無能益野菜

星雷はやと

無能益野菜


 

「見渡す限り畑ばかりだな! まだ着かないのか!?」

「わっ……すいません。もう少しですから……」


 左右を畑に囲まれた畑道を一台のタクシーが走る。運転をする僕は、後部座席からの怒鳴り声にハンドルにしがみ付く。

 彼は東京から乗せている刑事の一人で、武納さんという四十代後半の男性だ。皺ひとつないスーツに磨かれた革靴を身につける彼は、エリートであることを主張している。


「まあまあ。先輩、いい風景じゃないですか」

「あ? 宗司。俺たちが行方不明者の捜査の為に、東京から特別任務として来ているのを忘れていないか!?」


 怯える僕を助けるように、助手席から島津さんが後部座席へと振り返る。彼は武納さんと一緒にやって来た二人目の刑事だ。三十代前半で物腰の柔らかく、こうして武納さんとの緩衝材として助けてくれる。少し年上の優しい男性だ。


 僕はこの二人の送迎を会社から命じられハンドルを握っている。目的地周辺にはタクシー会社がなく、東京から二人を運ぶことになったのだ。現在は聞き込み調査の為に、町外れにある農場へと向かっている。


「いえいえ、勿論重々承知しておりますよ。しかし本部長からも捜査中、優秀な武納先輩が根を詰め過ぎないようにと言われていますので……」

「ふん……まあ、少し自然を見るのも目が安らいでいいかもしれないな……」


 巧みな話術により、後部座席の彼は鼻を鳴らすと大人しくなった。島津さんは、武納さんの御目付役のようだ。

 僕がそっと、助手席の彼に会釈をする。彼はウインクをすると、分厚いファイルを広げた。



 〇


「うわぁ、最悪だ。土臭いなぁ……」

「農場ですからね。仕方がありませんよ、先輩」


 正午に農場へ到着した。タクシーから降りると武納さんは顔を顰め、島津さんは苦笑した。田舎で生まれ育った僕には慣れた匂いであるが、都会の人達にとっては受け入れ難いようだ。


「ここからは俺たちの仕事だから、お前はその辺で時間を潰していろ」

「先輩がすいません。ちゃんと待機中分もお支払いしますから、ゆっくり待っていてください」

「分かりました。お帰りの際は声をかけてください」


 此処からは二人の仕事が終わるまで、待機時間のようだ。島津さんは僕に挨拶をすると分厚いファイルを抱え、武納さんを追いかけた。彼は優しいが苦労をしていそうだ。


「あれ? 何か落ちている……」


 タクシーの中に戻ると、助手席に黄ばんだ紙を見つけた。拾い上げると、新聞の切り抜き記事だった。


「銀行に立てこもり……軽率な判断により、突入に刺激された犯人が発砲。それにより人質の一人である高校生が……」


 記事には十年前に発生した、立てこもり事件について記されていた。当時は僕も高校生だったが、実家の田舎に居た為この事件を知らない。

 何故タクシーの中に新聞の切り抜きがあるのか疑問だったが、助手席には島津さんが座っていたことを思い出す。きっと彼が過去の事件を纏めているのだろう。真面目な刑事である。


 最後の一文を読もうと、視線を動かした。


 こんこん。


「わっ!?」


 背後から窓ガラスを叩かれた音に、僕は飛び上がった。


「お疲れ様ねぇ、お茶しましょう?」

「あ、ありがとうございます。でも、僕は待機していないといけなくて……」


 振り向くと、作業服に身を包んだ初老の女性が微笑んでいた。僕は窓を開けると事情を説明する。武納さんと島津さんを乗せてから、殆ど休憩が取れていなかった。有り難い申し出だが、二人が何時戻ってくるか分からないので断るしかないのだ。


「……っ!」


 突然、空腹を主張するように腹が鳴った。


「ふふっ、ほら。遠慮しない。ファイルを見たけど、知っている顔が沢山あったわよ。だから刑事さん達は、従業員全員に話しを聞いていたら長くなると思うわ。暫くも戻らないから大丈夫よ」

「はい……すいません」


 僕の腹の音は、初老の女性にも聞こえていたようだ。優しく促される。恥ずかしさから、顔が熱くて仕方がない。蚊の鳴くような声で返事をすると、新聞の切り抜きをダッシュボードに仕舞い。タクシーに鍵を掛け、微笑む女性の後に続いた。



