神様なんかに出来やしない

ちょこっと

第1話

 放課後の屋上に一人立つ。私は青空を独り占めしてやった。


 フェンスの前に立つ私の足元からビュービュー風が吹いている。見えない風に押される度、なんとも不思議な心持ちになった。


 こんな世の中だ。目に映る全てが私を押さえつけてやろうとしてくるように思える。圧力は、いくらだってどこにだってある。

 だというのに、見えない風さえもが私に向かってくるのか。何もあんたの気に障る事なんかしてやいないだろうって風さえも、私には向かい風となってくるのか。そんな被害妄想気味の嗤いが零れた。


 高校の屋上。フェンスの前。向かい風に立つ私。

 目の前一杯に広がるのは、鉄格子と空。真っ青な空。悔しい位にだだっ広い空。


 なんでだよ。なんで手が届かない所に自由を見せびらかすんだよ。大空に心が晴れるなんて嘘じゃないか。今の私には、惨めになるだけだ。


 視界が滲みそうになって、思わずフェンスを掴んで俯いた。

 屋上には私だけ。漫画みたいにサボってる男子が寝転がってたりしないし、というかそもそも今時は簡単に屋上に侵入なんて出来やしない。職員室から鍵を盗み出すのに、優等生の仮面は充分役に立ったわ。


 私は屋上のフェンスに手をかけたまま、俯いた視線をゆっくり巡らした。鉄格子のその向こう側、グラウンドを見下ろす。

 高いところは風が強いっていうけれど、本当にそう。下から突き上げるように、前から付き飛ばすように、上から押し付ける様に。

 制服のスカートがぴらぴら舞って、髪の毛はぼっさぼさ。


「バカみたい」


 ぽつりと口に出してみたら、抑え込んでいたモノがどんどんせりあがってきた。


「バカみたい、馬鹿みたい、ばっかみたい!」


 良い子の仮面を脱ぎ捨てて、優等生の笑顔なんて風でさっき飛ばされたわ。

 私に絡みついた見えない鎖がギチギチ耳障りな音を上げて、私の全身を締め上げている。抗う声を上げて。そう何度も心で叫んできたけれど、言葉は唇を超えられなかった。忌まわしい鎖を握る先には、あいつら。馬鹿三人組。同じクラスの陰湿女共。


『成瀬さんって、イイコだよねー』

『空気読めるし、てか空気みたい』

 阿呆面下げたあいつらの顔が浮かぶ。

『あ、これ係の仕事、やっといて?』

『ねぇ、それいーじゃん。ちょーだい?』

『あっ、ごっめーん! わざとじゃないんだ、余所見してたらぶつかっちゃったぁ。うわ、いったそー、早く保健室行けば? 一人で』

『班で出すレポート、一人で余裕しょ?』

『てかさ、学級委員じゃなくて便利係でいいじゃん。ねー、優等生だもんねー。あたしらとは頭のデキも違うんだよねー。なんでもオネガイ聞いてくれちゃうんだよねー。やっさしーい!』


 少しずつ、少しずつ、気が付いたら私は便利な道具になっていた。いつも笑顔で、人の嫌がる事を進んで引き受けていたから。お母さんの言いつけを守って、人に優しくし続けたから。

 人に迷惑をかけず、人に親切にして、人の嫌がる事も笑顔でして、良い行いはきっと報われるから。

 そうお母さんに言い聞かせられていた。

 幼稚園の頃は、まあそうだね。小学校でも、だいたいそうかな。中学校にもなると、どうだろう。高校では――

 この世にはさ、悪魔っているんだよ。人の皮を被った鬼とか悪魔。

『成瀬さんさぁ、最近へーんな噂聞くんだけどぉ、火の無い所に煙は立たずって言うじゃん? 行いが悪いんじゃない? あたしらはなんも言ってないけどさー。なんかチクった? それか被害者ぶってる態度がさー、ほら、周りに誤解させんじゃなーい? まさかねー。余計な事すんなよブス』

 世の中にはいるんだよ。うわっつらでみんなが言うような一般常識や性善説ってものは、通用しないの。

 嫌んなる位いるんだよ。悪辣でどんなに悪い事をしていても上手くすり抜けて仕舞えちゃう。良い行いなんて全く無縁なのに、良い思いばかりしている、そんな連中がさ。


 だから、私の高校生活が半年も過ぎた頃には、もう私という存在はニンゲンじゃなくてモノになってた。いや、供物かな?

