剣鬼の牙が抜けるとき(時代小説新人賞最終選考落選歴あり)

牛馬走

読み切り短編

 徳川家綱の治世。ここでは濃い血臭が肺腑と鼻腔に満ち満ちるほどにありふれていた。まるで戦国乱世だ。剣戟の果てにどちらが命を落とす。

 念流か、相手の青眼の構えにおのれの身を隠すような低い構えを見てつぶやく。足もとも戦国乱世の時代のそのままに撞木(しゅもく)足。他方、こちらは柳生兵庫介に発する“突っ立ったる形”だ。足場が不安定な場ならともかく、平坦な場ならこちらのほうが動くのに都合がいい。

 俺にとっては餌食にしか過ぎない。声に出さずにつぶやいた。

 青眼に剣をとるや相手に突進する。面や小手に狙いを絞らせるという念流の工夫をたやすく文字通り“突き崩す”動きだ。かすかに相手の目もとが動揺に痙攣したが、おのが剣を信じたのだろう、念流でいう“しんをとる”一閃を送ってきた。

 刃と刃が交錯する。その寸前で、こちらの体は側面に大きく動いていた。新陰流の“転(まろばし)”の挙動だ。“打ち合った”という錯覚を与えた上で相手の死角、背後に回り込む。だから、相手は隙だらけだ。こちらの姿を求めて忙しく顔を動かす相手の首根っこに、背後から一閃を浴びせる。

 宙で生首が回転し、こちらを認めて目をさらに見開いた。まさか、という思いだったろう。それを追うように首を失った胴も倒れた。

 こうして、骸となってまたひとり剣士が命を失って転がった。

 ここは地下御前試合の場だ。文字通りの地下に、歌舞伎の舞台や客席を思わせるものがもうけられふたりの遣い手が命を奪い合うのを客は見守って楽しむのだ。そう、娯楽としている。

 あきらかに人道からはずれた所業だった。では、なぜそんな場に俺はいるのか?

 話せば長いが簡単にいえば“仇討”のためだ。佐渡奉行のもとで働いていた武士の父が、朋輩に斬殺された。そして、命を奪った相手は出奔したのだ。

 ゆえに、俺は仇討をなすことが宿命づけられた。父の死は余人の目にも触れており、病死と届けて家督を継ぐという手立ても使えなかったのだ。武士の習い、仇討のために追ってきた相手、柏崎次兵衛が時折姿を現すというこの地下御前の場に参加するようになっていた。そして、父の死とは無関係な者を幾度か殺めていた。

 仇討のため、それにここに居る者は納得ずくで殺し合いを演じている、最初はそう己に言い聞かせていた。

 しかし、顔を出すうちに知ろうとせずとも地下御前試合に参加するのが必ずしも、みずからの剣技を試したい者や血に飢えた者だけでないことは耳に入ってくる。ある者は家族が病を得てそれを癒すための薬を購うため、ある者は積み重なった借財ゆえに妹を売るか自分が命を張るかと札差に迫られ、といった具合にやむにやまれぬ事情がある者も多くいた。

 前回、俺が斬ったのはそんな者のひとり、家族のために戦う者だ。腕こそこちらに劣っていたが“生者”を背負って戦う者の気魄は凄まじく、危うく紙一重で殺されかけた。

 爾来(じらい)、疑念がつきまとって離れない。この広い江都(こうと)のこと、目当ての人物を目付や横目の経験があるわけでもないおのれが探し出すことはむずかしかった。となれば、仇を討つなら地下御前試合に参加するしかない。

 だが、しかし、そんな言葉が脳裏に張り付いてはなれなかった。

 一方、頭に浮かぶのは算術の塾の面々の顔だ。あそこで過ごす時間は心が弾みっぱなしだった。「村瀬殿」「村瀬氏(うじ)」「義益さん」とおのれを呼ぶ声が耳の奥によみがえる。それを掻き消そうとするように、地下には喝采が上がっていた。贅沢に蝋燭をふんだんに使って照らされた景色で狂騒する観客の姿は血に飢えた地獄の鬼のようだ。

 しかし、立ち合いにおいて血が沸騰するのもまた事実だった。そういう意味では俺もまた鬼と化しつつある、そう思えてならない。


 翌日、算術の塾である磯村塾を俺は訪れた。先生は風邪を引いたとかで不在だったが、それでも塾内は活気に満ちている。己の好きなものに打ち込む、そんな幸福な行為に各々の顔にはやる気が満ち目は輝いていた。

