決戦
大吾のすきを突いて命からがら来栖家から脱出することができた空也と涼佳は、肩を並べて夜行バスに乗っていた。涼佳が窓側の席だ。
「ちょっとワクワクしてきたかも」
涼佳は背もたれに体を預け、目だけを空也に向けて言う。
確かにカーテンは締め切られ、車内灯の白い明かりで照らされた車内は非日常感がある。
しかし今朝まで13時間座りっぱなしの地獄を味わっていた空也としては、同意できなかった。
「いや、今だけだぞ。夜中何度も目が覚めるし肩や腰が痛くなるし」
「大丈夫。私寝付きがいいほうだから」
「いや、寝付きのいい悪いって問題じゃないと思うぞ」
座席は倒せるとはいえ完全に横になれるわけでもないし、寝返りも打てない。寝付きがよかったとしても目が覚めてしまうはずだ。
夜行バスは2席ずつの3列シートになっており、空也の隣の列では大学生くらいのカップルが肩を寄せ合っていた。
ふと、自分たちは他の客から見るとどう見えるのだろう、とつい考えてしまう。
少なくとも、恋人でもなければ男女2人で夜行バスには乗らない気がする。となるとやっぱりカップルに見えているのだろうか。と思うと遅れて非日常感が湧いてきて、心臓がドキドキしてきた。
なんだか落ち着かない。何か涼佳に話でも振ろうと思い横を向くと、
「すぅ……」
消灯時間を前にすでに寝息をかいていた。
寝付きがいいってレベルじゃないだろとつっこみたくなったが、歩き回って涼佳も疲れていたのかもしれない。
普段はクールな雰囲気の涼佳だが、寝顔はあどけなさのある少女そのものだ。
閉じられたまぶたから覗く羽毛を思わせるまつ毛は、今だけは涼佳の顔の主役になっていた。
無防備な寝顔を見ていたら、さらに落ち着かなくなってきて、ついその柔らかそうな肌や髪の毛に触れたくなってしまう。
無論そんなことはしないが、涼佳の寝顔には都合のいい理由をでっち上げて悪事に手を染めてしまいたくなるような魔力があった。
「ふぁ」
なんとか魔の手にかからないよう理性にムチを打っていると、朝から一日中歩きまわっていたせいか、普段より早いが眠気が襲ってきた。
このまま眠りに落ちてしまいたかったが、その前にやることがある。
空也はスマートフォンを操作してメッセージを送ると眠りに落ちた。
時間は空也が来栖家でシャワーを浴びていた頃へ戻る。
仕事を普段より早く切り上げた大吾は玄関に上がると、見知らぬ靴があることに気づいた。
涼佳の友達だろうかと思ったが、男物の上に見覚えがある。
警察に突き出してやろうかと思ったが、ただ家にいるだけでは犯罪ではない。
リビングは無人。だが、さっきまで誰かがいたような気配がある。
浴室から音が聞こえた。誰かいる。
「涼佳いるのか?」
ドア越しに声をかける。
「うん。今日はこれから友達の家で勉強会しにいくことになってて。泊まりになるかも」
「そうか分かった」
涼佳が自分に見つからないようにあの男を匿っていることが分かった。わざわざ東京まで連れ戻しにきたのだろう。
それならば茶番に付き合ってやろう。そうすれば現行犯逮捕だ。
何事もなかったかのように、大吾は浴室前を後にした。
翌朝。
夜行バスを降りた2人の様子は同じ乗り物に乗っていたとは思えなかった。
「13時間座りっぱなしって聞いたときは大丈夫かなって思ったけど、寝てたらあっという間だったね」
スッキリした表情の涼佳に対し、
「なんで大丈夫なんだ……」
2日連続の夜行バスで、年が倍になったかのように空也の全身は強張っていた。
「だから寝付きいいって言ったでしょ?」
「いや、もう寝付きいいってレベルじゃ――」
ねえだろ、とツッコミを入れようとしたところで予想外の人物が2人の前に立ちふさがった。
「予想通りだったな」
「お父さん!?」
なぜバレたのかは分からないが、おそらくは飛行機で追いかけてきたのだろう。値段の都合で断念したものの、朝早い便があったことを空也は思い出した。
「私を困らせるな。帰るぞ涼佳」
大吾が涼佳に向かって足を踏み出す。
恐れていたことが起きてしまった。しかし、空也はこのために対策を打っていた。