 人間以外の生き物でもさ、集団になると仲間外れが起こるんだとか。何かの授業で聞いた。周りのストレス発散にされる標的。それで、標的が居なくなったら、また別の標的が出来ちゃうんだって。永遠に消えないの。それが自然の摂理ってやつ。

 生贄。悪い行いなんてしていなくてもさ。


 私の場合は、強いて言えば……そうだな、イイコだった。

 誰かにとって都合のイイコだった。得物にするのに丁度イイコだった。人間性が良い悪いなんかじゃあないんだよ。

 誰かに都合がイイようにされてしまった。それが、誰かにイイように喰われちゃう生贄にされてしまうんだ。私みたいにね、多分ね。


「ふぅ」


 少し深呼吸しよ。あいつらの事を考えたら、それだけで心拍数が上がって息が苦しくなる。

 大丈夫、大丈夫だ。だって、もう、それも終わりだから。終わりにするから。

 フェンス越しに見えるグラウンドでは、運動部の人達が声出して部活に励んでいる。

 ふふ、あの人達、ビックリするかな。

 全然関係無い人を驚かせるのは悪い気もしたけれど、もう、それもどうでも良かった。

 少し乱れた呼吸が落ち着いて遠くまで視線を巡らせると遠くに病院が見えた。病院のマークにふと、数日前にお母さんの病室でお父さんから聞かされた事を思い返す。


【美空、お母さんの病院、変わる事になったんだ】

【新しい病院は、都会で今より設備も良いらしい】

【美空にはずっと苦労させてきたけれど、新しい病院では看護師さんも多いそうだ】

【これからは、自分の為にいっぱい時間を使えるぞ、もう付き添いでお世話する事も減るだろうから】


 お父さんが万年クマのこびりついてしまった目で、疲れた笑いを浮かべて言った。

 それを聞いて、なんだか、ふっと肩の力が抜けたんだ。


 イイコでいなくちゃいけない。

 良い子でいなくちゃいけない。

 親にとって都合の良い子でいなくちゃいけない。


 そんな呪縛が、綻んだ気がした。


 だって、ただでさえ家は普通より大変なんだから、これ以上少しも親に心配をかけちゃいけない。

 病気で辛いお母さんの前では、楽しい事ばかり口にしたい。例えそれが絵空事だとしても。そう、自分で自分を縛ってた。

 仕事と病院の往復で倒れそうなお父さんを、私が支えてあげないといけない。私しかいないんだ。一人娘。私がやるしかないんだ。私が親を支えなきゃ。私が。

 だから、だから、だから――


 そこで私は意識を無理やりに引き戻した。目を瞑って、フェンスにかけた手にぎゅっと力を込めて、思いっきり息を吸う。

 腹の底から、獣のように叫び声をあげた。


 普段叫ぶなんてやった事無い私の喉からは、ただただ擦れて調子っぱずれな叫び声が出た。


 カッコ悪い。漫画なんかだったら、こういう時カッコよく叫べるのに。当たり前か、あれはお話なんだから。

 それでも、グラウンドに居た全員が動きを止めて空を見上げた。すぐに何人かが私の姿を見つけて、指差しながら何か話し合い始めた。流石にその内容までは聞き取れない。

 なんだ、なんて言ってるのか気になっちゃうよ。此方を見ていた何人かは、慌てたように校舎の中へ駈け込んでいく。

 ふふ、ばかだなぁ、今更慌てて走ってきても、屋上には入れないのに。


 入り口は開かない様に固定した。

 ネットで買ったぶっといチェーンで観音開きのドアノブをグルグル巻きにして、南京錠をかけといたから。普通にスペアキー使ったって開かないよ。

 グラウンドに居た数人が校舎へ駈け込むのと反対に、今度は校舎からいっぱい人が出てきた。押し合いへし合い、此方を見ている。


 わお、みんな野次馬ぁ。

 まぁ、見るよね。私も、当事者じゃなかったらつい見ちゃうかもね。

 あー、さっきの叫びで喉痛めちゃったし、一回お茶飲もう。

 フェンスから手を放して、足元に視線をやる。そこにあるのは、私の鞄。学校指定の地味な学生鞄。中からお茶を取り出して一口。

 あ、今グラウンドに出てきたの、あいつらだ。

 お茶を鞄にしまって、私はまたフェンスの前に立った。

 あいつらが出てきてすぐに、先生が拡声器を持ってグラウンドから私へ呼びかけてきた。


「成瀬ー! なにやってんだ! 屋上は立ち入り禁止だぞ!」


 はい、知ってます。

 ついでに、拡声器の声と殆ど同時に私の背後で屋上のドアがガチャガチャ派手な音を立て始めた。観音開きのドアを開けようとして、真ん中のドアノブにグルグル巻いたチェーンが揺れる。開かないよ。


