第34話
「荷物はもうまとめてあるから、二人は座っていてよ。僕、お茶を入れてくるね」
「じゃあ、万央くんのお言葉に甘えて、そうさせてもらおうかしら」
「わ、私も失礼しますっ」
僕の提案に従い、深月さんと夢羽さんがダイニングテーブルを挟んで向き合う。
現アイドルと未来のアイドルの共演は、座っているだけでも芸術的な絵画のように輝き出し、つい目を奪われてしまう。
僕はすぐに紅茶を用意し、二人に差し出した。そして、夢羽さんの緊張をほぐそうと優しい声をかけた。
「夢羽さんは、深月さんに憧れてアイドルを目指すようになったんだよね? せっかくの機会だもの。深月さんに何か聞いてみたら?」
「いっ、いいんですか? 何でも聞いて」
「ええ、いいわよ」
深月さんが余裕のある態度で応え、ティーカップを口に運び、優雅に飲み始める。アイドルモード全開の深月さんは、何気ない所作でさえクールにカッコよく見えてしまうから不思議だ。
「それでは単刀直入にお聞きしますが……」
夢羽さんが好奇心を少しも隠さず、まっすぐに深月さんを見つけて問いかける。
「あの、万央さんとキスしたって本当ですか?」
「ぶーっ!」
それまで清楚で上品なたたずまいを保っていた深月さんが、たちまちむせ返る。
「ごほ、ごほっ! ど、どこからそんな話を?」
「私、聞いちゃったんです。万央さんのファーストキスのお相手が従姉のお姉さんだって。でも、まさかそのお姉さんが三船さんだとは夢にも思いませんでしたから……本当なのかなって」
夢羽さんは頬を赤らめながら、真相を探ろうと、チラチラと深月さんの反応をうかがっている。
一方、深月さんはなんとか踏みとどまると、一たび鋭い目で僕をにらみ、それから持ち前の演技力を発揮して、何事もなかったかのようにクールに答えた。
「ああ、その話ね。ええ、実は今度ドラマの撮影でキスシーンがあって。それで、万央くんに演技の練習に付き合ってもらっていたの。キスはその時に一度だけ」
「なるほど、そういうことだったんですね。どうりで……。そういう理由でもなければ、いくらなんでも崇高な女神のような三船さんが万央さんとキスするはずないですもんね」
信じて疑わない夢羽さんが、純粋な顔で深くうなずく。
「そうね。演技で交わすキスなんてノーカウントよ。だから、夢羽ちゃんも気にしないでね。ただ、それでも気にするファンはいるだろうから、みんなには内緒ね」
「わ、分かりました! 私、絶対に口を割りません!」
年上のお姉さんらしく言い聞かせる深月さん。そして、素直にうなずく夢羽さん。似た者同士の二人の会話はなんだか実の姉妹のようで微笑ましい。
夢羽さんは真相を知ってようやく気持ちが落ち着いたのか、紅茶を一口飲み、それからハッと目を見開いた。
「ん? でも、従姉のお姉さんとのキスがノーカウントということは……。はわわっ! じゃあ、万央さんの初めてのキスのお相手は、やっぱりこの私ということにっ!?」
たちまち夢羽さんが顔を真っ赤に染め上げ、沸騰した瞬間湯沸かし器みたいに頭から白い煙をもうもうと吹き出し始める。
そして、夢羽さんの正面に座る深月さんはというと。
こういう時だけ妙に鋭いお姉さんは、夢羽さんの乙女のようなうっとりとした表情を前にして、重大な何かに勘づいたらしい。
深月さんが僕を見上げ、ニコッと微笑みかける。
「お姉ちゃん、万央くんに聞きたいことができちゃった。後でたーっぷりお話を聞かせてもらえるよね、万央くん?」
表情こそ穏やかなものの、目が少しも笑っていない。平静を保っているように見えながら、ティーカップを持つ手がわずかにブルブルと震えていた。
僕たちがそんな会話を交わしていたちょうどその時、来客がもう一人現れた。
「ほら、万央。管理人さんから部屋の鍵をもらってきてあげたわよ。ったく、どうしてこの私がここまでしてあげなくちゃいけないわけ?」
「い、一条衣知花さん!?」
夢羽さんがまたしても驚きの声を上げ、勢いよく立ち上がる。
衣知花さんがけげんそうな顔をして、まるで品定めでもするかのように夢羽さんをじろりと眺め回す。
「ははあ、アンタが六川夢羽ね。事務所から話は聞いているわ。なかなかいい素材じゃない。私たちの後輩となった以上、ビシバシいくから覚悟しておきなさい」
「は、はい! ご指導よろしくお願いします!」
興奮ぎみに何度も頭を下げる夢羽さん。そんな後輩の初々しい姿を見つめる衣知花さんの眼差しは優しく温かい。
「たしか、夢羽は今一人暮らしなのよね?」
「そ、そうですが」
「なら、明日からはここで深月と一緒に住みなさい。そのほうが安心でしょ」
「ええ~っ!?」
衣知花さんの突然の提案に、夢羽さんがびっくりして目を大きく見開く。
驚いたのは深月さんも同じらしい。
「ちょっと衣知花ちゃん! 私、そんな話聞いてない!」
