風の中へ

此木晶(しょう)

風の中へ

 風が吹いていた。錆と油と血の匂いを孕んだ砂塵混じりの乾いた風だ。それは、人類が『搭』と呼ぶ大地の垂直に突き刺さった『奴等』の主船の落下の衝撃で生まれた赤茶けた大地から吹いていた。

「吹き荒ぶ風が良く似合う、ってか」

 ポツリと呟いた人影は荒野の端にいた。統合軍の制服に袖を通し、肩に引っ掛ける形で外套を羽織っている。襟元には戦中少佐を意味する一つ星の階級章があり、ネームタグには『KIBA』とある。何処かその姿に違和感が付きまとうのは、彼が本来着ているべきなのが学生服だからだろうか?

「何の話?」

 独り言に答えたのも、同じように制服を着込んだ同じ年頃の少年。ネームタグには『INUI』とあった。

「オレ達が、さ。勝っても負けても先がなさそうだ。弔いの鐘でも鳴らしてもらうかね」

 拗ねた様な物言いだった。

「壮行会の事かい?」

「ああ、化けもんだの何だの言ってた連中が手のひら返して『頑張れ』だとさ」

「気にするこたないよ。皆が皆ああな訳じゃないのはわかってるだろ」

「そうだな。腹ン中でどう思っていたって、表面上はなんとでも取り繕えるな。まったく、本当に―――」

「ストップ。そこまで、だよ」

 戌井はやんわりと樹葉の言葉を遮る。ただ、視線は『搭』に向けられたままだ。

「何でさ? 戌井」

「それ以上は言っちゃいけない。理由は、分かるよね」

 騎場は、大きく息を吐く。

「分かってるさ。総司令の爺さん、本気で泣いていたからな」

 二人の手をしっかりと握り、流れる涙を拭いもせず、ただ済まないと幾度も頭を下げる老人がいた。色々と言葉にしたい事はあっただろうけれど、どう言った所で戌井と騎場の二人に全てを押し付けたことに、変わりはない。己の無力を悔い、身勝手さを呪い、それでも頼らねばならない己を憎み、その末に人類が生き残る為と選んだ選択。おそらく、老人は人類の代表として一人でそれを背負った。それが正しいことだとは二人とも思ってはいない。

 しかし、二人は受け入れて、今ここにいる。

 最後に残った『塔』の落下地であり、人類の最終決戦の場となる、この場所に。

 作戦開始時刻は、夜明け丁度。後、数分で時間となる。その最後の短い時間を過ごしていた。

「なあ、もし各務さんが生きていたら、なんて言ったと思う」

 二人にとっての命の恩人の名を騎場は口にする。今迄意識的に話題にしなかった、もうここにはいない人の名だ。そして、二人を今の状況に巻き込んだ人物でもある。

「生きてくれ、じゃないかな。あの時と同じで。それしか思いつかないよ」

「戌井もそう思うか……。我儘だろうとエゴだろうとそういう所は曲げなさそうな人だったものな」

「それが、あの人の意地だったんだと思うよ。一般人だった俺たちを巻き込んだあの人の……」

 世界中予兆なくランダムに起きた隕石落下は地球環境に劇的な変化をもたらすと同時に、二つの災厄を呼び込んだ。後に『塔』と呼ばれる事となる別々の場所に落ちた二つの星間移動船より現れた異形の者たちは人々を攫い、その身一つで戦車の装甲を切り裂き戦略核の爆発にすら耐える尖兵へと変えたのだ。

『奴ら』は圧倒的な戦力の違いを人類に見せつけながら、各都市を次々に制圧していった。為す術もなく生存圏を蹂躙されていく中、統合軍として再編成された各国軍隊の元上層部連中が手にした数少ないサンプルから判断された事実は、彼らに起死回生且つ忌むべき決断を下させる事となる。

強化人間AH計画』

 所謂、人体改造による戦士の作成だ。

 ヒトゲノム計画によって遺伝子配列を完全に解明した人類にとって、『奴等』の技術によって改造された同朋の身体は格好の見本だったと言えた。模倣と模索を繰り返し、手持ちの技術とかけ離れた技術とのリンクを繋ぎ、志願者を募り術式を施す。犠牲と成果の両方を量産しながら、統合軍は再起の時を待ち、やがて攻勢に出た。それが今から一年と少し前の事。

