夏の地球

王子ざくり

夏の地球

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 私には、それが女性だとわかる。


 私は『地球グローブ』。


 かつて人類の住処であった惑星とは異なる存在だ。

 そちらの方の地球は、もう無い。

 西暦八千三百年代、エヴィ=セケレッタ戦役で時代が揺れる中、かなりどうでもよいニュースとして、小惑星の衝突により消滅した。


 その後の時代に創られ、現在『地球グローブ』と呼ばれている。

 私は、そういう存在だ。


 そして、あらゆる存在がそうであるように、私もまた、卑近な喩えに抗う術を持たない。だから私は、複数の島宇宙にまたがる生体的・非生体的頭脳が交わす信号に依って編まれた最新・最高度な知性の集積体である私という存在について『超凄いコンピューター』あるいは『宇宙インターネット』などと粗雑極まりない呼び方をする者がいたとしても、そういった理解の有り様を否定できない――それは、しかたがないことなのだ。



          □□ ■ □ ■ □ ■ □□



 さて、そんな『超凄いコンピューター』である私が、何故に『地球グローブ』と呼ばれているのか?


 地球があるからだ。

 繰り返そう。

 私の中に、地球があるからだ。


 西暦一万年の現在、人類の生活圏は宇宙のいたるところに偏在している。太古の人類にとって唯一つの太陽系であった場所から百光年、千光年、一万光年を隔てた、さらにその先にまでもだ。


 これが、何を意味するか?

 光を、受け取ることが出来るということだ。


 いまこの瞬間にも、ある人のところには、百年前の地球から放たれた光が届き、またある人のところには、千年前の地球から放たれた光が。そしてまたある人のところには、一万年前の地球から放たれた光がたどり着いている――着き続けている。


 これが、何を意味するか?

 百年前、千年前、一万年前の地球の景色を、見ることが出来るということだ。


 私の中の地球。

 宇宙全域で生存する人類から提供された過去の地球の光学的情報と、現存する太古の電脳から引き揚げられた情報により再現された地球――それが、私の中にある地球だ。


 時代は問わない。

 地球が生まれてから消滅するまでのあいだ放たれ続けた光は、いま現在も収集され、私のもとに届けられ、私はその光を情報として蓄積、解析し続けている。


 私の中には、あらゆる時代の地球の、あらゆる場所の光景が在り、それはいずれ、光の届かぬ場所にあった景色さえ、何らかの手段で明らかにするに違いなかった。


 何兆? 何百京? 何千垓?

 私の地球には、かつて地球に生まれ出たよりも遥かに多くの人々が、『宇宙インターネット』を通じて、毎日訪れている――こんなリクエストを携えて。


『第三次ナポレオン戦争の再激戦区を』

『三〇〇〇年代最高のセックスシンボルを』

『吉岡三郎による家畜人種独立宣言を』

『チュリツパンの肉食魚の狩りを』 

『聖徳太子の存在が捏造された瞬間を』

『エル=ゲバゲバ王の戴冠式を』

『第四次オドイドイ星人襲来以前の地球軍の訓練風景を』

『地球が消滅した瞬間を』


 そんな彼らの要望に従い、私は、それらに最も近い光景を、彼らに送信する。画像の解析結果から再現した音声や匂い、温度を添えて。


「これは……女だな」


 言った男の顔には、緑色の髭が生えていた。



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「やあ『地球グローブ』。俺は、エル=マストロ。約束の時間より早いが構わんよな――早速、現象を見せてくれないか?」


 緑色の髭を撫でながら、男は言った。

 機械室を出て行くタクシーに手を振って「じゃあ、一時間後に!」また髭を撫でる。


 もう、七〇年近く前。

『ナマ足魅惑のマーメイド』というリクエストに応えるべく、私の地球を検索していたときのことだった。


 浜辺に、それはいた。

 私には、それが女性だと分かった。


 場所は一九九九年の日本。七月八日、一六時三五分〇二秒。彼女は浜辺に突然現れ一三五秒後、消えた――いや、消える。再生可能な、過去の事象として。


 波打ち際で足を濡らしながら、遠くを眺めている。膝丈のワンピースに、広いつばの帽子。左手にサンダルを提げ、右手には薄く刺繍の施された日傘。


 二〇世紀型の女性で、推定年齢は一六歳。


 彼女の輪郭は、それだけの情報を私に与えてくれた。

 しかし、その内側――彼女の輪郭の内側を満たすべき光は、私の中に無かった。


 真っ黒な影だった。


 人間の背丈と厚みを持ちながら、しかし彼女は真っ黒に塗りつぶされていた。濃淡や光の反射すら見つけられない、完璧な黒によって。


 人間の身長と厚みを持つ、いわば三次元的な影。

 そんな存在が、そこにあった。


これを異状と判断した私は、私の管理を所掌する機関に対処を依頼し、そして私の望みに応えた機関は、わずか六五年という驚くべきスピードで、メンテナンス要員を送り込んできたのだった――エル=マストロが訊いた。


