第9話 熊と女子

 カンナの目に映ったもの、それは体長2mは超えるだろう大きな熊の死骸だった。

 そのすぐ傍にはカンナと同い歳くらいの若い女性が2人。1人は真っ赤なエナメル革のコートを着た小柄のブロンドショートで、もう1人は手に長い真っ赤な棒を持った黒髪ボブのナイスバディ。その胸の大きさには、女のカンナでさえ目がいってしまう程だ。


「……熊??」


 状況が掴めないカンナは呟きながら隣のリリアの顔を見る。だが、リリアは特に驚いた様子はなく、平然と大きな熊の死骸を見ていた。


「よお、リリアさん! そいつが新入りか?」


 熊の死骸の向こう側に立っていた女性の1人が、死骸を避けて戦慄しているカンナの方へ近付いて来た。


「そうよ、あかり


 リリアが頷くと、その燈と呼ばれた小柄な女性は、鋭い目付きでカンナの顔を覗き込む。腰には赤い日本刀を差している。どうやら剣士のようだ。


「へえ、コイツが澄川の。美人ではあるけど、強そうには見えねーな。何か感じ悪そうだし。てか、何で紫陽花なんか持ってんだよ」


 カンナを一目見た燈は、初対面の人に対する礼儀を持ち合わせていないのか、不躾な物言いでカンナを嘲り笑った。

 無論、カンナが燈に悪い印象を持ったのは言うまでもない。


「やめなさい、燈。失礼でしょ。こちらは澄川カンナさん。紫陽花は自警団の日照副隊長から貰ったの」


 リリアが赤い女性、燈を叱るが燈は気にもとめずにカンナにガンを飛ばす。


「カンナか。世界最強体術・篝氣功掌かがりきこうしょうの使い手・澄川孝謙すみかわこうけんの娘さん。良い所のお嬢様だよな。だからなんか大事そうに持ってんのか?」


「燈!! もう貴女は黙ってなさい!!」


 嫌味ったらしくカンナに絡む燈に、リリアがまた注意するが意に介さずにカンナに絡み続ける。


「お前みたいなお嬢様が何でわざわざこの学園に来たんだ? お前みたいな育ちの良い奴が来る場所じゃないぞ? 多分場違いだと思うんだが」


 執拗に絡む燈という女に、プライドの高いカンナのイライラは募っていく。


「あの──」


火箸ひばしさん、澄川さんに失礼な事を言わないでください。これは『命令』です」


 カンナが燈に言い返そうとすると、もう1人の赤い長い棒を持った黒髪ボブヘアーの女性が静かな口調で言った。


「チッ」


 燈はその女性の言葉に舌打ちをしたが、それからは不服そうな顔を見せたが、口を閉じ一転して黙り込んだ。


「ごめんなさい。澄川さん。私は学園序列12位の斉宮いつきつかさ。つかさって呼んで」


 その女性は燈とは正反対に礼儀正しく誠実にカンナへ友好的に握手を求める手を差し出した。


「あ、澄川カンナです。よろしくお願いします」


 カンナはつかさの握手に応じその手を握った。

 燈との対応の落差に、カンナは驚きを隠せず動揺していたが、つかさの柔らかな微笑みを見ると、負の感情は瞬時に消え去った。


「その口の悪い人は序列14位の火箸燈ひばしあかりさん。火箸さんは誰に対してもこんな感じなんだ。でも、悪い人じゃないから許してあげて」


「あ、はい、分かりました」


 つかさの言葉に、カンナはコクリと頷く。

 リリアはその様子を見てホッと胸をなでおろしていた。燈だけが面白くなさそうに腕組みをしてそっぽを向いている。


「ところで澄川さんはお幾つですか? 見たところ同年代に見えますが……」


「私は22です」


「あ! 同い歳です! 何だ、ならお互いタメ口にしよう! 女の子で同い歳の人いなかったから凄い嬉しい!」


「そうなんだ。よろしくね、つ、つかさ」


「うん! よろしく! カンナ!」


 嬉しそうなつかさの顔を見て、カンナもそのポーカーフェイスを崩しニヤリと笑う。


「あー、気色わりー」


 イチャイチャするつかさとカンナを見て燈は2人に聞こえる声で悪態をつく。


「火箸さんのああいう発言はフル無視で大丈夫だからね。何か虐められたら私かリリアさんにすぐに言って。また黙らせるから」


「ありがとう」


 序列的に下の燈はつかさには逆らえないのだろう。まさに学園の序列制度が機能している事をカンナは実感した。しかし、つかさよりも序列が上のリリアの言う事は聞かなかった理由は分からない。