「……士郎」
「ここは通さない」
名前を呼ぶと、大吾の前に士郎が立ちふさがった。
「なんだ君は」
「2人の友だちですが」と士郎は答えると、後ろを向いた。「早く行け」
空也は頷くと、
「行くぞ。こっちだ」
「う、うん」
涼佳とともに大吾とは反対方向へ走り出す。
「ここを通しなさい」
「お断りです」
後ろから聞こえてくる声から、2人が取っ組み合っているのが見ずとも分かった。
10秒ほど走り続け、路駐していた車のドアを開けて乗り込む。
「え、影山くん? 免許は?」
空也に続いて後部座席に乗り込んだ涼佳は、運転席に座っていた聡を見て驚きの声を上げる。
「聡さんは2回ダブってるから」
「そういうこと。医大でいいんだよね?」
「頼む」
「オッケー。あ、シートベルトはちゃんと締めてね」
聡はニヤリと笑うとアクセルを踏み込み、3人を乗せた車は松子の入院する医大付属病院へ向かって走り始めた。
病室に入るなり、涼佳は松子の元へ駆け寄った。
「おばあちゃん!」
今にも泣き出しそうな顔で松子へ抱きつく。
やはり連れてきたことは正解だった。空也は涼佳に続いて松子の元へ向かいながら確信した。
「なんだい、確かに久しぶりだけど泣くほどじゃないだろう」
松子は口ではそう言いつつも、嬉しそうに涼佳を抱き返し、愛おしそうに涼佳を撫でる。
「おばあちゃん、聞いてほしいことがあるんだけど」
涼佳が松子から離れ、低い声で言う。今の状態を話すことを決めたのだろう。
しかし二の句を継ごうとした次の瞬間、
「――感動の再会はそれくらいにしてもらおうか」
悪役が言いそうなセリフとともに、大吾が病室に入ってきた。
大吾と目が合い、空也は体が萎縮するのを感じる。
「あんた大吾さんか」
「はい。そこの須藤くんが私の娘を東京から誘拐したので連れ戻しに来ました」
松子の問いに大吾は礼儀正しい口調で答えたものの、その内容には皮肉を感じた。
「東京? 誘拐? 空也どういうことだい」
「……ばあちゃんが入院して真実さん1人では大変だからってことで、来栖は東京に帰ってたんだよ。でも、ばあちゃんが寂しそうだったから」
「はあ、あんた……ばかだねぇ」
自分のためにやったことだと思うと否定しづらいのだろう。額に手を当て、ため息をつく。
「万が一の事を考えて友人にも協力してもらっていたのには感心したが、やはりまだ子供だな」
「士郎はどうしたんですか?」
「私に立ちふさがってきた彼か。大人が子供相手に本気を出すのはどうかと思ったんだが、今回は正当防衛だろう」
大吾は胸の前で両手を合わせるポーズを取った。少林寺拳法の構えだ。
「で、須藤くん」大吾は構えを解き、威圧感のある目で空也をにらみつけた。「君は私が言ったことを無視した上、娘をさらうという罪を犯した。私が出るところに出れば、少なくとも退学は免れないだろうね。どうするつもりかな」
「お父さん、私は自分の意志で来たの。須藤くんは悪くない」
涼佳が空也の横に立つ。表情には緊張が滲んでいた。
「これだから田舎に行かせるのは反対だったんだ。お母さんが涼佳を田舎で療養させると言い出したときに無理にでも止めるべきだった。現に悪い虫がついてしまったしな」
大吾は短く鼻で笑う。
「っ……」
「須藤くんのことを悪く言わないで」
「まったく。人を見る目が……いや、今まで部活ばかりだったのが裏目に出たか。いいか涼佳。子供をたくさん作り、週末はミニバンに乗ってイオンで過ごすのがお似合いの田舎の人間と、私たちみたいな人間が釣り合うわけがないだろう」
あまりにも偏見に満ちた発言に、空也は体の内側から熱が上がり、心臓が響くような感覚を覚えていた。
言い返さなければ。しかし、大吾の威圧感に思考が阻害されて言葉が出てこない。
「釣り合うとか釣り合わないとか、お父さんには関係ないでしょ。住んでる人全員がそうとは限らないし、それに須藤くんはそんな人じゃない」
「まあ仮にそうだとして、田舎は静かで暮らしやすいと感じるかもしれないが、ずっと住むところではない。1日ここにいるだけでも、お前は周りの古い人間に影響され、先に進んでいる人間から取り残されているんだ。将来絶対に後悔する」
父親というのもあるかもしれないが、涼佳は大吾に臆することなく立ち向かっている。
それなのに、自分はただ見ているだけでいいのだろうか。いや、いいわけがない。
「あ、あの、来栖さん」
「なんだ変質者くん。今親子で話しているところなんだ。邪魔しないでくれないか?」
大吾の冷たい視線に引き下がりたくなるのを拳を握って耐え、じっと大吾の目を見返す。
「娘さんの写真をSNSに上げてしまったことはたしかに非があります。ですが、写真を撮ったのは娘さんの足が芸術的に美しいからです。決して見た人に劣情を感じてほしいからではありません」
心臓の鼓動が早い。胃が痛い。『危険だ逃げろ』と脳が不快感を抱かせて警告しているのをこらえて言葉を絞り出す。
「そんな事を言われて信じられるはずがないだろう」大吾は視線を涼佳へ移す。「涼佳、彼に何か弱みでも握られているのか? 正直に言いなさい」
「本当だよ。最初須藤くんが止めてくれたのを私が無理言って上げたの」
「馬鹿言うな。一体涼佳に何をした?」
今まで感情を抑えた口調の大吾だったが、ここにきて怒りが滲み始めた。
何を言ってもダメそうだ。怖い。息が苦しい。逃げ出したい。しかし負けてはならないと拳を握りしめて耐える。
「確かに信じていただけないかと思います。自分も同じ立場だったらそう思うはずです。発言は取り消しませんが、もう、SNSには上げないことを約束します。それと、来栖はこの町を気に入っています。せめて、高校の間だけでもここにいることを許していただけないでしょうか。お願いします」
大吾に向かって頭を下げるが、頭上からは無情な返事が聞こえてくる。
「君は今までの話を聞いていたのか? 写真を上げないのが何だって言うんだ。涼佳に何をしたのか正直に言いなさい。だいたい、うちの娘はそんな馬鹿なことをするような人間じゃない。涼佳も正直に――」
「いい加減にしてよ!」
声を荒らげた涼佳に、大吾は一瞬体を硬直させ、空也も弾けるように頭を上げる。
「涼佳、一体どうしたんだ」
「どうしたじゃないよ。なんで信じてくれないの? 私は承認欲求強くて、SNSに足の写真を上げちゃうくらいこじらせちゃってる『そういう』馬鹿な子なの。父親なのにそんなことも分からないから娘に逃げられるって、どうして分からないの?」
日頃空也が抱いている『クールな雰囲気』とは別人のように感情をあらわにする涼佳。
「なっ……」
絶句する大吾になおも涼佳は言葉を続ける。
「大学は須藤くんと一緒にお父さんが恥ずかしくないようなところには行く。それならいいでしょ。私の人生なんだから、少しくらい、私のしたいようにさせてよ!」
「……いい加減にせっしゃい! 俺はお前を将来困らせたくないさかい言うとるんだ。ながになんやその言い草ちゃ!」
ついに大吾も感情を爆発させたが……訛っていた。
「……え?」
「え?」
空也も涼佳も大吾の発言に言葉を失い、遅れて大吾も自分が方言で喋ってしまったことに気づいたのか、気まずそうに空也たちから視線を外す。
空也の認識では、さっきのはどこかの地方の方言だ。少なくとも標準語ではない。
「お父さん、生まれも育ちも東京だって言ってなかった?」
「……すまない。出身地がコンプレックスで、ずっと嘘をついていたんだ」
大吾は涼佳から視線をそらしたまま答える。
「じゃあ、自分も地方出身なのに今まであんなこと言ってたわけ? 信じられない。ひょっとして、出身大学も」
涼佳は非難めいた口調で尋ねる。
「それは本当だ。すまなかった。だが、私が身を以て学んだ体験だからこそ、お前にそこまで言ってるんだ。決して偏見や思い込みで言っている訳ではない」
「お父さん……」
先ほどとは打って変わって弱々しい雰囲気の大吾に、涼佳はそれ以上の追求はやめたようだ。
大吾の様子が変わったのは空也にも分かった。今までの発言もコンプレックスの裏返しなのだと思うと、大吾に対して抱いていた反感も薄れていく。
「あの、来栖さん」
「何かな」
