星の魔女

雪村 紅々果

星の魔女


 むかしむかし、あるところに星の魔女がいました。星の魔女は星の欠片でできた冷たくて硬い体を持ち、手も足も雪のように白く美しく、とりわけ髪と瞳は綺麗で陽の光によって七色にきらめいて見えました。そんな星の魔女は長い間ひとりで、深い森の奥の小さな家でひっそりと暮らしていました。


   ✭


 星の魔女は優しい魔女でした。星の魔女はいつも訪ねてきた森の動物たちや町の人間たちのお願いを叶えてあげていました。

 

 ある日、星の魔女の元にハツカネズミがやって来ました。


「ぼくの体はとても小さいので、町の子どもたちにばかにされるのです。ですから、ぼくに大きな体を下さい」


 ハツカネズミは星の魔女にそうお願いしました。星の魔女はハツカネズミをかわいそうに思いました。そして、ハツカネズミに魔法をかけたのです。


 ハツカネズミは大きな体を手に入れました。後ろ足で立ち上がると町の子どもたちと同じくらいの、大きな体でした。


「これでぼくはもうばかにされません!」


 ハツカネズミは町へ行って早速子供たちに自慢しました。しかし、子どもたちは自分たちと同じくらいの大きさのハツカネズミを見て悲鳴を上げました。女の子たちは泣いて逃げ回り、男の子たちは落ちていた石をハツカネズミに向かって投げつけました。


 ハツカネズミは驚き、必死に隠れようとしました。しかし、子供たちの悲鳴を聞いた大人たちが急いで鉄砲を持ってきます。ばぁんばぁんと鉄砲がうなり、ハツカネズミを撃ち殺してしまいました。


 ハツカネズミはばかにされる事は無くなった代わりに人々から気味悪がれて、死んでしまいました。

 

 また別のある日、星の魔女の元にパン屋の娘が訪ねてきました。女の子の顔には大きな傷がありました。


「私には好きな男の子がいるのですが、ご覧の通り、顔の傷があるせいで話しかけることができません。どうか、私の顔を町で売っている人形のように美しくしてください」


 パン屋の娘は星の魔女にそうお願いしました。星の魔女はパン屋の娘に同情しました。そして、パン屋の娘に魔法をかけたのです。


 パン屋の娘は願い通り、傷の無い美しい顔を手に入れました。白く滑らかな肌に緑の瞳、花びらのような唇は何の欠点もなく素晴らしいものでした。


「ああ、やっとこれで彼に話かけられるわ!」


 パン屋の娘は焼きたてのパンを持って男の子に会いに行きました。男の子を見つけたパン屋の娘は優しく笑いかけようとしました。しかし、顔を動かすことが出来ません。どんなに唇を動かそうにもぴくりともせず、瞬きさえも出来ません。


 男の子は美しいがにこりともしないパン屋の娘を奇妙に思い、何も言わず立ち去ってしまいました。パン屋の娘はとても悲しくて座りこんでしまいました。涙は流れず、表情は仮面のようにずっと同じままでした。


 パン屋の娘は美しい顔を手にした代わりに、生き生きとした表情の全てを失ってしまいました。


   ✭

 

 星の魔女は優しい魔女でした。しかし、星の魔女を訪ねて、願いを叶えて貰い幸せになった人は一人もいませんでした。少しずつ星の魔女を訪れるものは居なくなり、そして星の魔女のことは忘れ去られていきました。


 別に星の魔女は悲しくありませんでした。森の奥でひっそりと暮らす彼女は、ひとりぼっちに慣れていたからです。それから長いこと星の魔女は森の奥でひとり、静かに暮らしていました。


   ✭

 

 どれくらいの時が流れたでしょうか。星の欠片でできた体を持つ星の魔女は歳を取らず、死ぬことも無かったので、時間の流れを知りません。


 そんな星の魔女の元に一人のこどもがやって来ました。小さな男の子でした。


「お客さんが来るのはいつぶりだったかしら。さあ、あなたは何が欲しいの」


 星の魔女は男の子にそう尋ねました。男の子はにこにこと笑って首を振りました。


「遠慮しなくていいのよ。あなたが望むなら美味しい食事も美しい宝石も、富も名声も、誰もが憧れる美男子や純白の鳥になることだってできるのよ。さあ、あなたの願いを教えて」


