全てはハシモトのせい!
「急に冷えてきたとは思ったけど、やっぱり降ってきたみたいだね」
ハシモトは朝の挨拶でもするみたいに語ると、自分が着ていたダウンを私の肩へかけた。確かに真っ黒な空からは、白いものがちらちらと落ちてきている。でもそんなことはどうでもいい。
「京子は!」
私は隣に立つハシモトへ叫んだ。柊はいなくなったけど、やっぱり何かがおかしい。これだけの騒動にも関わらず、誰も姿を見せない。
「彼女と弟さんは僕が確認した。大丈夫だよ。でも君を危険な目に合わせてしまった」
「ちょっと待って、何が大丈夫なのよ!? いきなり停電した上に、車一台動いている様子はないし、誰も出てこない。やっぱり何かおかしいでしょう!」
そう告げた私に、ハシモトはうっすらと光を放つ金属製の筒を差し出した。
「EMP弾だ」
「なにそれ?」
「電磁波爆弾。これ自体はこの時代にもあるよ。もっともこれほど小型化はしていないけどね。でもこれを使うと、集積回路を使った、ほぼすべての機器を無効化できるんだ。コンピューターや携帯はもちろん、車も全て動かなくなる」
「でも人がいないのは?」
「特殊な神経毒を使った。DNAマッチングで、君は除外する設定にしたらしい。短時間の記憶障害も起こすタイプだから、今晩のことは誰も覚えていない。君も今日の事はみんなと一緒に忘れるのが一番だ」
そう言うと、ポケットから金属の箱のようなものを取り出す。
「待って、女子高生だからってバカにしないで。ちゃんと説明して頂戴!」
「でもそれは……」
私は言いよどむハシモトの胸倉をつかんだ。
「だって、私は当事者なのよ!」
移動しようと言われて、町外れの丘まで来ると、いつの間にか雪は止んでいた。雲の合間から顔をだした月が、うっすらと積もった雪を青白く光らせている。
だけど停電はまだ続いているらしく、小さな丘から見おろす町は真っ暗で、そこに町があるのかどうかすら分からない。
「あなたって何者なの?」
私は見かけこそこれといった特徴はないが、そこに隠された強い意志を感じる顔を見上げた。
「歴史改変技術者。彼の同僚だよ」
「よく分からないけど、どうしてそんな偉そうな人たちが、私の相手なんかする訳?」
私は単にじみ〜なだけの女子高生だ。そんな変な奴らに絡まれる覚えはない。
「君は時空改変技術におけるシンギュラリティ・ポイントなんだ?」
「進級ポイント?」
「シンギュラリティ・ポイント、技術的特異点。それが見つかる前と後では世界が変わるような進歩に使う言葉だよ」
「はあ?」
やっぱり何の事かさっぱり分からない。でもちんぷんかんぷんな私を気にする事なく、ハシモトは言葉を続けた。
「君らの時代でも、素粒子レベルでは時間の進みが一方通行とは限らないことは予想されていた。僕らの時代では時間と相互作用する粒子の発見によって、時間を行き来できるようになったんだ。正しくは時間を跳躍できる」
時間を自由に? 言っていることはよく分からないが、猫型ロボットが少年と一緒に、時計がいっぱい出ている通路を通っている場面が頭に浮かんだ。
「つまり、ドラえもんがいるということ?」
私の問いかけに、ハシモトが苦笑いを浮かべて見せる。
「タイムマシンかい? まあ似たようなものだね。だけど世界は一つじゃない。いろいろな世界が並行して存在していて、時間を跳躍すると同時に、別な世界へと移動もする」
「あなたたちはそれで、やりたい放題をしていたの?」
「そうじゃない。むしろ何とか生き残る方法を探していると言う方が正しいかな」
「だって、歴史を好きに変えられるんでしょう? なんだって出来るんじゃないの?」
「そう思うだろう? 実はたとえ時間をさかのぼれても、歴史を変えると言うのはとても難しいんだ。結局のところ、ある時代だけを変えてもだめで、その前、その前から変えていかないといけないことになる。君はヒトラーを知っているかい?」
「馬鹿にしないでよ。ヒトラーって、あのちょび髭の神経質そうなおじさんの事でしょう?」
「君はヒトラーを暗殺すれば、第二次世界大戦はおきなかったと思うかい?」
「え――、そんな小難しいこと、私に聞かないで!」
思わず京子みたいな台詞が口から洩れる。
「坂道で動き出したトラックと同じで、簡単には止まらないんだよ。時代は多少前後するかもしれないが、結局は同じような人物が現れて、同じようなことが起きる」
「歴史って、そう言うものなんでしょう?」