「俺はまだ娘さんと知り合って1ヶ月と少しで、知っていることより知らないことが圧倒的に多いです。大食いなのは知ってるけど、何が一番好きなのかも知りません。東京ではどんな生活をしていたかとか、大事にしていることは何かも知りません。だから、もっと知りたいんです。もっと一緒にいてもっと来栖のことを知って、一緒に勉強して一緒に東京の大学に行ってみせます。もちろんハンパなところには行きません。機会格差なんて吹き飛ばしてやります。約束します」
視線を合わせようとしない大吾の背中に向かって自分の気持ちをぶつける。
大吾は肺の空気を全て出し尽くすようなため息をつくと「須藤くん」と空也の名を呼び、空也を見た。
「は、はい」
「さっき『東京の大学に行きます。もちろんハンパなところには行きません』と言っていたが、その発言に偽りはないね」
大吾の表情は相変わらず神経質そうだが、態度が軟化しているように見えた。
「もちろんです」
背筋を伸ばし、声を張って答える。
「それならいい。私だって田舎の生まれから必死で勉強して現役で合格したんだ。それくらいできてくれないと困る。ところで須藤くん」
「は、はい」
「涼佳のことが間違いなく好きなんだな」
「えっ……」
ド直球の質問に口を詰まらせてしまう。
「違うのか?」
「は、はい、す、好きです!」
まるで軍曹に向かって「サーイエッサー!」と叫ぶ訓練兵のように声を上げる。
「それじゃあ、娘を頼んだよ。もちろん、途中でやっぱりムリですは認めない。もしそんなことになったら……分かっているね」
「は、はい。……あの、一つ聞いていいでしょうか?」
「なんだい?」
病室を出ていこうとする大吾に声をかけると、上体を捻り空也を見てきた。
「その、どうして娘さんがこっちに残ることを許してくれたんですか?」
緊張で変なことを言ってしまったらどうしようと思いつつも、なんとか知りたいことを尋ねることができた。
大吾は体を前に戻すと、
「別に私だって娘のことが憎いわけではない。私なりに幸せになって欲しいと思っている。当然のことだろう? ……あと、さっきは失礼なことを言ってすまなかったね」
そう言い残し、振り返ることなく部屋を出ていった。
「……」
空也は大吾が最後に謝罪をしてきたのを意外だなと一瞬思ったものの、娘を思うがゆえに熱くなってしまったのだろうと思い直した。自分も同じ立場だったら似たようなことをしてしまいそうな気がする。
それはともかく、これでまた涼佳と一緒にいることができるようになった。しかし実感を持てずに呆然と立ち尽くしていると、
「須藤くん。これでまた一緒にいられるね」
歩み寄ってきた涼佳が両手で空也の手を握った。小さく冷たい手に触れられた瞬間、顔が熱くなってくる。
「あ、ああ、そう……だな」
視線を落とし、床を見つめながら答えると、
「大団円って感じだねえ」
「え? ……あ」
声が聞こえた方向へ視線を向けると、上機嫌な顔をした松子がいた。
空也は今の今までここが松子の病室だということを忘れてしまっていたのだ。
「まだまだだけど、涼ちゃんを守ろうとするなんて男になったねえ」
「うん。私もそう思う」
病室の引き戸を開けて真実が入ってきた。
「え、真実、さん?」
「さすがに途中からは入れないよね」
もみ上げを摘みながら真実は苦笑を浮かべる。どうやら会話のほとんどを聞かれてしまっていたようだ。
つまり、渾身の『好きです!』も2人に聞かれてしまっていたということだ。と言うより涼佳にも聞かれてしまっている。
「~~~~~!」
顔に火が点いているんじゃないかと思うくらい熱い。穴があったら迷わず飛び込みたかった。
「でも」涼佳の手の力がわずかに強まる。「私はすごくうれしかったよ」
涼佳と目が合い、笑顔に釘付けになる。何度見ても落ち着かない。冷静になれなくなってくる。なのに、いつまでも眺めていたくなってくる、不思議な笑顔だ。
そして、そんな笑顔を持つ少女が自分の彼女なのだと改めて思うと、これ夢なんじゃないかとつい思ってしまうのだった。
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