 ふふ、ヤバイ、なんだか非日常過ぎて現実感がない。ううん、むしろ、まるで漫画かドラマの中にでも入りこんだみたい。なんだろ、トランス状態? そんな凄いもんでもないか。ただ、普通じゃありえない状況に、私が興奮してしまってるだけか。

 だって、そうだよね。私一人だけ屋上に居て、グラウンドでは朝礼か体育祭でもするかみたいに、大勢の生徒や先生で埋め尽くされてる。

 こんなに大勢から注目されるなんて、今までの人生で無かったんだもの。今迄はね。

 バカな事はしないように。

 問題を起こさないように。

 イイコで在り続けたんだ。


 グラウンドでは、まだ何か先生が呼びかけ続けている。意外と熱血教師だったのかな、山田先生。いっつも地味で授業だけしてそそくさ職員室に引っ込んじゃう。生徒の顔とかあんまり見て無さそうだったのに。

 ただ先生も忙しいだけで、本当は生徒の事だって心配する気持ちもあったのかな。にしても私がイジメられてる事にぜんっぜん気付かなかったよね。センセ、向いてないんじゃない? 気付いてよ。もっと早くに、センセ。先生。


 拡声器のピーだのキュイだの、たまに鳴る耳障りな機械音がうるさい。

 大勢から注目されて、こんな経験もう二度とないだろうけれど、そろそろ終わりかな。


 私は、フェンスに手をかけた。その途端、下ではキャーだのワーだの歓声ともつかない声があがる。


 はぁ? あんたらね、人が屋上に居てさ、フェンスに近づいてさ、それでさ、まるでショーでも見るような歓声は無いでしょうに。

 私にスマホを向けているのは、殆ど全員と言っていいんじゃないの? ねぇ、それが何を期待しているのか、本当に分かってるの?

 その結果が何なのか、本当に理解しているの? 想像力とか良心とかって、どこなの?


 他人の不幸を喜んでいるんだよ。他人の死を娯楽にしようとしてるんだよ。他人の最後を歓声で迎えているんだよ。でしょ? それを期待してるでしょ?


 まるでピエロショーだね。滑稽だわ。クラウンじゃなくてピエロね。本場本家の尊敬される芸達者じゃなくてさ、道化者って意味でさ。それに鼻息荒くかぶりついてる馬鹿どもの群れ。


 哀れだね、あんたらもさ。退屈で、押し付けられて、雁字搦めで、抑え込まれた学生生活での少ない娯楽ってか。

 うちのガッコ、そこそこ偏差値高いもんね、みんな、親の期待やらで勉強勉強だよね。

 世の中、遊びまくってる高校生活もあるみたいだけど、うちの学校ではまず無いね。大抵、塾と学校の往復だもん。後は家で只管に宿題と予習復習。進度早いもんね。

 そんな感じだよね、今、私を見てる制服の群れが向けてくる興奮した顔。

 いいよ。見せてやるよ。私に出来る、最高のショーを。

 フェンスに手をかけたまま、私は大きく息を吸った。


「〇組の、✕✕!」


 いっぱい吸った息を全部使って叫ぶ。私が名前を叫んだら、あいつらの一人が反応した。

 屋上から見ても分かるくらい、ハッキリ動揺してて、周りにもあいつの事だってすぐに分かったみたい。

 あいつの、あいつらの周りから、その他大勢が距離を取っていく。上からだと良く分かる。さーーーって、黒い頭が引いていく。

 ✕✕のすぐ隣に立っていた、お仲間までそーっと離れようとしているんだから笑える。

 そんなお仲間に見捨てられそうな事にも気付かないくらい、✕✕は動揺して何か早口でまくし立てていた。

 まるで哀れな生贄だね。って、それは、今までの私か。はは、こんな簡単にターゲットが移っちゃうんだね。


 バカみたい。あんなに苦しんだのが、ばかみたい。あんなに我慢していたのが、バカみたい。いや、バカだったのかも。理不尽に耐えるという事がバカだったのかも。

 イジメなんてさ、軽い言葉。違うよ。誹謗中傷、暴行罪、脅迫罪、色々名前があるよね。罪なんだよ。学校の中だからって、罪は罪なんだよ。それにただ黙って耐えてちゃダメだ。それは耐える必要が無い、理不尽なものだ。