「そりゃそうでしょ。今思いついたんだから」
衣知花さんが詰め寄る深月さんを軽くいなし、諭すように言う。
「よく考えてごらんなさい。私たちだって研修生の頃はいろいろあったでしょ。可愛い後輩をサポートするのは私たち先輩の役目。ちょうど万央が出ていって部屋が空くんだから、いいじゃない。最近は世間も物騒だし」
「そんな、急に言われても……」
「それに、アンタにとっても都合がいいんじゃないの? 夢羽を一緒に住ませて監視しておけば、万央のことで抜け駆けされる心配もないし」
「分かったわ。一緒に住みましょう」
「判断早っ!」
こうして、深月さんは夢羽さんとの同居をあっさりと受け入れた。
夢羽さんは夢見心地なのか、瞳をキラキラさせて深月さんに熱い視線を送っている。
「これから三船さんと生活をご一緒させていただけるなんて光栄です! あ、これからは深月先輩とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ。よろしくね、夢羽ちゃん」
「はい、深月先輩!」
こうして二人の話がまとまると、衣知花さんがきびきびとした声を飛ばした。
「じゃ、さっさと万央の荷物を運び出すわよ」
すると、夢羽さんが不思議そうな顔でたずねた。
「え? 引っ越し業者の方がいらっしゃるんじゃないんですか?」
「わざわざ呼ぶほどじゃないわ。だって万央の新居、深月ん家のとなりだもの」
「ええ~っ!?」
実はそうなのだ。
以前、マンションの一階で引っ越しの荷積みを終えたトラックを見かけたことがあったけれど、それは深月さんの部屋のとなりの住人の物だったらしい。
そして、日頃から仕事の合間をぬって物件を探していた衣知花さんが、となりが空いたのを偶然見つけ、すぐさま僕たちに連絡をくれたというわけだった。
衣知花さんがダンボールの一つを持ち上げ、不満げな声をもらす。
「あーあ、私もとんだお人好しよね。たしかに引っ越せと言い出したのはこの私だけど。我ながら呆れるわ」
ダンボールを抱えながら肩をすくめる衣知花さん。文句を言いながらもテキパキ行動するさまは、さすがリーダーの貫禄にあふれている。
四人で力を合わせた甲斐もあり、荷物の運び出しはすぐに終わった。元々荷物が多いほうではなく、家電や家具といった重い物もなかったので、僕たち四人で十分なのだった。
がらんとした、まだ物の少ない新居を眺めやる。ここから僕の新しい生活が始まる――そう思うと、しぜんと意欲や期待感が高まってくるのだった。
深月さんと夢羽さんが、次々に僕に声をかけてくれる。
「万央くん。足りない物は、これからお姉ちゃんと一つずつそろえていこうね。お揃いのマグカップとか、二人掛けのソファとか、ベッドとか」
「万央さん。私、万央さんのために腕によりをかけて料理をお作りしますね。おとなりさんなら気軽に作りに来れますから」
にこやかな顔で僕に迫って来る深月さんと夢羽さん。有無を言わせぬ圧がただよっていて、どうやら僕に拒否権はないらしい。
「ところで」
衣知花さんが僕たちの会話をさえぎり、深月さんに切り出した。
「さっき深月ん
衣知花さんが手にしていたのは、先日深月さんがオーディションを受けたという『転生したら弟と結ばれた件』の台本だった。
「アンタ、いくら『転結』が好きだからって、自分で台本作る? ふつー」
衣知花さんが呆れたようにもらしたその言葉が、僕の耳に引っかかった。
「え? 深月さんが作ったってどういうことです? 僕はオーディション用の台本だと聞かされていて、だから練習にも付き合ったんですけど」
そういえば、あの時の深月さん、大学の課題に追われているからと、ずっとパソコンでの作業に取りかかっていたっけ。
もしかして、書いていたのは大学の課題ではなくて、この台本――?
衣知花さんが台本をぺらぺらとめくり出す。そして、キスシーンだと理解すると、眉をつり上げて深月さんをキッ! とにらんだ。
「深月、まさか万央と変なことしてないでしょうね?」
深月さんが顔に汗をかきながら、さっと夢羽さんのほうへと視線を向ける。
「そ、そうだ! 夢羽ちゃん、これから一緒に事務所に行かない? 私がいろいろ案内してあげるわ」
「いいんですか! ありがとうございます!」
「こらっ、逃げるな深月! アンタには聞かなきゃいけないことが山ほどあるんだからね!」
きゃっきゃとにぎやかに騒ぎ立てる、アイドルとその卵たち。
できれば僕の部屋ではないところでやってほしいのだけど。
でも、深月さんたちのおかげで、僕のこれからの新生活も明るく華やかなものになりそうだ。
【完】
メンタルが弱いS級アイドルを励まし続けた結果。 和希 @Sikuramen_P
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます