今日も殺人は行われている
今晩葉ミチル
今日も殺人は行われている
今日も殺人は行われている。
私の見えない所で、私の知らない所で。
そう思っていた。
いつも通う中学校から帰ろうとして、いつもの駅で電車を待っていたある日の事だ。
目の前で、人が電車に轢かれた。
轢かれたのは壮年の真面目そうな男性だった。頭を除いて電車の下敷きになっていた。自分から飛び込んだのではない。
後ろから別の男性に突き飛ばされたのだ。
突き飛ばしたのは中年の男性だった。見下した目で壮年の男性を見ていた。小さな声でざまぁみろと言っていた。
当然だが電車は運休となり、すぐに警察と救急隊員が来た。壮年の男性は担架に運ばれて、中年の男性は肩をいからして舌打ちをしながら連行された。
私は両親に連絡をして、駅までお迎えを頼んだ。吐き気と動悸が止まらなくて、次の日に学校を休んだ。
翌日に、電車の事件はニュースになっていた。父が読む新聞も、母が見るワイドショーも、私が使うスマホアプリにも、犯人の生々しい言葉が取り沙汰された。
電車マナーを注意されて腹が立った。死ぬとは思わなかった。
身勝手、残酷、マナー違反を注意するのも命懸けなど様々なコメントが付けられていた。
私はしばらく呆然とした。頭は真っ白になり、ただただ寒気がした。
そのニュースは見ないようにした。
忘れるのに時間が掛かった。
幸い、月日が経てば心の傷は癒える。
私はいつも通りに中学校に通い、卒業して、高校と大学に行った。
普通の生活を取り戻したのだ。
大学は特に楽しかった。何でも言い合える友達ができて、たくさん遊んだ。
そんなある日の昼休みにスマホアプリをいじっていると、とある事件の裁判結果が表示される。
マナー違反を注意されて腹を立てた男性が、マナー違反を注意した男性を、走る電車の前に突き飛ばした事件だ。犯人は殺意を否定したが、殺人罪が適用された。十年の懲役刑になったという。
私は手元が震えて止まらなくなった。心配になった友達たちが私のスマホを覗き込む。
「その事件知ってる! 酷いよね〜」
「犯人の言い訳が信じられない!」
友達は口々に事件について語る。
身勝手、残酷、マナー違反を注意するのも命懸け……あの時と同じだった。
私は吐き気と動悸が止まらなくなった。私は早退した。
次の日、大学を休んだ。
早退した翌日に大学をサボって布団にくるまっていると、スマホに着信が来た。
いつもの友達からだった。
私は震えながらスマホを手に取った。
「大丈夫? なんて聞いても意味ないね。大丈夫なら学校に来てるはずだもんね〜」
軽い口調にいくらか和む。
一人では抱えきれない。友達には話せる気がした。
私は自分の気持ちを正直に伝える。
たとえ故意的に人を傷つけた結果、傷つけられた人が死んでも、殺意を立証されなければ法の元で殺される事はないのだと。
つまり、殺人を犯しても殺意を立証されなければ生き延びる事ができるのだ。
殺された人は墓の中なのに、殺した人はいつか太陽の下に出られるのだ。
私は恐ろしくなった。
走る電車の前にわざと突き飛ばしても、死ぬとは思わなかったという一言で死罪を免れるのだ。
もしかして、本当は死んでほしい人を突き飛ばしても同じなんじゃ?
思いついた自分が恐ろしくて震えた。
全てを伝えた。
伝えた後で後悔した。
怖いと思われるかもしれない。嫌われるかもしれない。日常が壊れるかもしれない。
訂正しても間に合わないだろう。私はどんな反応が来るのか覚悟しなければならないと思った。
しかし、意外な反応が返ってきた。
友達の笑い声が聞こえたのだ。
「そんなの大丈夫だよ! だって思いついただけで何もしていないよね?」
私は震え声で、うん、と言った。
友達は優しい口調になる。
「誰だって殺したい人間の一人や二人はいるけど、実行に移さなければいいんだよ」
私は励まされた。
そうだ、どんなに残忍な事を考えても実行しなければいい。
気持ちが軽くなる。
明日は大学に行けそうだ。
「じゃあね、会うのを楽しみにしているよ」
お互いに笑いあいながら、通話を切った。
私は安心して溜め息を吐く。身体が軽くなった。
友達の言葉を大事にしよう。
誰だって殺したい人間の一人や二人はいるけど、実行に移さなければいい。
……友達が殺したい人って誰?
今日も殺人は行われている。
私の見えない所で、私の知らない所で。
そう思っていたのに……。
今日も殺人は行われている 今晩葉ミチル @konmitiru123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ミチル語り/今晩葉ミチル
★30 エッセイ・ノンフィクション 連載中 43話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます