契約成立
ついぞ俺は流れに身を任せる生き方が性に合っているようで、自分が奴隷になる事に対して納得も得心も理解すらもできていなかったが、反論するのが面倒に思えて肩をすくめてから首を縦に振った。
「我が言うのもなんじゃが、奴隷じゃぞ?意味分かっておるのか?」
言いながらラナは怪訝そうな目を向けてくる。
なんだろうな。俺には教養が無いと思われているのだろうか?まあ、異世界人の知的レベルなんて分からなくて当然か。俺だってこの牢屋の中しかまだ異世界という実態を知らない。この世界のことを何も知らない俺が他人の知的レベルを正確に測れないのと同じだ。
ここは一つ、ただの無知と思われない様に捻った答えでも返しておくとにしよう。
「現代人ってのは生まれながらに社会の奴隷なんですよ。それが人一人の下へ属するように限定されたからと言って、結局は労働に時間を割いて生きなければならないので変わりはありませんよ」
そう。
結局は生きていく為に働かなければならない。
それは異世界だって変わらないはずだ。なにせ、この牢獄が位置する場所は“とある国の城”の真下で、そこには当然、家主である王が存在する。であれば、この異世界に大衆を上下に束ねる
故に異世界で生活していくには金が必須中の必須。
それを稼ぐには、仕事はもちろん拠点も必要になってくるだろう。
ーーー仕事・生活資金・生活拠点。
この世界にとって完全なる余所者の俺には、この最低限の三つは非常に高い壁だ。
冷静に考えてみればすぐに分かる。
例えば、だ。
もしも国民一人一人に対して身分証明書や国民であるという何らかの証が政府から発行されているとすれば、どうだろう?
俺にはそれが無い。
ラナの話を断った後、仮に無罪放免で無事に釈放されたとして自由を得た俺は、おそらく就活はおろか、宿屋にすら泊まることはできないだろう。すると余所者の俺には道端の奥で膝を抱え、時折り降ってくる雨露に口を開けるか、なりふり構わずゴミを漁って食べ物を探すしか生きる術がなくなってしまう。
そんな一つの例え話ですら、高い可能性を秘めている。そうならない事を今の俺には完全に否定出来ない。もしこの世界が理不尽でないというなら、俺は今こうして檻の中で拘束されていないはずだ。
(だったら)
と。
俺は背伸びしたアホみたいなセリフを言いながら思ったのだ。奴隷という、“一種の身分”についてをーーー。
「ですので。ラナさんの下に“奴隷と言う名の役職”で内定を頂いたと考えれば、案外、嫌な提案ではないかと」
俺は中身が捻くれてひん曲がっている。どうせ地球でモラトリアムを終えた俺は碌な人生を送ることはできなかっただろう。釈放特典に終身雇用契約を確約して頂けるのであれば、ラナさんの提案は最高の申し出ということになる。
うん。
そうだな、意外といいな。
案外、自分で納得のいく答えが出せるものだな。詭弁とは便利極まりない。
「というわけで、これからラナさんに一生仕えますのでよろしくお願い致します。あの、呼び方はどうしたらいいでしょうか?やっぱり、ご主人様ですかね?」
お嬢様、ってのも一つの候補かもしれない。
白い肌で容姿の整った顔立ちに輝くような翡翠の瞳。腰の位置まで靡かせている金色の長髪。ローブを羽織っているせいで下に着ている服装は分からないが、もしもドレスなどで着飾ればどこぞの令嬢と言われても通じるような気がする。十分、お嬢様でいけそうな気がしてきた。その場合は俺は執事っぽく振る舞わねばなるまい。……執事か。なにする職業なんだ、それ。
「んー、それか主と呼ぶか、頭と呼ぶか……」
「…………」
「いや、待て。ラナさんが個人事業主とする場合、一つの企業という扱いになるのでは?となると……代表取締役。つまり、社長?」
「はあ、なんとも。異世界人とは理解し難い思考回路を持っておるのう……。もう、何を言っておるのかさっぱりじゃ」
一度、社長と呼んでみようかな?そう思って顔を上げると少女のなんとも言えない表情が目に入った。
多分、あれだ。
きっと、触れたくないものに関わってしまった時の様な顔だ。
「あの、なんかすいません」
「いや、いい。我はもっと拒まれるかと思っておったからのう。拍子抜けしてしまっただけじゃ」
ふむ。社交辞令を口にするあたり、やはりこの人は外見相応の子供ではないらしい。俺は年下の子を相手にするのは慣れていないので内心ホッとする。
そんなことを思っていたら、ラナが牢屋の鍵を開けた。
「さて、そろそろここを出よう。まずはお主の身なりを整えねばなるまい。我との契約はその後じゃ」
鍵を開けただけのはずなのに、気付けば椅子に縛り付けられていた手足の拘束も外れていた。彼女は一切、檻の中に入っていない。牢屋の扉の鍵と連動した何かの仕掛けか。それとも魔法というやつか。
「いててて」
俺は考えもそぞろに立ち上がると、自ら築き上げた凄惨な足元に気を付けて歩きながら牢を出た。想像以上に長い時間椅子に固定されていたらしく、歩く動作だけでだいぶ体が軋み、嫌な痛みが節々から感じられた。……おいおい、いったいどれだけの時間、この椅子と共にあったんすか?