 男の子は黙って首を振ります。星の魔女はすっかり困ってしまいました。今まで、男の子のように星の魔女に何も願わないものはいなかったからです。


 困って、黙ってしまった星の魔女のワンピースの裾を男の子がそっと引っ張りました。


「ぼくのおともだちになってください」


 星の魔女はとても驚き、本当に困ってしまいました。ひとりぼっちの星の魔女は友達を知りません。どうしよう、と彼女がおろおろしているうちに男の子がぱっと手を離しました。男の子はそのまま星の魔女の両手を握ります。男の子の手は星の魔女と違って温かく少し汗ばんでいました。


「ほら、これでおともだちになれたね」


 男の子はそう言って星の魔女に、にっこりと笑いかけました。

 

 それから、男の子は毎日、星の魔女を訪ねて来るようになりました。星の魔女は初めてできた友達をどうしていいかわかりません。


 男の子はいつも元気で、時々絵本やクッキーを持ってきました。とまどいながらも、優しい星の魔女は絵本を読み聞かせたり、お茶を入れたりして男の子をもてなしました。そのうちに、星の魔女はそんな小さなおともだちが訪ねて来るのを楽しみに待つようになりました。


   ✭

 

 ある日、男の子が白い絵本を持って星の魔女を訪ねて来ました。星の魔女が初めて見る絵本でした。星の魔女は用意していたハーブティーをそばに置いて、絵本を読み始めました。


 それは永遠を生きる王子様と九つの魂を持った灰色の猫のお話でした。永遠をひとりぼっちで生きる王子様のもとを、灰色の猫は繰り返し何度も訪ねます。灰色の猫が何度も訪ねるうちに王子様は心を開き、二人は友達になりました。


「まるでぼくたちみたいだね」


 男の子は言いました。星の魔女はうなずいて絵本を読み進めます。


 九つの魂すべてを使って灰色の猫は王子様のそばに居続けました。最後の魂がつきるとき、灰色の猫は言いました。


「仲間達と違って、純白の毛並みを持たない俺が唯一自慢できたのが君という友人を持っていることだった。本当にありがとう」


「君はいつも灰色の毛並みを気にしていたが、この黒く塗りつぶされたお城では灰色がよく映えて、まるで満月のような銀色に輝いていたんだよ。こちらこそ、君の友人になれて幸せだった」


 王子様は灰色の猫をなでながら言いました。夜も深くなる中、二人は色々な話をしました。最後に王子様は言いました。


「命あるものが死ぬと虹の橋という場所に行くらしい。これまで君は僕の元に何度も訪ねてきてくれた。今度は僕が君を訪ねよう」


 朝日が昇る頃、灰色の猫は息絶えました。王子様はその亡骸を大切に弔いました。


 そして、王子様は虹の橋を目指して旅に出たのです。それは大変な旅でした。虹の橋は遠く、道はとても険しいものでした。しかし、王子様が諦めることはありませんでした。


「たった一人の大切な友人に会いに行くのだ。つらいことなどあるものか。永遠を生きる僕には時間ならたっぷりある。焦ることも無いだろう」


 絵本は王子様が旅の末に灰色の猫と再会し、虹の橋のたもとで寄り添っている絵で終わっていました。


「ふたりはまたあうことができたんだね」


 男の子は拍手をしながら良かった、という風に笑いました。


 絵本を読み終わった星の魔女は男の子にあわせて笑いながらも、心の中は大きく揺れていました。何故なら、絵本のお話が他人事のように思えなかったからです。


 星の欠片の体を持つ星の魔女もまた、絵本の中の王子様のように永遠を生きることができてしまいます。しかし、星の魔女の隣にいる男の子は普通の人間です。生きる時間が限られている人間と友達になって、最後に取り残されるのは星の魔女の方。その時、星の魔女は絵本の王子様のように前向きにいることができるでしょうか。


 星の魔女は生まれて初めて、死ぬということを怖がりました。


 いつのまにか用意していたハーブティーは冷め切っていました。


   ✭

 