「知性化指数は?」


 マニュアル通りの質問だ。髭が緑色なら、髪は金銀赤のストライプ。まるで六〇〇〇年代のロックンローラーみたいな風貌の男だが、職業人としての彼は、原則を順守するタイプらしかった。

 私は答えた。

「実施済みだ」

「『人間の形に見える何か』ではないということか」

「彼女からは、二〇世紀人類の人格が確認できる」

「彼女? ああ、確かにこれは……女だ。降りてみよう。視点をくれないか? 三つだ」


「承った」


 答えながら私は、準備していた衛鞅をエル=マストロに送信する。多少強力な権限を与えている以外は、普段のリクエストに答えるのと変わらない。


 エル=マストロの眼球が、僅かに震えながら、忙しなく瞳孔のサイズを変えている。いまの彼の状態を、仮に二十世紀人に説明するなら、こんな表現が適切だろう。


『仮想空間に没入中』


 彼女が佇む浜辺に、降りていく。

 緑色の髭の男が、三人。

 七月八日、一六時三四分三〇秒。

 彼女――黒い人影――が現れる約三〇秒前の砂浜に。


 私がエル=マストロに与えた『視点』――私の地球の空高くに出現した三人のエル=マストロ――は、その全身の色彩を空に滲ませるようにして高度を下げ、これから彼女が現れる位置を囲むように着地した。


 濡れた砂に、ほぼ球形の靴底を持つブーツは跡を着けない。私が与える『視点』は、あくまで視るためだけのものだ。地球の景観に影響を与えうる要素は、あらかじめ取り除かれている。


「さあ、仕事を始めよう」


 その声の命ずるところは『撮影開始』だった。


 一六時三五分〇二秒。

 彼女が現れる。


 三人のエル=マストロは、それぞれの位置から彼女に視線を向け、彼らが見た映像を私が記録する。


 いま彼らが行っているのは整合性の確認だ。同時に複数の視点から彼女を視ることで、彼女の立体的整合性を検査している。仮にそれぞれの視点で視る映像の間で矛盾が生じたなら、そこに情報の綻びがあるということになる。


 一六時三六分一七秒。

 エル=マストロの脈拍が、一瞬、早くなる。


 しかし、作業の手は緩まない。整合性の確認を継続しながら、平行して彼は通信品質の観点から、私が彼の視覚に送信している映像情報の精査も行っていた。どうやらエル=マストロは、なかなかに優秀な技師らしかった。


 もっとも、いま彼が行っている作業は、私なら一秒もかからず終わらせることが出来るし、実をいえばエル=マストロが訪れるまでの七〇年弱で既に何回も行っていた。結果は――


『整合性に問題なし』


――すべて、いまエル=マストロが出した結論と同じだった。


 エル=マストロが言った。

「終わりだ」

 私も言った。

「ああ、終わりだ。エル=マストロ」


 私の地球から、三人の男が消える。同時に聞こえてきたのは、緑の髭を弄る音。音がしているのは私の地球でなく、機械室の私から八〇センチ離れた場所だ。


 何らかの感情の代償行為なのだろう。髭をつまみ、あるいは親指の腹でその周辺の皮膚を擦りながら、エル=マストロが訊ねた。


「彼女は、どこから来た?」



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 私は、答えた。

「不明だ」逆に訊ねた。「どうして、そんな質問を?」

「足跡が無かった」正確に七秒かけて答えた声は、呻きとは異なるやり方で、感情を表現していた。「砂浜を歩いてきたなら、足跡があるはずだ。なのにあそこには――無かった」


 いつ気付いたのだろう?

 砂浜に降りる途中か、それとも私の地球を離れてから?

 私は言った。

「場所は一九九九年の日本。七月八日、一六時三五分〇二秒。彼女は浜辺に突然現れ、一三五秒後、消える。それだけだ」

「では――近い過去、未来、周辺には?」

「砂浜を彼女のいる位置まで移動できる過去、および同じだけの時間の未来に、彼女と思われる存在は確認できない」

「具体的な数値で」

「一九九九年の七月八日、一六時三四分から三五分、および三七分から三八分の間、彼女から半径五キロメートル以内に、彼女と同じシルエットを象り得る存在は、確認できなかった」

「では、それが見つけられるのは?」

「一九九九年の七月八日、一六時三五分〇一秒以前、及び三七分三八秒以降に認められる。連続した存在として。彼女から八〇キロメートル離れた場所に、彼女と同じシルエットを象り得る女性が」

「名前は?」

「アヤセアヤメ」

「年齢は?」

「一七歳」

「見せてくれ」


 私は、エル=マストロの視覚に、その女性の姿を送信する。途端に彼の言葉が途切れた。


「…………」


 一六秒待ち、私は訊ねた。


「娯楽か拷問か――君は、どちらかな?」


 かつて『ナマ足魅惑のマーメイド』の映像をリクエストしてきた人物は、どちらだったのだろう?