 投入された強化人間は六百六十六人、通称アバドンと名づけられた彼らは夕暮れと共にアジア地区の『搭』へと進攻した。戦闘は苛烈を極め、記録によれば『搭』へとたどり着いたのは僅か一割に過ぎなかったと言う。

 結論から言えば、この進攻は『搭』の一部-生体改造の場と思われる調整施設や動力室-を破壊するに留まった。さらに言えば、記録上の生存者数は二十三名、『搭』からの生還者は僅かに一名という、敗北としか言いようのない記録を残している。

 ただ、記録に残されていない二人の生存者の存在がその後の戦局を大きく動かしていく事になる。

「巻き込んだか……。オレは助けられたと思っているんだけどな」

「僕もだよ。けど、あの人はそうは思わなかったってことなんだろうね」

 戌井は足元の石を手に取り握り締める。拳ほどのそれが粉々に砕けた。指の間から零れる破片が荒野に還っていく。苛立ちを隠すことなく乱暴に手を払う。

 悔しいと思う。歯痒いとも思う。自分達は各務に助けられた事を感謝しているというのに、それを伝える事は、最早叶わない。

「調整槽に入れられていた時のこと覚えている?」

「いや、オレはあん時まだ朦朧としていたし……」

 何より、この話題は二人の間でタブーになっていた。それを今この時に口にする、その意図が読めず、騎場は口篭る。

「『彼らはオレ達が倒す敵じゃない、オレ達が守るべき同胞だ』」

 記憶を掘り起こすように、騎馬は顔を顰める。聞いた覚えはない、けれど誰の言葉なのか、分かる。

「各務さんか」

「うん、あの時各務さんが一緒にいた仲間に切った啖呵だよ」

 極彩色の培養液で朧に歪んだ視界の中見えたのは、十数人の武装した装甲服姿の集団と、彼らと向かい合う同じ姿の誰かの背中。幾つもの銃口が調整槽に向けられる。それを遮っている背中。酷く広く感じた。各務の背中だった。

『今ならまだ間に合う。楽にしてやるしかないんだよ』

「違うだろ。ここにいるのは。助けるべき相手だ。彼らは俺達が倒す敵じゃない、俺達が守るべき同胞だ」

 声は確かに聞こえた。視界が涙で滲んだ。滲んで培養液に混じっていく。叫ぼうとした。声が出ず、ゴボゴボと気泡だけが上がる。拳を握り、調整槽のガラスを殴る。力が入らず、拳は弱弱しくガラスの表面を撫でるようにしか当たらない。それでも続けた。ただただ、ここにいるのだと示したかった。

 もう一度拳を握る。人差し指、中指、薬指、小指、親指。骨が軋むほどに力を込める。ガラスにひびが入る。鮮明な赤が極彩色の培養液の中に一筋浮かぶ。装甲服の男達が戌井の入った調整槽に視線を移した。憎悪と殺気が集中する。一斉に銃口が調整槽に向けられ、各務は両手を広げ必死に阻止しようとする。銃声が一度響き、ガラスに細かいヒビが走った。培養液がゆっくりと減っていく。鮮明に為る視界の中では、調整室に雪崩れ込む改造人間達の姿があった。

「そっからは覚えてる。乱戦状態になってオレらが解放されて、か」

「結局無事だったのは僕達二人だけだったけど……」

 調整が不完全で形を保てず崩れたもの。完全に操り人形と化し、戌井自らが手をかけたもの。訳も分からぬままに改造人間に貪り食われたもの。五十人近い同じように囚われ調整を施されていた家族友人、級友達は皆、死んだ。

『搭』からの脱出を図った後、各務は戌井たち二人に皆を助けられなくて済まないと詫びた。そして、各務は良く助かってくれたと涙を流した。

 思えば、各務はずっと理想を追っていた。百人を助けるために一人を犠牲にするのではなく、その必要なはずの犠牲の一人さえも含めて、百一人救おうと足掻いていた。それが理想であると心底理解していながら、それでも縋りついた。逃すまいと手を伸ばした。なのに、助かるべき、救われるべき人間の中に、各務自身が入っていなかったのは、皮肉以外の何ものでもない。たとえその身を犠牲として『塔』の一つを沈めて見せたのだとしても。いや、だからこそと言うべきなのだろうか。

「各務さんはすごい人だったと、心底思う。僕には真似できないよ。誰の為に戦うのかなんて問われた時に、戦えない全ての人の為になんて答えられない」

「オレだってそうさ。愛の為にって格好付けてみたいけど、出来ないな。そこまでの覚悟も、強さもないし、な」

 純粋な戦闘能力で言えば、二人は各務を遥かに凌駕していた。人の手による不完全な改造体と、『奴等』の手による純正品の違いだ。だが、各務は強かった。戦闘の度に傷つき血を流し、命を削りながら何よりも誰よりも強かった。それは、抱えた想いが大きかったからなのだろうか?

「お互い天涯孤独だし」

「『復讐』の為っての方が、しっくり来るか」

 戌井と騎場はそろって肩を竦める。

「それも、どうだって感じだね」

「『復讐というゴールテープを切った時、それ以上走れなくなる』だったよな、確か」

 それも各務の口癖の一つ。二人は各務の過去を知らない。各務がどのような経緯で『強化人間AH計画』に志願する事になったのか。それ以前の各務がどんな人間だったか、一切知らない。いや、知りたいとも思わない。

 二人にとって、出会ってからの各務が全て。ずっと見つめてきた背中の主こそが各務。

「結局僕達はあの人の背中を追いかけながら、自分のできる範囲の事しか出来ないって訳だね」

「ま、知っている奴等くらいは守りたいし、な」

「オペレーターの美崎さんとか、ね」

「そうそうって、戌井なんで知ってんだ!」

 慌てる騎場。

「ん? 僕は名前を言っただけで、他意はないんだけど?」

 すっとぼける戌井。

「がー。嵌めやがったな、てめぇ」

「引っかかるほうが悪い。当然の事だよ」

 騎場が戌井に掴みかかり、一瞬間をおいてどちらからとなく笑い始める。砂塵の風に笑い声は流されていく。地平線に光が集まりだしていた。

「行くか」

「ああ、そろそろ時間だし、ね」

「死ぬなよ」

「騎場もね」

 短く言葉を交わし。戌井はキーワードを口にする。

 体の擬態を解き、調整を受けた本来の姿へと戻る言葉。

 数字の羅列だろうと、四字熟語でも、極論早口言葉であっても。スイッチとしての役割が果たせるならばどのような言葉でも良かった。

 ただ、各務が強く推したのがこの言葉だった。それだけの話だ。

「そのほうが格好いいだろ」

 子供のように瞳を輝かせながら力説する各務が思い出される。その時は、そういえば昔、そんなヒーロー番組があったなと思う程度だったが、今は憬れさえ覚える。あのように強く在れるだろうか? と。

「「変身ッ」」

 二人の声が重なり響き、戌井と騎場の身体は淡い光に包まれる。身体を原子の根源から組み替える光だ。それが、消え去ると二人の身体は劇的な変化を遂げていた。

 これこそ、人類が繋ぎきれなかったミッシング・リンク。

 戌井が纏う色彩は黒。金属的な光沢を帯びた漆黒。

 直線と鋭角で構成された身体はメカニカルな印象を見る者に与えるだろう。事実、その身体には原理不明の動力炉とそこから生み出される桁違いのエネルギーを源とした光学兵器が納められている。

 騎場が纏うは、白。滑った様な煌きの純白。

 元の倍以上に膨れ上がった身体は、短毛に覆われている。頭部から伸びる無数の触角髪は思い思いの方向に広がり、空間に漂うあらゆる波を情報として受け止め、吸収する。故に、無骨な外見に反し、その動きは鋭利で精緻極まりなく軽やかだ。

 辛うじて人のシルエットは保っているものの、二人とも、その姿は明らかに異形。

 けれど、その心は、その想いは確かに人間。

 荒野と空の狭間に日の光が白く染み出す。ゆっくりと光が闇を駆逐し始める。

 二つの異形は視線を絡ませ、光に染まりながら走り出す。

 そう、涙で血の大河を渡ることになろうと、死の荒野を夢見て駆け抜けるだろう。

 ただ強く強く想いを抱いて、二つの戦士は荒野を征く。


 ―202X年12月15日17:00《ヒトナナマルマル》。人類は『奴等』の拠点である『搭』を制圧。最終的な勝利を手にする。しかし、作戦の要であった二人の民間人の帰還は確認されていない―

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