私のような平凡な女には平凡な人生が待っている。世のアイドルなんかになれたりする訳がない。
「でも例外はどこにでもあるんだ。伊藤真美さん、君だよ」
「わ、私!?」
「それが君をさっき時空改変技術におけるシンギュラリティ・ポイントと呼んだ理由だ。別のいい方をすれば、歴史におけるカオスの発生源とも言える。理由はまだ分からないが、君がどう生きるかで、この後の人類の歴史が大きく変わってしまうんだ」
やつは慣れていると言っていた。そうか、そう言うことなんだ! 私の中でいくつかの事柄がつながり、柊が告げた言葉の意味をやっと理解する。
「ふざけないで! シンギュラリティだかシンデレラだか知らないけど、私をいつ殺せば歴史がどう変わるのか、みんなで実験していた訳!? 人の命を、人の一生を何だと思っているの!?」
「その通りだ。ふざけた話だよ」
私から視線を落としたハシモトがポツリとつぶやく。もう涙も流れてこない。やり場のない怒りだけが、本物の炎みたいに湧き上がってくる。
「あなたも私を何度も殺したんでしょう? 今回はどうして気が変わった訳? 私に飽きた? それとも単に疲れただけ?」
「疲れた」
ハシモトはそう答えると、両手を上げて私に肩をすくめて見せる。それはそうだろう。私みたいなじみ~なやつの相手をし続ければ疲れもする。
私はハシモトの胸ぐらを掴んだ。そしてその顔をガン見してやる。だけどハシモトは両手を下すと、その表情を真剣なものへと変えた。
「聞かれたときは、そう答えようと思っていたんだけど……」
ハシモトが胸倉をつかんだ私を見つめながら答えた。その目は決してかわいそうなものを見る眼ではない。もっと深い何か、苦しみのようなものを感じさせる目だ。
「僕の中の優先順位が変わったんだ」
「優先順位って?」
「人類の未来を救うより、君を救う事を優先することにした」
そう告げたハシモトが天を仰ぐ。その姿に、私は彼の人間らしい素の表情を初めて見た気がした。
「君も救って、世界も救う方法がないかを探した。少なくとも君を救いたいと思った。でも本部はそれを僕のサボタージュと捉えたらしい」
「あなたの代わりに柊くんが来たのね?」
ハシモトが私に頷いて見せる。
「これを君に話してしまうだなんて、僕はやっぱりだめだな。本部が代わりを送ってくる訳だ。でも正しくは配置換えになるかな。彼は彼で別の時空で君を担当していた」
「それでなのね。彼が私を殺すことに慣れていると言っていたのは……」
心の奥から何かが染みだし、それが私の両眼からあふれていく。こんなやつらの前で泣きたくないのに、涙が留まることなく流れ落ちた。屋上で彼の言葉にときめき、その表情に燃えるような熱さを感じたのは、一体何だったのだろう。
「でも私を見ていてくれたんでしょう?」
私は涙を拭いながらハシモトへ問いかけた。
「可能な限り守ろうとした。でも僕は無力だ。今も君を苦しめ続けている」
彼の言葉で私は全てを理解した。私の運が悪いのは間違いない。彼の言葉を真に受ければ、きっと歴史的に見ても相当な運の悪さなのだろう。でも悪運だけは良いというのは嘘だ。誰かが私を守ってくれていた。それが誰だったのか、今やっと分かった。
彼の言う通り、彼も元は柊と同じだったのかもしれない。でも人は誰だって間違いを犯すし、嘘だってつく。だけどそれを乗り越えられたからこそ、私と京子は親友になれた。
「それに君は自分がじみ〜な存在だと思っているけど、間違いだよ。実際は山本京子よりも、君のほうが余程に男子から人気がある」
「嘘よ……」
「いや、歴史的事実――」
私に人気があるかどうかなんて、もうどうでもいい話だ。今の私にとって、私を見ていて欲しいのは一人だけ。その人は目の前にいる。私は顔を上げると、ハシモトの唇に自分の唇を押し付けた。
「えっ!」
ハシモトから驚きの声が上がる。なんでそんなに驚くんだ? これでも17年間大切にとっておいたものだぞ。ありがたく受け取れ!
「これは一番近い将来に人類が――」
何をほざいている。私はもう一度唇を押し付けると、ハシモトを黙らせた。私は未来がどうなるかなんて決めたつもりもないし、何が起きても絶対に後悔しない。
だって私は恋に落ちた。その全てはハシモトのせいなのだから。
<完>
全てはハシモトのせい ハシモト @Hashimoto33
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