「何をもたついておる?ほれ、ついて来い」
言いながらラナは早足に俺の前を歩いて行ってしまう。
(そうですよね、臭いも見た目もやばいですもんね)
俺は仕方のない事だと自分に言い聞かせつつ、壁に手を突きながらその後を追っていった。
狭い階段をいくつか登って行くと、やがて通路に陽光が差し込むところまで来た。
(もうあんなところに)
すると。
ラナが誰かを見つけたのか、なにやら話していた。相手の姿は曲がり角の奥にあるせいで見えない。話の内容は全く聞こえない。声が通路に反響してもいいはずなのだが、なにやら不自然な感覚だ。更にラナが言葉の節目にちょいちょい俺へ視線を送ってきていてなんだか近寄りがたく感じてしまう。
(……んー、なんだろ。あまり感触の良い視線じゃないな……)
しかし、ついて来いと言われた以上、行かないわけにもいかない。
(ああ、俺にだけ聞こえない声で悪口言われてたらどうしよう。泣いちゃうどころじゃ済まないんですけど……)
先行きが重い奴隷生活が見えた俺は足取り重く壁に手をつきながらゆっくりとその場に辿り着くと、既にラナの姿はなかった。代わりに知らない男性が壁に寄りかかる様にして立っていた。
「これは酷いな。すぐに浴室を案内しよう。こっちだ」
「え、……あの」
「いいからいいから」
男性は俺の姿を見るなり、早々に歩き出していってしまう。
年齢は三十代後半、もしくは四十代くらいだろうか。見た目と話し方は紳士的なおじさん風ではなく、ズボラで緩いおじさんと言ったところだ。服装は高そうな材質良い黒のジャケットとパンツで、その端々がよれたり、擦り切れている。太ももまである上着のせいで、俺が追っているその背中からは腰回りの着こなしが分からない。だが、恐らく。いや、十中八九、シャツは雑にパンツの内側に入れているに違いない。歩き方は少しO脚でややガニ股。もしこの人が日本にいたら、トレンチコートを着て繁華街の路地裏でタバコでも吸っていそうだ。
「あれ?今キミ、なんか失礼なこと考えなかった?」
「ぁいや、そんなことは。ただ、歩くのが早いなって」
「え、あ、そう?ごめんね。おじさん、せっかちだから。安心して。浴室はこのすぐ先だから。兵士が使う施設があって、キミの為にその中を借りる許可を貰ったんだ」
兵士?
ああ、そっか。
俺は綺麗な石畳が続く廊下を少し外れて上を見上げた。
「ああ、これはガチだ」
日本ではまず見慣れない洋式風の城という建築物に俺は下手くそな感想を口にする。実際、テーマパークくらいでしかこういった建築物を見たことがなかったのだ。仕方ないさ。みんなだって、東京タワーやスカイツリーを見て「デケーェ!」とか感想を言うだろう?ああだこうだと言葉をこねくり回した感想なんて実際には出てこないもんなのさ。
「ほらほら、どうしたの。大丈夫?休憩する?」
男性が付いてこない俺を見つけて遠くから声を掛けてきた。心配しているなら近寄ってきて欲しいところだが、下半身吐瀉物まみれの人間に近付きたがる奴はどの世界にもいないことは明白だ。
「すいません。大丈夫です。すぐ行きます」
「安心して。キミが歩いてきた跡はちゃんと私が掃除しておくから。なに、手間なんて掛からないさ。こう見えて基礎的な魔法は得意だからね。掃除くらいなんてことないさ」
勝手に話してくる男性は後ろ手を振りながら相変わらず早足で歩いて行ってしまう。俺はそれをフラフラな足取りで追っていき、その最中、ちらりと後ろを振り返った。多分、この床を湯婆婆が見たら大激怒すること間違いなしだろう。
「新しい服はここに置いておくからね。何かあったら呼んで。私は近場を掃除してるから」
黒ずくめの男性は脱衣所の扉越しにそう言うと立ち去っていった。
呼んでと言っても名前を教えてもらってないのだが、……まあいいや。身体くらい自分で洗えるし、着替えも用意してもらってるんだ。何も問題ない。
そう思い、俺は簡素な形をしたシャワーの蛇口を捻った。
そして。
「うやあああああああっ!!!っめてえええええええええええええ!!!!!!!」
冷水を頭から浴び発狂するのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ごめんごめん!全く気が付かなかった!いやぁ、そうだよね。異世界から来たんだもんね。魔法分からないよね。これは申し訳ないことをしてしまった」
