サイレントナイト
「停電!」
私はそう叫ぶと、暗闇の中で京子へすがりついた。京子が私の体をしっかりと抱きしめてくれる。
「たけし、辺りの家の明りはみえる?」
「姉ちゃん、真っ暗だよ」
「真美、ちょっと待ってて。携帯で灯りをつけるから。そう告げると、京子は私の体から離れた。
「あちち!」
でもすぐに京子の慌てた声が聞こえてくる。それに何かが床へ転がる音も聞こえた。
「京子!」
「大丈夫。なんかしらないけど、携帯がめちゃくちゃ熱かっただけよ」
そう言うと、暗闇の中で何かを探し始めた。カチリと言う音がして、天井に黄色い光が映る。その灯りの下、懐中電灯を手にした京子が立っていた。京子は電灯の光を床へ向けると、ゆるキャラがいっぱいついた携帯を指先で拾う。
「電源も入らない。やっぱり壊れたのかな?」
携帯を手に、京子が首をひねって見せた。そして懐中電灯の光を居間の方へと向ける。そこにはたけしくんが立っていて、まぶしそうに顔を歪めて見せた。
「たけし、うちの電話は?」
「だめだ、何も聞こえないよ!」
たけし君が電話の受話器を手に、首を横に振る。それを聞いた京子が私の方を振り向いた。
「真美、あんたの言う通り、あいつはやべーやつだ。柊が来てから色々と起きてるし、いくらなんでもタイミングが良すぎる」
ドン、ドン!
玄関から扉を叩く音が響いてきた。真っ暗だと言うのに、やつはまだ玄関先にいるらしい。
「たけし、スリッパでいいから、その窓から出て、誰か大人を捕まえて助けを頼んで。そして商店街の角の交番から警官を呼んでもらうんだ」
「分かった!」
そう声を上げると、たけし君はすぐに食堂の窓を開けた。それを見送った京子が、両手で私の肩を掴む。
「私は柊の相手をして、警官が来るまで時間を稼ぐ。真美は庭から出て、裏へ逃げて!」
「京子、ちょっと待って! いくらなんでもあぶない――」
「どこかへ行かれた方がもっと危ないよ。木戸は内側からならそのまま出られるから」
「でも、京子!」
「せっかく持ってきたのですから、開けてもらえませんか?」
玄関から声が上がった。同時にバキンと言う何かが外れる音も響く。
「京子、一緒に逃げよう!」
京子が首を横に振って見せる。
「そうはいかないよ。ここは私の家なんだ!」
そう答えると、京子は勝手口の扉を開けた。私は京子に押し出されるようにそこから外へ出る。背後で扉が閉まる音を聞きながら、私は京子たちを巻き込んだことを心から悔やんだ。だけどいまさら後悔しても何も始まらない。
ともかくここを出て誰かに助けを求める。たけし君も助けを求めに行っているが、女子高生の自分の方が助けを求めやすいはずだ。そう決心すると、私は京子の家の庭を手探りで進んだ。
本当に真っ暗で何も見えない。不意にやわらかい何かが手に触れて、思わず悲鳴をあげそうになる。でも取り込み忘れた洗濯物だと気づいた。それを突っ切って、京子の家の裏手へ出たが、そこも街灯の明かり一つなく真っ暗だ。
空は曇っており、月明りも星明りもない。夜がこんなにも暗く、恐ろしいものだとは知らなかった。だけどやっぱり何かがおかしい。どこかから焦げた匂いは漂ってくるし、停電の様子を見に、誰か一人ぐらいは外へ出てきてもよさそうなのに誰もいない。
ともかく商店街の方へいけば、流石に帰宅途中の人には会えるだろう。私は住宅街の裏通りを、コンクリートブロックの壁に手をつきながら歩き始めた。
カツ、カツ、カツ……。
誰かの足音が前から響いてくる。真っ暗で誰かは分からないが、ともかく助けを得るために、声を掛けようとした時だ。壁に触れていた私の手首がいきなり捕まれた。
「手間をかけさせないで欲しいな」
携帯の画面だろうか? 眼の前の人物から白い光が漏れた。
「ひ、柊くん!?」
「せっかく落とし物を持ってきてあげたのに、逃げるというのは少し失礼だと思うのだけど」
そう言うと、京子と私が一緒に映っている携帯の画面を私に向ける。
「お、怒ったの?」
私はそう答えながらも、必死に手首を振りほどこうとした。だけど振りほどくことができない。もがくほどにその力は強くなり、手首が折れたかと思うほどの痛みが走った。
