都築さんが綴った手紙の続きの綴り字

 宮本みやもと銀歩ぎんほは今夜も合法的なバー〈賢愚の沼〉に合法的に入り浸るためにやってきた。


 おいしい酒を提供する場といえども、ノンアルコール・カクテルも充実している。あるとき、誰かが言った。信号機は「赤」だけあればいいのであって、点灯していないときは「青」──つまり「進める」とすればよかったのではないかと。しかし世の中は、「進める」ときにも信号を点灯させる選択をした。


「もし停電や故障したときのことを考えてごらんよ。『進める』なのか『故障』なのかどっちかわからなくなったら困るだろ?」

「なるほど、そう言えばそうだな」



「そういうわけで、」と銀歩は言った。「私の友人だけど、一切寝息を立てない恋人と就寝していると一時間おきに生存確認しないと不安になるらしくって」

「鼻先にティッシュでも貼りつけておけばどうです?」

 バーのマスター・沖田おきた丁磨沙あたるまさの提案に銀歩は「ナイスアイディア!」と叫ぶ。

「ああ、でも、電気つけとかなきゃ見えないじゃない。私は真っ暗じゃないと眠れないのよね……」

「一体、さっきからなんの話をしているんでしょう」丁磨沙は呆れはてた。「クイート君はいびきをかくタイプなんでしょうかね? たしかに、いびきも歯ぎしりも安心できる……な~んて歌詞が平成のヒット曲にありましたよね?」

「ギムレットちょうだい!」銀歩は先ほどとはまったく違った種類の声をあげた。

「今夜はギムレットではなく、モーツァルト・ミルクなど、いかがでしょう?」丁磨沙がすすめる。

「んん? モーツァルト? 新顔さんですか? どういうカクテルなわけ?」

「チョコレートリキュールの代わりにエチオピアブレンドを、ミルクの代わりに3.5牛乳を使った──」

「あはっ」銀歩は首を反らせた。「結局コーヒー牛乳やないかい!」

「カフェ・オ・レと言った方が通りがいいかと。しかし最近、漫画で『今に見て・オ・レ』というのが流行っているらしくて──」

「流行にはとんと無縁よ」銀歩の声のトーンは徐々にしぼんでいく。「車のナンバーで、〈358〉にすると縁起がいいとかで流行っているらしいじゃない? 私は迷わず〈108〉にしたわ。ね、煩悩の数──私にピッタリよ。煩悩を希望するなんて変だけど、逃れられない運命なのよ」

「それは誰でも、そうでしょう」


 丁磨沙が置いてくれたグラスを口に運びながら、銀歩は話を継ぐ。

「車と言えばね、私の親戚のおばさんが、ある朝、自家用車のナンバープレートを盗まれたらしくて、駐車場のアスファルトにはプレートを留めていた四つのネジだけが、ご丁寧に、プレートにくっついていたときと同じ間隔できれいに並べられていたそうなの。ただ交換途中に、その人物がプレートとともに行方不明になった、みたいな感じでね。そしたら、しばらくしてから警察から電話がかかってきて、盗まれたプレートが大阪で見つかったってことだったの。おばさんは広島に住んでたから、『郵送で送ってください』って頼んだんだけど、『郵送はできません』って断られて。それで、おじさんと二人で有給休暇をわざわざ取って、大阪まで受け取りに行ったわけ。えらいことになったわ、って言ってたけど、警察署の近くで551蓬◯のぶたまんが売っていたらしくて、豚まん買って帰った、あの豚まん、おいしかったわって話してたっけ」

「それはそれは、大変でしたね」眉根を寄せて、憐れみを伝える丁磨沙。

「だからね、」と銀歩は語気を強めた。「私もそういうふうに、起こった不幸もおいしい豚まんで塗り替える──みたいなことができると思うのよ。たとえクイートとの恋が成就しなくて打ちのめされても、ここへ来て、マスターお手製のコーヒー牛乳で悲しみを乗り越える。乗り越えられるわ」


 丁磨沙はふいに仰向くと、ぽそりと言った。「感激しました」

「次に乗る車のナンバーは、きっと〈5139コーヒーミルク〉よ」

「〈5130〉にしなさいよ」

「え?」

「恋、実れ──」

「マスターったら……」



 

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オン・THE・シュガーロード 崇期 @suuki-shu

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