あちゃ〜失敗失敗。
みたいな感じで反省する男性を尻目に俺は新しく用意してもらった『ザ・村人』みたいな服装に身を包み、がたがたと震えの止まらない体を必死に摩っていた。
どうやら浴室で何らかの魔法を使うと水の温度を調節することができるらしかったが、そんなの分かるはずもなく、俺はまるで禊ぎを行うが如く、冷水で体を綺麗にしていったのである。
「ぁあ……ふるぇが、と、とまら、なぃ……」
ここの気候が冬じゃなくて本当に良かった。でも、やばいなこれ。
ここに辿り着く時もそうだったが、今の俺はなぜだか著しく体力が低下している。ラナが言っていた通り、この世界に体が順応しようとしているせいなのかもしれない。しかし、そのせいで今にも眩暈を起こしそうなくらいフラフラだ。正直、立っているのが辛い。
「随分、辛そうだね」
頼むから見た通りのことを言わないで欲しい。それを耐えているのだから……。
膝に手を付いて俯いていた俺は男性を恨めしそうに見上げる。男性は俺の顔、というか顔色を見て、「あらま」なんておばさんみたいな反応を示す。
(……なんだろう、すごく腹が立つ)
すると、男性がどこからともなく小さな容器を出すと俺に差し出してきた。
「これを飲むといい。美味しくないけど効果は抜群だ。すぐに顔色も良くなる」
「……」
俺は声を出す気力も無く小さく首肯だけすると、それを受け取り一気に口の中に流し込んでいった。
「ぅ……」
美味しくないなんて言うほど生やさしい味ではなかった。気を抜くとまた吐きそうなくらい全味覚を逆撫でするような激物だった。銀の水筒に入れて持ち歩く意味が分からん。こういう容器には大抵、お酒が入っていると決まっているだろうに。
俺は得体の知れない液体を半分残して、男性に返した。
「ありがとう、ごさい、ます。あとはけっ、うぷ……結構です」
「あれまあ〜。一口だけで良かったのに。そんなに飲んで大丈夫?」
「……は?」
「ん?どうかした?」
こいつ、今ーーー。
「おおい、リヒタ〜〜〜?ケイは綺麗になったかの〜?なんじゃ、どうしたお主ら?」
すると、そこへラナが小走りにやって来た。
俺は口を押さえながら空いた手でリヒターと呼ばれた目の前の男を指差した。まさにこいつが原因だ、と。
「リヒター、お主まさか……」
「おや、師匠。ちょうど良いところに。実は彼、魔法の使い方が分からずに冷水を浴びて体を洗ったようでしてね。みるみる体調を崩してしまったんですよ。だから、私特性のコレを」
「はぁ……。リヒターよ。あれほど、得体の知れない物を与えるなと言ったではないか。ケイ、大丈夫か?辛いなら吐いても構わんぞ」
「相変わらず酷いですね、師匠は。私の研究に失敗なんてありませんから安心して下さい。彼は次第に元気になりますよ」
「よいか?貴様の言う失敗は、その枠組みが非常に狭いだけじゃ。見てみぃ、あのケイの青い表情を。今にも泡吹いてぶっ倒れそうじゃないかや。狙った効果が出ていない時点でそれは失敗じゃ。おまけにリーフの調律もえらく乱れておる。このまま気絶してしまったら契約どころの話ではないぞ」
「待って下さい!これからです!」
「っ!?なにがじゃ?」
「彼の様子をもうよく見ていて下さい。失敗でないことがすぐに分かります!」
「何を悠長に言っておる。遂に膝を着いてしゃがみ込んでしまったではないかや!」
「まだです!」
「やかましい!我が手を貸す!貴様は黙って…………おい、うそ、じゃろ?」
「ふん」
「ケイ、なぜその状態から立ち上がれる?!」
「効果あり、ですね」
「大丈夫なのかや?どこもおかしなところはないかや?おい、ケイ?なんとか言ったらどうじゃ?なあ、ケイ?」
ラナに心配される俺はその声に答えず、確かな足取りで地面を蹴るとーーー。
「こんのっ、テメェぇええええ!!なにクソ不味いもん飲ませてくれてんだ!おらああああああ!!」
リヒターと呼ばれる男の襟首を取っ掴んで力の限り振り回していった。
「ほ〜〜〜ら!見てくださいよ、師匠!彼の元気な姿を〜〜!私に失敗なんてないんですよ!!」
「なんでじゃ!なんでこんなドス黒い液体に効果があるんじゃ!?毎度、こやつの研究成果が腑に落ちんっ!!」