 それよりもカンナには気になって仕方ない事がある。


「ところで、その熊は何なの?」


「ああ、これ? 火箸さんと2人で退治したの。この山はヒグマが生息してるんだけど、最近は村の人がヒグマに襲われる被害が多発しててさ。村からの依頼で学園の生徒が派遣されるんだよね」


 さも当たり前かのように、つかさはさらりと説明をした。


「退治したって、つかさと火箸さんが? 村には自警団もいるのに、わざわざ生徒がそんな危険な事を?」


 カンナの疑問に、燈は鼻で笑った。


「自警団なんかがヒグマを狩れるかよ。アイツらは人が村で起こすいざこざ専門だ。武術を齧っただけのただの一般人だからな。人間しか相手に出来ねーんだ。あたし達学園の生徒とは鍛え方が違う」


「そんなに?」


 カンナには猛獣のヒグマを倒せる程の力を持つ人間が学園に大勢いるとはにわかには信じられなかった。カンナ自身、熊のような猛獣と戦った事はない。

 しかし、実際にたった2人で、しかも棒と刀だけで倒してしまっている状況を見たら信じざるを得ない。


「猟銃の1つでも使えたなら、自警団でも対処出来るだろうが、この世界では禁止されてるからなぁ」


 まるで嫌味ったらしく燈はそう呟いた。


「それよりさー、リリアさん。コイツ『はなれ』から入るわけじゃないよな? 今『はなれ』は39人だから1人入れる枠はあるけど、序列40位は空いてないぜ? まさかとは思うけど、序列11位に入るなんて事ないよな?」


「私も詳しくは聞いてないから分からないけれど、序列11位に入る事はないと思うわ。序列11位にいきなり入ったら皆からの反感も凄いだろうし、何より序列11位は響音ことねさんが……」


「だよな。序列41位が新設されんのかな。ま、せいぜい頑張れよ、澄川カンナ。うちの学園は性格終わってるやつばっかだからな。逃げ出すなら今のうちだぜ」


「やめなさい、燈」


 リリアが窘めると、燈は溜息をついて森の茂みに隠していた馬に乗った。


「じゃあ、つかさ。あたしは村まで降りて自警団の連中を呼んで来るわ。さっさとこの死骸どかしてもらわないとな。見張りよろしく」


「了解です」


 燈はつかさに見張りを託すと、馬の腹を蹴り、颯爽と山道を駆け下りていった。


「カンナ、火箸さんの言うことは気にしないで大丈夫だからね。私だってこうしてやっていけてるんだから」


「うん。気にしてない。私は武術を学べればそれでいいし」


 つかさの気遣いにカンナは微笑みを見せる。


「さてと、澄川さん。私達も先を急ぎましょう」


 リリアに促され、カンナはまたリリアと馬に跨った。


「じゃあね、カンナ。また後で」


「うん、また」


 手を振ってくれるつかさにカンナも手を振り返す。


 リリアが掛け声を上げて馬腹を蹴ると、馬は熊の死骸を避けて勢い良く駆け出した。背後からカンナのメタリックブルーのスーツケースを背負った馬もしっかりと追いかけて来る。


「良かったですね。早速お友達が出来て。燈はクセが強いけど、つかさはいい子だから仲良く出来ると思いますよ」


「はい」


 カンナは頷くと、手に持った紫陽花オルタンシアを見てニコりと微笑んだ。

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China Blue:Hortensia(チャイナブルー:オルタンシア) ~希少な氣功体術の使い手女子がガチガチの序列主義の学園で序列1位を目指す あくがりたる @akugaritaru

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