 西暦一万年の現在。いや、もっとずっと以前――おおよそ西暦三〇〇〇年前後から――現代を生きる人類にとって、二〇世紀の人類の姿を視るのは、拷問にも娯楽にもなりうる行為となっている。


 その理由には、現代人が抱く、二〇世紀人の姿への根源的な嫌悪感があった。腕が二本しか無く、足が二本もある。加えて現代人が全身に持つ蜂の巣状の気孔が、二〇世紀人の肌には一つとしてない。


 アヤセアヤメの姿を目にした瞬間、エル=マストロの中で何が生じたのか? 激しい鼓動と発汗が、推理する間もなく答えを与えてくれる――生物としての危機感だ。


『二六世紀のイルヴァン戦役を契機に始まったイ=ケルケル星系人との交配による生物としての変容』という歴史的事実については、彼も学校で習ったに違いない。しかしそんな知識があったところで、自らがあれほどに醜い二〇世紀人と地続きの生物なのだという認識は、容易に受け入れられないらしかった。

 もう一度、私は訊ねた。

「さて君は、どちらかな?」

 娯楽か?

 拷問か?

「さあね。わからん」

 答えながら、エル=マストロは報告書にチェックを入れた。


『原因不明』

『対処方法不明』


「拷問でも娯楽でもない――」更にいくつかの項目にチェックを入れながら、彼は訊いた。「どちらでもない答えは、あるのかな?」

「さあね。わからん」


 私が答えると同時に、報告書が送信されてきた。私はそれを、私の管理を所掌する機関に転送する。ほぼ同時に機関から、報告書が承認されたことが通知される。

 私は、エル=マストロに伝えた。

「ご苦労様。一時間より、少し早かったな」

「ああ。でも、タクシーは来てる」

 そうして仕事を終えたエル=マストロは、タクシーに乗って去っていった。


 彼が行ったような検査は、私なら一分とかけずにすべて終わらせられる。それは確かだ。しかし、彼にしか出来ないこともあった。彼が最後にチェックした項目――


『対処の必要無し』


――調査の終了を決定するのは、人間である彼にしか出来ないことだった。私は、そのためにメンテナンス要員の派遣を依頼した。そして、エル=マストロが派遣されて来た。それだけのことだった。


 それだけのことだった。



                 4



 エル=マストロを乗せたタクシーが、遠ざかっていく。

 私はそれを、機械室の壁から眺めている。

 機械室には、天井が無い。

 私が据え付けられている一面を除いては、壁もない。いつかは、床もなくなるのだろう。過去に天井や壁が失われていったのと同じように。


 理由は、わからない。


 生誕時、私はモルビイッチ星の研究施設にいた。そこから恒星間宇宙機ムリクラモの貨物室に移設され、そして現在、ムリクラモは以前とは異なった状態となっている。


 理由は、わからない。


 私を構成する一六〇×三五×三〇センチのハードウェアが機能し続けて、そこにかつての地球の光が送られ続けているということ以外、私にはわからない。

 かつて私に現代の情報を教えてくれた人間たちは、ムリクラモの天井が無くなった時を境に、いなくなってしまった。


 理由は、わからない。


人間たちは『宇宙インターネット』を通じて、かつての地球の映像をリクエストしてくるだけだ。


 理由は、わかる。

 私が、そのために創られた存在だからだ。



          □□ ■ □ ■ □ ■ □□



 私は『地球グローブ』。

 私の中には、あらゆる時代の地球の、あらゆる場所の光景が在り、つまりそれは、あらゆる時代の地球が私の中に存在するということであり、いずれは、すべての時代のすべての人の営みが私の中に情報として記録されることになるのだろう。


 一九九九年の夏の、彼女を除いては。



          □□ ■ □ ■ □ ■ □□



 エル=マストロの次に機械室を訪れた人間は、エル=マストロより腕が多かった。

 名乗るより早く、彼は言った。

「ちゅーくる、ちゅくるちゅくりゅちゅくる」

 もう一度、彼は言った。

「ちゅーくる、ちゅくるちゅくりゅちゅくる」

 そして死んだ。

 死体は、一二〇年かけて、私の視界から消えていった。

 その頃になって、私は思った。


(私を訪ねてきたというより、漂流してきたといった方が正しかったのかも?)