 〇


「美味しい……」


 農場の裏手にある民家の縁側でおにぎりを食べる。僕を食事に誘ってくれたのは、農場主の奥さんだった。実家を思い出す優しい味に、心が落ち着くのを感じる。


「それは良かったわ。あら……こっちも食べていいのよ?」

「うっ、すいません……お腹がいっぱいで……」


 沢山並んだおにぎりの他にも、料理を出してくれているが少食な僕にはこれ以上食べることが出来ない。加えて満腹になると睡魔が訪れるのだ。運転をする予定がある為、満腹になることは避けたい。


「いいのよ、気にしなくていいのよ。島津さんも気にしていたから安心したわ」

「そうなのですか……あ、出荷作業の忙しいところにお邪魔をして申し訳ないです」


 食事の気遣いは如何やら島津さんが手配をしてくれたようだ。本当に気の利く、優しい人だ。少し離れた所に数台のトラックが停車している。きっと野菜を出荷するトラックだ。


「平気よ。皆、立派に成長してくれて嬉しいわ。お茶のお代わりを持ってくるわね」

「あ、ありがとうございます」


 彼女は優しく微笑むと、グラスを持ち廊下を歩いて行った。仕事で訪れているのだが、癒されている気がする。


「おい! 何で車に居ない!?」

「……えっ、武納さん?」


 良く晴れた青空を見上げながら、おしぼりで手を拭いていると砂利を荒々しく踏みしめる音が響いた。音のする方向を向くと建物の角から武納さんが、怒鳴り声を上げながら姿を現した。


「いいから、さっさと車を出せ! 此処はヤバイから逃げるぞ!!」

「……? えっと……」


 彼は僕の腕を掴むと、タクシーの方向へと足早く進む。彼の焦り具合から捜査に進展があったようだが、如何せん急展開過ぎる。僕は縺れそうになる足を何とか動かす。


「ほら! 扉を開けろ!」

「は……はい。あれ? 鍵がない?」


 引き摺られるようにしてタクシーの前まで戻る。鍵を取り出そうとズボンのポケットに手を入れたが、中身は空だった。背中に冷や汗が流れる。


「はぁ!? 何をしている! 急いで探せ!」

「は、はい!」


 武納さんの怒鳴り声に萎縮しながらも、タクシーの周辺を探す。確かに施錠した後に、ズボンのポケットに入れた。しかし現に鍵が無い為、ただの言い訳になってしまう。


「まったく! あの時だって俺の指示は間違っていなかった……あれは犯人が悪い。俺のせいじゃないのに……俺はこんなイカレタ場所で終われない……」

「……? 武納さん?」


 彼は急に整えられた黒髪を両手で乱し、俯き譫言を呟く。私見だが、この農場に居るのは優しい人達である。彼が怯え焦る理由が見当たらない。僕は探す手を止め、首を傾げた。


「武納先輩!? 急に走り出して如何したのですか? 作業員の方々も困惑していましたよ?」

「宗司! 良いところに来た、此処はヤバイ所だ! 逃げるぞ!」


 焦った声と共に島津さんが駆け駆け寄り、僕の隣に並んだ。彼の登場に僕は胸をなでおろす。武納さんは顔を上げると、再び此処を去ることを告げる。


「え? 先輩? 何の話ですか?」

「これを見ろ!」


 話しの内容が見えないことに戸惑っていると、武納さんがスマホの画面を見せた。そこには薄暗い室内の床に野菜が散乱している。その潰れた野菜に紛れるように、白い歯や眼球が転がっていた。


「……っ、何処で撮った写真ですか?」

「向こう側の倉庫だ」

「分かりました。本部に応援を願いましょう」


 写真を見た島津さんの息を呑む音が嫌なほど響いた。場所の確認をすると、彼はスマホを取り出した。


「あ、あの……お話しを遮って申し訳ないのですが……」

「あ? 邪魔をするな。ことは一刻を争う事態だぞ!?」


 僕は勇気を振り絞り、二人へと声を掛ける。すると予想通り武納さんに鋭く睨まれた。


「先輩、待ってください。如何しました?」

「そ、その……僕の実家も農家でして、同じような光景を見たことがあります。従業員の方の差し歯が抜けたことがあり、目はリアルな案山子を作る為の小道具でした。ですから……その……」


