私って、実は鈍感?

「京子~~!」


 玄関から顔を出した京子に、私は思いっきり抱き着いた。京子はそんな私に驚いたみたいだが、それでも私を奥へ招き入れると、外をちらりと見てから、玄関のカギを閉めた。


「真美、どうしたの!?」


「あれ、やばいやつよ!」


 私の言葉に、京子が真剣な顔つきになる。


「それって、ハシモトじゃなくて柊のことだよね?」


 たった一言で京子は全てを察してくれたらしい。付き合いの長い同性の幼馴染は、こういう時に本当に助かる。


「姉ちゃん、夕飯は?」


 居間の方から京子の一番下の弟、まだ小学生のたけしくんが顔をだした。


「そんなの後。それよりも、二階の窓から家を覗いている奴がいないか見てきて」


「うん。分かった」


 もう冬なのに、短パン姿のたけしくんが二階へと上がっていく。


「姉ちゃん、誰もいないよ!」


 その声を聞きながら、私は京子の豊かな胸の中で、彼女のピンクのカーディガンに涙と鼻水が付くのも気にせず、思いっきり泣きじゃくった。




「どう、少しは落ち着いた?」


 京子の言葉に私は頷いた。目の前では京子がマグカップに淹れてくれた紅茶が、白い湯気を立てている。私は冷えた両手を温めながら、そこに描かれた変な顔の猫をじっと眺めた。


「まだ使っていたの?」


「当たり前でしょう。それは私の一番のお気に入りなの。だから弟たちには絶対に使わせない」


 そう言うと、京子は食堂の天井を指さした。そこには京子の弟たちの部屋がある。いつもはバタバタとうるさく足音が鳴り響いている部屋だが、今日はとっても静かだ。


 その代わり、さっきまではヘリコプターの重々しい騒音が聞こえていた。あちらこちらにいきなり開いた穴の取材で飛んでいたヘリコプターだろう。それにサイレンの音もまだ鳴っている。


「せっかくうるさい奴らがいないのに、今日は本当にやかましいったらありゃしないわよね」


 京子が肩をすくめて見せる。本当にその通りだ。昨日まではあんなに静かで退屈な町だったのに……。


「それで、家に連絡はついた?」


 私は首を横に振った。京子の家の電話を借りて、何度も電話しているのだけど、お父さんもお母さんも出てくれない。


「もしかしたら残業かも」


「まあ、例の穴でみんな泡くっているから、仕方ないかもね。うちは何時まででも大丈夫だし、連絡が付いたら、ここへ迎えに来てもらうのが一番だよ」


「ありがとう~~、京子!」


 もう一度抱きついた私の頭を、京子がまるで子犬でもあやすようになでなでしてくれる。やっと止まっていた涙が再び流れそうになった。


「顔が真美の好みドンピシャだったから、応援したかったんだけど、何かおかしいとは思っていたんだよね。なんて言うかな、出来すぎ?」


 首をひねりながら、京子が私につぶやいた。


「最初から真美のことをガン見していたし、それにお弁当を二つ持ってきて、いきなり一緒に食べるだなんて、普通はあり得ないよね」


「そ、そうよね……」


 昼は思いっきり舞い上がっていたから、全く気付かなかったけど、確かに言われてみればその通りだ。


「でもガン見していたのは私じゃなくて、京子じゃないの?」


「はあ?」


 私の台詞を聞いた京子が、呆れ顔で私を見る。


「真美、『私みたいにじみ~~な……』とか、また考えているんでしょう?」


「えっ!?」


「あんたって、本当に自分のことに鈍感だよね」


「ど、鈍感!」


「あのね。真美はとってもかわいいし、真美のことが大好きな人はいっぱいいるんだよ」


「そ、そうかな?」


 私は手の中にある変顔の猫へ視線を向けた。私は小学校時代、京子と口がきけなくなった時期がある。原因は私だ。


 当時転校生が来て、席が隣だったこともあり恋をした。多分、それが私の初恋だったと思う。相手も私のことに好意を持ってくれていると、勝手に勘違いもしていた。


 ある日、その子が放課後に時間があるかと聞いてきた。その日は授業の進みがとても遅く感じられ、私は胸いっぱいの期待感と共に、体育館横の渡り廊下で彼を待った。少し遅れてきた彼が私に小さな封筒を差し出してくる。


