第8話 序列制度

 自警団副隊長の日照ひでりという男に、澄川すみかわカンナとあかねリリアは監視小屋の中の個室に案内された。


「美人が増えて嬉しいねー。俺も自警団辞めて学園に入ろうかな」


「馬鹿野郎。お前じゃ無理だ」


 個室を覗く他の団員の男が、カンナとリリアにイヤらしい視線を向けながら呟くと、日照はその団員の頭を小突いて扉を閉めた。


「さてと。それじゃあ簡単に学園の概要を説明しますね、澄川さん」


 2人きりになると、リリアは落ち着いた口調で切り出した。

 カンナが静かに部屋の中央のソファーに座るとリリアは腰と背中の刀を外しソファーに立て掛けて置き、向かいに腰を下ろした。

 カンナとリリアの間には低いテーブルがあり、そこにはグラスに入った水が2人分置かれていた。


「よろしくお願いします」


 カンナはペコリと頭を下げる。

 するとリリアはカンナを不思議そうな表情で凝視した。


「何ですか?」


「あ、いえ、すみません。知り合いに似てるなと思って」


「へぇ」


 カンナはそんな事かと気に留めることもなく、目の前の水滴の付いたグラスを取り、乾いた喉を潤した。


「すみません、関係ない事を。えっと、学園の説明ですが、まずですね、1番重要な『序列制度』からお話させていただきます」


 リリアは襟を正すと学園についての話を始めた。


浪臥武術学園ろうがぶじゅつがくえんは大きく3つの学年に分かれています。1つは、15歳未満の子供が加入する『まもり』。この『まもり』学年はいわゆる一般的な義務教育を行う学年で、中学校までの義務教育と、基本的な武術を包括的に教えています」


「茜さんも、まもりから学園に入ったのですか?」


「いえ、私が学園に来たのは15歳の時でしたので、15歳以上の『やぶり』の学年からでした」


「『まもり』の上ですか?」


「はい。『やぶり』の学年は、高校教育と専門武術を3年間学ぶクラスになります。このクラスで自分の専門武術を決めて極め始めます」


「では、私は22なのでさらにその上のク学年ですね」


「そうです。18歳以上は武術だけを学ぶ専門学年『はなれ』です。澄川さんは『離』への編入という事になります。そしてこの学年から『序列制度』が始まります」


「ワクワクしますね。私はそれが面白そうでこの学園に来る事を決めたんです」


 目を輝かせているカンナに、リリアは1つ溜息をついた。


「澄川さんが思っている程、面白いものではありません。徹底的な上下関係を強いる過酷なものです。私の話を聞いたら……学園への入学を辞めたくなるかも……」


「私は心身共に強靭なので大丈夫です」


 自信満々なカンナを見て、リリアは申し訳なさそうに話始める。


「『はなれ』には40名の定員があり、序列1位から序列40位まで序列が割り当てられます。上位序列には下位序列の生徒は決して逆らってはならず、学園の禁止事項を除いた全ての命令を聞かなければなりません」


「想像通りです。ちなみに、学園の禁止事項とは何ですか?」


「『人の命を奪う事』、『自らの命を捨てる事』、『人の物を奪う事』、そして『生徒同士の性交渉』です。これらを命じる事は出来ません。逆にこれ以外の事を上位序列に命じられたら絶対に従わなければなりません」


「倫理観は守られているのですね。でも、そうなると命令って、『パン買って来い』とか『荷物持て』とかですか?」


「そんなレベルではないです……その……」


 言い淀むリリアを見て、カンナは悟った。


「口に出せないような事もあるんですね。どんな命令されるのか……ま、望むところですよ」


 澄ました顔でカンナは言ってみせる。だが、リリアは眉をしかめてカンナを見つめる。


「澄川さんは美人でスタイルもいいから、かなり地獄かもしれません。それに、男性からのセクハラ的な命令だけではなく、女性からもそういうのありますから……」


「茜さんも、色々あったんですか?」


「う……まぁ、昔は……。私はこういう性格なので大変でした。ただ、私の場合は素敵な先輩がいたので、ここまでやって来れたわけですがね」


「全員が全員酷い人って事ではないのですね」


 カンナの言葉に、リリアは何故か首を縦に振らなかった。


「でも、澄川さんは最初序列40位からになると思うので、全生徒から命令される事になると思います……」


「編入した瞬間にセクハラされるのほぼ確定……って事ですね?」


「出来る限り私が守るので大丈夫ですが、私の目の届かないところでは難しい場合もあります……」


「その時は自分で適当に何とかしますよ」


「1つだけ、貴女自身が上位序列からの命令を回避する方法があります」


「何ですか?」


「『序列仕合じょれつじあい』をして相手に勝つ事です」


「序列仕合?」


「序列を変動させる事が出来る唯一の方法です。上位序列が命令をして来た時に序列仕合を申し込む事でその命令を保留にする事が出来、勝てばその命令をして来た相手と序列を入れ替える事が出来るので、命令を無効に出来ます。負けたら……何も変わりませんが」


