入院したわたしにも幸せは訪れる。

夕日ゆうや

それは恐らく終わる刻だろう。

 白く清潔な建物には多くの病人がいる。

 その例に漏れることなく、わたしもこの狭く白い部屋で待ち続けている。

 何を待っているのか。

 それは恐らく終わる刻だろう。

 わたしは何度も入退院を繰り返してきた。

 もう帰ることのない実家に思いを馳せてわたしは日記をつける。

 これがわたしが生きた証になる。

 それだけが救い。希望。

 書き続けなければ、心が壊れてしまいそうだった。

 だって、わたしが生きた記録はここにしかないのだから。

 ボールペンを濁る手にじわりと汗が滲む。

 震えている。

 とうとう手にまで病気が回ったらしい。

 もう動くこともできないかもしれない。


 コンコンとノックする音が室内に響く。

 今日はお母さんの面会の日ではない。

 となると看護師さんかな?

「はい」

「おう。お前、こんなところで何しているんだよ」

 男の子だ。

 わたしと同い年くらいの、ぽっちゃりとしたどこか愛嬌のある少年。

「キミだれ?」

「俺のこと、忘れているのかよ。浅井あさい健太けんただ。七瀬ななせ

 健太。

 聞いたことがある。

 確か、親の転勤で遠くの街に引っ越して――。

「え! あの健太くん?」

 前はもっと痩せていた気がする。

「ああ。そうだよ」

 にこりと笑むと、その顔には見覚えがある。

「太ったね」

「言うなよ。気にしているんだから」

 クスクスと笑うわたしに、困ったように頬を掻く健太くん。

「まあ、いいや。俺と遊ぼうぜ」

「うん。いいよ。何する?」

 彼と遊ぶのは楽しかった。

 こんなに笑ったのは久しぶりだった。

 ああ。こんな時間がずっと続けばいいのに。


☆★☆


 こんなことになるんだったら、彼にお礼を言えば良かった。

 今までありがとう、って。

 人工呼吸器がつけられ、流動食を直接胃に送り出している。

 尿もべんも、すべて機械で補助してもらっている。

 これでは生きているとは思えなかった。

 機械がなければ生きていけない。

 それが悲しい。

 辛い。

 わたしがわたしでなくなるような気がした。

 全身を青い手術着みたいなのを着た母がやってくる。

「あの子、健太くん。また来ていたわよ」

《ありがとう、って伝えてくれる?》

「分かったわ」

《わたし、幸せだ》

「……どこがよ」

 母は涙を堪えるように震えた声を押し殺す。

《だって、こんなにときめいているもの》

 母は何も言えないのか、押し黙る。

《だって昔から変わっていないんだもの。健太くん》

 わたしはちらりと横の心電図を見る。

《もう、たくさんの愛を受け取ったよ。お母さんからも、お父さんからも》

 弱ってきている。

《健太くんからも》

 呼吸が乱れてきた。

《だから》

 電子音が鳴り響く。

《ありが》


 集中治療室の灯りが消えていく。

 すでに失われたものは運び出されていった。

 次は誰がここを利用するのか。

 それは誰にも分からない。

 次はあなたの番かもしれない。

 でもそこに生きた者へ、どうか祈ってほしい。


 幸あれ、と。

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入院したわたしにも幸せは訪れる。 夕日ゆうや @PT03wing

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