「テメェっ、一口で良いんなら先に言えって!めちゃくちゃ不味かったわ!またゲロ吐くところだったわ!」
「いやあ、ごめんごめん。うっかり」
「なんでじゃあああああ〜〜」
三者三様で、誰も収集を付けようとする者がおらず、騒ぎを聞きつけた城の警備兵たちが来るまで城内の綺麗な庭園はカオスに包まれるのであった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
見た目がだらしのないリヒターとか言う男の後を追って浴室まで案内された俺は、キンキンの冷水しか出ない地獄の水浴びを終えて外に出ると、待ち構えていたリヒターに文句を言う気力もなく力尽きそうになる。すると、彼は意味深な笑顔で俺にとある容器を渡してきた。俺は思考することもままならないまま、差し出された得体の知れない薬を飲んでしまう。そして、吐き気を抑えながらも意識が途切れそうになっていった俺はーーー。
「もう二度とあんな物飲ませないでください!」
元気リンリン、不満爆発、文句全開、起死回生を果たしていた!
「ごめんよ〜。じゃあ次はフルーツ味を模索しようね。適当に何種類か入れれば甘くなるはずだよね!」
「俺に聞かないでください!ていうか、味見と治験はマストでしょ!まさか、さっきの液体、俺が初めて飲んだんじゃないですよね?」
「おお〜、よく分かったね。ちけん?というのはよく分からないけど、味見の必要はないさ。だって美味しい薬なんてあるはずがないからね!不味くて当たり前さ!はっはっはっはっは〜〜」
「ラナさんっ!この人の師匠なんでしょ!?なんか言ってくださいよ!」
ラナは俺から飛んできた火の粉に困ったように肩をすくめ、首を横に振る。
「すまぬ。そやつとの付き合いはかなり長いが我の注意を一度とて聞いた試しがない。諦めよ」
「やっだなぁ、師匠〜。私はいつも貴方の教えを忠実に守っていますとも。ねえ?」
「ねえ、って……俺に聞かないでくださいよ」
会って話して数時間しか経っていないと言うのに俺に何がわかると言うのか。このおっさん、好きになれない!
「ほれ。お主らもう少し早く歩かぬか」
「はい……」
「おや?私は師匠の歩幅に合わせていたつもりでしたが?」
「黙れ、リヒター」
「そうだ、師匠。リリシアがまた師匠に魔法を見てもらいたがってましたよ。今度、リクセンの町まで行ってあげてください」
「な?聞かぬじゃろ?」
「そんな疲れたドヤ顔やめて下さい」
そうして、やいのやいのと話しながら城内の清潔かつ綺麗で広い廊下をラナを先頭にして歩いて行った。若干、すれ違っていく城の従業員たちの視線が痛かったのが気になったが、それが全部リヒターへ向いていたので俺は無視することにした。きっと意気揚々と声高に話すこの男の声がうるさく感じたのだろう。安心してくれ、俺も同意見だ。この人、落ち着いた声音で話すくせにお喋りが止まらないのなんの。途中、俺は相槌を打つのも嫌になって、ただ後ろをついて行くだけになっていった。
「ここじゃ。ケイ、好きなところに座るが良い」
案内役も無く、我が物顔でどんどん城内を進んで行っていたラナはやがて一つの部屋の扉の前で止まると、ラナの数倍はあるその大きな扉へ小さな手を押し当てて開けていった。重さを感じさせないその動作が自然過ぎて俺は突っ込むことも忘れて、彼女に促されるまま適当な席に着いた。
城の一室にある会議室的なその部屋は、サラリーマンがちょっとしたミーティングで気楽に使うようなものとは全く異なっていた。
全てが高級。
全てが煌びやか。
全てが洗礼されたアンティーク。
全てが……もうなんていうか、んー、その、綺麗過ぎて居心地悪かった。
「あの、ラナさん……。もっと殺伐とした簡素な部屋はなかったんですか?」
「ここがそうじゃが?」
「え……」
奴隷契約についての話をするために部屋を借りたと道中聞いていたのだが。これでは世界を揺るがすほどの話をするくらいでなければお釣りが山ほど帰ってきてしまうほどの設備ではないか。
だって。
コン、コン。
「入れ」
ラナが扉のノックにそう返事すると、ロングスカートを着たメイドさんみたいな従業員がワゴンを押して入ってきた。
ほらもう!会議室にメイドは来ないんだよ!?知ってる?