「何だ。そんな事が出来るなら全然問題ないですね。私負けませんし」


 自信過剰なカンナに、リリアは苦笑する。


「凄い自信ですね。自分の武にそんなに自信が持てるなんて」


「それはそうです。父から受け継いだ篝氣功掌かがりきこうしょうを極めた私が、少なくとも体術で負ける事はないですから」


「そうですか。入学の意思は変わらなそうですね」


 カンナは頷く。


「変わりませんよ。ここには強い人が沢山いそうですから。割天風かつてんぷう先生にもお会いして教えを乞いたいですからね」


「そうですか。それなら貴女には学園は向いているかもしれないですね」


 リリアは静かに言うと、グラスを手に取り水を口に含んだ。


「ところで、茜さんは序列は何位なんですか? 相当な使い手とお見受けしますが」


「私は序列10位です」


 カンナは驚愕した。その立ち振る舞いから相当の達人と見ていたカンナだったが、リリアの上に9人も生徒がいる事に衝撃を受けたのだ。


「一度、私と手合わせをお願いします!」


 机に両手を突くと、カンナは身を乗り出してリリアに申し出る。

 だが、リリアは驚きながらも首を横に振った。


「ごめんなさい。一般の方とは戦えない決まりなんですよ」


「私は入学しますよ?」


「あの……その、入学したとしても、私は極力、人とは戦いたくないんです」


「え? じゃあ、何の為に学園にいるんですか?

 しかも、序列10位にまで上り詰めて」


「私は大切な人を守る力を得る為に学園に入りました。自ら相手を傷付ける為ではありません。序列10位になったのは、理不尽な命令をしてくる生徒から身を守る為。これ以上序列を上げるつもりもありません。それに」


「それに?」


「体術なら貴女の方が明らかに強い。戦わくても分かります」


「そうですか……」


 カンナはガッカリしてまたソファーに腰を下ろした。


「澄川さん、貴女が学園への入学の意思が固い事は分かりました。そろそろ学園に向かいましょうか。学園までは2時間程掛かりますので、御手洗は済ませておいてください」


「あ、そうだ。移動は馬って言ってましたけど……」


「あら、ごめんなさい。忘れていました。この島には自転車やバイク、車といった現代の移動手段はありません。移動は専ら馬になります」


「馬……なんて、乗った事ないですよ?」


「大丈夫ですよ。今回は私の馬に乗ってもらいます」


「聞いてないんですけど……」


「ごめんなさい。でも、学園では馬がないと生活出来ませんので、ちゃんと乗り方は覚えてもらう事になりますよ? それとも、入学は辞めておきますか? 辞めるなら今ですよ?」


「いえ、大丈夫です! さあ、行きましょう!」


 カンナは覚悟を決め、残りのグラスの水を飲み干すと立ち上がった。

 リリアも水を少しだけ飲むと、2本の刀を取り、慣れた手つきで腰と背中に付け直した。


「日照副隊長。ありがとうございました」


「お? もう終わったのかい?」


 リリアの声を聞いてすぐに日照が個室の扉を開けた。

 リリアが日照に頭を下げるとカンナも頭を下げた。


「澄川さん、これから学園に入る君に、俺たち浪臥村自警団より贈り物です。どうぞ」


 日照はそう言って紙に包んだ一輪の水色の紫陽花オルタンシアをカンナに差し出した。

 難しい顔をしていたカンナの表情は、それを見てすぐに解れた。


「ありがとうございます!」


 カンナは凛とした声で礼を言うと、また深々と頭を下げた。



 ♢


 馬に乗ったのは初めてだった。

 予想通りの揺れに怯えながら、カンナはリリアの背中にしがみついて2時間という道のりが過ぎ去るのをただ必死に耐える事しかできない。

 風を切る感覚は幾らか気持ちが良く、視界に入る山道の木々の緑が気持ちを穏やかにしてくれている。


 後方からは、カンナの為に用意してくれていた馬が、カンナのメタリックブルーのスーツケースを背に括り付けて、乗り手もいないのにしっかりと追いかけて来る。


 木々や土の匂いが船上とは違う癒しの効果があるのか、揺れてはいるが不思議と乗り物酔いする気配は無い。


「こ、こんな過酷な移動を毎日?」


 カンナの問に、リリアは首を横に振る。


「いいえ。村へは基本的には村当番や個別の任務でしか行き来しません。生活は学園内で完結してしまうので」


「え? 茜さんは村に住んでいるんじゃないんですか?」


「生徒は全員学園内の寮に入ります。外出申請を出せば村へは出掛けられますが、私用での島外への外出は在学中は認められていません。稀に島外任務で行く事は出来ますが」


 だいぶ自由を拘束されそうな予感がするが、もう引き返す事など出来ないので、カンナは深く考えるのをやめた。


「そうなんですか……。ところで、先程から言っている任務って何の事ですか?」


「任務というのは……あ、ちょうどいいところに」


 リリアは何かいいものを見付けたのか、馬を減速させ、やがて山道の途中で止まってしまった。

 後ろからついて来ていた馬も一緒に止まっている。

 カンナがリリアの背から前を覗くと、そこには2人の女性が、道を塞いでいる大きな茶色い土の塊の様なものの前に立っていた。


「え?」


 目を凝らしてその塊を見たカンナの口からは、思わず声が出ていた。

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