桜の国の散る中を

榊琉那@The Last One

桜、舞い散るなかで

桜が咲く頃に思い出す、あの頃の出来事。

あの時に見たのは、単なる幻覚か、

それとも心の奥底にある、自分の無意識の部分の具現化なのか……。

まぁ今となっては、どうでもいい事だが。



あれは小学5年生ぐらいの事だったと思う。

ケイジは一日中、咳が止まらず苦しんでいた。

単なる喘息であっただろうが、両親にとってはイライラの元であった。

我慢出来なくなった両親は、ケイジを冬休みの期間中、

家から離れた療養所に預かってもらう事にした。

空気が奇麗な所なら咳も治まるだろうという安直な考えからだった。

勿論、根拠などない。自分自身の勝手な思い込みからだ。

大体、療養所に行くような病気は結核が相場だろう。

喘息に関しては、薬剤で治療するものだから、環境は大きく影響しない。

ましてや、人によっては、山間部の杉花粉等は、返って逆効果になりかねない。

ケイジは、知り合いのいない療養所で孤独に過ごすのだった。


(何でこんな所で過ごさないといけないのかなぁ)

療養所で過ごせば咳が治まるという事は無い。咳ばかりしているのだから、

他の人達と接する事は極力避けたかった。ケイジ自身、

一人で過す事が多かったから、孤独に関してはそれ程苦にはなっていない。

でも、何で自分だけがこんな扱いに……、とは思っていた。



気が付いたら、療養所の近くのソメイヨシノは、花が三分咲きになっていた。

冬休みの間だけのはずだったが、咳が治まる気配はなく、学校が始まってからも

この療養所で過している。いつの間にか春だ。まだ朝方は冷える日が続いているが、

日中は過ごしやすくなってきた。ケイジは、ここ暫く、毎日のように

桜の花を見る為に、療養所の近所にある桜の木まで歩いてきている。

ここに来てから、未だに仲が良いと思える人はいない。一人は慣れているとはいえ、

たまには寂しいと思う事もあったりする。

そして両親は、一度もここに顔を見せる事は無かった。

ケイジ自身、全く期待などしていなかった。

自分にとって、両親の存在というものは……。


療養所に来てかなりの日数が経っていたが、ケイジの両親は、

一度たりともお見舞いに来ていない。

介護士の人は、その点が気になっていた。

「ご両親、今日も見舞いに来なかったね」

「いいです、多分、ここに来る事は無いと思うから」

ケイジは失望した感じで素っ気なく答える。

子供とは思えないような冷め切った目線をしている。

両親はどのような接し方をしてきたのか。

「どうしてそんな事を言うの?」

「だって、うちの親、離婚したいっていつも喧嘩していたし」

(子供の前で、こんな言い争いなんてしなくても。子供の気持ちはどうなるのよ)

介護士の気持ちも重くなる。親がこれじゃ、

子供がおかしくなるというのが分からないのだろうか。


「ねぇ、僕って生まれてこなければよかったのかな?」

ケイジの表情が悲しさと苦痛が混じりあったものになる。

「いつも言ってた。『アンタがいるから離婚の話が進まない』と。

やっぱり僕は邪魔なのかな?」

「そんな事はないよ。生まれてきたという事は、何かをやる事があるということ。

自分の事をそんな風に思わないで」

「じゃあ、一体何をすればいいの?お母さんは『アンタなんか生まなきゃよかった』って言ってたんだよ。やっぱり僕が生まれてきたのは間違いだったの?

僕はここにいてはいけないの?生きる価値なんてあるの?僕は……」

ケイジは、咳をしながらも辛い思いを口にする。

介護士は、思わずケイジを抱きしめるのだった。

(子供にこんな辛い思いをさせるなんて……)

「僕は……、どうすればいいの?」

ケイジは大粒の涙をいくつも流した。まるで燻っていた思いが吹き出るように。

「人は何かをするために生まれてくるの。間違っていたなんて言わないで」

介護士はケイジの頭を撫でながら、優しく囁くのだった。



今日もケイジは、桜の花を見る為にここに来た。もう五分咲きくらいだろうか?

もう少しで満開だと思っていると、遠くに少年がいるのが見えた。

ケイジの事をただ見ているだけ。近づこうともしなかった。

ケイジは特に何も思わないまま、桜の花を見ていた。

桜の花の何と美しい事か。暫くの間、ケイジは桜の花に釘付けとなる。

そして少年は近づきもせず、じっとケイジを見ていた。

(誰だろう?見ているだけ?)

