第40話 ファンから偶像へ


「飛鳥を、助けるって。飛鳥は無事!?」

 最後、何故か現れた『みるく』に椅子で殴られそうだった。あの後、どうなったのか、無事なのか。酷く狼狽した僕は、思わず少女に勢いよく近づいた。


『今、おねーちゃん、がんばってるの』

「美咲さんが?」

『うん。でも、もう、負けちゃう。だから、梨雨くん、おねがい』


 少女が僕に助けを求めた。しかし、言葉の割には必死さはなく、まるで僕を見極めているように見えた。


「君は、誰なの?」

 彼女の顔から笑顔がなくなる。そして、彼女はゆっくり部屋の隅へと移動した。

『わかんない。この部屋にずっといた。今は、おねーさんの一部かな』

 少女は部屋を見渡した後、僕を視線で射貫いた。大きな黒い瞳は深淵の入り口のようだった。ぞわりと背筋が凍る。


『で、助けてくれる?』

 再度、僕に問う。


「飛鳥は、どんな状況なの」

『助けてくれるなら、わかるよ』

「……絶対に助けられるの、飛鳥を」

『うん、それは、絶対に』

 自信ありげに笑う表情は、到底僕よりも年下だとは思えない。窓の外から日が差し始める。眩しい光を浴びれば、もう戻れない気がした。


『だって、あの『みるく』ってやつを片付けたのも、おねーさんとわたしだよ』

「どう、いうこと?」

『おねーさんが怒って、ぽーいってしたの。でも、ちょっといろいろあって、アレだけ、あばれちゃったんだ』

「『みるく』さんだけ?」

『他にもいっぱい、梨雨くんに迷惑かける人はおそうじしてたかな。あ、もちろん、ご飯とかそうじとか、お世話もしたよ』

 日がどんどん高く昇る。自分の身体がふわりと日の光に溶けていく。そうか、今まで起きたことも全部。あまりにも非現実的な答えだった。そして、


『おねーさんにとって、一番の敵は飛鳥さんだけどね』

「どうして、飛鳥を」

『アイドルの梨雨くんを普通の恋する少年にしてしまうから、だって』

 グサリと心に刺さった。彼女の目にはずっとそう見えていたのだろう。


「おしゃべりの時間はおしまい」

 パンッと乾いた音を立てる。すでに太陽の輪郭がほとんど見えていた。もう時間がない。彼女は僕に向かって手を伸ばした。


『もし、助けてくれるなら。梨雨くんの願い叶えてあげるよ』

「僕の願い……」

『そう、君の願い』


 僕は気付いたら、少女の手を取っていた。

『梨雨くん、ありがとう。ファンとして、一緒にいれて幸せだったよ』

 少女の声は、いつも優しい、美咲さんの声。




 僕のバースデーイベントから、早一ヶ月経過した。

 あの後、警察の人達が僕達を救出してくれ、僕と飛鳥だけが病院へと搬送された。

 会場内には二つの変死体があって、それぞれの身元は特定されていた。


 飛鳥は全身打撲。僕は奇跡的にかすり傷だけで済んだため、お互い検査入院後は療養していた。

 世間では大ニュースと報道された、表向きの犯人である記者の労働環境が劣悪だったようで、「何かしらの精神病だったのでは」とゴシップ誌が全方位から叩かれていた。


 僕たちも勿論、一番の注目の的だ。

 惨状の中、生存した二人。どうして生き残ったのかは、僕にもわからない。

 メディアとしては今一番おいしい二人だ。


 一躍時の人となった僕たちは、今、飛鳥の家で暮らしている。

「お前が掠り傷だけだなんて、信じらんない」

「本当にね」

 ようやく飛鳥の絶対安静が解けて、二人で久しぶりに外出する準備をしていた。飛鳥は未だに身体に痛みがあり、時々呻きながら服を着替えている。

 僕はと言うと、今一度目的の場所を地図で見ながら確認していた。

 意外と余裕そうな僕が気に食わないのか、何度も拗ねたように僕に絡む。以前とは違い、何だか子供のように駄々をこねてくるのだ。


 医者にもあの出血量なのにも関わらず、皮膚の傷だけしかないのはおかしいと、散々詰められた。服についた血液との検査までされたので、かなり疑われていたと思う。


 監視カメラが起動していたのが幸いし、僕たちは無罪であることを証明していた。


 準備を終えて、外に出る。目的地は、僕が夢で見たアパートだ。正しく言えば、今はただの廃墟になってしまったアパートだが。

 本当はいけないが、僕は朽ち果てた階段を上り、二階にある奥の部屋へと向かう。目当ての部屋の扉は、案の定錆に塗れており、酷い落書きもされていた。


「開いてるのか」

「多分ね」