「お食事の用意でございます」
「手間を掛けさせて悪いな」
「いいえ。これが
「なれば、ネリよ。これは礼じゃ。小さい子供らにうまい物でも食わせてやれ。あのバカ王には内緒じゃ」
「セシリア様。いつもありがとうございます」
そんな会話をして、ネリと呼ばれた若い女性のメイドは鏡のように磨かれたテーブルに色とりどりの料理を並べていった。
おいおいおい、ネリさんとやら?貴方のおかげでこの部屋は会議室どころか高級料理店の個室に早変わりしてしまったんだが?どうしてくれるの?庶民の俺はこういうの慣れてないんですよ。ナイフにフォークにスプーンなんて見慣れた物があるのに驚いてますけど、俺、それらを使うマナーとか知らんからね?日本人は箸一膳で全てが解決する民族なんです!こんなに要らんのですよ!
「そう、緊張せんでよい。毒なんぞも入っておらんし、安心して食べるがよい」
「えっと……。ありがとうございます。いただきます」
俺が真向かいに座るラナから逃げるように視線を彷徨わさると部屋の中をうろちょろしているリヒターが目に入った。
(あぁ、すげえなリヒター。こいつ、高価そうな調度品をスーパーの陳列棚から冷凍食品漁るみたいに取り上げてるぜ。あのおっさんの無神経さが羨ましい……)
俺は恐る恐る両端にある食器から手に取ると、まるで飾り付けされている様な豪華な食事に手を付けていった。
「ああ、ひんなひんな」
「なんじゃ、その言葉は?」
「あっ!いえ、つい」
危ない!飯が美味すぎて味の感想がゴールデンカムイしてたっ!
「その、マナーって言ったら伝わるか分かりませんが、食事のルール知らなくてすいません。見苦しいですよね」
ここに来るまでラナやリヒターとは自然と会話してきた。彼らの声は俺の耳には異国語としての認識が全くない。だから、なるべく考えない様にしていたのだ。
どうして言葉が通じているのか。
どうして彼らの声を俺は理解できているのか。
俺の声、言葉はどう受け取られているのか。
ラナが俺の言葉の裏を読み取ったのか、こくりと頷いて笑顔を向けてきた。
「何も気にすることはない。ケイ。今の君に必要なことは、今あることをただあるがままに受け入れることじゃ。疑うことも大切じゃが、お主の世界の知識だけを基準に考えていては正しき答えは一向に出てこんじゃろう」
「それは、そう、ですね」
確たる推論も論拠も何も思いつかなかった。
全く理由が分からない。
現状のみを鵜呑みにするならば、ただ普通に聞こえて、問題なく普通に話せている。
それだけだ。
気にするなと言われてしまうと、確かに問題点が見当たらないのだから気にする必要がないと思ってしまう。
だが。
だからこそ、俺は尚更思う。
“言葉の変換”はすべて正しく行われているのか、と。
「安心せい。食べ終わったら、その話も含めて全てしてやる。じゃから、今は食べよう。ここの料理は絶品じゃ。冷めたら勿体無い」
「飲食店みたいな言い方ですね」
「なに、大して変わらんよ。なにせ、ここの料理長は我が旅の果てに見つけ出した料理人を、バカ王に推薦して無理矢理雇わせたのじゃらな!」
マジで何者なんだ、この人……。
俺は得意気に話すラナさんに苦笑いを返しながら、絶品の料理を食べていった。リヒターの劇薬を飲んだ後だったからだろうか、冗談抜きで優しい味が身に染み渡っていった。
「セシリア様。なにかございましたら、いつでもお呼び下さいませ」
「うむ!礼を言うぞ、ネリ。ではの」
お辞儀をしてからワゴンを押していくネリにラナは子供のように手を振って見送る。
先ほどから気になっていたが、ネリさんはラナさんのことをセシリア様と呼んでいた。ラナさんの家名なのだらうか?ラナ・セシリアとか?でもセシリアの方が名前っぽい気がする。……まあいいか。名前って聞き返し辛いし。え、名前忘れたの?みたいな微妙な雰囲気って居心地わるいもんな。
「では、ケイよ。これから本題に入ろうか。我とお主の契約について、じゃ」
食器が片付けられたピッカピカの豪奢なテーブル肘を付けてラナはそう話を切り出した。
(おお……)
まさかのゲンドウスタイルに俺は「おまえもそっち側か!」なんて心の中で返しながら意味深にこくりと頷く。重要な話をする時にありがちな雰囲気作りというやつだ。高校の知り合いと一緒にそんなバカな返しをして遊んでいたのが、ここに来て役に立つとは。もしかしたらラナもオタクの気があるあ……、ねぇよ。ねぇよな。だって、ここ異世界だもん。
っと、そんなくだらない前置きはさて置き。
ラナはこれから奴隷の契約について話をしていくと言った。
ということは。
とりあえず、話の流れは奴隷契約についての約款の確認かな。そして、再度、意思の確認をして書類にサイン。きっとそんな手続きだろう。流石に異世界とはいえどもアニメやラノベみたいに魔法で契約なんてことはしないだろう。あれってよくよく考えてみると原理が意味わからんくね?何がどうして束縛されてるん?魔法陣が皮膚上に浮き出てきたり、そこから紫電がビリビリーってなったり。はっ?て思うでしょ。そんなんね、現実にはありはせんのですよ。それがこの異世界であってもね!