 ✕✕から一歩二歩とお仲間が離れていくから、私はまた息を吸い込んだ。


「△△! 〇〇!」


 そーっと離れようとしていたあいつらが、こけるんじゃないかってくらい飛び跳ねた。

 何それ、ちょっと小心者過ぎない?

 それとも、いじめやってる側ってやられる事なんか考えもしないから、いざ自分が曝されたらあんなにも訳分かんなくなっちゃうの?

 逃げようとした△△と〇〇に気付いた✕✕が、二歩くらい離れた二人に掴みかかって何かわめいている。


 あーあ、今度は、スマホの群れが私からあいつらへ移っちゃったね。可哀想に。

 私は結構距離あるから、カメラ特化のスマホでも、相当荒い画像かむしろ殆ど棒人間にしか映らないと思う。でも地上に居るあいつらは違う。

 しっかり顔も何も映っちゃってるだろうね、ご愁傷さま。

 でもね、自業自得だから。私の今まで我慢してきた分、きっちり返させてもらう。


「今まで、ずっと、我慢してた。

 あんたらに、いいように、使われて。

 酷い、言葉も、言われて。

 ずっと、ずっと、我慢してた」


 屋上から叫んでると、ゆっくり少しずつになる。遠いのよ。はぁ、息切れそう。

 それでも、私が叫び始めると、また一斉にこちらへスマホが向けられた。


「それも、今日で、最後だから!」


 そう叫んで、私は、フェンスを掴んだ手に力を込める。

 ガシャン! と音が響いて、下でまた声が上がった。


「私は! もう! おまえらの! 言う事なんか! 聞かない!

 私は! おまえらの! 道具じゃ! 無い! 玩具じゃ! 無い!」


 そう叫んでフェンスを握りしめて赤くなった手を離すと、足元の鞄から一杯の紙束を取り出して、グラウンドへ投げた。


 ひらひらと、ひらひらと。

 まるで、お祝いの紙吹雪みたいに。

 ゆっくりゆっくり紙がグラウンドへ舞い落ちる。


 スマホの群れが、画面から顔を離して紙を拾ってく。

 拾った紙にスマホをかざして暫し沈黙……の後に悲鳴が響いた。


「ぎゃああああっ! やだやだやだぁっ!」

「は? なにこれっ、やめろよ! 見んな!」

「いや……いやぁ……ごめっ、ごめんなさいぃ、もう許してぇ」


 三者三様に喚くあいつら。

 ふふっ、馬鹿だね。良い行いには良い事が、悪い行いには悪い事が、己に返ってくるらしいよ? やり返されて泣くようなら、最初からそんな馬鹿な事するな。馬鹿共。って馬鹿だからか。馬鹿は馬鹿だから馬鹿するんだ。