 飛鳥の心配をよそに、僕は戸惑いなくドアノブを掴み、扉を開ける。

 今まで嗅いだことのない、吐き気を催すほどの腐敗臭。

 やはり鍵はかかっておらず、目の前には夢で訪れたあの部屋が広がっていた。

 敷きっぱなしの布団の上、黒くドロドロとした血肉が腐敗した液体が、黒ずんだ人骨に纏わり付いていた。


「梨雨、何を見ているんだ」

 飛鳥の問いかけに、僕は曖昧に笑う。彼の目には何も見えていないのだろう。

 僕は、この目に映る真っ黒な人の骨に近づき、彼女の頭蓋骨に触れた。ぐちゃりとした液体の気持ち悪さと、ひんやりとした空気の冷たさを感じる骨。


「本当に何してるんだ」

「大丈夫」

 怯える飛鳥の隣、僕は彼女の頭を優しく撫でながら、彼女の頭蓋骨に顔を近づける。


「見つけるの遅くなって、ごめんなさい」

 触れた衝撃なのか何なのか、かたんと骨が小さく音を鳴らす。どこか悲しげな音だった。顔から僕の手は彼女の手に重なる。最後までもがき苦しんだのか、この手は布団からどこかに向かって伸ばされていた。


 あの時、握手できなかったから。

 精一杯の気持ちを込めて、僕は口に言葉を載せる。


「愛してるよ、ずっと。ありがとう」

 ちらりと視線を動かす。どこかに少女の黒い眼が見えた。


 その後は、外に待たせていたタクシーに乗って、すぐに家へと戻る。

 何をしていたのかと飛鳥に尋ねられたので、「お礼だよ」と伝えた。

 抽象的な返答に飛鳥は不満だったのだろう、暫く沈黙が続いた。僕は流石によくなかったかと思い、報告も兼ねた別の話題へと代える。


「そうだ、プリンス☆トリガー解散するんだ」

「まあ、時間の問題だったからな」

 あんな事件があれば、流石に続けるわけにもいかない。しかも、メンバーの一人が失踪していることもバレてしまった。

 リーダーは責任を取るという形で、昨日逃げるように解散宣言をしたのだ。

 元々少ないスタッフの中には怪我した人もいたのもある。

 遂に、夢も終わりか。僕は大きく息を吐いて、肩を落とした。


「なあ、梨雨」

「何?」

 飛鳥へと顔を向けると、飛鳥は車の窓の外を眺めていた。


「俺、喉の手術、受けることにしたんだ」

「えっ!? 大丈夫なの!?」

 思ったよりも驚きの報告に、うわずった声で僕も叫ぶ。タクシーの運転手がびくりと肩を震わせていた。


「大丈夫。あの事件で生き抜いたんだし、喉の手術くらい、どうにかなるだろ」

「それは、そうだけど」

 非現実的な出来事と、手術を並列にしてはいけないように思う。ツッコもうかと口を開きかけた時、飛鳥がこちらを向いた。真剣な表情の彼に、僕は動きを止めた。


「こんなタイミングで、とは思うけどさ」

「何?」


「俺たちで、アイドル活動してみないか」


 僕は大きく目を見開く。


「飛鳥、嘘じゃ無いよね?」

「俺が嘘つけないの、知ってるだろ」


 飛鳥の言葉に、思わず顔を隠す。涙が急に溢れてきた。嗚咽を漏らしながら、飛鳥の腕に寄りかかる僕。


「アイドルなるぅうぅ」

「おいおい、泣くなって」


 楽しそうな飛鳥に僕は、嬉しくて仕方が無かった。長年待っていたのだ、彼とアイドルを出来ることを。


 一頻り泣いた後、僕は涙を手で拭いながら、体勢を立て直す。飛鳥はちらりと自分の服を見て、驚いたように声を上げた。


「梨雨、お前。手、汚れてるだろ、家帰ったらすぐに洗え」

「あ、ごめん」

「まあ、いいけどさ」

 感動的な場面なのに、飛鳥の着ていたトレーナーには、黒く擦れた跡が残っていた。なんという台無しの仕方だと僕が謝ると、何故か少し照れくさそうに笑う飛鳥に、僕は彼の顔に手を伸ばす。


「飛鳥」

「ん?」

「あいしてるよ、ずっと」


 飛鳥は顔を赤く染めた後、僕から顔をそらして、「俺も」と短く呟く。心は熱く燃えたぎり、未来へと希望を描く。

 ああ、飛鳥の隣でいっしょにいられる。この幸せをずっと続けたい。

 そのためなら、命だって何だって賭けられる。


 僕から溢れるアイは、黒くドロドロとしていた。





終わり

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あいしてるよ、ずっと 木曜日御前 @narehatedeath888

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