いま、㋐いにいきます。(いま、あいにいきます。)
たってぃ/増森海晶
いま、㋐いにいきます。
わたしは、小さいころから、なにかとよく物を盗られました。
どうやら他人の目には、わたしがとても無害な存在に映るそうなのです。
周囲にその気がなくても、普通に存在を無視されたり。
悪意が無いのが分かっていますが、交わした約束を忘れていたり。
無意識なのか、わたしにだけ当たりが強かったり。
そしてなぜか
【わたしなら、なにをしてもだいじょうぶ】
という歪んだ価値観に、学生時代は悩まされました。
自慢ではないですが、わたしは家が裕福です。顔も整っていて、肌は色白、体型はなで肩で小柄、成績は良い方ですが、運動は苦手。静かな場所が好きで、諍いはなるべく避ける。
つまり、他人から
これは生まれ持ったものですから、どうしようもありません。
ある日のことです。
わたしの財布から、1000円札を根こそぎ盗み取ったクラスメイトと、担任の教師を挟んで話し合いが行われました。
盗んだクラスメイトはうかつでした。
お金を盗んだことを友人たちに自慢していて、担任の教師がそこに居合わせてしまったのです。
担任は
放課後、盗んだ子のために謝罪のための席が設けられ、担任から謝罪を促された子は、屈辱で顔を真っ赤にしながらわたしを睨んできたのです。
なぜ、そんなことをしたの?
なんで、わたしから物を盗ろうとしたの?
と、わたしはその子に聞きました。
参考書を買うために、その日は多めにお金を財布に入れてきたのです。
普通に盗まれれば困りますし、悲しいです。
同じクラスメイトとしても、心が痛みます。
「――っ!」
その
担任も驚いていましたが、わたしはさらに驚いてしまいました。
同じ言葉とは思えない。
意思疎通も出来ない。
謝罪する意思もない。
感情が昂ってわたしに殴りかかろうと、手をぐるぐると振り回し始めたその子を、わたしは同じ人間には見えませんでした。
我が身を守ろうと、とっさに突き出した手が、その子の右目に入ったのはまったくの偶然です。
ですが、柔らかなものが爪をかすった生々しさ。
大切なものを奪えた確かな手ごたえが、クラスメイトにお金を盗まれて傷ついていたわたしの心を、やさしく包み込んで癒してくれました。
人の嫌がることをしてはいけません。
人の物を盗んではいけません。
そんな当たり前のことができない人間を、同じ人間として扱ってはいけなかったのです。
人から大切なものを盗むことで、相手の心が傷つくことを想像できない、もしくは故意に傷つけて喜ぶ人間は、自分以外に大切なものがないのでしょう。
右目を傷つけた子は失明を免れましたが、右目の視力が大幅に下がりました。
まったく、わたしからお金を盗まなければ、いらない苦労をしなくて済んだのにバカな子ですよね。
本人の自業自得と、ご両親が常識的な方だったことで、わたしは大したお咎めを受けませんでしたが、報復することを覚えたわたしは、それ以降、物を盗んだ相手に対して厳しく接しました。
「あの、――さん、わたしのポシェットの中見知らない?」
「はぁ、ハンカチなんか知らないしっ!」
「ハンカチなんて、一言もいってないんだけど」
「ナマイキいうな! バカッ!!!」
不思議ですねぇ。
盗む人間が自分と違う人種だとわかると、あ、この人が盗んだんだってわかるようになったのです。
そして、普通に話しかけて指摘すると激昂するのです。
まるでわたしが、反撃する知性のないバカだと思っておるのでしょう。わたしが人並の知能があることを証明すると、盗人は盛大に恥をかかされたという被害妄想に陥り、最期には暴力に訴えます。
盗んだ物が、そのまま持ち主へと返ってくるのは、ほぼ
戻ってこない、返ってきても汚されていたり、壊されていたり、また別の誰かに盗まれたりします。