「契約自体は然して難しいものではない。じゃから、まずはこれについてじゃ」
言うと、ラナはいつの間に持っていたのか手の平から紫色のビー玉を出すと、それを机の上に転がして俺の方へ渡してきた。ゆっくりと転がってきたその安物っぽいガラス玉を受け取り、再びラナの顔を見た。
「やはりそれが何かは分からぬようじゃな」
え、なに?何かのテスト?いやいや、見た通りでしょ?
「ビー玉じゃないんですか?」
たくさんのビー玉と手の平サイズのビー玉射出機があれば白熱したバトルを繰り広げらるだろう。だが、生憎ビー玉は一つしかない。あの懐かしのビーダマンができそうにない。じゃあなんだ?これが奴隷契約の何に関係しているというのか。書類は?書類でいいんだよ。まさかのペーパーレスですかね?
「お主がびーだま?と呼ぶそれは、我らの世界では【マジュラ】と呼んでいる」
マジュラ?そういえば、牢屋の中でもそんな話をラナさんがなんやかんや言っていたような。
「これのことだったんですね」
確か俺が倒れていた近くに落ちてて、それが違法危険物的な物品に該当するやつだとかなんとか……。へぇ、マジュラか。ジュマンジと聞き間違えてた。なんで昔の映画の話をし始めたのか、あの時さっぱり分からなくて「何言ってんだこの子?」ってめっちゃ思ってたんだよね。
「それは、異世界を渡ってきた者の証。そして、渡った世界で自らを制限するための制御装置じゃ」
「証であり、制御装置?」
「そうじゃ。我らがケイの事を異世界人と判別出来たのもソレのお陰じゃ。まあ、どっかの誰かさんのせいで、最近では形状や色合いがラディクスという危険な魔道具に似ていることもあってよく間違えられるがのう」
ラナが言いながらリヒターの方へと視線を向ける。俺も吊られておっさんを見ると、彼は照れたように頭の後ろを掻いた。
「日常で使用する簡易魔法の補助道具だったんだよね。大衆には凄く良い評判が広まったんだけど。ある時、悪さをする輩が悪用しちゃって。魔道具の核石が規定値以上の破壊力を叩き出しちゃったもんだから世間は大騒ぎ。世界各国で生産、加工、流通が禁止されちゃった。今では隠し持っている人達を重く罰する法律まで世界共通条約で制定されちゃったんだよ。いや、我ながら驚いたねえ」
驚いたって、え?何この人?世界に影響与えるほどの人なの?マジで?なんで指名手配とかなってないの?責任取って打首とかならないわけ?王城に居て平気???
「リヒターぁ?我はその件について、まだ許しておらんからなあ」
「あっははは。やですよ〜、師匠。可愛い顔が怖いですって。ちゃあんと日々、残党狩りしてるじゃないですか。あともう少しで全て回収し終わりますから安心して下さい」
「はあ……。一日でも早く済ませるように」
「また明日から頑張る所存です」
言葉は畏まってるのに、声音が軽いなぁこの人。
「でじゃ、話を戻すぞ。ケイ」
俺は呼ばれて再びラナに向き直った。
「マジュラは、己の居た元の世界から他世界へと渡る時にその者へ強制的に授けられる物でな。その役割は他世界への侵略、秩序破壊を防ぐ為の枷じゃ。他世界が自らの世界と比べてどれだけの文明差があるかは不明じゃ。己の居た世界より優れているかもしれぬし、劣っておるかもしれぬ。前者であれば、元の世界へ帰還した際に技術を流用し、時代や社会に似つかわしくない発展が可能じゃ。後者であれば、訪れた先の世界でそれが可能となってしまう。どちらも世を揺るがす大事じゃ。一足飛びに発展する文明社会ほど脆いものはない。必然的に争いが起き、人々の平穏は失われてしまう。それをさせぬのが、マジュラ。世界の境界を超えし者の枷。世界に従わせ隷属させる防衛魔法。そして、お主を縛る、呪いじゃ」
呪い。
ラナの言った最後の言葉が途轍もなく不穏に聞こえ、気付かぬうちに鳥肌が立っていた。
俺は、ネリさんが立ち去る前に置いていってくれていた紅茶の入ったポットへ手を伸ばしてカップに注ぐと、湯気の立つそれをゆっくりと飲んでいった。
「えっと。つまり、悪さをしないための魔法が既に俺に掛けられているってことですよね」
「そうじゃ。それは世界間の文明レベルを強制的に統一化する力を持っておる。言葉が通じるのもそのお陰じゃよ」
ああ、そゆこと?
