(9)


 研究室の隅に個別に設けられた一室。ここは博士専用のプライベートルーム。


 博士はモニターと睨めっこしつつキーボードを打ち込んでいた手を止めると、一息を吐き、コーヒーが入ったコップを手に取った。



「やれやれ、意外と量があるもんだな……。だが、もう少し……」



 一口飲んだ後、「くっ……」と目眩がして、軽い頭痛がし始めた。


 机の側に置いていた手の平サイズプラスチックケースから錠剤カプセルを取り出すと、すぐさま口の中に放り込み、先ほどのコーヒーと共に飲み込んだ。



「はぁ…はぁ……」



 頭痛は誘拐された後から博士の持病のようなものだった。ナノマシンが配合された薬で頭痛を緩和しているが、最近は頭痛の頻度が増えてきていた。



「やれやれ。さっさと終わらせて、ゆっくりしたいものだ……さて……」



 ボヤきつつ、キーボードの打ち込みを再開しようとしたとき、



――ビィービィー



 高い音が鳴り響く。呼び出し音だった。


 ため息を吐きつつ、キーボードの隅に設置された専用のボタンを押すと、モニターにデンジャーの顔が映し出された。



「どうしましたか?」



『実験レポートの方はどうだ?』



「大変申し訳ございませんが、まだ作成中でして。明日の朝までには……」



『そうか。とりあえず、明日の昼にはここを発つ。体裁だけは整えておけ』



「はい、かしこまりました。しかし、宜しいのでしょうか? 未整理のデータなども大量にございまして……。今こうしてまとめておりますレポートの完成度は、かなり低いものになってしまいますが……」



『別に構わん。組織には、その程度で十分だ。重要なのは完全人間が私の手の内にあるのを披露することだからな』



「そうですか。ということは、ティア様をお連れにならないので?」



『ああ。ヘタに連れていって、何かあっては大変だからな……。で、ティアは、まだあの状態なのか?』



 博士は険しい表情を浮かべ答える。



「ええ。いまだに、ふさぎ込んでいます。側に近づけられるのも、ナイツだけです」



『そうか……。たく、あれぐらいのことでおかしくなるとは。ふん、あんなのを人間とは思わず、ただのゴミクズだと思えば良いものを……』



「目覚めたばかりで何も知らない幼い少女ですからね、耐え切れなかったのでしょう……」



『ふん。精神コントロールなどで、どうにかならんのか?』



「残念ながら。そちらの方は研究の進捗は宜しくありません。ナイツのように、平常状態が保てられたのは運が良いだけです」



 デンジャーの苦虫を噛み潰したかの様な納得がいかない様子がモニターからヒシヒシと伝わってくる。



『なにはともあれ、私が戻ってくるまでにティアをなんとかしておけ。解ったな』



 強い口調で怒鳴り、モニターの映像が消えた。そのモニターには、鏡のように自分の姿が反射して映っていた。



「なんとかしておけ、か……。人間はロボットよりも精密にできているんですよ……」



 その言葉は、もう姿を映していないデンジャーに、そして自分自身にも言い聞かせるように呟いた。


 深い溜息を吐いた後、再びレポート作成に取り掛かろうとしようとした所、また頭痛がし始めた。



 先ほど薬を飲んだにも関わらず、痛みが再発したことに困惑する博士。


 悩みの種はティアの状態とレポート作成だけにして欲しいと思いつつ、額に手を当ててまた薬を飲もうとした時、ふとモニターに視線を向けた。



「だ、誰だ? おまえは!」



 モニターに映る人物を見て、博士は驚きの声をあげる。


 だが、映しだされているのは、博士自身だった。この薄暗い部屋には、確かに博士しかいない。


 戸惑いながら、じっとモニターを見つめる博士。


 少しの沈黙の後、モニターに映る博士の口元がニヤっと微笑し、



「“わし”は“わし”だよ」



 話しかけてきた。



「わし? 何を言っている。私は……私? いや、わしは……っ!」



 頭痛が激しさを増し、両手で頭を抱える。



「だ、誰だ? 私の…わしの…頭の中に……誰かが……いる……」



 博士は、その場に倒れこんでしまったが、しばらくして何事も無く起き上がった。そしてモニターに映る自分を見て、またしても笑った。


 今度は声を出して笑う。

 笑い声が博士しかいない暗い部屋に響いた。


 博士は席に座り、キーボードを操作し始めると、あるところへメッセージメールを送信したのであった。


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ナノマシーンガール:アンドロイドは涙を殺す方法を知っている 和本明子 @wamoto

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