せることがなかったであろう、甘えた眼差しで見てくる涼佳。

「あ、ああ、まあ……嫌じゃないが」

 顔だけ温かい……を通り越して熱くなってきた。恥ずかしさから視線をそらす。

 勝てる気がしなかった。一緒にいたいのは空也も同じだ。勉強も大事だが涼佳と一緒にいることに比べたら、心苦しいところだが優先度を下げざるを得ない。

 涼佳と付き合い始めてから、クラスメイトたちからは何度も「何か弱みを握っているのか?」と尋ねられていた。大吾とのことを思い出すのでやめてほしかった。

 とはいえ、そう思われるのも無理はない。ただでさえ涼佳は美少女なのだから。しかも、付き合い始めてからますます涼佳が可愛く見えるようになってきた。やっぱり夢みたいだ。

「じゃあ、もうちょっとだけ頑張ろ? 帰ったらいつものしてあげるから」

「……! まあ、歩くのは脳にもいいからな」

 帰ったら膝枕が待っていると思うと、早く帰ることに固執する理由はなかった。背筋を伸ばし、ランウェイを歩くモデルのように軽快に歩き始める。

「調子いいなぁ」

「そりゃ来栖に膝枕してもらえるなら当然だろ」と断言すると、

「やっぱなし」

 急に涼佳の顔から表情が消えた。

「どうしたんだよ」

「来栖じゃなくて、涼佳」

「……どうしても、名前で呼ばなきゃだめか?」

 空也は今まで涼佳に対して恥ずかしいことを散々口走ってきたが、名前呼びはわけが違う。

「名前で呼んでくれないならもうしてあげない」

 無情にも、効果的かつ無慈悲な答えが返ってくる。恥ずかしいのも嫌だが、永久に膝枕してもらえないのはもっと嫌だ。言うしかないだろう。意を決し、口を開く。

「……りょ……りょ、涼、佳」

 声は小さかったものの、かろうじて『涼佳』と聞こえる声を発することができた。

「ふふ。まあ、合格かな」

「ぐぬぬ」

 余裕そうに笑う涼佳を見ていたら、自分だけ恥ずかしがっているのが我慢できなくなってきた。こうなったら涼佳も道連れだ。もう失うものなんてなにもない。

 やけくそになって真顔で「涼佳」と名前を呼ぶと、涼佳と目が合う。

「好きだ」

「えっ……」

 不意を突かれたからか、涼佳の顔がみるみるうちに赤くなっていく。

「よし! やられっぱなしでたまるか」

 今まで主導権を取られっぱなしだった涼佳から一本取れた。達成感から思わずガッツポーズが出る。これは紛うことなき勝ちだろう。

「ねえ」

「ん?」

「もう1回言ってほしいな」

 愛しさが溢れて抱きしめたくなってしまうような上目遣いで言われ、空也は思った。

 涼佳には勝てない。

 しかし、こんな他愛のないやり取りだけでも幸せで仕方がない。

 これからも涼佳とずっと一緒にいるためならなんだってやってみせる。そう心に誓うのだった。

(終わり)

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80デニールから始まる夏 アン・マルベルージュ @an_amavel

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