 あいつらの泣き喚く様と、興奮した様子でスマホを見つめる後頭部の群れが、なんだか笑えてきて――

 私は、久しぶりに、空へ向かって笑い声をあげた。




 ひらひらと、ひらひらと。

 まるで、お祝いの紙吹雪みたいに、何枚もの紙が降って来た。校庭に居た野次馬がそれを放置する筈もない。皆、口々に囁き合う。


「なぁ、これ、やばくね? これって、あの三人だよな?」

「顔はボカシてるし、名前とか特定出来る内容は声ピーしてるけど、そうだと思う!」

「いや、あいつらだって、俺同じクラスだから、話し方とか声で分かるわ」


 グラウンドでスマホに見入っていた大勢の生徒が、次第に視線を三人へ向けだす。

 空から降ってきた紙。

 そこに書かれていたのはキューアールコードだった。

 ウィルスやトラップでも仕掛けられていたらどうするのかと疑問にも思わなかった者達が、早々にキューアールを読み込んだ。

 それは、一つの個人サイトへ繋がり、そこに無機質な番号が振られただけの動画がいくつか置かれていた。


 警戒心のない、ただ好奇心と野次馬根性むき出しな子どもが、それを開いていく。

 再生されたのは、醜い本性を露わにしている三人組の姿。

 隠し撮りされていたと思われる動画で、一人の少女に陰湿ないじめをしている三人組。

 何をされても、何を言われても、ただ、俯いて耐えている少女。

 一言も発する事なく耐えて、顔にもボカシが入っているが、それは屋上の少女だろうと誰もが思った。


 どこからか騒めきが広がって、いつの間にか三人組はグラウンドで制服に囲まれていた。

 先生達は、とっくに屋上へと向かって、グラウンドに残っているのは子どもだけ。

 未熟で残酷な彼らの視線は、何も言わずとも三人組をつるし上げているように見える。


 いくらいじめをするような性悪な三人組でも、これだけの数に囲まれれば恐ろしい。

 そして、誰にも見られたくない、知られたくない姿を見られた直後とあって、平静ではいられなかった。

 言い訳も出来ずに、ただ、意味不明な事を繰り返すか、泣きじゃくるか、地面に座り込んで放心している。


 取り囲んでいるのは、そもそも、野次馬しようとグラウンドに出てきたような者達だ。

 まともな思考の持ち主は屋上へ少女を助けようと走っていた。

 そのドアは、今も太い鎖でしっかり閉められたまま。そうして、三人組がじわじわと無言の圧力でつるし上げられていくのを、美空はスッキリした気持ちで見下ろしていた。


「おーーーい!

 良く聞け! この動画! 止めてほしい?」


 さっきまでの悲痛な叫びとは違い、明らかに朗らかな声で美空は叫んだ。

 黒い頭の群れが一斉に美空を見上げて、無数の目が好奇心を剥きだしにしている。

 あの三人組だけは、壊れたオモチャみたいに、激しく首を上下させていた。

 あーぁ、ヘドバンしてんじゃないんだから。首痛めそう。


「もう二度と、こんなこと、しないと、誓う?」


 さらにヘドバンが勢いを増す。

 壊れた首振り人形みたいになった三人組に、噴き出しそうになりながら、美空はスマホを取り出して、サイトをクローズした。


「覚えてろ!

 悪い事は、いつか、かえってくるんだ!」


 三人組は、ダンゴムシみたいに固まって丸くなってしまった。

 それを見て、美空はフェンスの前から踵を返した。

 鞄を拾って、チェーンに付けた南京錠を外そうと鍵を探す。

 ドアは先生達によって体当たりやらなんやらされていて危ないから、取り敢えず声をかけた。


「すみません、先生方かどなたがいらっしゃるのか存じませんが、今開けます。そう体当たりやらドアガチャガチャされていると危ないですから、少し離れて待って下さい」


 落ち着き払った美空の声に、ガチャガチャ激しく揺れていたのが、ピタリと止まる。美空は落ち着いた手つきで開けていった。


 チェーンおっも、南京錠も。もういらないし、いいや、置いてっちゃおう。

 幾重にも巻いたチェーンを細い手で外して、重たいドアを開ける。

 生活指導の先生を先頭に、今いる先生全員来たんじゃない? て位集まっていた。


「お騒がせしました。もう終わりましたから、帰ります」


 ずっとドアを開けようと頑張っていたのか、息が切れてる体育教師の横をすり抜ける。放心した様子の先生達が慌てて追いかけてくるが、無視だ。


 いいから、もう、自分のケリは自分でつけたから、構わないで。

 どうせもう転校するんだし、お母さんの転院と同時にお引越し。

 屋上の鍵を勝手に拝借したのは校則違反だと叱られるだろうが、犯罪じゃない。いじめ現場の隠し撮りが犯罪行為だと問われるかもしれないが、それもあいつらがそう訴えたらだ。そうしたらこちらも今までの過去を訴えるだけだ。