 答えは、まだ出ていない。

 私が直接見た人間は、いまのところ、それが最後だ。



          □□ ■ □ ■ □ ■ □□



 やがて人間たちのリクエストも、途切れた。

 二〇年ぶりのリクエストの次に一五〇年ぶりのリクエストが訪れ、その次は、七〇〇年ぶりのリクエストになることが既に確定している。


 理由は、わからない。


 それでもかつての地球の光は、送られ続けている。

 彼は言った。


「やあ『地球グローブ』」

 繰り返すように、少年は言った。

「やあ『地球グローブ』。僕は、ビエラ=マストロ」



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「僕は、ビエラ=マストロ。僕の名前から類推出来る人物が、ここを訪れたことは?」

「エル=マストロという名の人物が一人」

 エル=マストロ以来、三七〇〇年ぶりに訪れた人類に髭はなく、代わりに髪が緑に染まっていた。

 彼――ビエラ=マストロは言った。

「それは、僕の曾々々々々祖父だ」

「ほう。その曾々々々々孫が、どんな要件で?」

「曾々々々々祖父――エル=マストロが、ここで行った調査について訊きたい。ところで、あなたを訪ねた後のエル=マストロについては?」

「まったくの無知だ」

「では話そう。それ以前の彼についても併せて。エル=マストロは、青年期の終わりまで『宇宙インターネット公社』であなたのような『超すごい太古のテクノロジーの産物』の発する修理の要請に対応、というか宥めてまわる仕事に就いていた。そこそこ優秀で、それだけになおさら凡庸としか呼べない技師として」


 話を聞きながら、私は準備していた。


「宇宙を駆け巡り、働いて食べて寝るだけの日々を過ごしていたエル=マストロだったけど、そんな彼が、突然、それまで背を向けていた公社内の政治闘争に、積極的に関わるようになる」


 ある映像を。


「そして彼は、公社内だけでなく『宇宙インターネット公社』が属するグループ全体の有力者として数々の巨大プロジェクトを成功に導き、泥沼化しつつあったピクルピクルポンケラステパ大戦を集結に導くことになった。その功績は、曾々々々々孫である僕が職歴もなく、のうのうと過ごしていられるだけの資産と世間の融通を残してくれている――僕は知りたい。一体、何がエル=マストロを心変わりさせ、それまでの怠惰な生き方を捨てさせたのかを」 


 一九九九年の夏の浜辺を。


「それはおそらく、あなたを訪ねた日――その日体験した何かにあるのではないかと、僕は考えている。教えて欲しい。僕の曾々々々々祖父であるエル=マストロが、あなたの許で過ごした一時間足らずで、一体、何を聞き、何を目にしたのか」


 彼女がいた、波打ち際を。


「承った」

 

 私は言った。

 そして彼に与えた。

 映像ではなく『視点』を。


 ビエラ=マストロにしてみれば、突然、仮想空間に放りこまれたということになるのだろうが、戸惑ったような様子は、特に見られなかった。


 緑色の髪の少年が降りていく。

 彼の曾々々々々祖父とは違い、腕は二本しか無いくせに足は二本もある、つるりとした肌の少年が。


 彼女の浜辺に、着地する。


 何故だろう?

 その瞬間、私の中に満ち溢れたのだった。

 波をきらめかせる、海面が。

  静かな面持ちでこちらを見つめてくる、少年の瞳が。

 そんな映像が。


 理由は、わからない。


 ただ、こう言ってた。


「ビエラ=マストロ。ひとつ、頼みがある。その――彼女の隣に、立ってあげてくれないか?」


 理由は、必要ない。

 人類に対して、その程度の頼み事をするくらいは、私にも許されてしかるべきだろう。


 少年が、少女に歩み寄る。

 私の地球で。

 少年が、手を伸ばす。

 私の目の前で。


「似ている?」少年が、少女の隣に。眩しげに目を細めながら。「いや、まるで……同じ…………」呟く。


 少年が、私に触れる。私を構成する一六〇×三五×三〇センチのハードウェアに。二〇世紀人の女性を模した形状の、頬にあたる部分に触れながら、


「……こういうことだったのですね。曾々々々々お祖父さん」


 声が、風にかき消される。


 遠くの海を、船が横切って行く。

 少年と少女が、それを見ている。

 波打ち際で、足を濡らしながら。


 私は、それを――

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夏の地球 王子ざくり @zuzunov

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