後編

 その日を境にお嬢様は変わった。

 今まで極端に嫌っていた婚約者との手紙のやり取りやお茶会への参加をやるようになったし、馬に乗るのもめっきりやめてしまった。


 ――お嬢様が俺に想いを寄せていることは、ずっと知っていた。

 見て見ぬふりをしていたが、お嬢様がわざと奔放に振る舞って第三王子に嫌われようとしていた理由も、俺を振り回すわけもわかってはいたのだ。


 出会ったのは三年前のことだった。

 お嬢様が十二歳、そして俺が十四歳の時、新しく執事としてゴメリー伯爵家に雇われた俺はお嬢様に引き合わされた。


「ふん、お前が新しい執事なの」


 鼻を鳴らし、ズカズカと俺の前までやって来たお嬢様。

 彼女は俺を頭からつま先まで舐めるように見回すと、一言。


「まさに腹黒メガネね」


 と、とんでもないことを言ったのだ。


「……え?」

「イケメンでメガネと言ったら腹黒って決まっているでしょう? だから今日からお前は腹黒メガネよ。わかったわね?」


 随分偏見があり過ぎる言い分でギョッとしたが、あながち間違いではないので俺は言い返せなかった。


 そんな風だったから最初はてっきり嫌われているかと思った俺だったが、その全く逆だったのだ。

 お嬢様は俺を軽く罵倒するようなことを言いつつも、俺が馬で近隣の町に出かける姿を見て自分も馬を習いたいと言ったし、俺を連れ回すこともしばしば。


 俺と一緒にいる時、本当に楽しそうな笑顔を浮かべるものだから、彼女の気持ちに気づいたのはすぐだった。


 俺のどこに惹かれたのかわからずお嬢様の専属メイド――中年の女性で既婚者だ――に聞いてみると、「人恋しそうにしてるところでしょうねぇ。友達がいないのはお嬢様も同じだから。似た者同士は惹かれ合うっていうでしょ?」と言われた。

 そんなものだろうか。俺にはよくわからない。


 だが、どんなにお嬢様が俺のことを好きであろうが無意味だ。

 彼女が十三歳の頃には婚約者ができてしまった。いや、それ以前に、例え第三王子の存在がなくとも俺とお嬢様が結ばれるなんてはずがないのである。身分差を差し引いたとしても、絶対に。


 なぜなら俺は、ただの執事ではない。

 このゴメリー伯爵家、そしてその周辺の重要機密を狙い、祖国に知らせるために送られた、隣国のスパイなのだから。




 俺は、ここの隣国である大きな帝国で皇帝にお手付きにされた侍女の子だった。

 皇族特有の赤い瞳を持って生まれてしまったせいで皇妃や腹違いの兄弟姉妹に恨まれた。しかし皇族の証である赤い瞳がある以上殺すことはできないらしく、幼少の頃から厳しい教育を受けた挙句、スパイとしてこの国に放り込まれることになった。


『皇族として認めてほしいならせいぜい帝国の役に立つことだ』


 自分のやらかしで俺という子を作っておきながら、身勝手な皇帝はそう言って俺を突き放したのである。


 瞳の色を隠すために特殊なメガネをかけて潜入したのは、ゴメリー伯爵家。

 ゴメリー家は王家と親しく、それだけ国の根幹部分と関わることも多い。俺はゴメリー家当主、つまり旦那様が握る重要機密を盗み出すために執事として雇われることにしたのだった。

 もちろん身分は偽り、極小商家の息子という名目で。


 しかしいまだに重要機密は見つけられていない。その上、もう重要機密を盗み出す気すら無くなっている自分を自覚している。

 だが俺は決して認めたりしない。お嬢様にすっかり絆されてしまっているということを。


 だってこんな腹黒メガネと結婚したところで、お嬢様が幸せになれるわけがない。

 例え嫁ぎ先が変態王子だとしても俺よりはマシだろうから。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そして月日は流れ、お嬢様……セイディ・ルン・ゴメリー伯爵令嬢と第三王子ダグラスの結婚式の日がやって来た。

 お嬢様は立派な桃色のドレスを纏い、いつになく美しく輝いていた。


 そのまま馬車に乗って王宮へ向かう。

 本来は屋敷で別れを告げるはずが、なぜだか俺も同乗することになった。彼女の最後のわがままだろうか。


 そう思っていた俺は、甘かった。


「少し落ち着かないの。お前と一緒に散歩がしたいわ」


 王宮に着いて馬車を降りるなり、そう言ってお嬢様は俺の手を引いて歩き出したのである。

 いくら最後の思い出作りとはいえ、さすがに花嫁と手を繋ぐというのはまずいのではと思い慌てる俺をよそに、お嬢様はずんずん進んでいく。そして向かった先は、馬小屋だった。


「一体どういうつもりなんです、お嬢様」


「どうもこうもないわ。腹黒メガネ、今度はお前が私を後ろに乗せなさい」


「……は?」


「馬鹿ね。こんなところからはさっさとおさらばするのよ」


 そう言うなりお嬢様は桃色の花嫁ドレスの裾をビリビリ破ったかと思うと、サッと馬に跨ってしまった。


「さあ早く」


 ……まったく、このお嬢様は奔放過ぎる。

 どう言ってこの場を収めたらいいのかわからない。ドレスは破られてしまった。今更戻ったところでどうなるというのだろう?


「お嬢様。こんな場でふざけないでください」


「ふざけてなんかないわ? 私は大真面目なのよ。

 あの変態王子の元から私を攫って、連れ出しなさい」


 お嬢様の言葉に、俺は唖然とするしかなかった。


「でも、だって駆け落ちはもう諦めたはずじゃあ……!? だからこそ態度を変えて」


「そんなの、周りを油断させるために決まってるでしょ」


 悪戯が成功した子供のようにお嬢様は笑う。

 そして彼女は朗らかに言った。


「細かいことなんていちいち気にしなくていいわ。だから私を攫って行って、皇子様・・・?」


 次の瞬間、俺のメガネはお嬢様の手の中にあり、ずっと隠し続けてきた赤い瞳が顕になっていた。

 この目で直接お嬢様の姿を見るのは初めてだった。いつもレンズ越しに見ていた彼女の顔が迫る。


「その瞳、とても綺麗よ」


 ずっと恋しかった、初恋の人。

 俺に初めて優しくしてくれて。俺をまっすぐに見つめてくれた、唯一の人。


 惚れないわけがない。恋していないわけがなかった。

 ずっと気づかないでいようと努めていた。こんな恋なんて諦めるしかないと思っていたから。


 皇子と呼ぶからには、俺の素性をどこかで調べて知ったのだろう。

 それでも彼女は俺を追い出さないどころか、こうして誘ってくれている。本当に俺を受け入れてくれるというのなら――。



 嫌われ者の皇子という立場、隣国のスパイという身の上、そして己への劣等感。

 今までの過去やしがらみを全部投げ捨て、俺はお嬢様の……セイディの手を取る。

 そして勢いよく、馬に飛び乗ったのだった。

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奔放なお嬢様と腹黒メガネ 柴野 @yabukawayuzu

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