 だが、実をいえば俺の父は算術が大嫌いだった。とある家中の士で、儒者でかつ、算術を中心に他の学問に祖父は精通していたが、父はまったくその血を受け継がずどれだけ努力を重ねても遅々として祖父の領域に近づくことはできなかった。ためには、終いには御家人に養子に出された。だが、小禄であっても学問に縁のない家の家督を継いだ父にしてみれば肩の荷が下りた思いがしたことだろう。

 しかし、皮肉なことに俺は祖父に似た。好奇心が旺盛で何事にも「なぜ」という言葉を連発した。そんな俺を祖父は可愛がってくれた。

 けれども、父は疎んじた。「つまらぬ理屈をいくらこねたところで、いざ戦働きが求められる折となれば何の役に立つ」というのが口癖だったのだ。あきらかに祖父への劣等感が育んだ物の見方だろう。

それを物心がついて少しする頃には俺は理解しながらも、つまらぬ因習に縛られて、と父や父の背後にある理不尽な習慣ばかりが支配する武士の世間というものを鬱陶しく思った。反対に、絶対の一つの“答え”がある算術にはまっていった。長じてからは庶子であるのをいいことに、祖父の紹介で大名家の学者のもとを訪れたりするようになる。

だが、そんな輝く日々にも終焉がやって来た。兄が病で世を去ってしまい、さらには父が理由は分からないが朋輩に斬られたのだ。

それゆえ、仇討のために江戸にやってきた。そのはずだったが、気づけば縁を頼りに算術の私塾に入りびたり転がり込んでしまっている。

「今のままでよいのか」

 俺を、東市右衛門の言葉が我に返らせた。部屋の隅のほうで俺はこやつと立ち話をしていたのだ。

「そんなことをいわれてもな」

 言葉を濁し、市右衛門に応じるしかない。

 ふたりきりのとき、酔った折にみずからが小人目付だと市右衛門は漏らしたことがある。

地下御前試合のこともつかんでいる、そしておまえが参加していることも、と仄めかしたこともあった。

 得難い算術の私塾の友の言葉だが、しかと答えを返すことを今はできない。


● ● ●


 この暗い場所、地下御前試合の場に立つと憂いを忘れることができる。邪念を抱いていては斬られる、ゆえに目の前の戦いに集中し無理やりにも浮世のことは忘れなければならないためだ。

 紫電一閃、ふたりの剣士が互いに刺突をくり出す。直撃する寸前で両者は剣尖をはずした。お互いに死ぬために来ているわけではない、勝つために来ているがゆえの行動だ。構え直そうとする相手の面に一撃を送った。あわてて相手は応じる。

 甘い、と胸のうちでつぶやいた。そのせりふが現実のものとなった。真正面からわずかにそれて斬撃を迎えた刀身は脇へそれる。結果、俺のふるった剣は相の頭蓋を深々と割ることとなった。

 悲痛な顔になって相手は脱力しその場に倒れる。

 肉を、骨を断つ感触、命という尊ぶべきものを奪っているという全能感にも似た感覚、ああなんと甘美なことか。

 俺は思わず口角を吊り上げていた。


 そんな光景を小人目付、東市右衛門は眉をひそめて見つめている。

 豪商や雄藩の大名が金を出し合い、人の命の奪い合いを見世物としているという話を聞いていたが間違いなく本当だった。弱味を掴んでいる商人の伝手でこうしてもぐり込んでいるが、市右衛門は吐き気をおぼえていた。

 乱世の遺風はいまだ払拭しきれていないが、それでも着実に武士は“血”と縁遠いものとなっていた。小人目付という公儀隠密の任の一角を担う立場の者でも、嫌悪感は抑えきれなかった。

 始まりは掘割に浪人の死体が浮かんだことだった。それも定期的に骸(おろく)が見つかった。それに不審を覚えた目付の命で、支配違いではあるが市右衛門はかかわることになったのだ。

 なにしろ、死んでいるのは浪人とはいえ、死体にはあきらかな大刀(たち)による傷が刻まれていた。となれば、直臣がかかわっている可能性も零ではない。幕臣が辻斬りを働いているかもしれないのだ。

 だが、死体を検めて市右衛門はおかしなことに気づく。死体の持ち物らしき大刀が引き上げられたのだが、そこには「脂による曇り」が認められたのだ。つまり、被害者は一方的に斬られたのではなく“斬り合った”末に殺されたということになる。それに気づいて、改めてそれまでの死体の所持品について聞きまわったところ、刀身が曇った大刀は他にも見つかっていた。

 これはおかしいと思い、さらに探索をつづけ金創医などを締め上げているうちに、ついに地下御前試合の存在に行き当たったのだ。ただ、豪商はまだしも、かかわる大々名家の名は市右衛門の手には余るものだった。