 武納さんの気迫に押されながらも、島津さんに促され恐る恐る口にした。写真の光景には見覚えがある。


 あれは僕が小学生の夏休み、ボールで遊んでいた時だ。ボールが何時もは使わない納屋に入ってしまった。恐る恐る足を踏み入れると、散乱した野菜の中に歯や眼球を見つけた。驚きと恐怖で母屋に帰り両親に泣きついたのである。丁度、その頃に働きに来ていた数名の従業員が居なくなっていたことも嫌な考えに拍車をかけたのだ。

 怯える僕を心配した祖父母が納屋を確認し、差し歯の持ち主と案山子の材料が判明した。そして居なくなった従業員たちは立派に成長したから、僕が遊んでいる間に都心に向かったことを知らされ無事に誤解が解けたのだ。


 あの出来事は強烈で、忘れられない夏の思い出となった。


「成程……勘違いということもあるということですね」

「は、はい……」


 島津さんは話しを聞くと、顎に手を当て考え込む。僕は話しを聞いてもらえたことに、安堵する。


「おい、宗司! こんな素人の奴の意見を聞くのか!?」

「……っ、すいま……」


 苛立った武納さんが声を荒げた。僕のような一般人の意見など、彼らプロからすれば邪魔なだけである。余計なことを言ってしまったと、怖くなり僕は反射的に謝ろうとした。


「私は、一理あると思いますよ。薄暗い写真では模造品かどうか判断は出来ません。万が一、誤解で農家の方々に迷惑をかけ、本部の人員を使ったとなると責任問題になりますよ?」

「……っ!? くそっ……だが、写真が本当だったら如何する?」


 落ち着いた島津さんの言葉に、武納さんは顔を歪め苦々しいような顔をした。


「ですから、真偽を確かめに行きましょう。……我々が戻らなければ、警察に連絡をしてもらえますか?」

「チッ……仕方がないな……」

「……え、あ、はい……。お気を付けて……」


 二人の間でアイコンタクトが行われ、僕に連絡を頼むと二人は砂利道を奥へと進んで行った。


 〇


「あ! あった!」


 二人を待つ間に、僕は車の鍵を探していた。僕の行動範囲を確かめるように歩いていると、食事をご馳走になった縁側に鍵を見つけた。如何やら食事をしている間に、落としたようだ。今度は失くさないように、しっかりと右手で握りタクシーへと戻る。


「お待たせしました」

「あ! 島津さん」


 タクシーへと戻ると、同じタイミングで島津さんが姿を現した。彼の無事な様子に、ほっと息を吐く。状況を聞くのに車内が良いだろうと判断し、鍵を使いタクシーの扉を開けた。


「その……ど、如何でしたか?」

「はは……恥ずかしながら誤解でした。色々と使わない物を仕舞っているそうで、歯も目も作り物でしたよ。先輩は先走るところがありまして、危うく大恥をかくところでした。……本当にありがとうございました」


 車内に乗り込むと、後部座席に座った彼に恐る恐る質問をした。部外者である僕が訊ねても、教えてもらえる筈がない。そう思っていたが、彼は苦笑交じりに状況を教えてくれる。写真の件は誤解だったようで良かった。


「いえいえ、お役に立てて良かったです。あ! これ助手席に落ちていましたよ」

「……嗚呼ありがとうございます」


 僕はある事を思い出し、ダッシュボードに入れておいた新聞の切り抜きを島津さんへと差し出した。すると彼は目を見開いた後、少し間をおいてから新聞記事を受け取った。


「情報収集というか凄いですね」

「そんなことありません。情けない兄ですよ。ですが……これで漸く墓参りに行けます」


 車内は日光で温められ少し暑い気がした為、エアコンのスイッチを押す。レジスターから出る風の音で、彼の後半の言葉が聞き取れなかった。


「島津さん?」

「何でもないですよ。さあ、帰りましょう」


 何と口にしたのか訊ねようとしたが、先に彼が言葉を放つ。


「え? 武納さんはいいのですか?」

「ええ、任務完了です。先輩は此処で立派に育つそうなので大丈夫ですよ」


 置いて行ったら後で怒られそうだと、僕が不安になりながら尋ねる。するとバックミラー越しに、彼は達成感に満ちたように微笑んだ。


「分かりました。では出発します」


 彼が言うのならば大丈夫だろう。


 僕は頷くと、島津さんだけを乗せ東京へと帰った。


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無能益野菜 星雷はやと @hosirai-hayato

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