 星の魔女が男の子と出会ってから、いくつもの季節がすぎました。その間、時間は確かに流れていきます。星の魔女の腰ほどの大きさだった男の子は、いつのまにか星の魔女よりも大きくなり、青年になっていました。年をとらない星の魔女は大きくなる男の子を喜ばしいようなさみしいような気持ちで見守りました。男の子は青年になっても、変わらず星の魔女のもとを訪ねてきていました。


 青年は絵本やクッキーの代わりに、小さな宝石のついたネックレスや町ではやりの良い香りのする石けんを持って来るようになりました。それらの贈り物を星の魔女は大切に使い、青年には手作りのお菓子やハーブティーを贈りました。


 その頃になると星の魔女は青年と一緒にいることが何よりも幸せに感じるようになっていました。青年が訪ねてくるのを心待ちにし、青年がいなくても青年の事を考えて過ごすようになりました。


 ご飯やお菓子をつくる時、二人分の分量でつくる方がおいしくつくれるようになりました。森の奥に咲いた花を見て、青年の横顔を思い出しました。大雨が降るとまっさきに青年のことを心配するようになりました。青年が家に帰ってゆく後ろ姿をみて、寂しいと思うようになりました。


 星の魔女は恋をしていました。生まれて初めての恋でした。誰か一人のことをこんなに長く想うのは今までにありませんでした。青年の事を考えるたび星の欠片でできた冷たい体が温かくときめき、星の魔女は静かに胸を押さえました。


 ある春のよく晴れた日でした。いつものように星の魔女を訪ねてきた青年の手には花束が握られていました。少し緊張してみえる青年が星の魔女に向かって言いました。


「魔女様、僕はあなたを愛している。どうかこの先も僕と一緒に生きてくれないだろうか」


 星の魔女は驚きました。驚いて、とても驚いて――


 そして逃げ出しました。


「魔女様!」


 青年の呼び止める声が後ろから聞こえます。その声を振り切って魔女は走り続けました。風を切って走る中で星の魔女は考えます。


 星の魔女が青年に恋をしていたのと同じように、青年も星の魔女を愛している。なんて素敵なことでしょうか。なんて嬉しいことでしょうか。


 例えば、青年の申し入れを受け入れて一緒に暮らす。これまでのように一緒にハーブティーを飲んで、読んだ小説の感想を言い合って、笑い合う。きっと夢のような幸せな時間でしょう。何年もずっとそうやって穏やかに静かに暮らしていく。


 しかし、その後は?


 星の魔女と違って青年は年をとります。そして、最後には物言わぬ屍となるのでしょう。


 そのときがきたら、星の魔女は悲しみに耐えられるでしょうか。


 星の魔女は昔、青年がまだ男の子だった頃に読み聞かせた絵本を思い出します。


 星の魔女は絵本の王子様のように前向きにいることができるでしょうか。


 いいえ。


 星の魔女はきっと私は押し寄せる悲しみに耐えられないでしょう。


 そもそも魔女と人間がこんなに長く一緒にいたこと自体、間違っていたのです。もうここで終わらせるべきなのです。魔女は長いこと暮らしていた森の奥の小さな家に、もう戻らない事を決めました。


「さようなら。私の最愛のひと――」


 星の魔女の目から涙の代わりに、大粒の星の宝石がこぼれ落ちました。


 その日の夜、空に数え切れないほどの流れ星が流れました。美しく尾をひく星々は、静かに夜空を伝って流れていきました。人々はあまりの美しさに息をのみ、大切な人と手をとって静かな夜を過ごしました。


   ✭


 星の魔女は色々な所を旅しました。知らない場所へ行って、見たことの無いものを見ていると少しの間だけ青年のことを忘れることが出来ました。しかし、すぐに頭の中は青年のことでいっぱいになってしまいます。美しい景色を見ても、美味しい料理を食べても、心に浮かぶのは思い出のなかの青年がはにかんで笑う姿でした。


   ✭

 

 どれくらいの時が流れたでしょうか。星の欠片でできた体を持つ星の魔女は歳を取らず、死ぬことも無かったので、時間の流れを知りません。


 気が付けば、星の魔女は森の奥の小さな家の前に立っていました。星の魔女は自分を笑いました。無意識にも戻ってきてしまった自分が愚かしく思えました。


 星の魔女は自然と扉に手をかけていました。星の魔女が家を離れてから、あまたの寂しさを数えました。普通の人間ならもう生きてはいないでしょう。あの後、あの子は幸せになれたかしら、そう思いながら、星の魔女は扉を開け、小さな家に足を踏み入れました。