 ために上に報告をあげながらも、市右衛門にできるのは内偵を進めることだけだった。

 義益――彼は悲痛な声で、心のうちで朋友の名を呼んだ。


● ● ●


 俺をさらに悩ませる出来事が出来(しゅったい)した。

 ある日、酔って荒木家の屋敷に帰ろうと夜更けの通りを歩いていたときのことだ。

 突如として、「父の仇、覚悟」という声が響く。

 闇に銀光が奔(はし)った。ただ、剥き出しの殺意が攻撃の寸前で一撃の存在を予告してしまっている。

 武術の本来の体捌きの要諦は“脱力”だ、酔っていようが足枷にはなりえない。銀光の軌道からななめに身をはずす。同時に俺は襲撃者の正体を見定めようと目を凝らし、瞠目することになった。

 動揺が思わず口をついて出る。子ども? 襷をかけ股立ちを高くとった武士の子らしき身なりの男児が鋭いまなざしでこちらをつらぬいた。

「さようなことは関係ない、覚悟しろ」

「待て待て、俺が仇呼ばわりされる憶えは」

 と言いかけて、ハッとなった。ないとは言えない。双方、合意の上とはいえ地下において幾度か殺し合いを演じているのだ。その者らに縁者がおり、肉親の死を恨みに思っても不思議ではない。

「思い出したか。地下御前試合なる場において、父を討ったであろう」

「なれど、あれはおまえの父も承知の上だったはず」

「父が、父が剣で負けるはずがない。うぬが卑怯な策を弄したに決まっている」

 俺の抗弁に、それを撥ね退けようとするような大声でまだ元服前といった年頃の少年が叫んだ。

 得心がいく。この子は受け入れられないのだ。父の死が。

 ゆえに、こちらに言いがかりをつけその思いをぶつけて発散しようとしている。

 気持ちは分からないでもない。はっきりとした仇を持っていてさえ、なぜ、という理不尽に 憤る思いは生じる。それが討つべき仇さえないとなれば、感情の持って行き場を無理やりに求めるというのも理解はできる。

 だからといって、殺されてやる気にはなれないが。

 徐々に間合いを詰めようとする少年の間合いを冷静に図りながら俺は差し料を抜いた。

 とたん、少年の顔面が蒼白になる。長大な刃物というのは、それだけで心を圧する。こちらのように幾度もおのれに向けられるのを目の当たりにしているのならともかく、初めての経験であればそれだけで萎縮するのも当然の理屈だった。

 できるなら、これで諦めてくれ。胸のうちで祈るようにつぶやいた。

 しかし、少年の怒りは恐怖を乗り越えさせてしまう。さらに距離を詰め、間境を越えてきた。

 二条の光芒が宙を走る。硬い感触がこちらの手のひらにつたわった。

 正面はその場に尻もちをつく。見開かれた目が恐怖と絶望に染まっていた。

 ただし、無傷だ。損なわれたのは少年の大刀だった。鎬の部位を避けてこちらが大刀をふるったがために刀身が半ばから折れ飛んだのだ。刀というのはそれほどに脆弱な得物なのだ、ゆえにこそ高度な操作が求められる。

「小僧、うぬに仇討など夢のまた夢。父御のごとく命を散らし、一家を悲しめたくなくば向後は俺に近づかぬことだ」

 低い声で、しかし内心は乞うような気持ちで告げた。とたん、少年の顔が歪んだ。ほおを光る物がつたった。

 こちらが手加減をし、かつ命を助けようとしていることが伝わったのだろう。あるいは、自分の主張の理不尽さについに目を向けてしまったか。とにかく、その様子からして爾後、仇討などといって襲いかかってくることはないだろうと思われた。

「何かと物騒だ、気をつけて帰れ」

 胸を締め付けられる思いにたまらなくなり、早口に告げて少年に背を向ける。


 そんなことがあった翌日、俺は従兄の住処(すみか)を訪れていた。

「うぬ、さようなせりふを吐いて恥ずかしゅうないのか」

 小体な屋敷の一室、ふたりきりの状況で家の当主である従兄が顔面を真っ赤にして低い声を出した。

 俺は対照的に静かな口調で応じる。「さようにございますな」

 だが、相手が立ち上がりかけているのに応じてみずからも腰を半ばあげていた。相手の表情、ではなく“体”が剣を抜くと告げているのだ。それが兵法で鍛え上げた目付け、動きを読む技法で見抜けていた。

「そこに直れ、痴(し)れ者が。手打ちにしてくれる」「お断りする」

 頑として受け入れるつもりない、その意を込めて告げる。

 刹那、従兄は近くに置いていた大刀を拾い上げた。むろん、俺も右に同じ行動をとる。いや、相手より得物を掴み上げるのは早かった。

 それでも斬りつけたはあちらが先という形を作りたい、立場もあるが修めた流儀の新陰流の理合にしたがって相手が剣が抜くまで斬りつけない。真正面から銀光が来た瞬間、こちらも青眼に構えて肉薄する。