「怒りはしないさ。ただ、少し驚いただけだよ」
「お願い、手を離して! とっても痛いの!」
「残念ながらそうはいかない。そもそもこれは君のせいだ。でもどうして気づいたのかな? 容姿だけでなく、設定も含めて、全てが君の好み通りのはずだろう?」
そう言うと、首をひねって見せる。
「異なる時空における同一意識体間のねじれは、科学的に根拠がないはず。でも実は本当なのかもしれないね」
やつは私に意味不明な事を告げると、ニヤリと笑って見せた。
「でも何で私なの? 柊くんなら、もっと可愛いい女の子がいくらでも寄って来るでしょう!?」
「君が知る必要のないことだ。そんな事より、今回は失敗だ。時空を分岐させるのに、どれだけのエネルギーが必要か分かるかい? 知ったら間違いなくびっくりするよ」
何を言っているのかさっぱり理解できない。でもこいつが本当にやばい奴なのだけはよく分かった。
「本部からも、間違いなく山ほど文句を言われる」
そう付け加えると、さらに力を込めて私の体を引っ張った。痛みに耐えて必死にもがく。でも所詮は女の力だ。引きずり倒され馬乗りになられた。どんなに足をばたつかしても、そこから抜け出すことが出来ない。
「どうして!?」
私は心から叫んだ。一体なにが起きたと言うのだろう。普通に始まり、一生で一番幸せだと思い、そして一番怖い思いをしている。しかも一番大切な親友まで巻き込んでしまった。
「うっ!」
彼の手が私の喉元にかかった。手首同様にすごい力で締め上げられる。
『私って、こんなところで死ぬんだ』
薄れゆく意識の中、そんな思いが頭に浮かんだ。
「大丈夫。無駄に苦しませる趣味はない。それに慣れているから、すぐに終わるよ」
やつが耳元でつぶやく。
『こんな奴に殺されたくない!』
消えゆこうとする意識に逆らって、体を動かし息を吸おうとしたが、やはり何もできない。お父さんとお母さんの顔が目の前へ浮かんできた。
『こめんなさい――』
両親に謝りながら、全てをあきらめた時だった。
ドン!
不意に低く鈍い音が頭の上で響く。その瞬間、私ののどをつかむ力が消えた。それだけでなく、馬乗りになっていたやつの体も消えている。
「ゲ、ゲホゲホ――」
肺が息を求めてあえいだ。頭も割れるみたいに痛むが、ともかくここから逃げないと殺される。そう思って体を起こそうとしたが、思うように力が入らない。でも誰かが私の手を握ると、体を上へ引っ張りあげてくれた。
「大丈夫?」
耳元で声が聞こえる。これと言って特徴のない声だ。
「ハシモト君。やっぱり君だったんだね」
暗闇の向こうから柊の声が聞こえた。
「ハシモト?」
その言葉に私は驚いた。確かにうっすらと見える人影には見覚えがある。
「ハシモト君。後任の僕から言わせてもらえれば、君は実験動物に名前を付けるのと、同じ過ちを犯していると思うのだけど、違うかい?」
柊が問いかけてくる。でも私の前に立つハシモトは無言だ。
「なによりこの世界線にいること自体が間違いだ。職務規定違反だよ」
視線の先で青白い光が浮かび上がり、その光が柊の顔を映し出す。どうして私はこの顔をイケメンだなんて思ったのだろう? そこに見えるやつの顔は、何かに取り憑かれた歪んだ顔にしか見えない。
「間違い?」
ハシモトの口から疑問の声が漏れた。
「そうだ。即刻本部へ帰還して――」
「間違いをおかしているのは僕らさ。それも倫理観念そのものを間違っている」
「話にならない。強制送還させてもらうよ」
柊の手の中から、目が眩むほどの青い光が放たれる。同時にその周囲に回転灯みたいな赤い光も浮かんだ。それは円を描くようにしながら、ゆっくりと柊の方へ迫っていく。
「反時間粒子弾!」
私にはまったく意味不明な言葉を叫んだ柊の顔に、驚きの表情が浮かんだ。
「いつの間に!?」
「忘れたのかい? 僕は君の先任者だよ」
「こんなこと、本部が許すわけが――」
柊はそう叫んだが、彼の姿は赤い光と共に徐々に薄れていく。そして辺りには暗闇と静寂が戻った。
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