 震える手でそれを受けとった瞬間までは、本当に幸福の絶頂だった。だけど彼がそれを京子に渡して欲しいと告げた時、私の中で何かが崩れ落ちていく。


『京子だったんだ……』


 その瞬間、彼が自分に好意を持っていると思っていたのは、全て私の妄想だったと言う事にも気づいた。彼が話したかったのは私じゃない、京子。彼が一緒にいたかったのも私でなく京子。


 とりあえず頷いて、それをポケットに入れたまでは覚えている。次に思いだせるのは、自分の部屋で机においた封筒を眺めていたことだ。あろうことか、私はそれを破くと、そのままゴミ箱へ捨ててしまった。


 次の日からは、私に手紙を託した彼のことも、京子の顔もまともに見れない。それだけじゃなく、話しをすることはおろか、顔を合わせるのすら避けてしまった。それがしばらく続いた後、彼は再びどこかの街へと転校してしまう。私の心に重く冷たい何かを残して。


 相手が京子でなければ、単なる苦い思い出だったと思う。でも相手が京子だったのと、京子を裏切ってしまったことに、夜も眠れず食事もまともに食べられなくなった。


 そんな私を両親はとても心配し、いやだと言うのに医者へも連れていかれた。医者は思春期を迎えた女の子にありがちな、精神的な不安定だと両親に告げたらしい。気晴らしのためだろうか、両親は私を旅行へと連れて行った。


 このマグカップは旅先で立ち寄った工芸の里で、私が絵付けしたものだ。それを京子に渡して、土下座して彼女に謝ろうとした。だけど京子は今晩と同じように、泣きじゃくる私をそっと抱きしめると告げた。


「そんなやつ、私がぶっ飛ばしてやったのに!」


 それ以来、私たちはそれまで以上の親友になった。


「私は真美がこの世界で一番大好きなの! それに男子だって、いっぱい真美を狙っているんだから」


 京子が私に白い歯をのぞかせながら、ニヤリと笑って見せる。


「そうかな?」


 その笑顔を見ながら、私は京子に苦笑いを浮かべてみせた。正直なところ、私を狙っている男子だなんて、この世界に存在しているとは思えない。それに理由はよく分からないが、今は別な意味で狙われている。


「そうだよ。だからもっと自分に自信を持って!」


「うん!」


 ピンポーン!


 私が京子に頷いた時だ。京子の家の呼び鈴が鳴った。


「は~~い!」


 たけしくんが元気に声を上げる。


「たけし、ちょっと待って!」


 京子が玄関へ向かおうとした弟へ声を掛けた。そして私に対し、口元へ指を立てて見せる。


「たけし、玄関からそっと真美の靴を取ってきて。それと向こうが何を言ってこようが、絶対に玄関を開けちゃだめだよ」


「姉ちゃん、どう言うこと!?」


「さっさとする!」


 たけしくんはぶつぶつと文句を言ったが、それでも玄関へ向かった。


 ピンポーン!


 再び呼び鈴のなる音が響く。


「姉ちゃん、やっぱり出た方がいいんじゃないの?」


 玄関から私の靴を持ってきてくれたたけしくんが、京子に首をひねって見せた。でも真顔で玄関を睨みつける京子を見ると黙り込む。


「同級生の柊というものですが、こちらへ伊藤真美さんはいらしていませんでしょうか?」


 その声に、私は手にしたマグカップを落としそうになった。慌ててそれをテーブルへ置くが、手が震えてうまく置けない。


「どうしてここが分かったの!」


「やっぱりあいつ、真美のストーカーだよ」


 京子が口元に指を立てつつ私に答えた。


「伊藤真美さんの携帯を拾いまして、それをお渡ししたいのですが」


 再び聞こえた声に、京子がポケットから携帯を取り出すのが見えた。


「ともかく警察に電話する」


 そう言うと、画面のロックを素早く外す。だけどすぐに携帯の画面を私へと差し出した。そこには学園祭でメイドカフェをやった時の、私と京子のダブルピース姿が映っている。その右上には圏外の文字が表示されていた。


 バン!


 不意にスイッチを切ったみたいな音が響く。次の瞬間、私たちは完全な暗闇に包まれていた。

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