 そんな事を考えながらスタスタ歩く美空に、腫れ物に触るような声かけを続ける教師。

 無視を決め込んで下駄箱を出ると、グラウウンドに散らばる制服の群れが、まるで美空をモーゼだと言わんばかりに割れた。


 これって、お別れの花道みたいね。

 場違いにも、そんな事を考えながら、美空は校門へ向かう。

 すると、丁度校門を出る所で、救急車が到着した。

 あぁ、私が飛び降りると思ったのかな。きっとそうだよね。ふふ。でもさ、落ちたら、もう救急車呼んでも間に合わなくない? あの高さでさ。

 ま、丁度いっか、あそこの三人が過呼吸になってそうだし。良かったね、先生が呼んでくれてて。助かったね。先生が必要に気付いてくれて、さ。


 そうして、成瀬美空は校門を出た。

 一歩出た所で、空を見上げる。


 今日は快晴。

 私も快晴。

 しっかりと、地に足をつけて見上げる空は、綺麗だと思えた。もう惨めさはない。


 さ、お母さんの病院へ転院の手伝いに行こうっと。


 一歩ずつ、自分の足で歩きだす。


 誰が、あんな馬鹿共の為に、死んでなんかやるもんか。ふざけんな。大馬鹿共。

 私の人生は、あんな馬鹿なんかに踏みにじられていいもんじゃないんだ。

 私の人生は、私がこれから創っていくものなんだ。


 それは、神様なんかにだって、出来やしない。


 私だけが出来る、他の誰にも出来ない、唯一の事なんだ。

 だから、すんごい頑張って、私は私の幸せを創ってみせる。

 上手くいかないかもしれないけど、いいんだ、やるんだ。まず、やってみるんだ。

 だから忙しいってのに、これからもっと忙しくなるっていうのに、これ以上あんな馬鹿に構ってられるかっての。

 地球は広いし、人間なんてもうそりゃあいーっぱいなんだから。

 だいたい不幸なんて嫌でも押し付け目に入ってくるんだ。でも幸福は自分で探さなきゃ押し付けやってきやしない。

 だったら、どうするの。不幸ばっか探して拾ってくの? そんなの御免だ。

 私は、私の幸福を探していく。自分の幸せを、見逃さないように、取りこぼさないように、自分で掴みに行くんだ。


 駅について電車を待つ間に、ふと、美空は思い出した。


 あ。そうだ、あのサイト、動画のダウンロード出来なくしてるって、あいつらに教えてやるの忘れてた。

 サイトに上げたら、普通は何だって秒でデータ落とされてもおかしくないんだけど。

 一応、簡単にはダウンロード出来ないようにしておいた。それでもって直前にサイトをオープンして、ほんの数分でクローズしたんだ。もう誰もアクセス出来はしない。

 ダウンロードは許可制で、普通に動画を見るのはストリーミングで見せて、ダウンロード機能はつけなかった。

 絶対にとは言い切れないけれど、あんな数分で、何の準備も無いその他大勢の子に見せるくらいなら、まずダウンロードはされなかったんじゃないかなと思う。

 いくらやり返しでも、やり返し過ぎたら、また自分に返ってくるからね。

 ま、転校まであと二週間はあるし、それまでに教えてやるか。


 丁度ホームに電車が到着して、そこそこ空いている車内へ乗り込む。

 その背中に、ビュウっと一際強い風が吹いて、トンっと車内へ勢いよく足を進めた。

 何をやっても上手くいかない。何をやっても何もかもが自分を潰そうとする。そんなんばっかだった場所を後にして。


 電車のドアが閉まる直前、優しく風が頬を撫でていった。

 閉まったドアに頭を凭れさせて、ガタンゴトン揺れる車内から、流れる外の景色をぼうっと眺める。


 何もかもが凄い速さで過ぎていく。街並みも、多分、私の人生も。

 こんな限られた時間の中で、やりたい事をやらずに死ぬなんて、好きな事を見つけずに死ぬなんて、勿体な過ぎるでしょ。

 勿体な過ぎるでしょ、私。

 私は、勿体ないんだよ。ちゃんと価値があるんだよ。誰がなんて否定しても。私には価値があるんだ。粗末に扱われるなんて。粗末に扱われるなんか勿体ないんだ。私は。私も。誰もが。本来は、きっと。


 そんな事をぼうっと考えていたら、お母さんの病院の駅に着いた。一旦ドアから離れて、駅のホームへ降り立つ。

 駅の階段を降りていく。吹きっ晒しの駅は、だいたいいつも風がどっかから吹いている。

 だけど今は、自分で踏み出し始めた今は、自分の言葉を吐き出した今は、それさえ祝福の息吹だと感じられた。

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