 部屋いっぱいに広がるハーブティーの香り。

 火にかけられた鍋がたてる柔らかい音。

 きいきいと繰り返し揺れる揺り椅子。

 本のページを繰るささやかな気配。

 


「おかえりなさい、魔女様」


 そこには、星の魔女が愛した青年が、かつてとまったく変わらないそのままの姿でいました。


 ハーブティーをそばに置いて、揺り椅子に深く腰かけ、膝の上に本を置いて、青年は優しく微笑みます。


「どうして……」


 星の魔女は驚きで目を見張りました。確かに青年は普通の人間のはずでした。しかし、普通の人間が星の魔女と同じように生きられるはずがありません。


「九つの魂を持った純白の猫に聞いたんだ」


 青年は星の魔女の疑問に答えました。


「昔、魔女様が読んでくれた絵本があったでしょう。あれに出てくる九つの魂を持つ猫は本当に存在したんだ。もっとも、猫を探し出すのは簡単じゃなかったけれど」


 青年は揺り椅子から立ち上がりました。そして星の魔女に向き直ります。


「九つの魂を持つ純白の猫に長い時を生きる方法を教えてもらった。それからずっとここで魔女様の帰りを待ってたんだ」


 それでも星の魔女は分かりませんでした。星の魔女は確かに、もう二度と戻らないつもりで小さな家を出て、ここに戻ってきたのも偶然のことでした。星の魔女が本当に戻ってこない可能性もあったのです。それなのに、青年が待ち続けられた理由が分かりませんでした。


「あなたを愛していたから」


 青年は優しく答えました。青年が星の魔女の手をとります。


「あなたが僕から逃げた時、あなたの声が聞こえたんだ」


 さようなら。私の最愛のひと――。


「どうして、僕から逃げたんだろうってずっと考えた。考えて、考えて。やっぱり、どうしても、もう一度あなたに会いたいって思ったんだ。それからずっとあなたを愛していて、あなたが帰ってくるのを信じていたから。数百年なんてあっという間だったよ」


 星の魔女の目から、涙の代わりに、美しい大粒の星の宝石がこぼれ落ちました。いくつもの星の宝石が床の上に落ちて、高く澄んだ音を立てます。


「ご、ごめんなさい……!」


 星の魔女はしゃくりあげて泣きました。


「わ、わたしが、臆病だったせいで、ずっとあなたをひとりにしてしまった……っ」


「ううん、僕こそあなたを不安にして、何度も泣かせてしまった」


 青年が星の魔女を優しく抱きしめました。そして、あの時のように、少し緊張したりような声で星の魔女に言いました。


「あの時と変わらず、あの時からずっとあなたを愛している。あなたさえ良ければ、これからの時間を、ずっとあなたと一緒に過ごして行きたいと思ってる」


 青年の星の魔女を抱きしめる手に力がこもります。


「だめ、だろうか」 


 何も言わない星の魔女に不安が強くなったのか、青年が弱々しい声で呟きます。


 星の魔女は首を振りました。何も言わなかったのではありません。何も言えなかったのです。星の魔女は幸せでした。かつてない喜びに声がつまりました。嬉しくても涙の宝石があふれることを初めて知りました。


 星の魔女は青年の背中に手をまわします。


「私もあなたを愛しているわ。今までも、これからも、ずっと、ずっと……!」


   ✭

 

 むかしむかし、あるところに星の魔女がいました。星の魔女は星の欠片でできた冷たくて硬い体を持ち、手も足も雪のように白く美しく、とりわけ髪と瞳は綺麗で陽の光によって七色にきらめいて見えました。


 また、星の魔女は、一緒に暮らす最愛の青年と、ともにハーブティーを飲み、読んだ小説の感想を交わし、かつて魔女が旅した遠くの町の話をして、静かに暮らしていました。


 夜空の星々がいつもより美しくきらめいて見える時、町の人々は世界で一番幸福な星の魔女が愛する青年とともに、幸せな夢を見ているのだろうとこっそり噂しましたとさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星の魔女 雪村 紅々果 @sleeping_sheep

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