その度に、わたしは心と尊厳を傷つけられ、時間を奪われ、他者を信頼する気持ちをすり減らしていきました。
「死ねよ、ブスッ!!!」
「……」
人の物を盗むことは、それだけ盗まれる側にダメージを与えていることを、人としての良識を奪うことを、盗む側は知らないですし、知ろうとする知能もないのです。
わたしは盗人に対して徹底的に報復しました。
わざと揉み合うように誘導して、爪を立てて顔に傷をつけたり、眼に指を突っ込み、イスを盾にしつつイスの足で股間へぶつけたり、殴りつけて歯を何本も折ったり、前髪や頭頂部の毛を
確実に盗人の大切な物――相手の人体の一部を
「っ、てぇな、このドグサレ、イッチョ前に反撃するなよ……っ! さっさと死ねよ……、死ねえええっ!!!」
なんで反撃すると、加害者なのに被害者ヅラするんでしょうね。
わたしは許す気持ちもないし、容赦をする気もないのに、わたしを侮っているせいで、彼らはいつもわたしになにかを奪われます。
「あー、ごめんなさい。けど、髪ならまた生えますよね」
容姿に気を使っている女子の場合は、前髪を毟りとることがかなり効果的です。良い感じに毛根まで抜き取って、血が出るレベルまで毟ることができれば、手当てをしても、ウィッグをつけても常に痛みに苛まれます。
「っ、いっああぁ……っ」
相手は「痛い」と、人間の言葉を発しますが、カラスだってオウムだって
報復対策として、正当防衛かつ相手の自業自得に持ち込むことがミソでして、なにより向こうが悪いのですから、周囲はわたしに対してなにも言いませんし、言えません。
むしろ「よくやった」と、わたしを称賛するのです。
「――さんて、本当に度胸あるよな。見直したわ」
「反撃なんて、なかなか出来ないよね。あこがれちゃうわ」
「つかっ、えぐい。ごしゅーしょーさまー」
「見事に前髪イッたなぁ。女子だときつくね?」
そんな人たちは、困っているわたしをいつも助けてくれません。
無責任に傍観して、ここぞとばかりに
ついさっきまで、お互いに顔を寄せ合って笑っていたにもかかわらず、わたしに報復されて傷ものになったら、盗人はわたし以上に蔑ろにしていい存在になり果てるのです。
「後ろの髪で、カバーできないのも悲惨だね」
「バッカ、そのためのカツラだって」
あはははは……。
正義は友情よりも尊く、
これが因果応報だと、すっきりするために。
――ねぇ。
ここまで読めば、わたしがなにを言いたいのか、わかりますよね?
わたしの夫と、不倫旅行中に自損事故を起こしたあなた。
心の底から謝罪をしてくれれば、慰謝料も含めて考えたのに、あなたは夫の死を知って一目散に逃げましたね。
かわいそうなあなたの両親が、あなたを守ろうと矢面に立っていますが、わたしはわたしの大切な夫を奪ったあなたを許しません。
なにがあろうとも、どうあろうとも。
どこまでも、どこまでも追いかけて、あなたの大切なものを奪います。
目なのか、足なのか、歯なのか、爪なのか、指なのか、それとも下半身丸ごとなのかは、ご想像にお任せします。
あと、なぜわたしが、この手紙を寄こしたのか分かりますか?
まず、夫は車を運転できません。
自損事故はあなたの完全な過失であり、愛する人を殺めてしまった後悔と苦痛を想像したからです。
あらかじめ予告をすることで、あなたには報復される覚悟を決めていただきました。
それになにより、逃げたあなたへと、手紙が届いた現実を考えてください。
あなたの味方は、果たしているのでしょうか?
もしかしたら、実際にあなたを追いかけているのは、わたしではなく、無責任な正義感に駆られた、あなたの周囲の人間なのかもしれません。
【了】
いま、㋐いにいきます。(いま、あいにいきます。) たってぃ/増森海晶 @taxtutexi
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