原理は分からないが、現象としては既に成り立っているので、今は置いておこう。
「統一化って言葉以外にもあるんですか?」
「すまぬ。それは分からぬ」
「マジュラってラナさんたちには身近じゃないんですか?異世界がある事は知ってるんですよね?ラナさんたちは異世界に行ったことがあるんですか?」
先ほどの説明の仕方だとマジュラについてかなり詳しそうに思えたのだが、こうもすぐに知らないことが出てくるとは。何かおかしくないか?
そう思っているとラナさんは顎に手先を当てて少し考える様子を見せた。
「ふむ。このままお主の質問を受けることにしよう。その方が理解しやすいじゃろうしのう」
「あ、すいません。話の腰を折ってしまって」
「いいや、構わぬよ。我らとマジュラの接点についてじゃが」
話しながらちょいちょいとポットを指差すラナさんに俺は彼女の方へと渡す。カップに注いであげても良かったのだが、机を挟んだそこは少し距離があって届かなかった。ラナさんもそれは分かっているのか、俺が腰を上げる前に手で制してきていた。
「歴史は浅い。我らがマジュラについて知る事は少ない。我の知るところで異世界へ行った者もおらねば、そこから帰ってきた者もおらぬ。全ては長い時間を掛けて培ってきた研究から知り得た情報のみ。じゃが。その研究対象も少なくてのう。近頃は中々進展しておらぬ。なにせ、異世界からの転移者の情報はこの数百年で僅か数千件」
数千?それ少ないの?
「その中で生きていた者が、四人。そして、その四人も数日間で息絶えてしまった。最近じゃと三十年ほど前じゃったか。マジュラについて正確な情報を得ることはほぼ不可能じゃった」
「死んだんですか?どうして……」
「耐えられんかったのじゃ」
「耐える?」
「うむ。ケイも苦しんだじゃろ?あれじゃよ。この世界への最適化に身体がついてこんかったのじゃ。体力は衰え、意識はみるみる憔悴していき、話をすることもままならんかった。その最適化についても分かったのは四人目の時じゃ。我がもっと早く気付いておれば、あの者も助けられたかもしれんが」
ラナは暗い表情を隠す様にしてカップを口元へ傾けていく。
「じゃあ、他の数千人もこの世界に来た途端、耐えられなくて死んだってことですか?」
俺はラナさんがカップから手を離すのを待ってから質問した。
「いいや。それは少し違う」
首を横に振るラナさんに俺は更に疑問の目を向けた。
「発見した時に既に死んでおった場合も数件ある。じゃが、多くの場合は転移現体の失敗が原因じゃ」
「てんいげんたい、ってなんですか?」
得体の知れない液体を飲んで、ご飯も食べた今の俺は超絶頭が回る。分からないことを聞き流していた牢屋の中の俺とは違うのだよ!
「そうじゃな。お主、転移という現象自体は分かるかや?」
「ええ、言葉の今のままなら」
空間移動的なアレだろ?AからBにワープでしょ?うん、知ってる!僕ちゃん春から大学生だからそのくらい分かってる!