ケイジは少し気になっていたが、桜の花の鑑賞に戻った。


そろそろ桜の花は七分咲きになった位だろうか。

ケイジは少年の事が何となく気になり、今日も桜の花を見に行った。

今日は少年がいるかなと周りを見渡す。

少年は、やはりそこにいた。気のせいか、この前よりも近寄っている気がする。

しかしながら、やはり何も話そうとしない。

ケイジは、もどかしく思っていた。

ただ見ているだけで何もしようとしない。

一体、何をしたいのだろうか?


「ねぇ、ケイジ君って最近笑った事ってある?」

介護士の人が気になっていた事を聞いてみる。するとケイジは淡々と答える。

「まともに笑った事なんてないですよ」

「テレビのお笑い番組とかでも笑わないの?」

「あんなの見てもつまらないから見ませんよ」

介護士は、ケイジの心の歪みはどこから来ているのかと探している。



とうとう、桜の花は満開になった。やや強い風が桜の花びらを飛ばし、

幻想的な風景となっている。ケイジは、その美しさに呆気に取られたような表情をしている。


そしてあの少年がすぐ側まで近づいていた。

ケイジは思い切って声を掛けてみる。

「ねぇ、どうして僕の事を見ているの?」

「君を迎えに来たつもりだったんだけど……、ちょっと予定外だったね」

少年が何を言いたいのかは、よくわからない。何を喋ろうとしているのだろうか。

「どういうこと?」

「君の中には、パンドラの箱の底に存在しているものが残っている。

だから君を連れて行く事は出来ない。それが無くなった時に、迎えに来るよ。

その時は一緒に遊ぼう。またね」


一陣の風が吹き、桜吹雪が舞い踊る。

気がついたら少年の姿は無かった。

一体、何の為にあの子はここに来たんだろう?

(結局、僕の事は相手にしてくれないんだね)

ケイジの気持ちは、悲しさで満ちているかのようであった。

いつの間にか、ケイジの意識は朦朧となり、やがて意識を失った。

暫くしてから、帰って来ないケイジを探している人達によって発見された。

大騒ぎとなったのは言うまでもない。



(ここは、何処?)

意識を失っていたケイジが目を覚ましたら、

見知らぬ場所だった。ここは病院?


「よかった。気がついたみたいだね」 


そこにいるのはお医者さん?

ケイジは、今の状況がわかっていない。

満開の桜を見て、そこにいた少年と話して、

それからの記憶はない。  

何故に今ここに自分がいるのか?


「ねぇ、パンドラの箱の底にあるものって、何?」

不意にケイジが医師に質問する。

「普通に考えるなら『希望』だろうけど……」

医師にとっては、これ以外に答えようがなかった。

「多分、自分の中にあるのはこれじゃない」


…………



あれから何十回、桜の花を見てきただろうか?

ケイジは、あの時の少年が迎えに来るのを待っていた。

その反面、もう二度と来ることはないだろうなとも思っている。


(『パンドラの箱の底に存在しているもの』、あれはやっぱり『希望』

何かじゃない。恐らく『悔い』若しくは『未練』だ)

これが自分に残っている限り、少年は迎えに来ないだろう。


結局、ケイジは『家族』という存在を否定しながら成長していった。

何度も騙され、裏切られ、そして人と深い付き合いをする事を拒否し続けた。

そんな中、意外にもケイジは人と接する事になる窓口業務の仕事を続けていた。

今までに色々と経験をして悟った事は、別に深い付き合いなんて要らない、

上辺だけで接していけば何とかなるという事だった。

別に出世など望んでいない。大体、人間を関わるのを嫌う人間が、

指導など出来るわけないのだ。それにしても、ちょっとしたきっかけで

始めた仕事が長続きしているのは、自分でも信じられなかった。


代り映えのしない月日は過ぎ、また今年も桜が咲く季節になった。

いくつもの出会いと別れがあったが、

ケイジにとっては、もうどうでもいい事かもしれない。


(結局、自分は何を成し遂げる為に生まれてきたんだろうか?)


何時ぞやの介護士の言葉が不意に頭に浮かんだ。

その回答は、いつまで経っても出そうもない。死ぬまでには答えは出るのだろうか?


もし自分の中に何も残っていない事を認めたならば、

あの時の少年が迎えに来るかもしれない。

その時は今度こそ一緒に旅に出るのだろう。


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