 幻影のごとくすり抜けた。俺が。少なくとも、従兄の目にはそう映ったはずだ。

 刹那、大刀を八相にとるや、相手の得物の横っ面を叩いた。甲高く硬質な悲鳴があがる。死を覚悟したのか従兄の体が束の間硬直した。武士が互いに差し料を抜けばどちらかが命を失う、そういう価値観に生きるが故だ。

「わしを愚弄しおって」

 手加減され“生かされた”その事実に従兄は声をふるわせる。

「そんな了見はありませんが、元より武士が剣技で負けた上、言を弄することが許されるのですか?」

 その一言で相手は顔を赤黒くしながらも口を閉ざした。

 俺は辞去を告げその場を去る。「されば、これにて」

 


 夜、まだ深くはない刻限だった。

 ほとんど同時に母子は喉を裂かれて転がる。母は元より病により床(とこ)にあり、怯えた少年が屋内に声も出せずに後ずさりした。

 こちらの殺気に気づいたか、ようすがおかしいと思ったか。

 どちらでもよい。この者たちは、地下御前試合のことを奉行所に届けるという愚かな所業に及んだのだ。それも、子どものほうは「仇討だ」と襲ってきたのを見逃してやったというのにもかかわらず。

 偶然、賂(まいない)を受け取っている同心が話を聞いたためよかったが、もしもそうでない者が言葉を交わしていたら面倒になるかもしれなかったのだ。

「そんなことになってたまるか」

 灰色の景色のなか、あの暗黒だけがおのれの人生において輝きを放っている。血が沸き立ち、体が熱く熱く熱くなるのだ、それを不意になどされてたまるか。

 さあ、今日は話に聞いていた“あやつ”との立ち合いの日だ。俺は待ち焦がれていた瞬間に気が逸る思いと期待が入り混じった思いを抱いて、懐紙で刀身の血を拭い納刀してその場をあとにする。


 が、四半刻と経たずして俺は窮地に立たされた。地下御前試合の場に、「町方の捕方が参ってございます、みなみなさま」という声がひびいたのだ。「しかも、目付なども動いておるとか」という声がつづいた。これで、武士、町人の別なく捕まるということになった。

 どうする、という動揺する慮外者を尻目に判断の早い者は地上へ向けて走る。俺もまたそのひとりだった。


● ● ●


 白刃が闇に煌(きら)めいた。だが、それが己が身に届くことはない。

 なぜなら、遠くからそれを眺めていたからだ。

 ふるわれる剣は余人が捕方に対してあやつるもので俺の大刀ではない。塾にいる小人目付の友人の忠告にしたがった結果が、これだった。

 藩邸で従兄に斬られかけたのも、仇討を止めると申し出たがためだ。家の存続の道を断つなど言語道断とそれで従兄は怒った。

 従兄だけではない。元々、地下御前試合に俺を誘った仲介役のやくざ者にも「もはや、試合に出るつもりはない」とつたえたところ匕首(あいくち)を抜かれて殺しこそしていないけれど手荒な真似をすることになった。それだけ、己が罪深い場所に身を沈めていたのだろうと、思う。

「村瀬」とふいに叫ぶ声が聞こえた。地下に御前試合の場がある大店のほうからだ。

 天水桶の陰からすこし顔を出し俺はそちらをうかがう。

「村瀬義益、仇であるわしはここにいるぞ。勝負いたせ、わしはおまえと剣を交える日を心待ちにしていたのだ」

 無数の御用提灯の灯りに照らされながらも、目を血走らせて叫ぶ姿は荒ぶる悪鬼を思わせた。確かに、その顔貌は仇のそれと一致していた。だが、俺は動かない。無数の捕方が突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)、刺叉(さすまた)などを駆使して苦戦しながらも仇を捕えるのを遠くから注視した。

 俺が手を下さずとも、あやつは奉行所によって裁かれる。ならば、それでいい。

 家を存続させることにこれ以上、人の命を奪ってまで成し遂げる意味を感じなくなっているためだ。

「おぬしの仇、町方に御前試合のことを訴え出た母子を斬ったらしい」

 側に朋友の小人目付の朋友、市右衛門が来て吐き捨てるように告げる。腹に据えかねて当然だ。

 あやつには武士を捨てれば剣しか残らなかった。なれど、俺にはそれでも残るものがある。

「最後まで見届けずともよいのか」

 よい。友の言葉にそう答え、俺はその場を離れて歩き出した。進むべき方向は分かっている。

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