「うむ。でじゃ。転移現体というのは、転移先に再構築される場合の事を指す言葉じゃ。異世界からの転移者の多くはこの転移現体時による不幸な事故による死が原因じゃ。この世界のどこに転移現体するかは彼らの意思とは異なるようじゃからのう」
「つまり、地面に埋もれていたり、落下死だったり。ってことですか?」
ラナさんはこくりと頷く。
「その場合、マジュラの破損も激しくてのう。殆どの情報が解析できずに朽ちてしまった。転移者本人が生き絶えると機能を失ってしまうからのう。解析はいつも時間との勝負じゃった」
解析方法はどういう方法なのか。なぜ異世界人にマジュラが強制的に持たされるのか。など、まだまだ聞きたい事はたくさんある。だが、そんな質問よりも俺は一つの嫌な予想が頭をよぎってしまった。残念ながら、それを先に聞かずにはいられない。
「ラナさんが俺を奴隷にする話を持ちかけてきた目的って、このマジュラの解析ですか?それともーーー」
聞かない方がいいと分かっていても口が止まらなかった。
「異世界人である俺の研究ですか?」
俺は言い終わると、既にラナさんから外していた視線をもう一度彼女へ向けた。
「奴隷。その言葉の意味。重さがようやく分かったかい?」
「否定しないんですね」
俺の不安な表情とは対局してラナさんは安心した顔を俺に向けていた。
「ああ。どういう形であれ、お主を奴隷にすることには変わりないからのう。それで?もう牢屋の中で言っていた屁理屈は言わないのかや?」
「いえ、すいません。あれはテンションが壊れていたものですから」
世界の奴隷にして己を縛る呪い。それがマジュラ。そして、俺はそれを保有する珍しい生きた研究対象。王城への不法侵入の容疑を免除する代わりに彼女は俺を管理下に置き、研究材料という名の
ここで断れば俺はまた牢獄に入れられてしまうだろう。それは分かっている。だが、ラナから出された提案の真意に気付いてしまった以上、もう二度と軽々しく頷くことができない。
進むは地獄、下がるは牢獄。
詰んだ。最悪だ。
「…………」
「お主の身の振り方を決める重要な話じゃと理解してもらえて何よりじゃ。じゃが、ケイよ。深刻な面持ちのところ悪いが、そこまで深く考えることはない。貴様の体を使った非道な実験をしようなどとはこれっぽっちも思っておらん」
「そうですよ。我らの師匠はそんな事はしませんからね。安心して下さい」
ラナの気遣う様な言葉に頷くこともできなかった俺にリヒターが声を掛けてくる。どうしてだろう。あんたが言うと途端に胡散臭さが倍増するんだが。
「奴隷というのはマジュラとの関係性も含まれた、一種の名目上のことですよ。あなたには我々の仲間に加わってもらうだけです。そして、並行してマジュラの解析に手を貸してもらう。それが師匠があなたへ提示する提案です。ある意味で、彼女はあなたを保護すると言っているのです。ああ、流石は師匠!可愛くて慈悲深いですね!」
「リヒター。言葉を引き継いでくれたのには感謝するが、少し喧しい。お主は黙って紅茶でも飲んでおれ」
「私は紅茶派ではなくバラスト派なので」
「分かったわい。後でネリに用意させる。じゃから、我に話させよ」
雰囲気が台無しと言わんばかりに嘆息するラナは、席の後ろから自分を持て囃すリヒターを遇らう。
「あの?保護って」
「体裁を保つため、奴隷という身分をケイには押し付けることになってしまうが、あやつの言った通りじゃ。お主を保護することが、我の最大の目的。マジュラの研究と解析はあくまでもそれに付随したものじゃ。ケイが嫌というのなら、無理強いすることはせん。それに我らについてくるのが嫌というのなら、それも強制せぬ。この世界を自由に見て、自由に生きられる様にここの住んでおるバカ王に言ってやろう」
すると、ラナが立ち上がり、机を避けて俺の方へと歩いてきた。
「ケイは我に言ったな。外が見たいと。どうじゃ?我と一緒に見に行かんか」
そうしてラナは外套を翻して手を差し伸べてきた。
「この世界、全ての景色を」
なんでこの外見幼女はところどころで格好付けてくるのか。この人の顔を見るとどうも不安が無くなってくる。きっと言葉通りで裏表も無いのだろう。
分かってる。元々、そのつもりだ。ファイナルジャッジもファイナルアンサーも既にしていたではないか。差し出された手を振り払う選択肢など俺にはありはしない。
「ぜひ」
俺はそれを取り、彼女の奴隷になる事を今度こそ受諾した。
「契約成立じゃな」
【ジンマー/千島海斗
オーナー/%→2\\9^,…「LANa¥$%°…「」】
どうやらマジュラに何かが刻まれた様だが、俺にはその意味が分からない。
とりあえずは、あれだ。
「じゃあ、ケイ。改めまして。私はリヒター・リッツ・ブリンズ。みんなの取りまとめをしているから、困ったら何でも相談してね。これからよろしく頼むよー!」
このおっさんとも仲良くしなければならなくなってしまった……。
俺は自分が部外者であることを誰よりも知っている 現状思考 @eletona_noveles
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。俺は自分が部外者であることを誰よりも知っているの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます